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第三章 領都バホルム~8歳~
117 沈黙のキャンプ飯
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八歳の春、僕ーーハルト・フィールドは、故郷のシュガー村を旅立った。
領都バホルムを目指して南下する。何事もなければ馬で三日間の旅だが、たった三日とはいえ、北方街道の旅はまさしく山あり谷あり。
大変なんだよ。
乗馬は坐骨で座るなんて知っていても、長距離移動に慣れていないとお尻がね。
「ブルル、ブルル」
「ありがとうブライアン、心配してくれて」
一日目は双子山を目指して、白いカモミールが咲く草原の一本道を行く。
耳に心地いい小川のせせらぎと小鳥のさえずりを聴きながら、幌馬車と五台の荷馬車が土の道をガラガラと音を立てて進む。
隊商の最後尾から振り返って見えるのは、澄んだ青空を背にしてそびえる雄大な白銀の霊峰アルヌ。シュガー村はずいぶん小さくなった。
「綺麗な景色だな」
三年前の旅では、後ろからクラウスさんに支えられて鞍にしがみついてた。途中からはお尻が痛くて景色なんて見る余裕はなかったんだ。
あの時は村を離れるのが漠然と怖かったけど、今はすごくワクワクしてる。
「ハルト様ー、あまり離れないでくださーい」
「はーい、すみませーん!」
最後尾のボルドさんから注意を受ける。魔物がいる世界だから油断は禁物だ。
これから道中で何度か休憩を取りつつ、夕方までに峡谷を見下ろす双子山の山頂へ到着する予定。そこでキャンプをするそうだ。
「ハルト、変だと思う」
「えっと、何がでしょう?」
最初の休憩でクロエさんが話しかけてきた。表情は乏しいが、なんだか不満げな様子。
「みんながハルトのことをハルト様って呼ぶのが変、ハルトがクロエさんって呼ぶのも変」
あ、忘れてた。僕は小人族の血筋で、体は小さいけど十六歳のハルなんだ。兄上が用意してくれた住民証でそうなってるから。
「そうでした。これから僕のことは『ハル』と呼んでください。クロエさんのことはなんて呼べばいいですか? クロエ先輩とか?」
「ちょーおっと! クロエ先輩はパティの先輩なんですぅー!」
腰に手を当てたパティさんがクロエ先輩独占権を強く主張してきた。争うつもりはまったくないが、呼び捨てはなんだか気が引ける。
「じゃあ、クロエ……お姉ちゃん?」
「クロエお姉ちゃん! いい……」
「え?」
クロエさんは稲妻に打たれたようにハッとして、琥珀色の目を大きく見開く。
「もう一回、クロエお姉ちゃんって呼んで」
「あ、はい。クロエお姉ちゃん」
「うん、いい!」
黒髪から出ている三角耳がピョコピョコ、長い尻尾がブンブン動いて嬉しそうだ。顔の表情は乏しくてもわかりやすくて可愛い。
「んまっ!? ぐぬぬぬ……」
一方、パティさんは睨んでくる。
「ええっと、パティさんもお姉ちゃんで?」
「ふぐぬぬぬぬぬ……!」
表情豊かな顔の、無言の威圧が強くなった。どうやら選択を間違えたようだ。
「じゃあ……パティ先輩とか?」
「パティせんぱい……こほん。まあ、どうしてもパティのことを先輩と呼びたいのであれば、クロエ先輩に免じて特別に許可します」
先輩好きの人なのかな。なんだ先輩好きって? 丸く収まるならなんでもいいや。
そんなわけで僕のことは気軽にハルと呼んでもらい、二人のことはそれぞれクロエお姉ちゃん、パティ先輩と呼ぶことになった。
アルマンさん、ボルドさん、レーヌさんは、今まで通りの呼び方だ。
こうして一日目は魔物に襲われることもなく、山頂のキャンプ地に到着できた。なんとなくの感覚でざっくり計算すると、移動距離は約八十キロといったところか。
「さあ、みんな! もう少し頑張ってくれ。日暮れ前には夕食にしよう!」
アルマンさんの号令でみんなが動く。
