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第1章 黄泉の国から来た少女
#12 杏里、おもむく
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「こ、これ、光の加減か何か、ですよね?」
杏里の問いに、ヤチカがかぶりを振った。
「それはあり得ないと思うよ。見ての通り、ロビーはどちらかというと薄暗い。画面がハレーションを起こすような、強い光源が近くにあるとは思えない。つまり、これがこいつの素顔ってこと」
「そ、そんな…。これじゃ、まるで、のっぺらぼうじゃありませんか」
のっぺらぼうといえば、小泉八雲の怪談が有名だろう。
しかし、そんなものが現実に存在するなんて…。
「なんにせよ、こいつが犯人である可能性は高いと思うの。16時12分といえば、店の主人が被害者に様子伺いの電話を掛け終わった頃だよね。そして、16時30分ごろ、隣室の前で大学生カップルの痴話喧嘩が始まった。とすると、こいつがちょうどその空白の18分間に、被害者を訪問したとしてもおかしくないわ」
ヤチカの口調は、合同捜査会議の時のような真面目なものに戻っている。
新人の杏里をからかって楽しんでいるわけではないらしい。
「で、でも、見ず知らずの相手を、文代のような真面目な子が家の中に入れるでしょうか」
「こいつの格好を見て。何に見える?」
「セールスマンですかね。何かの勧誘の」
「でしょ? 顔を除けば、身なりはきちんとしてるし。押し売りじゃなければ、ドアを開けるくらいのことはするかもしれない」
「でも、のっぺらぼうですよ? お化けのセールスマンなんて、私なら絶対に…」
「画像を動かすから、よく見てなさい。ほら、映ってるのは短い間だけど、顔の表面で何か動いてるのが見えるでしょ?」
ほんとだ。
杏里は唾を呑み込んだ。
よく見ると、のっぺらぼうの顏の表面で、模様のようなものが蠢いている。
ちょうど、コーヒーにフレッシュを入れた時のような感じだった。
渦のような模様が、ゆっくりと顔の皮膚の上を回転しているのだ。
「これが。目や鼻や口になる…?」
「最後まで映ってないから断言はできないけど、可能性はあると思わない?」
「は、はあ…」
もしかして、これは零の領域かも。
ヤチカの話を聞きながら、杏里はふと思った。
ヤチカの言う通りだとすると、この犯人、とても人間とは思えない。
帰ったら、さっそく零に話してみよう。
守秘義務違反だけど、事件解決のためなら、きっとお天頭さまも許してくれるに違いない。
それにもう、ゆうべある程度しゃべっちゃったし…。
「入る時の画像があるのなら、マンションを出る時のもあるんじゃないですか? 殺害に要する時間が約1時間として、17時すぎくらいに」
「それがね」
ヤチカが綺麗に筆で描いた美しい眉を寄せ、顔をしかめた。
「ないんだな。出る時の映像が。この後ずっと丸2日分調べてみたけど、こいつが映ってるのは、これだけなのよ」
「え? どういうことですか?」
「1階の住居部分の通路は、片側を隣のマンションとの高い壁で囲まれてるから、そっちからは逃げられない。窓から往来に出ることは可能だけど、肝心の窓には内側から半月錠がかかっていた。もちろん窓ガラスをはずしたり割ったりした形跡もない。だから、正直よくわかんないのよね」
「玄関のドアにも内側から鍵がかかってたんですよね…」
「そうそう。でもまあそれは、例えば被害者の勤務中に、バッグから鍵を盗んで合鍵を作り、また元に戻しておくという手もあるから、大した問題じゃないんだけどね。だけど不思議なのは、玄関から部屋を出たのなら、このロビーを通らなければマンションを出られないってこと。現にほかの訪問者は、全部入るところと出るところがちゃんと記録されてるもの。片方しか映っていないのは、こののっぺらぼうだけ」
「もしかして…犯人はまだ、部屋にいるとか…?」
「それもあり得ない。押し入れからクローゼットの中、天井裏まですべて調べたから。第一8畳ひと間のワンルームマンションに、人が隠れる場所なんてあるはずないでしょ。まあ、一点、気になることがないわけでもないんだけど、でもいくらなんでもそれはねえ、って感じで」
「何ですか? その気になることって?」
「うーん、これはあくまで科捜研じゃなくて、あたし個人の疑問なんでさ、今はまだ伏せておくことにする。それより杏里ちゃん、これから一緒にデートしない?」
いきなりヤチカが話題を変えたので、杏里はぽかんと口を開けた。
「デ、デート?」
「そう。それとも、こんなおばさんとは嫌かしら?」
「そ、そんな、おばさんだなんて…ヤチカさんは十分若いし、美人でカッコいいです」
うろたえる杏里に、からかうようにヤチカが言った。
「ふふ、ありがと。あたし、バイセクシャルなんで、可愛い子やグラマーな子には目がないの。あなたなんか、好みにぴったりだな」
「か、からかわないでください」
耳たぶがカッと熱くなるのがわかった。
なにこれ? ひょっとして、私にもようやく、モテキが訪れたってこと?
