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第6部 淫蕩のナルシス

#50 戦略

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「正一はね、いわゆる人嫌いで有名なんだけど、犬とは仲良しでね。例えば散歩中なんかでも、飼い主よりその飼い犬と仲良くなるのが得意なのさ」
 老婆は冗談とも本気ともつかぬ口調でそんなことを言うと、受話器を取った。
「あ、正二かい? 大至急正一を見つけて私の部屋に来るように伝えておくれ。おまえの作った杏里ちゃん人形の行方がわかったって言えば、すっ飛んで来るはずだよ」
 どうやら内線で受付の正二にかけたらしい。
「じゃ、番犬のドーベルマンは正一君に任せると?」
「ああ。それに、優男の正一でも、男手があったほうがよかろう。何かの役に立つやも知れぬ」
「そうですね。それは心強いです。となると、後はボディガードか」
 ヤチカが顎に手を当てて、視線を宙に据え、考え込んだ。
「あの、重人に手伝ってもらおうかと思うんですけど」
 ふと閃いて、杏里は言った。
「重人って?」
「栗栖重人。私と由羅のサポート担当の男の子です。彼、ヒュプノスなんです」
「何なの? そのヒュプノスって?」
 いぶかしげに首を傾げるヤチカ。
「えっと、わかりやすくいうと、超能力者みたいなものです。他人の心を読んだり、催眠術をかけたりできるんです。だから、ここだけの話、タナトスの私、パトスの由羅同様、彼も厳密には人間じゃありません」
「へーえ、テレパスなんて、本当にいるんだ」
 驚いたようにヤチカが眼をしばたたかせた。
「まあ、実際目の前に、みたいなサキュバス杏里がいるからね。テレパスだのヒュプノスだのが存在しても不思議はないよ」
「おばあさん、サキュバスはひどいです」
 杏里が頬を膨らませると、老婆が楽しそうにくつくつ笑った。
「それはともかく、杏里はその子の催眠術でボディガードを黙らせようと、そう考えてるわけだね。まあ、それも面白いかもしれないが、用心棒は確かふたりいる。こんなこともあろうかと思って、さっき監視カメラの映像で確かめておいたから、まず間違いないよ。その子もどうせ、おまえさんと同じ中学生なんだろう? 屈強な男ふたりを同時に催眠状態にするのは難しかろうねえ」
「うーん、あとひとりかあ」
 ヤチカが悩ましげにうめく。
「簡単なことじゃないか」
 すると、あっさりとした口調で、老婆が言った。
「杏里に任せればいい」
「え?」
 顏と顔を見合わすヤチカと杏里。
「私に? それ、どういうことですか?」
「おまえさんの得意技を使うのさ」
「私の、得意技?」
 杏里はきょとんとした表情で、老婆を見た。
「格闘技なんて、私習ったことないし、運動神経もよくないんですけど…」
「馬鹿だね。誰もそんなもの、おまえさんに望んじゃいないよ。おまえさん、タナトスなんだろう? だったら、できることはただひとつじゃないか。セックスさ」
「そ、そんな…」
 絶句する杏里。
「なるほど、色仕掛けですね。古典的ですけど、杏里ちゃんならいけるかも」
 ヤチカが目を輝かせた。
「んもう、ヤチカさんまで」
 色仕掛けって、いったいどうしろというのだろう。
 実質的にまだ中学生の杏里には、その単語自体が古すぎて、ピンとこないのだ。
「そうと決まれば、準備は私に任せて。杏里ちゃんを、とびっきりの娼婦に仕立て上げてみせるから」
「娼婦?」
「そう。誰もがふるいつきたくなるほどの、きわめつけのビッチにね」
「ビッチって…」
 何か言い返そうとした時である。
 音もなくドアが開いて、正一が入ってきた。
 半ば顏を隠した前髪。
 さっき見た時と同じ、作務衣のような服を着ている。
 前髪の間から覗く片目で杏里を見ると、かすかに会釈してみせた。
「さ、役者はそろった。あとはおまえたちに任せるよ。さっさとその超能力少年を呼んで、具体的な段取りを決めるんだね。零が由羅を殺すことはないと思うけど、由羅は重傷を負ってるからね、助けるなら少しでも早いほうがいい」
「そうですよ。なのに、おばあさんが余分なことを…」
 むっとする杏里に、
「大丈夫。あの子はそのくらいの遅れでは死にはせんよ。パトスは戦車並みに頑丈だって聞いたことがある」
 老婆は真顔でそんなことを言う。
「ドールズ・ネットワークは、”原種薔薇保存委員会”の支部も網羅してるんでね」
 原種薔薇保存委員会とは、小田切や冬美の属している組織の俗称である。
 杏里も、それが内閣府直属の機関の名だということくらいは知っていた。
「でも、どうして零が、その由羅って子を殺さないと言い切れるんですか?」
 杏里の疑問を代弁するように、ヤチカが訊いた。
「わからないかい?」
 老婆の顔つきが険しくなった。
「零の狙いは別にある。由羅は囮だよ」
「狙いって…?」
 おそるおそるたずねる杏里。
 ふと嫌な予感がしたからだ。
 そして、老婆の答えは、まさしくその予感を裏打ちするものだった。
「杏里、おまえさ。おそらく零は、人形のトリックにも気づいている。あの映像は、おまえさんをおびき寄せるために、わざと見せたんだと私は思うがね。違うかい?」

 
 
 

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