僕はブライアンから荷物を下ろしたら、水を飲ませてニンジンを食べさせてあげる。
「お疲れ様、夕食の後でブラッシングしてあげるから、ご飯を食べてしっかり休んでね」
「ブルルル」
うん、体調は良さそうだ。
今回、僕は見張りなどをしなくていいというので、自分のテントを張ってから食事の支度をしているレーヌさんのところへ向かった。
「レーヌさん、何か手伝いましょうか?」
「ううん、ありがとう。あとは味付けだけだから大丈夫よ。ただ、ハルト様……じゃなかった、ハルの口に合うかどうか。なんだか自分の料理を食べてもらうのが恥ずかしいわ」
焚き火にかけられた大鍋の中身は麦粥だ。干し肉と乾燥ハーブと黒紫の液体を入れる。
「それがガルユですか?」
「ええ、バホルムでは定番の調味料よ」
ダンジョンに棲息している魔物、ガルユの肉や内臓を長期発酵させて作るという発酵調味料ガルユ。魚醤や肉醤と同じものだろう。
黒紫の見た目は醤油、味が気になる。
「少し味見させてもらえませんか?」
「ふふ、どうぞ」
革手袋を取り、浄化魔法で綺麗にした手の甲に少し垂らしてもらう。ハーブを使っているのか香りは複雑、舐めてみるとほぼ醤油だった。
「あ、美味しい!」
「あら、お口に合って良かったわ。初めての人はだいたい塩辛いって言うのよ」
秋田のしょっつるや石川のいしるをイメージしていたから、風味や塩味が強い魚醤に比べれば、だいぶ優しい味でうま味もしっかりある。
これなら十分醤油の代用品として使えるぞ。レーヌさんの作る夕食が楽しみだ。
女神様へ感謝の祈りを捧げてから食事をいただく。みんなは交替で見張り役をしながらなので、食べるのが早いしほとんど喋らず無口だ。
僕も薄茶色の麦粥を口に運んで咀嚼する。するとなぜかフィーネの笑顔が脳裏に浮かんで涙が出た。みんな無口になるのはこのせいか。
「ハル、お味はどうかしら?」
「と、とても元気になる味だと思います」
「そう……おかわりあるけど?」
「あ、はい……いただきます」
なんでだろう? 微笑むレーヌさんのキャンプ飯は、予想外に苦くて涙が出た。
領都バホルムを目指して南下する。何事もなければ馬で三日間の旅だが、たった三日とはいえ、北方街道の旅はまさしく山あり谷あり。
大変なんだよ。
乗馬は坐骨で座るなんて知っていても、長距離移動に慣れていないとお尻がね。
「ブルル、ブルル」
「ありがとうブライアン、心配してくれて」
一日目は双子山を目指して、白いカモミールが咲く草原の一本道を行く。
耳に心地いい小川のせせらぎと小鳥のさえずりを聴きながら、幌馬車と五台の荷馬車が土の道をガラガラと音を立てて進む。
隊商の最後尾から振り返って見えるのは、澄んだ青空を背にしてそびえる雄大な白銀の霊峰アルヌ。シュガー村はずいぶん小さくなった。
「綺麗な景色だな」
三年前の旅では、後ろからクラウスさんに支えられて鞍にしがみついてた。途中からはお尻が痛くて景色なんて見る余裕はなかったんだ。
あの時は村を離れるのが漠然と怖かったけど、今はすごくワクワクしてる。
「ハルト様ー、あまり離れないでくださーい」
「はーい、すみませーん!」
最後尾のボルドさんから注意を受ける。魔物がいる世界だから油断は禁物だ。
これから道中で何度か休憩を取りつつ、夕方までに峡谷を見下ろす双子山の山頂へ到着する予定。そこでキャンプをするそうだ。
「ハルト、変だと思う」
「えっと、何がでしょう?」
最初の休憩でクロエさんが話しかけてきた。表情は乏しいが、なんだか不満げな様子。
「みんながハルトのことをハルト様って呼ぶのが変、ハルトがクロエさんって呼ぶのも変」
あ、忘れてた。僕は小人族の血筋で、体は小さいけど十六歳のハルなんだ。兄上が用意してくれた住民証でそうなってるから。
「そうでした。これから僕のことは『ハル』と呼んでください。クロエさんのことはなんて呼べばいいですか? クロエ先輩とか?」
