2 / 7
リラの仮面とシエルの誓い
しおりを挟む
避暑地の屋敷は、静かだった。
石造りの建物は年月を重ねてなお美しく、緑に囲まれた庭園では、季節の花々が整然と咲き誇っている。
けれど、その華やかさは、どこか孤独だった。
使用人の数は最小限。
屋敷の中には沈黙が満ちていて、客人を迎えるような賑やかさは、どこにもなかった。
まるで、世界の端にある箱庭のように。
「シエル、おいで」
その呼び声に応えて、窓辺の影から静かに姿を現す。
リラは読んでいた本を閉じて、こちらを見つめた。
「今日は朝からずっと、どこに行ってたの?」
膝の上をぽん、と叩く。
まるで、そこが自分の定位置だとわかっているように。
シエルは迷うことなく跳び乗り、ふわりと体を丸めた。
あたたかい。柔らかい。
けれど――その腕の中に、わずかな緊張があるのも、わかっている。
「あなたって不思議ね。猫なのに、魔法が使えて。気まぐれで、でもどこか忠実で……」
リラの声は穏やかで、淡い。
感情を乗せすぎないようにしている、それが癖になっている声。
彼女の笑顔は美しい。でもそれは、微笑みを形どる仮面。
そう、シエルはもう、気づいていた。
リラは、誰にも心を見せていない。
*
朝。日が昇る前の庭園に、冷たい空気が流れる。
リラは訓練着に身を包み、木剣を振っていた。
流れるような動き。美しい立ち回り。
けれど、その一太刀ごとに、何かを断ち切るような殺気が混じっていた。
(……強い)
そう思う。少女の細腕から繰り出される斬撃は、重みと鋭さを持っていた。
訓練の相手は庭師を兼ねた騎士見習い――彼は何度も押され、息を切らしていた。
「ありがとうございます。もう十分です」
訓練が終わると、リラは木剣を返し、静かに礼を言った。
その声音には、感謝も労いも、あまり感じられなかった。どこまでも、事務的に。
「それでは、朝食の用意が整っております」
「……ええ、行くわ」
リラが視線を落とすと、足元にはシエルがいた。
気づけば、毎朝の訓練をこうして見守るのが日課になっていた。
「あなた、どうして毎朝来るのかしら。見ていても退屈でしょうに」
にゃあとも言わず、シエルはただ、じっと見上げた。
リラの目がふっと細くなる。
ほんの一瞬、心が揺らいだような――そんな表情だった。
*
「……そういえば、クラリスが言ってたわ」
食後、ティーカップを片手に、リラはシエルへと視線を向ける。
「“リラ様は昔とまるで別人のよう”……ですって」
その言葉に、リラは自嘲気味に笑う。
「別人も何も、最初から本当の私なんて、誰も見ていなかったくせに。期待通りに、完璧に、王子たちの婚約者にふさわしい人形でいればよかったのよ」
カップを置く音が静かに響いた。
シエルは、彼女の足元で丸くなったまま、動かない。
「それなのに……ねえ、シエル。私、何がいけなかったのかしら」
その声に、答えることはできなかった。けれど、シエルはそっと尾を振り、彼女の膝に頭をすり寄せた。
ほんの少し、リラの指が動き、毛並みを撫でる。
その手が、かすかに震えていたことを、シエルは知っている。
*
――夜。
月明かりが、屋敷の中庭を青白く照らす。花々が眠りにつくその場所で、リラはひとり佇んでいた。
白いナイトガウンに、無防備な横顔。
誰もいないと思っていたのか、リラの表情は仮面を忘れていた。
「……なんで、私じゃだめだったの」
その呟きは、風に溶けるように消えていく。
王子たちとの記憶が、断片的に蘇る。
選ばれた貴族。国の将来を担う者たち。
その誰かの隣に立つために、必死で学び、磨き、耐えてきた。
それなのに――彼らは皆、他の誰かを選んだ。
しかも、その相手たちに“いじめを受けていた”と虚偽の告発までされて、リラは断罪の場に立たされた。
「……私は、何のためにあんなに努力したの」
その声が震える。
「どうせ政略結婚なら、最初から感情なんて持たなければよかった」
月が、静かに彼女の涙を照らした。
「……だけど、悔しいわ。私を踏みにじった彼らに、何もできないなんて」
その言葉の奥に、燃えるような怒りと、冷たい誓いがあった。
「……」
草陰からそっと近づいたシエルは、言葉もなくその隣に座った。
リラは、少し驚いたように彼を見下ろす。
そして、ぽつりと、言った。
「……あなたは、黙っててくれるからいいのよ」
誰にも見せない弱さを、感情を、涙を――この猫になら見せてもいいと思った。
リラはそっとシエルを抱き寄せ、そのまま月を見上げる。
シエルはただ静かに寄り添いながら、胸の中で確かに感じていた。
(――この人を、守る)
魔法が使えるなら、使おう。力が足りないなら、鍛えよう。
そうして、少しでもこの人の孤独が和らぐように。
