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ymdork

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「ッあーくそ、うるせえ、」
 リビングのソファはもうそろそろ替え時なのかもしれない。ギシギシとスプリングがうるさくて構わないのだ。ついでに自分の部屋のベッドも買い換えよう。あのスプリングもやけにギシギシと鳴るものだから、だから。ダメなのだ。
「センセーどしたの。この前からめっちゃ機嫌わりいじゃん」
 キッチンに居た貴昭が、ひょいと顔を向けたのが横目に分かる。
「別に!」
「ほら! そういうとこ! そういうとこだよ!」
 機嫌なんて、全然悪くない。俺はいたっていつも通りだ。いつも通りだろ。いつも通り以外のなにものでもない。
 また募ったもどかしさに、そのまま寝返りを打つとソファからギイ、と音が鳴る。ああもうこのクソソファー今すぐにでも外に放り投げてやろうか。もういい。向こうも分かってたんだ。いいように踊らされてたんだよ俺は。多分バレてただろうし。ああ、恥ずかしい。
「ねえせんせー」
 マグカップ片手にリビングへとやってきた貴昭は、ソファに座らず直接カーペットの上に腰を下ろした。多分ここでソファの音が鳴っていたら殴り倒していただろうからそこだけは評価出来る。お前いいやつだな。
「んだよ」
「なんでそんなちくちくしてんの……恋わずらいみたい、」
「うおあーっ!!」
 反射のまま起き上がり、可能な限り声を張り上げながら聞こえた貴昭の言葉を遮る。
「ちげえっつーの! なんで俺が! なんで俺がそんなもんしなきゃならん!」
 そんな訳無い。俺があいつの出勤予定を気にしているだなんて。
 あのあと、どこか後ろ髪を引かれて店舗に問い合わせてみた。この六日間で、二日に一回を一度。そして一日に一回が四度  結果、全滅。
 一日も出勤していないのだというあの『ハルナ』は、もともと稀に、しかも数時間だけというシフト構成だったらしい。何が『いつでもここに居ます』だよ全然居ねえじゃん。
「……こっ……恋、と、か……!!」
 違う違う。全然違う。気になるだけだ。抱いてしまったからそうなっているだけだ。こんな感じになっているだけ。それ以外だなんてありえない。そもそも男でオメガで風俗勤めだぞ。こうやって貢ぐ男に仕立て上げられるのか。まんまと引っかかったという訳だ。ダサ。恥ずかしい男だな俺。
「せんせー……それ……、」
 悶絶していた俺に、貴昭から地を這うような声が上がる。やめろ。それ以上は何も言うな。認められないから。認識したら終わりだから。
「やっぱ恋じゃーん!!」
 聞こえた言葉に、とうとう追い詰められ膝を抱えざるを得なくなった。
「う……うう……!」
 違う。違うのに。今無性に、あの身体に触れたい。













 ずらりと並べられた作品展の作品たちに気付いたのは展示終了後だった。受け持った授業終わり、帰る準備をしていたら彫刻科の学科長に呼ばれ彫刻科棟に行くと、来年の彫刻科作品展示においてのスペースを紹介してもらえないか、という話を聞かされた。
 自分の顔が利くギャラリーであれば、ということで真っ先に思い浮かんだのは春日井グループだ。あいつだったら彫刻作品も好きだし、多分他のギャラリーや貸しスペースよりも協力してくれるはず。今までの彫刻科作品展で使用していたスペースが老朽化による建て直しで短くとも三年は使えないらしい。外部の人間に見てもらう為には大学内展示より、断然街中展示の方が人の出入りを見込める。
 話し終わり、来た道を戻るよりこの校舎の裏門から出たほうが早い、とあまり歩いたことのない廊下を進んでいると、通りがかった教室内に、撤収された彫刻科の作品がずらりと並んでいるのが見えた。エントランスに飾られていたのだという全作品から、彫刻科の作品のみこの教室に引き上げられたのだろう。
「ヒッ!! ……、あ、あれ?」
 思わず足を止め、その場で固まる。だが、あの会場で見かけた時より受けるものが薄い。
 なんでだ、と不思議に思いながら教室の引き戸を開ける。ゴミが詰まっているのか、引き戸が開きにくいのは完全なる美大あるあるだと思う。
