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#18 異端始末人
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犬丸はかなり離れた神社の石段の上で待っていた。
その膝の上でぐったりしているのは、暗灰色の外套に身を包んだ例の伴天連である。
「遅すぎたな」
近づくと、犬丸が血で汚れた手のひらを見せた。
「すでに斬られている。長くはもつまい」
見ると、伴天連の胸に大輪の罌粟のような血の染みができ、異国の胴着を徐々に濡らしている。
夜叉姫が更に驚いたのは、その異国人が思いのほか年老いていることだった。
体格はよいが、松の樹皮のような肌といい、苦痛に歪んだその顏はまさしく老人のものである。
「ぬしは誰じゃ? なぜあんなところに?」
傍らに片膝をつくと、異国人の顔を覗き込んで夜叉姫はたずねた。
「私は、ボルヘス…。フロイスさまの、使いの者…」
湖のごとく澄んだ青い眼で夜叉姫を見上げ、思いのほか流暢な日本語で伴天連が答えた。
「関白は、異端です…。異端の邪教に毒されている」
「やはりあれは、関白…秀次公なのか」
「はい…。手遅れにならぬうちに、インフェルノに追い返さねば…なりません」
「イタンだのインヘルノだのと、まったくもって意味不明じゃな。犬丸、こやつは何を言っておるのだ?」
「フロイスというのは、最近まで太閤に仕えていた南蛮人の頭領、ルイス=フロイスのことだろう。異端ってのは、切支丹に似て非なる者たち、悪魔を崇める宗派を指すと聞いたことがある」
さらりと言ってのけたのは、犬丸が普段から禁断の獣の肉や皮を上方の大商人たちに陰で売りさばいているからだろう。特に獣の肉は南蛮人の大好物とされている。
「さようです…。私は、異端を狩るために遣わされた、”裏イエズス”の闘士…」
「むう。つまりは、ぬしは異国の仕留屋みたいなものなのか」
意外な展開に、夜叉姫は半ば呆れている。
「あなたたちは、腕の立つ忍びのようですね…」
夜叉姫から犬丸へと視線を移して、苦しげな息の合間からボルヘスと名乗る伴天連が言った。
「まあ、近いといえば、近いかな」
犬丸が、黙ってろとでも言うように、目顔で夜叉姫を制した。
「その腕を見込んで、このボルヘス、あなた方にお願いがあります」
「お願い?」
「ご覧の通り、私はもう長くありません。太閤の追放令以来、仲間もことごとく殺されてしまった。かくなるうえは、私の代わりに、あなた方の手で、あの異端の魔人を討ってくださいませぬか」
「それは…」
夜叉姫が言いかけるのを遮って、畳みかけるように犬丸が訊いた。
「金はあるのか」
「この程度なら…」
ボルヘスが血に染まった懐に手を入れると、石段の上に乾いた音を立てて黄金色が零れ落ちた。
紙で巻いた大判だった。
3、4枚はあるようだ。
「なるほど」
犬丸が大判を拾い上げ、異人の手に握らせた。
「ならば話は早い。だが、ここでは頼みを聞けん。何事も、手続きが大切なんでね。そうさな、手遅れにならないうちに、ひとつ、寺まで来てもらおうか」
「聞かずの井戸か」
夜叉姫の問いに、犬丸がうなずいた。
「な、言った通りだろ? 近々、大物の依頼が来るだろうって。俺はこのおっさんを担いで寺へ急ぐ。姫は先にねぐらに帰ってろ。これがうまくいけば、明日にでも元締めからお声がかかるはずだ」
その膝の上でぐったりしているのは、暗灰色の外套に身を包んだ例の伴天連である。
「遅すぎたな」
近づくと、犬丸が血で汚れた手のひらを見せた。
「すでに斬られている。長くはもつまい」
見ると、伴天連の胸に大輪の罌粟のような血の染みができ、異国の胴着を徐々に濡らしている。
夜叉姫が更に驚いたのは、その異国人が思いのほか年老いていることだった。
体格はよいが、松の樹皮のような肌といい、苦痛に歪んだその顏はまさしく老人のものである。
「ぬしは誰じゃ? なぜあんなところに?」
傍らに片膝をつくと、異国人の顔を覗き込んで夜叉姫はたずねた。
「私は、ボルヘス…。フロイスさまの、使いの者…」
湖のごとく澄んだ青い眼で夜叉姫を見上げ、思いのほか流暢な日本語で伴天連が答えた。
「関白は、異端です…。異端の邪教に毒されている」
「やはりあれは、関白…秀次公なのか」
「はい…。手遅れにならぬうちに、インフェルノに追い返さねば…なりません」
「イタンだのインヘルノだのと、まったくもって意味不明じゃな。犬丸、こやつは何を言っておるのだ?」
「フロイスというのは、最近まで太閤に仕えていた南蛮人の頭領、ルイス=フロイスのことだろう。異端ってのは、切支丹に似て非なる者たち、悪魔を崇める宗派を指すと聞いたことがある」
さらりと言ってのけたのは、犬丸が普段から禁断の獣の肉や皮を上方の大商人たちに陰で売りさばいているからだろう。特に獣の肉は南蛮人の大好物とされている。
「さようです…。私は、異端を狩るために遣わされた、”裏イエズス”の闘士…」
「むう。つまりは、ぬしは異国の仕留屋みたいなものなのか」
意外な展開に、夜叉姫は半ば呆れている。
「あなたたちは、腕の立つ忍びのようですね…」
夜叉姫から犬丸へと視線を移して、苦しげな息の合間からボルヘスと名乗る伴天連が言った。
「まあ、近いといえば、近いかな」
犬丸が、黙ってろとでも言うように、目顔で夜叉姫を制した。
「その腕を見込んで、このボルヘス、あなた方にお願いがあります」
「お願い?」
「ご覧の通り、私はもう長くありません。太閤の追放令以来、仲間もことごとく殺されてしまった。かくなるうえは、私の代わりに、あなた方の手で、あの異端の魔人を討ってくださいませぬか」
「それは…」
夜叉姫が言いかけるのを遮って、畳みかけるように犬丸が訊いた。
「金はあるのか」
「この程度なら…」
ボルヘスが血に染まった懐に手を入れると、石段の上に乾いた音を立てて黄金色が零れ落ちた。
紙で巻いた大判だった。
3、4枚はあるようだ。
「なるほど」
犬丸が大判を拾い上げ、異人の手に握らせた。
「ならば話は早い。だが、ここでは頼みを聞けん。何事も、手続きが大切なんでね。そうさな、手遅れにならないうちに、ひとつ、寺まで来てもらおうか」
「聞かずの井戸か」
夜叉姫の問いに、犬丸がうなずいた。
「な、言った通りだろ? 近々、大物の依頼が来るだろうって。俺はこのおっさんを担いで寺へ急ぐ。姫は先にねぐらに帰ってろ。これがうまくいけば、明日にでも元締めからお声がかかるはずだ」
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