異世界の猫は悪役令嬢に恋をする

N.R

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リラの仮面とシエルの誓い

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避暑地の屋敷は、静かだった。

石造りの建物は年月を重ねてなお美しく、緑に囲まれた庭園では、季節の花々が整然と咲き誇っている。
けれど、その華やかさは、どこか孤独だった。

使用人の数は最小限。
屋敷の中には沈黙が満ちていて、客人を迎えるような賑やかさは、どこにもなかった。

まるで、世界の端にある箱庭のように。


「シエル、おいで」

その呼び声に応えて、窓辺の影から静かに姿を現す。
リラは読んでいた本を閉じて、こちらを見つめた。

「今日は朝からずっと、どこに行ってたの?」

膝の上をぽん、と叩く。
まるで、そこが自分の定位置だとわかっているように。
シエルは迷うことなく跳び乗り、ふわりと体を丸めた。

あたたかい。柔らかい。
けれど――その腕の中に、わずかな緊張があるのも、わかっている。

「あなたって不思議ね。猫なのに、魔法が使えて。気まぐれで、でもどこか忠実で……」

リラの声は穏やかで、淡い。

感情を乗せすぎないようにしている、それが癖になっている声。

彼女の笑顔は美しい。でもそれは、微笑みを形どる仮面。
そう、シエルはもう、気づいていた。

リラは、誰にも心を見せていない。

 



 

朝。日が昇る前の庭園に、冷たい空気が流れる。

リラは訓練着に身を包み、木剣を振っていた。
流れるような動き。美しい立ち回り。

けれど、その一太刀ごとに、何かを断ち切るような殺気が混じっていた。

(……強い)

そう思う。少女の細腕から繰り出される斬撃は、重みと鋭さを持っていた。
訓練の相手は庭師を兼ねた騎士見習い――彼は何度も押され、息を切らしていた。

「ありがとうございます。もう十分です」

訓練が終わると、リラは木剣を返し、静かに礼を言った。

その声音には、感謝も労いも、あまり感じられなかった。どこまでも、事務的に。

「それでは、朝食の用意が整っております」

「……ええ、行くわ」

リラが視線を落とすと、足元にはシエルがいた。
気づけば、毎朝の訓練をこうして見守るのが日課になっていた。

「あなた、どうして毎朝来るのかしら。見ていても退屈でしょうに」

にゃあとも言わず、シエルはただ、じっと見上げた。

リラの目がふっと細くなる。
ほんの一瞬、心が揺らいだような――そんな表情だった。

 



 

「……そういえば、クラリスが言ってたわ」

食後、ティーカップを片手に、リラはシエルへと視線を向ける。

「“リラ様は昔とまるで別人のよう”……ですって」

その言葉に、リラは自嘲気味に笑う。

「別人も何も、最初から本当の私なんて、誰も見ていなかったくせに。期待通りに、完璧に、王子たちの婚約者にふさわしい人形でいればよかったのよ」

カップを置く音が静かに響いた。
シエルは、彼女の足元で丸くなったまま、動かない。

「それなのに……ねえ、シエル。私、何がいけなかったのかしら」

その声に、答えることはできなかった。けれど、シエルはそっと尾を振り、彼女の膝に頭をすり寄せた。

ほんの少し、リラの指が動き、毛並みを撫でる。
その手が、かすかに震えていたことを、シエルは知っている。

 



 

――夜。

月明かりが、屋敷の中庭を青白く照らす。花々が眠りにつくその場所で、リラはひとり佇んでいた。

白いナイトガウンに、無防備な横顔。
誰もいないと思っていたのか、リラの表情は仮面を忘れていた。

「……なんで、私じゃだめだったの」

その呟きは、風に溶けるように消えていく。

王子たちとの記憶が、断片的に蘇る。

選ばれた貴族。国の将来を担う者たち。
その誰かの隣に立つために、必死で学び、磨き、耐えてきた。

それなのに――彼らは皆、他の誰かを選んだ。

しかも、その相手たちに“いじめを受けていた”と虚偽の告発までされて、リラは断罪の場に立たされた。

「……私は、何のためにあんなに努力したの」

その声が震える。

「どうせ政略結婚なら、最初から感情なんて持たなければよかった」

月が、静かに彼女の涙を照らした。

「……だけど、悔しいわ。私を踏みにじった彼らに、何もできないなんて」

その言葉の奥に、燃えるような怒りと、冷たい誓いがあった。

「……」

草陰からそっと近づいたシエルは、言葉もなくその隣に座った。

リラは、少し驚いたように彼を見下ろす。
そして、ぽつりと、言った。

「……あなたは、黙っててくれるからいいのよ」

誰にも見せない弱さを、感情を、涙を――この猫になら見せてもいいと思った。

リラはそっとシエルを抱き寄せ、そのまま月を見上げる。

シエルはただ静かに寄り添いながら、胸の中で確かに感じていた。

(――この人を、守る)

魔法が使えるなら、使おう。力が足りないなら、鍛えよう。
そうして、少しでもこの人の孤独が和らぐように。

それが、今の“自分”の生き方だと思った。

(この人が泣かないように、悲しまないように、もう誰にも傷つけさせない)

それは、猫としての本能か、精霊の血の宿命か。
それとも――ようやく芽生えた、ひとつの“恋”なのか。

まだ、わからない。

けれど確かなことがひとつ。

――シエルは、この夜、心に誓った。

どんな未来が待っていようとも、リラ・フィオナ・グランベルの幸せだけは、決して手放さない。

 
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