 ドアを力づくで開けているうちスライドしやすくなって、ようやく中に入れた。恐る恐る、その作品へと近寄り、今度はじっと、真剣に目を向ける。
「でもやっぱ、……きもちわるい、よな」
 あの時ほどのダメージは無いものの、どうしてか首の裏側がぞくぞくとした。どこにその要素があるのだろう。嫌だな、と思ったモノに対しては、多分死ぬまで一生嫌なのに、この作品に対しては不思議と『嫌悪感』というものが薄まっている気がして。
 そうだ、これは誰が作った作品なんだろう。学科長に聞けば分かるだろうか、と考えていた最中だった。
「ッ!!」
 何かに引っ張られ、そのままバランスを崩して暗闇の中を転がる。急いで顔をあげると、自分が転がった先が備え付けられた準備室なのだと分かった。
「うわっ!!」
 唐突に暗くなる視界。目を塞がれている。
「誰だ、っ、」
 質の悪いいたずらか、と思い切り拳を握った瞬間だった。
「……先生」
 聞こえてきた、声。何かが自分の膝に乗り上げる。体重を掛けられ、それが驚く程しっくりときた。拳を握っていたはずなのに動かせない。自分に乗っかっているのが『誰』というのが、分かってしまったからだ。
「ッ、え、おまえっ……」
 そのうち緩まってきた目隠しに、顔を振って邪魔な布を退かす。教室の光は、彼に背負われているせいで逆光気味だが、間違えるはずがない。
 綺麗な黒髪。白い肌。大きな瞳。
「ハル、ナ……?」
 恥を忍び、風俗店に問い合わせをせざるを得なくした元凶の張本人  ハルナが居た。
「毎日出勤の問い合わせ下さってたんですよね。そんなにも僕に会いたかった?」
「えっ、なん、なんでおまえ、」
「……何がダメなんだろう?構成が嫌なのかな。そんなにも気持ち悪い? 会場でも言ってたもんね、『右から三番目』って」
 頬を辿るハルナの指先に、あの作品を見た時と同じ感覚が首の裏を占めていく。自分が感じたものは、本当に嫌悪感だったのだろうか。それすら分からない。
「これは『俺』ですよ。『先生』、」
 嫌な予感がした。こんな形で『人』と『物』を同一視したこと、今まで一度だって無い。
「……これ作ったの、お前……?」
 つなぎ姿の彼に言うと、こてり、とハルナが小首を傾げる。携えられた笑みに今度は背中のあたりがぞくぞくとする。これは間違いなく悪寒だ。
「先生、『どっかで会ったことある?』とか言っておきながら全然気付かないんだもん。あの時も途中で笑っちゃいそうになってた」
 ということは、こいつは俺の身分を知っていたという事だ。
「お前、ここの生徒だったのか……なんだよ、なんなんだよ、」
 弱みを握ろうとでも思ったのだろうか。ここでも会わないのに何故。自分の作品が悪く言われたから?  全く意味が分からない。
「お前おかしい、絶対おかしい」
「はっ、なに……同族嫌悪?」
 それにしては執念が深すぎる。ハルナが出した、言葉の意味も分からなかった。
 じゃあ何か、たかだか一度くらいの酷評で、当てつけに俺と寝た、ということか。あの風俗店には、しっかりと在籍確認をとってある。それじゃあ、たまたま俺が連れられて行った風俗店にこいつが居た、ということなんだろうか。そうして手を出させ、思わせぶりな言葉を残した?  怒りを通り越しておそろしさすら感じる。
「ね、先生さ、……もしかして童貞だった?」
「ッ……!」
「ははっやっぱり!! やけにがっついてると思ったあ。つい一ヶ月前まで童貞だったのに……もう忘れられないよね?ナカの感触」
 じ、と俺の顔を見つめたまま動かなくなったハルナが、なにを思ったのか俺の唇に指を添えた。
「ねえ、欲しい?」
 呟きと同時に、俺の唇を撫ぜていた指が、胸を通って、下腹部へと滑らされる。その瞬間頭に血が上った。
「おまっ……!」
 馬鹿にしているどころの話ではない。お前は楽しめるだろうが俺は無理だ。そんな酔狂に付き合っていられない。
「……ッ、お前がこの学校に在籍してるってことは、腐っても教師と生徒だ!! いくら俺のこと馬鹿にしたいからって、」
「はあーっ……」
 言っている最中、ハルナの表情が分かりやすく変わっていく。先ほどまで携えていたはずの笑顔は見る影を無くし、変わりに現れたのは。
「めんどくさ」
 心底うざったらしそうな、愛嬌なんて一ミリもない表情だった。
