異世界病棟

戸影絵麻

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#51 エレベーターホールの死闘③

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 ドアが開く音とともに、凄まじい臭気が溢れ出してきた。
 なんともいえぬ、生臭い匂い。
 まるで海面を覆い尽くすヘドロみたいな臭いが、ほとんど物質と化して顔に吹きつけてきたのだ。
 自らに課した禁を破って、僕は思わず枕の上で首だけをを起こしていた。
 扉の開いたエレベーターの入口に、誰か立っている。
 病衣を着ているから患者なのだろうけど、それにしては恐ろしく背が高い。
 それもそのはず、頭部が異様に大きいのだ。
 天井に届きそうなその頭はラグビーボールみたいな紡錘形をしていて、後頭部が後ろに突き出している。
 表皮はザラザラで灰色。
 髪も眉もなく、おそろしく離れた小さな眼が顏の両側にぽつりと開いている。
 更に異様なのは、病衣の袖から出ている手が、触手のように長く、先細りになっていることだった。
 しかもその触手、先端がいくつにも割れて、それぞれにびっしりと吸盤がついている。
「おまえはゲイジンだな」
 瑞季先生が言った。
「M1号に会いに来たのか」
 グフ。
 異形の者が鳴いた。
 小さな眼ではるかな高みからじっと先生を見下ろしている。
 ゲイジン?
 なんのことだろう?
 先生は、これが芸人の仮装だとでもいうのだろうか。
 だが、仮装にしては、あまりに生々しすぎる。
 あのリアルな肌の質感といい、充血した眼といい、耳まで裂けた巨大な口から垂れる涎といい…。
 どう見ても、本物の化け物だろう。
 その化け物の重そうな頭部が、展望台の双眼鏡みたいにゆっくり動き、やがてベッドの上の僕を捉えた。
 目と目が合った瞬間、僕は悟った。
 この目…。
 これは、”コンドウサン”のカーテンからのぞいていたのと、同じ目だ。
 グフ。
 怪物がつぶやいて、一歩エレベーターの箱から出た時だった。
「うわあああああああっ!」
 待ちかまえていたように、蓮月が太くたくましい腕で、点滴スタンドを振り下ろした。
「くらええっ!」
 横っ面を張られ、よろめいた怪物の腹に、乙都が思いきり巨大注射器の針を突き立てる。
 ガウッ。
 前のめりによろめく怪物。
 が、まだ倒れない。
 と、タンっと床を蹴って、先生が跳んだ。
 軽々ベッドを跳び越すと、怪物の正面に着地して、高々と右足を振り上げる。
 ハイレグボンテージスーツから伸びた長い脚が、頭上に上がった。
 網タイツとVゾーンの間の真っ白な絶対領域が、照明に艶めかしく光る。
 が、それも一瞬のこと。
 次の瞬間、猛スピードで振り下ろされた先生の右足の踵が、すごい勢いで怪物の脳天にめり込んだ。
 ギャフ。
 ひと声うめいて、肉のひしゃげる音とともに、怪物が床にくず折れる。
「出た。ミズキせんせの必殺かかと落とし」
 蓮月がパチパチと拍手した。
「オト、そこのスリッパ、拾ってくれない?」
 吹っ飛んだ自分のスリッパを指差して、なんでもなかったように先生が言った。

 
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