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#8 失われたもの
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ベージュ色のカーテンが開かれ、乙都が顏を出した。
相変わらず、大きなマスクで顔の下半分を覆っている。
僕は素早く乙都の背後のカーテンに目を走らせた。
向かい側の、”近藤さん”のベッドを隠すカーテンである。
向かいのカーテンは、隙間なくぴしりと閉まっていた。
声も聞こえず、あの何かを吸うような音も途絶えている。
「どうしたんですか?」
首だけ起こし、じっと向かい側を見つめていると、乙都が怪訝そうに小首をかしげた。
「い、いや、何でもない」
あわてて僕はかぶりを振った。
向かいのカーテンの隙間から奇妙なものが見えたとか、看護師の様子が変だとか、そんなこと言えやしない。
「お昼、食べられそうですかね? ここに置きますね」
乙都が、ベッドサイドの長テーブルに料理の載ったトレイを置いた。
「あ、ありがとう」
ぼそぼそ礼を言い、プラスチックのフォークを受け取った。
トレイに並ぶのは、和食のセットだ。
デザートにミカンがついている。
今更のように、空腹に気づく。
「心臓疾患の場合は、塩分の摂り過ぎが命取りになります。だから薄味で物足りないかもしれませんが、全部食べていただけるとうれしいです。だって、由井さん、ICUでは寝たきりで、ほとんど何も食べていないでしょう?」
「……」
濃い味が好みの僕には、手痛い忠告だ。
が、不自由な手でなんとか魚の煮物を口に運んでみると、別に不味くはない。
むしろ、病院食にしては、ちゃんと味もついていて、十分美味しかった。
苦労しながら、全部食べ終わった。
「ごちそうさま」
小さくゲップをすると、僕は言った。
「あ、それから、俺のことは、君づけでいいです。由井君とか、颯太君とか。考えてみれば、俺のが年下なんで」
看護学校の最上級生というのは、大学でいえば3回生ぐらいのはずだ。
つまり、ものすごい童顔だけど、乙都は二十歳を超えているはずなのである。
だから、本来は、たとえ心の中でも、乙都なんて呼び捨てにしちゃ、いけないのだ。
「ありがと。じゃ、さっそくだけど、颯太君」
僕にミカンをむいてくれながら、大きな目で乙都が柔和に笑った。
「ご実家に連絡とりたいんだけど、電話番号教えてくれないかな? 入院の手続きのために、一度保護者の方に来ていただきたいし、着替えとかもお持ちいただきたいと思って…」
ということは、息子が緊急入院したというのに、うちの家族は誰も病院に来ていないということか?
僕はむっとした。
「いいけど…」
そう口にして、ふと気づいた。
実家の電話番号って、何番だったっけ?
いや、それどころか、住所すら出てこない。
ん…。
ていうか…。
そもそも、父や母の顔すらも、頭にイメージが浮かんでこないのは、これはいったいどういうわけなのだろう?
相変わらず、大きなマスクで顔の下半分を覆っている。
僕は素早く乙都の背後のカーテンに目を走らせた。
向かい側の、”近藤さん”のベッドを隠すカーテンである。
向かいのカーテンは、隙間なくぴしりと閉まっていた。
声も聞こえず、あの何かを吸うような音も途絶えている。
「どうしたんですか?」
首だけ起こし、じっと向かい側を見つめていると、乙都が怪訝そうに小首をかしげた。
「い、いや、何でもない」
あわてて僕はかぶりを振った。
向かいのカーテンの隙間から奇妙なものが見えたとか、看護師の様子が変だとか、そんなこと言えやしない。
「お昼、食べられそうですかね? ここに置きますね」
乙都が、ベッドサイドの長テーブルに料理の載ったトレイを置いた。
「あ、ありがとう」
ぼそぼそ礼を言い、プラスチックのフォークを受け取った。
トレイに並ぶのは、和食のセットだ。
デザートにミカンがついている。
今更のように、空腹に気づく。
「心臓疾患の場合は、塩分の摂り過ぎが命取りになります。だから薄味で物足りないかもしれませんが、全部食べていただけるとうれしいです。だって、由井さん、ICUでは寝たきりで、ほとんど何も食べていないでしょう?」
「……」
濃い味が好みの僕には、手痛い忠告だ。
が、不自由な手でなんとか魚の煮物を口に運んでみると、別に不味くはない。
むしろ、病院食にしては、ちゃんと味もついていて、十分美味しかった。
苦労しながら、全部食べ終わった。
「ごちそうさま」
小さくゲップをすると、僕は言った。
「あ、それから、俺のことは、君づけでいいです。由井君とか、颯太君とか。考えてみれば、俺のが年下なんで」
看護学校の最上級生というのは、大学でいえば3回生ぐらいのはずだ。
つまり、ものすごい童顔だけど、乙都は二十歳を超えているはずなのである。
だから、本来は、たとえ心の中でも、乙都なんて呼び捨てにしちゃ、いけないのだ。
「ありがと。じゃ、さっそくだけど、颯太君」
僕にミカンをむいてくれながら、大きな目で乙都が柔和に笑った。
「ご実家に連絡とりたいんだけど、電話番号教えてくれないかな? 入院の手続きのために、一度保護者の方に来ていただきたいし、着替えとかもお持ちいただきたいと思って…」
ということは、息子が緊急入院したというのに、うちの家族は誰も病院に来ていないということか?
僕はむっとした。
「いいけど…」
そう口にして、ふと気づいた。
実家の電話番号って、何番だったっけ?
いや、それどころか、住所すら出てこない。
ん…。
ていうか…。
そもそも、父や母の顔すらも、頭にイメージが浮かんでこないのは、これはいったいどういうわけなのだろう?
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