「ちょーおっと! クロエ先輩はパティの先輩なんですぅー!」
腰に手を当てたパティさんがクロエ先輩独占権を強く主張してきた。争うつもりはまったくないが、呼び捨てはなんだか気が引ける。
「じゃあ、クロエ……お姉ちゃん?」
「クロエお姉ちゃん! いい……」
「え?」
クロエさんは稲妻に打たれたようにハッとして、琥珀色の目を大きく見開く。
「もう一回、クロエお姉ちゃんって呼んで」
「あ、はい。クロエお姉ちゃん」
「うん、いい!」
黒髪から出ている三角耳がピョコピョコ、長い尻尾がブンブン動いて嬉しそうだ。顔の表情は乏しくてもわかりやすくて可愛い。
「んまっ!? ぐぬぬぬ……」
一方、パティさんは睨んでくる。
「ええっと、パティさんもお姉ちゃんで?」
「ふぐぬぬぬぬぬ……!」
表情豊かな顔の、無言の威圧が強くなった。どうやら選択を間違えたようだ。
「じゃあ……パティ先輩とか?」
「パティせんぱい……こほん。まあ、どうしてもパティのことを先輩と呼びたいのであれば、クロエ先輩に免じて特別に許可します」
先輩好きの人なのかな。なんだ先輩好きって? 丸く収まるならなんでもいいや。
そんなわけで僕のことは気軽にハルと呼んでもらい、二人のことはそれぞれクロエお姉ちゃん、パティ先輩と呼ぶことになった。
アルマンさん、ボルドさん、レーヌさんは、今まで通りの呼び方だ。
こうして一日目は魔物に襲われることもなく、山頂のキャンプ地に到着できた。なんとなくの感覚でざっくり計算すると、移動距離は約八十キロといったところか。
「さあ、みんな! もう少し頑張ってくれ。日暮れ前には夕食にしよう!」
アルマンさんの号令でみんなが動く。
僕はブライアンから荷物を下ろしたら、水を飲ませてニンジンを食べさせてあげる。
「お疲れ様、夕食の後でブラッシングしてあげるから、ご飯を食べてしっかり休んでね」
「ブルルル」
うん、体調は良さそうだ。
今回、僕は見張りなどをしなくていいというので、自分のテントを張ってから食事の支度をしているレーヌさんのところへ向かった。
「レーヌさん、何か手伝いましょうか?」
「ううん、ありがとう。あとは味付けだけだから大丈夫よ。ただ、ハルト様……じゃなかった、ハルの口に合うかどうか。なんだか自分の料理を食べてもらうのが恥ずかしいわ」
焚き火にかけられた大鍋の中身は麦粥だ。干し肉と乾燥ハーブと黒紫の液体を入れる。
「それがガルユですか?」
「ええ、バホルムでは定番の調味料よ」
ダンジョンに棲息している魔物、ガルユの肉や内臓を長期発酵させて作るという発酵調味料ガルユ。魚醤や肉醤と同じものだろう。
黒紫の見た目は醤油、味が気になる。
「少し味見させてもらえませんか?」
「ふふ、どうぞ」
革手袋を取り、浄化魔法で綺麗にした手の甲に少し垂らしてもらう。ハーブを使っているのか香りは複雑、舐めてみるとほぼ醤油だった。
「あ、美味しい!」
「あら、お口に合って良かったわ。初めての人はだいたい塩辛いって言うのよ」
秋田のしょっつるや石川のいしるをイメージしていたから、風味や塩味が強い魚醤に比べれば、だいぶ優しい味でうま味もしっかりある。
これなら十分醤油の代用品として使えるぞ。レーヌさんの作る夕食が楽しみだ。
女神様へ感謝の祈りを捧げてから食事をいただく。みんなは交替で見張り役をしながらなので、食べるのが早いしほとんど喋らず無口だ。
僕も薄茶色の麦粥を口に運んで咀嚼する。するとなぜかフィーネの笑顔が脳裏に浮かんで涙が出た。みんな無口になるのはこのせいか。
「ハル、お味はどうかしら?」
「と、とても元気になる味だと思います」
「そう……おかわりあるけど?」
「あ、はい……いただきます」
なんでだろう? 微笑むレーヌさんのキャンプ飯は、予想外に苦くて涙が出た。
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