案山子の家

戸影絵麻

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#1 美晴

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 よっこらせ。

 そうつぶやいて腰を上げたのは、真っ赤なTシャツの上にレモンイエローのパーカーを羽織った、ある意味健康的な印象の少女である。

 朝倉美晴16歳。4つ下の僕の妹だ。

 ちなみに僕の名は朝倉悟。隣県のN市の大学に、ボロアパートでひとり暮らしをしながら通っている。

 中学や高校と違い、大学の夏休みは長く、9月も2週目にならないと授業が始まらない。

 その最後の1週間を実家で過ごそうと帰省してきた僕を妹が迎えに来たとまあ、そんな構図なのだったが…。

「鴉が多すぎるんだよ。この村は」

 水田地帯に目をやって、いまいましげに美晴がつぶやく。

 なるほど田んぼの上を走る送電線には、仔猫ほどもある鴉が無数にとまっていて、ぎゃあぎゃあと盛んに鳴きわめいている。

「あたしも早く出ていきたいよ。サトルばっかりずるいじゃないかよ」

「まあ、そう言うな」

 僕は苦笑して、詰め寄ってきた美晴の胸に土産のチョコレート詰め合わせの箱を押しつけた。

 少し見ないうちに美晴の胸はずいぶんと立派に成長していて、箱を押し返す弾力はなかなかのものだった。

 そういえば、デニムのショートパンツから伸びた長い脚も、中学生の頃と比べて妙に色っぽい。

「ところでみんな元気か?」

 まだなにか言いたそうな妹を遮って、僕は早口にたずねた。

 駅の前には一応バス停もあるけれど、3時間に1本しかないバスを待つより歩いたほうがはるかに早い。

「…別に」

 隣を歩く美晴が、少し間をおいて答えた。

「ふつうなんと違う? あたしにはよくわかんない」

「そうか」

 今年高校に上がった美晴にとって、あの家はどんな場所なのだろう?

 時折触れる美晴の腕の感触に、ふとそんなことを思う。

 幼い僕らを残して交通事故でこの世を去った両親に代わり、実質的に朝倉の家を支えてきたのは歳の離れた長兄だ。

 若い頃から人並み外れた苦労をしてきた敬一郎兄さんは、超がつくほど真面目な性格で、浮いたものを極度に嫌う。

 だから、長ずるにつれてなぜかパンクな性格が表面化してきた美晴とは、僕が一緒に住んでいる頃から衝突することが多かった。

 高校生という生涯で最も多感な時期にさしかかった美晴にとって、今の朝倉家の空気が面白かろうはずがない。

「ほんとは義姉さんのことが訊きたいんだろ?」

 橋を渡る頃になって、いきなり美晴が言い出した。

「隠してもダメ。わかるんだから」

 めまいがして、僕は足を止めた。

 欄干のはるか下で逆巻く川の水音が、一瞬、消えたようだった。

 明減する白い肌の記憶を振り払い、対岸を見る。

 崖がカーブを描く向こうに、また水田が広がっている。

 金色の稲穂の波の間に、黒い人影のようなものがいくつもいくつも立っている。

「案山子の季節だな」

 空を飛び交う鴉の群れを目で追って、僕は誰にともなくつぶやいた。



 






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