「とにかく、まずニラさんに報告しなきゃなんないですから、ちょっと待ってください。今の話が本当だとすると、みんな見当違いのアリバイを追いかけてることになっちゃいます。17時半以降が犯行時刻だろうって、さっきの会議で決まったばかりで…」
「そんなことだろうと思った」
ヤチカが肩をすくめた。
「だから午前中にと思って、急いできてやったのに。あのオヤジ、ほんと、せっかちなんだから」
確かにそうだ。
韮崎の話では、科捜研からの報告は昼頃になるはずだった。
なのにまだ午前11時前である。
「いいわ。ニラさんにはあたしから連絡しておく。杏里ちゃんは準備をして、外の駐車場で待ってて。赤い車が私のよ。大丈夫。ニラさんの了承もちゃんととっといてあげるから」
スマホを取り出し、耳に当てるヤチカ。
杏里は肩をすくめ、言われた通り、外に出ることにした。
隣の二課の電話番に声をかけ、階段を下りる。
正面玄関を出てすぐ右手が、職員用駐車場だ。
「赤い車って…うそ、マジ?」
探すまでもなく、杏里は目を見開いて絶句した。
パトカーに交じって真っ赤なポルシェが停まっている。
しかも駐車スペース2台分にまたがる狼藉ぶりだ。
ほかに赤い車はない。
「さすが、ヤチカさん…」
杏里は呆然とつぶやいた。
杏里の問いに、ヤチカがかぶりを振った。
「それはあり得ないと思うよ。見ての通り、ロビーはどちらかというと薄暗い。画面がハレーションを起こすような、強い光源が近くにあるとは思えない。つまり、これがこいつの素顔ってこと」
「そ、そんな…。これじゃ、まるで、のっぺらぼうじゃありませんか」
のっぺらぼうといえば、小泉八雲の怪談が有名だろう。
しかし、そんなものが現実に存在するなんて…。
「なんにせよ、こいつが犯人である可能性は高いと思うの。16時12分といえば、店の主人が被害者に様子伺いの電話を掛け終わった頃だよね。そして、16時30分ごろ、隣室の前で大学生カップルの痴話喧嘩が始まった。とすると、こいつがちょうどその空白の18分間に、被害者を訪問したとしてもおかしくないわ」
ヤチカの口調は、合同捜査会議の時のような真面目なものに戻っている。
新人の杏里をからかって楽しんでいるわけではないらしい。
「で、でも、見ず知らずの相手を、文代のような真面目な子が家の中に入れるでしょうか」
「こいつの格好を見て。何に見える?」
「セールスマンですかね。何かの勧誘の」
「でしょ? 顔を除けば、身なりはきちんとしてるし。押し売りじゃなければ、ドアを開けるくらいのことはするかもしれない」
「でも、のっぺらぼうですよ? お化けのセールスマンなんて、私なら絶対に…」
「画像を動かすから、よく見てなさい。ほら、映ってるのは短い間だけど、顔の表面で何か動いてるのが見えるでしょ?」
ほんとだ。
杏里は唾を呑み込んだ。
よく見ると、のっぺらぼうの顏の表面で、模様のようなものが蠢いている。
ちょうど、コーヒーにフレッシュを入れた時のような感じだった。
渦のような模様が、ゆっくりと顔の皮膚の上を回転しているのだ。
「これが。目や鼻や口になる…?」
「最後まで映ってないから断言はできないけど、可能性はあると思わない?」
「は、はあ…」
もしかして、これは零の領域かも。
ヤチカの話を聞きながら、杏里はふと思った。
ヤチカの言う通りだとすると、この犯人、とても人間とは思えない。
帰ったら、さっそく零に話してみよう。
守秘義務違反だけど、事件解決のためなら、きっとお天頭さまも許してくれるに違いない。
それにもう、ゆうべある程度しゃべっちゃったし…。
「入る時の画像があるのなら、マンションを出る時のもあるんじゃないですか? 殺害に要する時間が約1時間として、17時すぎくらいに」