それが、今の“自分”の生き方だと思った。
(この人が泣かないように、悲しまないように、もう誰にも傷つけさせない)
それは、猫としての本能か、精霊の血の宿命か。
それとも――ようやく芽生えた、ひとつの“恋”なのか。
まだ、わからない。
けれど確かなことがひとつ。
――シエルは、この夜、心に誓った。
どんな未来が待っていようとも、リラ・フィオナ・グランベルの幸せだけは、決して手放さない。
石造りの建物は年月を重ねてなお美しく、緑に囲まれた庭園では、季節の花々が整然と咲き誇っている。
けれど、その華やかさは、どこか孤独だった。
使用人の数は最小限。
屋敷の中には沈黙が満ちていて、客人を迎えるような賑やかさは、どこにもなかった。
まるで、世界の端にある箱庭のように。
「シエル、おいで」
その呼び声に応えて、窓辺の影から静かに姿を現す。
リラは読んでいた本を閉じて、こちらを見つめた。
「今日は朝からずっと、どこに行ってたの?」
膝の上をぽん、と叩く。
まるで、そこが自分の定位置だとわかっているように。
シエルは迷うことなく跳び乗り、ふわりと体を丸めた。
あたたかい。柔らかい。
けれど――その腕の中に、わずかな緊張があるのも、わかっている。
「あなたって不思議ね。猫なのに、魔法が使えて。気まぐれで、でもどこか忠実で……」
リラの声は穏やかで、淡い。
感情を乗せすぎないようにしている、それが癖になっている声。
彼女の笑顔は美しい。でもそれは、微笑みを形どる仮面。
そう、シエルはもう、気づいていた。
リラは、誰にも心を見せていない。
*
朝。日が昇る前の庭園に、冷たい空気が流れる。
リラは訓練着に身を包み、木剣を振っていた。
流れるような動き。美しい立ち回り。
けれど、その一太刀ごとに、何かを断ち切るような殺気が混じっていた。
(……強い)
そう思う。少女の細腕から繰り出される斬撃は、重みと鋭さを持っていた。
訓練の相手は庭師を兼ねた騎士見習い――彼は何度も押され、息を切らしていた。
「ありがとうございます。もう十分です」
訓練が終わると、リラは木剣を返し、静かに礼を言った。
その声音には、感謝も労いも、あまり感じられなかった。どこまでも、事務的に。
「それでは、朝食の用意が整っております」
「……ええ、行くわ」
リラが視線を落とすと、足元にはシエルがいた。
気づけば、毎朝の訓練をこうして見守るのが日課になっていた。
「あなた、どうして毎朝来るのかしら。見ていても退屈でしょうに」
にゃあとも言わず、シエルはただ、じっと見上げた。
リラの目がふっと細くなる。
ほんの一瞬、心が揺らいだような――そんな表情だった。
*
「……そういえば、クラリスが言ってたわ」
食後、ティーカップを片手に、リラはシエルへと視線を向ける。
「“リラ様は昔とまるで別人のよう”……ですって」
その言葉に、リラは自嘲気味に笑う。
「別人も何も、最初から本当の私なんて、誰も見ていなかったくせに。期待通りに、完璧に、王子たちの婚約者にふさわしい人形でいればよかったのよ」
カップを置く音が静かに響いた。
シエルは、彼女の足元で丸くなったまま、動かない。
「それなのに……ねえ、シエル。私、何がいけなかったのかしら」
その声に、答えることはできなかった。けれど、シエルはそっと尾を振り、彼女の膝に頭をすり寄せた。
ほんの少し、リラの指が動き、毛並みを撫でる。
その手が、かすかに震えていたことを、シエルは知っている。
*
――夜。
月明かりが、屋敷の中庭を青白く照らす。花々が眠りにつくその場所で、リラはひとり佇んでいた。
白いナイトガウンに、無防備な横顔。
誰もいないと思っていたのか、リラの表情は仮面を忘れていた。
「……なんで、私じゃだめだったの」
その呟きは、風に溶けるように消えていく。
王子たちとの記憶が、断片的に蘇る。
選ばれた貴族。国の将来を担う者たち。
その誰かの隣に立つために、必死で学び、磨き、耐えてきた。
それなのに――彼らは皆、他の誰かを選んだ。
しかも、その相手たちに“いじめを受けていた”と虚偽の告発までされて、リラは断罪の場に立たされた。
「……私は、何のためにあんなに努力したの」
その声が震える。
「どうせ政略結婚なら、最初から感情なんて持たなければよかった」
月が、静かに彼女の涙を照らした。
「……だけど、悔しいわ。私を踏みにじった彼らに、何もできないなんて」
その言葉の奥に、燃えるような怒りと、冷たい誓いがあった。
「……」
草陰からそっと近づいたシエルは、言葉もなくその隣に座った。
リラは、少し驚いたように彼を見下ろす。
そして、ぽつりと、言った。
「……あなたは、黙っててくれるからいいのよ」
