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#18 恥辱

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 漏れ聞こえる会話に、芙由子は全身が総毛立つ思いだった。
 飼う?
 な、何を言ってるの? あの人。
 そんなの、狂ってる。
 たかが、児童虐待の現場を見られたくらいで、初対面の女を拉致した挙句、ペットのように”飼う”だなんて…。
 逃げなければ。
 懸命に両手を動かした。
 同じ人間が縛ったのだ。
 必死になれば、解けないはずはない。
 が、洗濯ロープはよほど巧妙な縛り方がしてあるのか、手首を動かせば動かすほど皮膚にくいこんでくる。
 芙由子の心は、どんどん絶望の淵へと沈んでいく。
 始末の悪いことに、尿意が耐えがたくなってきていた。
 太腿をこすり合わせてみるが、いっこうに収まる気配がない。
 このままでは、あと10分ももたないに違いない。
 泣きたい思いで唇を噛み締めた時、ふと会話が聞こえなくなっていることに気づいて、ぞっとなった。
 いつのまにか、次の間とのあいだのふすまが開いていた。
 戸口に、向こうの部屋の明かりを背にして、やせた男が立っている。
 黒いスウェットの上下を着ているせいで、首だけが薄闇に浮かんでいるように見えた。
 張り出した額の下で、眼鏡のレンズだけが光っている。
 芙由子は近づいてくる男の顔から視線を逸らせまかった。
 見えるのだ。
 盛り上がった額の皮膚の下で、太い蚯蚓のようなものが蠢いている。
 今にも毛穴から滲み出しそうな”悪意”。
 それが顔中に回った時、人は凶行に走る。
 そう、あの時のバスジャックの犯人のように。
「気がついたか」
 芙由子の前にしゃがみこむと、男が声をかけてきた。
「あんた、見かけによらず、いい身体してるな」
 むき出しの芙由子の四肢を眺めて、無機質な声でつぶやいた。
 芙由子は精一杯身を縮めた。
 まさか、妻のいる前にレイプはしないだろうけど、ふたりだけになったら、危ないかもしれない。
 ふと、そんなことを思った。
「お願いです。放してください」
 目に涙をためて、芙由子は訴えた。
「せめて、このロープをほどいてください」
「無理だね」
 淡々とした口調で、男が言った。
「ちょっと用事を思い出して、ひと足先に帰ってきたら、このざまだ。これ、住居不法侵入ってやつだろ? 悪いのは、あんたのほうじゃないか」
「ご、ごめんなさい。私はただ、比奈ちゃんのことが、気になって…」
 下腹が、錐を揉み込まれるように痛んだ。
 早くして。
 お願いだから、許して。ロープを、解いて。
「他人の子を、なれなれしく名前で呼ぶんじゃない」
 男の声が冷たさを帯びた。
 その手で、何かが光った。
 あっと思った時には、ブラジャーのカップとカップの間のつなぎ目を刃物で切断されていた。
「ひい」
 悲鳴を上げた時だった。
 ふいにどうしようもなく膀胱が緩み、ひどく熱いものが下着の中に溢れ出た。
 止めようとしても、無理だった。
「ああ…ああ…」
 芙由子は真っ赤になってうなだれた。
「おいおい、参ったな。犬じゃあるまいし…。おまえさん、どうやら、下のしつけからしなきゃなんないらしい」
 男は、嗤ったようだった。
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