「それがね」
ヤチカが綺麗に筆で描いた美しい眉を寄せ、顔をしかめた。
「ないんだな。出る時の映像が。この後ずっと丸2日分調べてみたけど、こいつが映ってるのは、これだけなのよ」
「え? どういうことですか?」
「1階の住居部分の通路は、片側を隣のマンションとの高い壁で囲まれてるから、そっちからは逃げられない。窓から往来に出ることは可能だけど、肝心の窓には内側から半月錠がかかっていた。もちろん窓ガラスをはずしたり割ったりした形跡もない。だから、正直よくわかんないのよね」
「玄関のドアにも内側から鍵がかかってたんですよね…」
「そうそう。でもまあそれは、例えば被害者の勤務中に、バッグから鍵を盗んで合鍵を作り、また元に戻しておくという手もあるから、大した問題じゃないんだけどね。だけど不思議なのは、玄関から部屋を出たのなら、このロビーを通らなければマンションを出られないってこと。現にほかの訪問者は、全部入るところと出るところがちゃんと記録されてるもの。片方しか映っていないのは、こののっぺらぼうだけ」
「もしかして…犯人はまだ、部屋にいるとか…?」
「それもあり得ない。押し入れからクローゼットの中、天井裏まですべて調べたから。第一8畳ひと間のワンルームマンションに、人が隠れる場所なんてあるはずないでしょ。まあ、一点、気になることがないわけでもないんだけど、でもいくらなんでもそれはねえ、って感じで」
「何ですか? その気になることって?」
「うーん、これはあくまで科捜研じゃなくて、あたし個人の疑問なんでさ、今はまだ伏せておくことにする。それより杏里ちゃん、これから一緒にデートしない?」
いきなりヤチカが話題を変えたので、杏里はぽかんと口を開けた。
「デ、デート?」
「そう。それとも、こんなおばさんとは嫌かしら?」
「そ、そんな、おばさんだなんて…ヤチカさんは十分若いし、美人でカッコいいです」
うろたえる杏里に、からかうようにヤチカが言った。
「ふふ、ありがと。あたし、バイセクシャルなんで、可愛い子やグラマーな子には目がないの。あなたなんか、好みにぴったりだな」
「か、からかわないでください」
耳たぶがカッと熱くなるのがわかった。
なにこれ? ひょっとして、私にもようやく、モテキが訪れたってこと?
「とにかく、まずニラさんに報告しなきゃなんないですから、ちょっと待ってください。今の話が本当だとすると、みんな見当違いのアリバイを追いかけてることになっちゃいます。17時半以降が犯行時刻だろうって、さっきの会議で決まったばかりで…」
「そんなことだろうと思った」
ヤチカが肩をすくめた。
「だから午前中にと思って、急いできてやったのに。あのオヤジ、ほんと、せっかちなんだから」
確かにそうだ。
韮崎の話では、科捜研からの報告は昼頃になるはずだった。
なのにまだ午前11時前である。
「いいわ。ニラさんにはあたしから連絡しておく。杏里ちゃんは準備をして、外の駐車場で待ってて。赤い車が私のよ。大丈夫。ニラさんの了承もちゃんととっといてあげるから」
スマホを取り出し、耳に当てるヤチカ。
杏里は肩をすくめ、言われた通り、外に出ることにした。
隣の二課の電話番に声をかけ、階段を下りる。
正面玄関を出てすぐ右手が、職員用駐車場だ。
「赤い車って…うそ、マジ?」
探すまでもなく、杏里は目を見開いて絶句した。
パトカーに交じって真っ赤なポルシェが停まっている。
しかも駐車スペース2台分にまたがる狼藉ぶりだ。
ほかに赤い車はない。
「さすが、ヤチカさん…」
杏里は呆然とつぶやいた。
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