15 / 36
#15 辻斬り④
しおりを挟む
わずか三日の間に、天空にかかる月はかなり肥えていた。
その月光に照らされて、高い塀の向こうに二条城の天守がそびえている。
天守が荘厳に光り輝いていているせいで、逆に周囲を取り巻く塀の下は暗い。
その暗がりに、犬丸は影と同化して身を潜めていた。
常人には闇と見分けがつかないその姿も、今の夜叉姫には昼間見るのと同然である。
元々夜目は効くほうだが、そこに衣としてまとったもくもく連の与える超常視力が加わっているからだ。
「なんだその格好は」
足音を殺して近づいたつもりが、こちらから声をかける前に、犬丸のほうから話しかけてきた。
「よしてくれ、またあの目玉の着物か」
枯れ葉模様を散りばめた漆黒の小袖は、夜叉姫の女っぷりを何段階も上げているはずなのだが、犬丸にはそうは見えないらしい。
もくもく連の怖さを身に染みて知っているからに違いなかった。
「念のためだよ」
夜叉姫は踵でくるりと一回転してみせた。
「ひょっとして、辻斬りに出くわさないとも限らないじゃないか」
命令しないともくもく連は目を開かない。
だから小袖の模様は今はただの木の葉にしか見えないのだが、正体を知っている犬丸は落ち着かないようだ。
「ち。俺には貞操を守る小道具にしか見えんがな」
などと強がりを言い、先に立って風のように走り出した。
その後を追い、堀川通を北に上がり、角を左に曲がって大名屋敷の建ち並ぶ一条通に入った。
しばらく走ると、屋敷の途切れた向こうにむごたらしい瓦礫の山が見えてきた。
土砂に埋まった堀と崩れた塀に囲まれた、問題の聚楽第跡である。
この前は、このあたりであの魔犬と出くわしたんだっけ…。
ぎざぎざの塀の残骸を見上げて、心の中で夜叉姫がそうひとりごちた時だった。
「止まれ」
先を駆けていた犬丸がふいに身を伏せ、夜叉姫の手首をつかんでそばに引き寄せた。
「見ろ。誰か来る」
言われるまでもなかった。
月明かりの中、夜叉姫もそれに気づいていた。
両手に刀を提げた、着流しの男。
月を背景に、全身がぼうっと蛍火に包まれているように見える。
「で、出た。あ、あいつじゃ」
夜叉姫は、喉の奥から声を絞り出した。
「せ、殺生関白、秀次公」
「ここを動くな。なにやら様子がおかしい」
ほとんど口を動かさず、喉だけ震わせて、犬丸が言う。
「なんだ、あれは。あの男、肩に何を担いでいる?」
そう。
夜叉姫にも見えた。
悠然と歩む長身のその人影は、右肩に何か大きなものを担いでいるようなのだ。
「あれは…」
夜叉姫は目を凝らした。
超常視力が、男の肩で焦点を結ぶ。
とたんに、酸っぱい胃液が食道にこみあげてきて、夜叉姫は危うくせき込みそうになった。
「お、女の身体」
胃液を無理やり呑み込んで、やっとのことで言葉を紡ぎ出す。
「あれは、血の滴る、首も手足もない、女の胴体だよ」
その月光に照らされて、高い塀の向こうに二条城の天守がそびえている。
天守が荘厳に光り輝いていているせいで、逆に周囲を取り巻く塀の下は暗い。
その暗がりに、犬丸は影と同化して身を潜めていた。
常人には闇と見分けがつかないその姿も、今の夜叉姫には昼間見るのと同然である。
元々夜目は効くほうだが、そこに衣としてまとったもくもく連の与える超常視力が加わっているからだ。
「なんだその格好は」
足音を殺して近づいたつもりが、こちらから声をかける前に、犬丸のほうから話しかけてきた。
「よしてくれ、またあの目玉の着物か」
枯れ葉模様を散りばめた漆黒の小袖は、夜叉姫の女っぷりを何段階も上げているはずなのだが、犬丸にはそうは見えないらしい。
もくもく連の怖さを身に染みて知っているからに違いなかった。
「念のためだよ」
夜叉姫は踵でくるりと一回転してみせた。
「ひょっとして、辻斬りに出くわさないとも限らないじゃないか」
命令しないともくもく連は目を開かない。
だから小袖の模様は今はただの木の葉にしか見えないのだが、正体を知っている犬丸は落ち着かないようだ。
「ち。俺には貞操を守る小道具にしか見えんがな」
などと強がりを言い、先に立って風のように走り出した。
