14 / 58
#13 飢餓
しおりを挟む
ほとんど床を這うようにして、比奈は台所に向かった。
丸一日、何も食べていない。
きのうの昼、コンソメスープを1杯飲んだきりなのだ。
空腹で思うように身体が動かなかった。
それでも冷蔵庫までたどりつき、やっとの思いで扉を開けた。
つんと鼻をつく異臭。
比奈は愕然とした。
飲み物のペットボトルと缶ビールのほかは、萎れて正体がわからなくなった野菜と、変色した肉の塊がラップに包まれて転がっているだけだった。
肉塊に手を伸ばしかけたが、結局断念して、扉を閉めた。
幼い比奈でも身の危険を感じるほど、それは臭かったのだ。
壁につかまり立ちしながら、カニ歩きで父と母の寝室に忍び込む。
テレビもエアコンもあるこの広い部屋が、両親と翔太の居室になっている。
ふすまを開けると、中は足の踏み場もないほどの散らかり具合だった。
お菓子の袋、母の下着、父の靴下、雑誌類、コンビニのレジ袋、カップ麺の空容器などが、所狭しと積み重なっている。
ここならお菓子のひと切れくらい落ちているかもしれない。
わずかな希望を胸に、比奈はごみの山をかき分け始めた。
ごみはベッドの下にまであふれており、時々その隙間を背中の黒い虫が猛スピードで駆け抜けていった。
そのたびに比奈は小さな悲鳴を上げ、ごみの中にぺたんと尻もちをついた。
ゴキブリがいるからには食べ物が残っていてもよさそうなものだったが、いくら掘り返してもビスケットのかけら一枚出てこなかった。
目が回り、貧血状態になって、箪笥に背中をぶつけた時である。
その衝撃で、上から何か、落ちてきた。
比奈は、むき出しの膝の上に落下した紙の箱をしげしげと見つめた。
何だろう?
おそるおそる手に取って、耳のそばで振ってみると、かさかさと乾いた音がした。
思い切って、ふたを開けてみることにした。
奇妙なものが入っていた。
干からびた貝殻みたいな薄片である。
それが、十枚、綺麗に箱の底に並んでいる。
比奈は自分の右手の爪を見た。
同じだ、と思った。
そうして、かすかな痛みとともに、いつか父にペンチで爪をはがされた時のことを思い出した。
理由は何だったか、今となってはもう覚えていない。
ある夜のことだった。
激高した父が突然襲いかかってきて、母に手伝わせ、比奈の手足の爪をすべて引き剥がしたのである。
血まみれになった比奈は痛みのあまり気を失い、高熱を発して1週間近く寝込んだ。
手足の爪が、全部新しく生えそろうまで。
おぞましかった。
急いでふたを閉め、箱を箪笥の上に戻すと、比奈はまた絶望的な探索を開始した。
家族の行く先はわかっている。
きのう、漏れ聞いた両親の会話からすると、動物園に行った後、レストランでおいしいものを食べるのだ。
どこへでも連れていってもらえる翔太が、うらやましかった。
翔太は生まれてこのかた、おとうさんにもおかあさんにも叱られたことがない。
どんなにやんちゃをしても、悪さをしても、ただ猫可愛がりに可愛がられるだけ。
が、その差がどこから来るのか、比奈にはうすうすわかっている。
比奈が前のおとうさんの子で、前のおとうさんそっくりの顔をしているからだ。
でも、そんなことで責められても、比奈にはどうしようもない。
この顔に産まれたくて産まれてきたわけではないからだ。
ベットの下にもぐりこみ、ひたすらごみを漁っていると、べちゃべちゃした糊みたいなものがつまった薄いゴムの袋が指に貼りついてきた。
びっくりしてふり払い、ティッシュで指を拭った。
窓のほうで、コンコンという音がしたのは、その時だった。
丸一日、何も食べていない。
きのうの昼、コンソメスープを1杯飲んだきりなのだ。
空腹で思うように身体が動かなかった。
それでも冷蔵庫までたどりつき、やっとの思いで扉を開けた。
つんと鼻をつく異臭。
比奈は愕然とした。
飲み物のペットボトルと缶ビールのほかは、萎れて正体がわからなくなった野菜と、変色した肉の塊がラップに包まれて転がっているだけだった。
肉塊に手を伸ばしかけたが、結局断念して、扉を閉めた。
幼い比奈でも身の危険を感じるほど、それは臭かったのだ。
壁につかまり立ちしながら、カニ歩きで父と母の寝室に忍び込む。
テレビもエアコンもあるこの広い部屋が、両親と翔太の居室になっている。
ふすまを開けると、中は足の踏み場もないほどの散らかり具合だった。
お菓子の袋、母の下着、父の靴下、雑誌類、コンビニのレジ袋、カップ麺の空容器などが、所狭しと積み重なっている。
ここならお菓子のひと切れくらい落ちているかもしれない。
わずかな希望を胸に、比奈はごみの山をかき分け始めた。
ごみはベッドの下にまであふれており、時々その隙間を背中の黒い虫が猛スピードで駆け抜けていった。
そのたびに比奈は小さな悲鳴を上げ、ごみの中にぺたんと尻もちをついた。
ゴキブリがいるからには食べ物が残っていてもよさそうなものだったが、いくら掘り返してもビスケットのかけら一枚出てこなかった。
目が回り、貧血状態になって、箪笥に背中をぶつけた時である。
その衝撃で、上から何か、落ちてきた。
比奈は、むき出しの膝の上に落下した紙の箱をしげしげと見つめた。
何だろう?
おそるおそる手に取って、耳のそばで振ってみると、かさかさと乾いた音がした。
思い切って、ふたを開けてみることにした。
奇妙なものが入っていた。
干からびた貝殻みたいな薄片である。
それが、十枚、綺麗に箱の底に並んでいる。
比奈は自分の右手の爪を見た。
同じだ、と思った。
そうして、かすかな痛みとともに、いつか父にペンチで爪をはがされた時のことを思い出した。
理由は何だったか、今となってはもう覚えていない。
ある夜のことだった。
激高した父が突然襲いかかってきて、母に手伝わせ、比奈の手足の爪をすべて引き剥がしたのである。
血まみれになった比奈は痛みのあまり気を失い、高熱を発して1週間近く寝込んだ。
手足の爪が、全部新しく生えそろうまで。
おぞましかった。
急いでふたを閉め、箱を箪笥の上に戻すと、比奈はまた絶望的な探索を開始した。
家族の行く先はわかっている。
きのう、漏れ聞いた両親の会話からすると、動物園に行った後、レストランでおいしいものを食べるのだ。
どこへでも連れていってもらえる翔太が、うらやましかった。
翔太は生まれてこのかた、おとうさんにもおかあさんにも叱られたことがない。
どんなにやんちゃをしても、悪さをしても、ただ猫可愛がりに可愛がられるだけ。
が、その差がどこから来るのか、比奈にはうすうすわかっている。
比奈が前のおとうさんの子で、前のおとうさんそっくりの顔をしているからだ。
でも、そんなことで責められても、比奈にはどうしようもない。
この顔に産まれたくて産まれてきたわけではないからだ。
ベットの下にもぐりこみ、ひたすらごみを漁っていると、べちゃべちゃした糊みたいなものがつまった薄いゴムの袋が指に貼りついてきた。
びっくりしてふり払い、ティッシュで指を拭った。
窓のほうで、コンコンという音がしたのは、その時だった。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
女子切腹同好会
しんいち
ホラー
どこにでもいるような平凡な女の子である新瀬有香は、学校説明会で出会った超絶美人生徒会長に憧れて私立の女子高に入学した。そこで彼女を待っていたのは、オゾマシイ運命。彼女も決して正常とは言えない思考に染まってゆき、流されていってしまう…。
はたして、彼女の行き着く先は・・・。
この話は、切腹場面等、流血を含む残酷シーンがあります。御注意ください。
また・・・。登場人物は、だれもかれも皆、イカレテいます。イカレタ者どものイカレタ話です。決して、マネしてはいけません。
マネしてはいけないのですが……。案外、あなたの近くにも、似たような話があるのかも。
世の中には、知らなくて良いコト…知ってはいけないコト…が、存在するのですよ。
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる