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#67 乙都受難①
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「やあだ、颯太さんたら」
聞くなり、乙都がクスクス笑い出した。
「からかわないでくださいよォ。見習いだから、怖がらせてやろうと思って。病棟の怪談のつもりですか?」
「違う。冗談で言ってるんじゃない。とにかく聞いてくれ。ついこの間まで、隣に藤田さんって人がいただろ?」
笑い転げる乙都を目で制すると、僕は話し出した。
藤田氏が、退院前日の夜に、病室を抜け出して、ユズハという名の担当看護師に会おうとしていたこと。
ところが翌朝も帰って来ず、すでに退院したものとして片づけられてしまったこと。
さっき、西と東をつなぐ通路のトイレで、そのユズハらしい看護師に遭遇したこと。
ユズハは、両手を血に染めて、”廃豚の解体作業”にいそしんでいたこと…。
「つまり、颯太さんは、その看護師さんが解体してたのは豚ではなく、失踪した藤田さんだったと…そう言いたいのですね?」
まだ笑いを含んだ瞳で僕を見つめて、乙都が訊く。
「ああ、そうさ。だって、どう考えてもおかしいだろう? そんな、病院で豚を解体するなんて」
「まあ、それはそうですけど…。颯太さん、からかわれたんじゃないかなあ。可愛いから」
とぼけた口調で、乙都が言う。
「か、可愛い?」
僕は面食らった。
過去の記憶がないからはっきりとは言えないけど、おそらくこの歳でこんなことを言われるのは、これが初めてだろう。
「だって、この病棟、若い男の子、他にいないから…。見ての通り、おじいさんとおばあさんばかりでしょ。循環器内科の入院患者さんの平均年齢は、70歳を優に超えてると思いますよ」
「そうなのか…」
ちょっとショックだった。
つまりは心臓疾患とは、普通はそれぐらいの高齢にならないとかからないものだということなのだろう。
「わかりました。いいですよ。信じる信じないは別として、お昼済んだら、リハビリの時にそのトイレまでついて行ってあげます。そこにまだユズハさんがいて、藤田さんの死体があるかどうかはわからないですけど、それで颯太さんの気が済むのなら…。その代わり、今、お昼ご飯運んできますから、全部ちゃんと食べてくださいね。それから、お薬も残らずきちんと飲まないと。お薬飲み忘れると大変なことになるって、先生も伝言メモでおっしゃってましたよ。心機能の調整ももちろんですけど、そのほかにも、”ようそ化”を抑え切れなくなるとかなんとか…」
「ようそ化…?」
それが、”妖蛆化”という漢字をあてる語だということを、なぜか僕は知っている。
夜の世界での手術の時、先生が口にしていた言葉だからだ。
「朝もそんなこと言ってたけど、伝言メモって? きょう、泰良先生は、いないのかい…?」
不安が募ってきて、僕は訊いてみた。
「そう。お休みというか、私的な出張というか…。伝言メモっていうのは、先生が残された短い動画なんですけどね。何か、個人的に調べたいことがあるっておっしゃってました。でも、任せてください。颯太さんのお世話は、私がちゃんとやり遂げますから。あ、やだ、もう、こんな時間? 早くお昼を済ませないと、看護助手のおばさんたちに叱られちゃう」
壁の掛け時計に目をやり、乙都があわてて腰を上げた。
聞くなり、乙都がクスクス笑い出した。
「からかわないでくださいよォ。見習いだから、怖がらせてやろうと思って。病棟の怪談のつもりですか?」
「違う。冗談で言ってるんじゃない。とにかく聞いてくれ。ついこの間まで、隣に藤田さんって人がいただろ?」
笑い転げる乙都を目で制すると、僕は話し出した。
藤田氏が、退院前日の夜に、病室を抜け出して、ユズハという名の担当看護師に会おうとしていたこと。
ところが翌朝も帰って来ず、すでに退院したものとして片づけられてしまったこと。
さっき、西と東をつなぐ通路のトイレで、そのユズハらしい看護師に遭遇したこと。
ユズハは、両手を血に染めて、”廃豚の解体作業”にいそしんでいたこと…。
「つまり、颯太さんは、その看護師さんが解体してたのは豚ではなく、失踪した藤田さんだったと…そう言いたいのですね?」
まだ笑いを含んだ瞳で僕を見つめて、乙都が訊く。
「ああ、そうさ。だって、どう考えてもおかしいだろう? そんな、病院で豚を解体するなんて」
「まあ、それはそうですけど…。颯太さん、からかわれたんじゃないかなあ。可愛いから」
とぼけた口調で、乙都が言う。
「か、可愛い?」
僕は面食らった。
過去の記憶がないからはっきりとは言えないけど、おそらくこの歳でこんなことを言われるのは、これが初めてだろう。
「だって、この病棟、若い男の子、他にいないから…。見ての通り、おじいさんとおばあさんばかりでしょ。循環器内科の入院患者さんの平均年齢は、70歳を優に超えてると思いますよ」
「そうなのか…」
ちょっとショックだった。
つまりは心臓疾患とは、普通はそれぐらいの高齢にならないとかからないものだということなのだろう。
「わかりました。いいですよ。信じる信じないは別として、お昼済んだら、リハビリの時にそのトイレまでついて行ってあげます。そこにまだユズハさんがいて、藤田さんの死体があるかどうかはわからないですけど、それで颯太さんの気が済むのなら…。その代わり、今、お昼ご飯運んできますから、全部ちゃんと食べてくださいね。それから、お薬も残らずきちんと飲まないと。お薬飲み忘れると大変なことになるって、先生も伝言メモでおっしゃってましたよ。心機能の調整ももちろんですけど、そのほかにも、”ようそ化”を抑え切れなくなるとかなんとか…」
「ようそ化…?」
それが、”妖蛆化”という漢字をあてる語だということを、なぜか僕は知っている。
夜の世界での手術の時、先生が口にしていた言葉だからだ。
「朝もそんなこと言ってたけど、伝言メモって? きょう、泰良先生は、いないのかい…?」
不安が募ってきて、僕は訊いてみた。
「そう。お休みというか、私的な出張というか…。伝言メモっていうのは、先生が残された短い動画なんですけどね。何か、個人的に調べたいことがあるっておっしゃってました。でも、任せてください。颯太さんのお世話は、私がちゃんとやり遂げますから。あ、やだ、もう、こんな時間? 早くお昼を済ませないと、看護助手のおばさんたちに叱られちゃう」
壁の掛け時計に目をやり、乙都があわてて腰を上げた。
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