「うるさいな、ごちゃごちゃ言うなよ。アンタ気持ちいいこと好きじゃん。俺も気持ちいいこと好き。それじゃダメとか  そんな訳ないよね。あんだけ俺ん中で出したのに否定する気かよ。探してたじゃん。忘れられなかったんだろ。俺のこと思い出してシコってた癖に。俺のせっまいアナに入れて、ごしごし扱いて欲しかったんだろ?」
 言葉に合わせてハルナが腰を振る。ぐりぐりと彼の重さに刺激される下半身。強制的に、あの日の熱を呼び起こさせる。
「っあー、やめろ、やめろやめろ……!!」
「……ココは素直で、可愛げあるのになあ」
 ほおら勃起してきたよ、という声と共に、ハルナの手が本格的に俺のズボンへと向かう。
「やめろ!!」
「ッ、」
 目をつむり右手を宙へ滑らせた瞬間だった。はっとしてハルナを見る。
 ちょうど俺の手の甲が彼の口に当たったのか、下唇を拭った細い親指には赤い、血のようなものが付いている。ハルナの眉間が思い切り顰められる。
「……ねえ先生、いいじゃないですか。誰も来ないですよ。だから大丈夫、思う存分気持ちよくなってください……僕のココ、気持ちよくして……?」
 今までの声より、断然冷たい音だった。マウントを取られてしまった。ハルナの手が再度俺のズボンに掛かる。ボタンを外しチャックを下げ  寛げた前から出てきたのは、既にガチガチになり、我慢汁さえ滴るほど興奮した、俺の雄だった。












 乗せられるがまま乗っかり、乗せ、どれだけ出しただろう。どれだけ絞り取られただろう。全てはこいつ  きゅんきゅんと締まりながら俺を惑わせてやまない、狭い穴の中だ。
 全部がどうでもいい。自分の決意だなんてそんなものだ。最悪な展開というのは、迎えてみたら案外どうでもよくなるもの。
 胸に乗ったままの黒髪が汗でまとわりついて気持ち悪い。でも長い髪の扱い方が分からないから、丁寧に梳くことしかできない。
「お前さてはセックス依存症ってやつか」
 言うと、俺に全体重を掛けていた身体が上半身だけ持ち上がった。
「セックスは好きだから、見る人が見たらそう思えないこともないかもしれないけど、そうなったら全人類がそうなるんじゃない?」
 いやさすがにお前ほどじゃないだろうよ。思春期の頃みたいに、オナニー覚えたての猿が一日八回抜くような。それほどまでに局部が痛い。悲しいほど身に覚えがあるこれをまさか三十路過ぎで再度起こしてしまうだなんて。
「なあ、約束してくれ」
「なに」
「……今後、絶対俺に近づくな」
 でもこればかりは駄目だ。初めてハルナを抱いた日より深い罪悪感に、自分自身が押しつぶされそうでかなわない。
「……わかった」
 起き上がったハルナが、準備室のシンクに掛けてあった雑巾で自分の股ぐらを拭く。太腿に垂れていく精液を拭うと、また垂れてきて。何度も繰り返す様子に思わず手のひらで顔を覆ってしまった。俺、生徒相手になんてことしたんだろう。いくら大学生とはいえこれはさすがにダメだ。大人として間違った道に身を置いてしまった。
「先生も拭いたほうがいいよ。俺が出したやつで腹べとべと、」
 その声と同時に、手首に何かが当たる。見ると、乾いた雑巾。ハルナはいつの間にか、ここで出会った時と寸分違わぬつなぎ姿に戻っていた。
「あ、それと」
 彼の足がドアに向か最中、思い出したかのように振り返った彼は、なんともこ憎たらしく、にっこりと笑った。
「俺、あの場所で客として取ったのはアンタが初めてだった」
 じゃね、と彼が準備室から教室へと出て行った。しばらくして聞こえてきたドアの開閉音。裸のままの自分、散らばる拭く、転がった荷物、つんと鼻につく精液の匂いが充満する室内。
「……、ハア?!」
 こんなにも腹から声を出すタイミング、早々無いんじゃないだろうか。
 あいつ、宇宙人だ。絶対宇宙人。思考も行動もなにひとつ読めない。
 だからなんだ。それがどうした。初めて、って。じゃあなぜあんな場所に。童貞というのはバレていた。じゃあ初モノ好きか。でもなぜ、俺が童貞だって分かった?
 頭は真っ白。身体も真っ白。ああ神様。これは何の試練だというのでしょうか。











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