誰にも見せない弱さを、感情を、涙を――この猫になら見せてもいいと思った。
リラはそっとシエルを抱き寄せ、そのまま月を見上げる。
シエルはただ静かに寄り添いながら、胸の中で確かに感じていた。
(――この人を、守る)
魔法が使えるなら、使おう。力が足りないなら、鍛えよう。
そうして、少しでもこの人の孤独が和らぐように。
それが、今の“自分”の生き方だと思った。
(この人が泣かないように、悲しまないように、もう誰にも傷つけさせない)
それは、猫としての本能か、精霊の血の宿命か。
それとも――ようやく芽生えた、ひとつの“恋”なのか。
まだ、わからない。
けれど確かなことがひとつ。
――シエルは、この夜、心に誓った。
どんな未来が待っていようとも、リラ・フィオナ・グランベルの幸せだけは、決して手放さない。
0
あなたにおすすめの小説
乙女ゲームのヒロインに転生したのに、ストーリーが始まる前になぜかウチの従者が全部終わらせてたんですが
侑子
恋愛
十歳の時、自分が乙女ゲームのヒロインに転生していたと気づいたアリス。幼なじみで従者のジェイドと準備をしながら、ハッピーエンドを目指してゲームスタートの魔法学園入学までの日々を過ごす。
しかし、いざ入学してみれば、攻略対象たちはなぜか皆他の令嬢たちとラブラブで、アリスの入る隙間はこれっぽっちもない。
「どうして!? 一体どうしてなの~!?」
いつの間にか従者に外堀を埋められ、乙女ゲームが始まらないようにされていたヒロインのお話。
【長編版】悪役令嬢は乙女ゲームの強制力から逃れたい
椰子ふみの
恋愛
ヴィオラは『聖女は愛に囚われる』という乙女ゲームの世界に転生した。よりによって悪役令嬢だ。断罪を避けるため、色々、頑張ってきたけど、とうとうゲームの舞台、ハーモニー学園に入学することになった。
ヒロインや攻略対象者には近づかないぞ!
そう思うヴィオラだったが、ヒロインは見当たらない。攻略対象者との距離はどんどん近くなる。
ゲームの強制力?
何だか、変な方向に進んでいる気がするんだけど。
つまらなかった乙女ゲームに転生しちゃったので、サクッと終わらすことにしました
蒼羽咲
ファンタジー
つまらなかった乙女ゲームに転生⁈
絵に惚れ込み、一目惚れキャラのためにハードまで買ったが内容が超つまらなかった残念な乙女ゲームに転生してしまった。
絵は超好みだ。内容はご都合主義の聖女なお花畑主人公。攻略イケメンも顔は良いがちょろい対象ばかり。てこたぁ逆にめちゃくちゃ住み心地のいい場所になるのでは⁈と気づき、テンションが一気に上がる!!
聖女など面倒な事はする気はない!サクッと攻略終わらせてぐーたら生活をGETするぞ!
ご都合主義ならチョロい!と、野望を胸に動き出す!!
+++++
・重複投稿・土曜配信 (たま~に水曜…不定期更新)
メインをはれない私は、普通に令嬢やってます
かぜかおる
ファンタジー
ヒロインが引き取られてきたことで、自分がラノベの悪役令嬢だったことに気が付いたシルヴェール
けど、メインをはれるだけの実力はないや・・・
だから、この世界での普通の令嬢になります!
↑本文と大分テンションの違う説明になってます・・・
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
記憶を失くして転生しました…転生先は悪役令嬢?
ねこママ
恋愛
「いいかげんにしないかっ!」
バシッ!!
わたくしは咄嗟に、フリード様の腕に抱き付くメリンダ様を引き離さなければと手を伸ばしてしまい…頬を叩かれてバランスを崩し倒れこみ、壁に頭を強く打ち付け意識を失いました。
目が覚めると知らない部屋、豪華な寝台に…近付いてくるのはメイド? 何故髪が緑なの?
最後の記憶は私に向かって来る車のライト…交通事故?
ここは何処? 家族? 友人? 誰も思い出せない……
前世を思い出したセレンディアだが、事故の衝撃で記憶を失くしていた……
前世の自分を含む人物の記憶だけが消えているようです。
転生した先の記憶すら全く無く、頭に浮かぶものと違い過ぎる世界観に戸惑っていると……?
【完結】悪役令嬢だったみたいなので婚約から回避してみた
22時完結
恋愛
春風に彩られた王国で、名門貴族ロゼリア家の娘ナタリアは、ある日見た悪夢によって人生が一変する。夢の中、彼女は「悪役令嬢」として婚約を破棄され、王国から追放される未来を目撃する。それを避けるため、彼女は最愛の王太子アレクサンダーから距離を置き、自らを守ろうとするが、彼の深い愛と執着が彼女の運命を変えていく。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる