地獄極楽仕留屋稼業 ~聚楽第異聞~

戸影絵麻

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#7 闇の眷属

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 夜叉姫は息を殺し、完全に闇と同化している。
 身に着けている小袖も黒だから、よほどのことがない限り、相手に気づかれる心配はない。
 が、それでも緊張は否が応でも高まってくる。
 瓦礫の間から出現した”それ”は、初めに予想したよりはるかに大きく、圧倒的な質量を備えているようだ。
 鬼火のように燃える青白い双眸は、明らかに夜叉姫の背丈より高い位置にあった。
 しかも、こちらの目の錯覚なのか、双眸は一対ではなかった。
 視界がぶれているのか、行燈ほどもある不気味な鬼火は、どう見ても二対あるように見えるのだ。
 本当に犬なのか?
 夜叉姫の脳裏に疑問が兆した。
 あの大きさは、まるで熊ではないか。
 もしあれが犬だというなら、いみじくも幸が言った通り、まさしく魔犬である。
 膨れ上がった闇が、獣臭い匂いとともに次第に近づいてくる。
 膝を折り、腰の筋肉を溜め、攻撃に備えた。
 月明かりを背に、巨大な異形が浮かび上がる。
「姉者、今じゃ!」
 夜叉姫は声を出さずに叫んだ。
「おうよ!」
 姉者が待ってましたとばかりに叫び返す。
 そのとたん、夜叉姫の髪の毛が伸びた。
 こめかみのあたりから立ち上がった二本の髪が、槍に変化して鬼火を狙った。
 手応えがあり、くぐもった咆哮が夜のしじまを切り裂いた。
 何かの潰れるような感触に、夜叉姫は高く跳躍して往来に飛び出した。
 顔の回りに触手と化した髪の束を揺らめかせ、次なる攻撃を繰り出そうとした。
 が、ほんの一瞬、敵の動きのほうが速かったようだ。
 身構えようとしたとたん、丸太のような前肢が横殴りに襲いかかってきた。
「うぐっ!」
 腹部に重い打撃を喰らい、、夜叉姫の小柄な身体が塀際まで吹き飛んだ。
 固い土塀に背中をしたたかに打ちつけ、夜叉姫はずるずると地面に崩れ落ちた。
 な、なに、あれ?
 痛みにかすむ目に、敵の全容がようやくにして見えてくる。
 熊並みの巨体を持つ、真っ黒な剛毛に覆われた四本足の獣である。
 信じられないのは、その頭部だった。
 幅の広い肉厚の肩の上に、頭がふたつ載っているのだ。
 向かって左側の顔は、夜叉姫の髪槍で両目を潰され、苦痛に歪んでいる。
 だが、もうひとつの頭部は健在だった。
 憎々しげに瞳のない双眸を光らせ、耳まで裂けた口から白い泡を噴き出しながら夜叉姫を睨んでいる。
「ば、化け物…」
 わが身を差し置いて、夜叉姫は思った。
 頭がふたつ、目が四つある犬など、聞いたことも見たこともない。
 しかも、あの大きさときたら…。
 失敗だ。
 そう悟らざるを得なかった。
 最初の一撃で倒せなかった以上、幸には悪いが、この仕留め、明らかに失敗だった。
 こうなったら、何が何でも逃げるしかない。
 天に届けとばかりに、魔獣が吼えた。
 大地が揺れ、真っ黒い影が月を隠した。
 夜叉姫はうずくまったままだ。
 体が痺れて手足が動かないのである。
「夜叉! おのれ、わしを道連れに死ぬ気ではあるまいな?」
 姉者が悲鳴を上げた。
 髪が巻き上がっているため、夜叉姫の後頭部では分厚い唇に縁取られた姉者の口が露出したままになっている。
「誰がこんなところで」
 吐き捨てるように言い、夜叉姫は頭上を見上げた。
 土塀の上から、ちょうどいい太さの松の枝が突き出している。
「ふっ!」
 気合を込め、松の枝めがけて、”それ”を一気に伸ばした。
 視界がぐんぐん高くなる。
 なぜならー。
 今度伸びたのは、髪の毛ではないからだ。
 首である。
 二間以上の長さに伸びた細い首を枝に巻きつけると、ひと息にそれを収縮させ、夜叉姫は宙に体を引き上げた。
 

 

 
 
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