その後を追い、堀川通を北に上がり、角を左に曲がって大名屋敷の建ち並ぶ一条通に入った。
しばらく走ると、屋敷の途切れた向こうにむごたらしい瓦礫の山が見えてきた。
土砂に埋まった堀と崩れた塀に囲まれた、問題の聚楽第跡である。
この前は、このあたりであの魔犬と出くわしたんだっけ…。
ぎざぎざの塀の残骸を見上げて、心の中で夜叉姫がそうひとりごちた時だった。
「止まれ」
先を駆けていた犬丸がふいに身を伏せ、夜叉姫の手首をつかんでそばに引き寄せた。
「見ろ。誰か来る」
言われるまでもなかった。
月明かりの中、夜叉姫もそれに気づいていた。
両手に刀を提げた、着流しの男。
月を背景に、全身がぼうっと蛍火に包まれているように見える。
「で、出た。あ、あいつじゃ」
夜叉姫は、喉の奥から声を絞り出した。
「せ、殺生関白、秀次公」
「ここを動くな。なにやら様子がおかしい」
ほとんど口を動かさず、喉だけ震わせて、犬丸が言う。
「なんだ、あれは。あの男、肩に何を担いでいる?」
そう。
夜叉姫にも見えた。
悠然と歩む長身のその人影は、右肩に何か大きなものを担いでいるようなのだ。
「あれは…」
夜叉姫は目を凝らした。
超常視力が、男の肩で焦点を結ぶ。
とたんに、酸っぱい胃液が食道にこみあげてきて、夜叉姫は危うくせき込みそうになった。
「お、女の身体」
胃液を無理やり呑み込んで、やっとのことで言葉を紡ぎ出す。
「あれは、血の滴る、首も手足もない、女の胴体だよ」
0
あなたにおすすめの小説
滝川家の人びと
卯花月影
歴史・時代
勝利のために走るのではない。
生きるために走る者は、
傷を負いながらも、歩みを止めない。
戦国という時代の只中で、
彼らは何を失い、
走り続けたのか。
滝川一益と、その郎党。
これは、勝者の物語ではない。
生き延びた者たちの記録である。
別れし夫婦の御定書(おさだめがき)
佐倉 蘭
歴史・時代
★第11回歴史・時代小説大賞 奨励賞受賞★
嫡男を産めぬがゆえに、姑の策略で南町奉行所の例繰方与力・進藤 又十蔵と離縁させられた与岐(よき)。
離縁後、生家の父の猛反対を押し切って生まれ育った八丁堀の組屋敷を出ると、小伝馬町の仕舞屋に居を定めて一人暮らしを始めた。
月日は流れ、姑の思惑どおり後妻が嫡男を産み、婚家に置いてきた娘は二人とも無事与力の御家に嫁いだ。
おのれに起こったことは綺麗さっぱり水に流した与岐は、今では女だてらに離縁を望む町家の女房たちの代わりに亭主どもから去り状(三行半)をもぎ取るなどをする「公事師(くじし)」の生業(なりわい)をして生計を立てていた。
されどもある日突然、与岐の仕舞屋にとっくの昔に離縁したはずの元夫・又十蔵が転がり込んできて——
※「今宵は遣らずの雨」「大江戸ロミオ&ジュリエット」「大江戸シンデレラ」「大江戸の番人 〜吉原髪切り捕物帖〜」にうっすらと関連したお話ですが単独でお読みいただけます。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
与兵衛長屋つれあい帖 お江戸ふたり暮らし
かずえ
歴史・時代
旧題:ふたり暮らし
長屋シリーズ一作目。
第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。
十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。
頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。
一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する
克全
歴史・時代
貧乏人が肩を寄せ合って暮らす聖天長屋に徳田新之丞と名乗る人品卑しからぬ若侍がいた。月のうち数日しか長屋にいないのだが、いる時には自ら竈で米を炊き七輪で魚を焼く小まめな男だった。
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる