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第4章 連鎖する殺意
#1 禁断の言葉
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また朝が来た。
最近、朝を迎えるたびに、憂鬱の量が増えていく。
それは今朝も同じで、もう私の心の容量を超えそうな勢いだ。
原因ははっきりしている。
あの時、母に訊けなかった疑問の答え。
あまりにもおぞましくて、ついに口にできずじまいだった疑問の答えを、図らずも私は耳にしてしまったのだ。
深夜のことだった。
時刻はもう午前2時を過ぎていただろうか。
エアコンをガンガンに効かせてもどうにも寝苦しく、私は飲み物を取りに1階に降りた。
1階にはキッチンとリビングがあり、その奥が夫婦の寝室になっている。
足音を忍ばせてキッチンに入り込み、冷蔵庫を漁っていた時である。
リビングのほうから、ぼそぼそと陰鬱な話し声が聞こえてきた。
ソファには誰もいないのを確認してあったから、声は寝室のドアを通して聞こえてくるもののようだった。
「そんなこと、できるわけないじゃない!」
ひと際鋭い声が薄闇を引き裂いて、私は思わずびくりと首をすくめた。
母の声だった。
押し殺してはいるが、どうしようもなくいらだっているのがわかる。
「私たちの子っていうことにすればいいでしょ。あなたが何と言おうと、私は産むから」
手にしたペットボトルを、危うく取り落とすところだった。
頭も体もフリーズしてしまって、私はその場から動けなくなった。
産む…?
ある意味、信じられなかった。
私が訊きたくて訊けなかったこと。
それは、
-実の息子との間に設けた子を、あなたは産むのか?ー
という、究極の選択の答え。
偶然とはいえ、その答えが、天啓のように寝室のほうから降ってきたのである。
父と母との間にここ数年性交渉がないのだとしたら、母の胎内の子供の父親は俊である可能性が極めて高い。
俊が家に戻ってきたのは4月の終わり。
あれからもう3ヶ月近く経っている。
彼が戻ってすぐ、ふたりの間に交渉があったとしたら…。
今になって、母につわりがやってきたのも、うなずけないことはない。
もちろん、母が他に男をつくったという可能性も、なくはないだろう。
でも、娘の私から見て、それはありえない。
母は俊に夢中なのだ。
俊以外の男に関心など向けるはずがない。
それにしても…。
考えれば考えるほど、胸が苦しくなる。
確かに、まだ妊娠3ヶ月とはいえ、母に宿っているのは立派な生命だ。
産んであげるのが当たり前、と頭ではわかる。
でも、感情がそれを拒否していた。
私はいったい、どうすればいいのだ?
新たに産まれたその子を、本当の兄弟として、ちゃんと可愛がってあげることができるのか?
正直、自信がなかった。
第一、それが本当に俊と母の子であるならば、その子は果たして私の何にあたるのだろう?
そして、もっと恐ろしいのは、父の心境を想像すること。
男にとって、これほどの屈辱が他にあるだろうか。
父は実の息子に妻を寝取られた挙句、子を孕まされ、あまつさえ産まれてきたその子を育てさせられようとしているのだ。
カッコウに托卵された鳥たちは、何の疑問を抱かずに卵を温め、ひなを育てるというけれど、人間はそうはいくまいと思う。
父の心情を想像すると、心の中にどす黒いタールのようなものが満ちてくる。
もし、私が父の立場だったら…。
おそらく、そんな女、絶対に許さない。
そう強く思うからだ。
今度は間違えずに、スポーツタイプの自分の自転車のかごにカバンを乗せた。
喉まで込み上げてきた吐き気を押さえるように、いっぱいに朝の新鮮な空気を吸い込んだ。
そして、その時になってやっと私は思い出した。
きょうが、私にとって、きわめて重要な一日。
そう。
美沙殺しの犯人当ての日であることを。
最近、朝を迎えるたびに、憂鬱の量が増えていく。
それは今朝も同じで、もう私の心の容量を超えそうな勢いだ。
原因ははっきりしている。
あの時、母に訊けなかった疑問の答え。
あまりにもおぞましくて、ついに口にできずじまいだった疑問の答えを、図らずも私は耳にしてしまったのだ。
深夜のことだった。
時刻はもう午前2時を過ぎていただろうか。
エアコンをガンガンに効かせてもどうにも寝苦しく、私は飲み物を取りに1階に降りた。
1階にはキッチンとリビングがあり、その奥が夫婦の寝室になっている。
足音を忍ばせてキッチンに入り込み、冷蔵庫を漁っていた時である。
リビングのほうから、ぼそぼそと陰鬱な話し声が聞こえてきた。
ソファには誰もいないのを確認してあったから、声は寝室のドアを通して聞こえてくるもののようだった。
「そんなこと、できるわけないじゃない!」
ひと際鋭い声が薄闇を引き裂いて、私は思わずびくりと首をすくめた。
母の声だった。
押し殺してはいるが、どうしようもなくいらだっているのがわかる。
「私たちの子っていうことにすればいいでしょ。あなたが何と言おうと、私は産むから」
手にしたペットボトルを、危うく取り落とすところだった。
頭も体もフリーズしてしまって、私はその場から動けなくなった。
産む…?
ある意味、信じられなかった。
私が訊きたくて訊けなかったこと。
それは、
-実の息子との間に設けた子を、あなたは産むのか?ー
という、究極の選択の答え。
偶然とはいえ、その答えが、天啓のように寝室のほうから降ってきたのである。
父と母との間にここ数年性交渉がないのだとしたら、母の胎内の子供の父親は俊である可能性が極めて高い。
俊が家に戻ってきたのは4月の終わり。
あれからもう3ヶ月近く経っている。
彼が戻ってすぐ、ふたりの間に交渉があったとしたら…。
今になって、母につわりがやってきたのも、うなずけないことはない。
もちろん、母が他に男をつくったという可能性も、なくはないだろう。
でも、娘の私から見て、それはありえない。
母は俊に夢中なのだ。
俊以外の男に関心など向けるはずがない。
それにしても…。
考えれば考えるほど、胸が苦しくなる。
確かに、まだ妊娠3ヶ月とはいえ、母に宿っているのは立派な生命だ。
産んであげるのが当たり前、と頭ではわかる。
でも、感情がそれを拒否していた。
私はいったい、どうすればいいのだ?
新たに産まれたその子を、本当の兄弟として、ちゃんと可愛がってあげることができるのか?
正直、自信がなかった。
第一、それが本当に俊と母の子であるならば、その子は果たして私の何にあたるのだろう?
そして、もっと恐ろしいのは、父の心境を想像すること。
男にとって、これほどの屈辱が他にあるだろうか。
父は実の息子に妻を寝取られた挙句、子を孕まされ、あまつさえ産まれてきたその子を育てさせられようとしているのだ。
カッコウに托卵された鳥たちは、何の疑問を抱かずに卵を温め、ひなを育てるというけれど、人間はそうはいくまいと思う。
父の心情を想像すると、心の中にどす黒いタールのようなものが満ちてくる。
もし、私が父の立場だったら…。
おそらく、そんな女、絶対に許さない。
そう強く思うからだ。
今度は間違えずに、スポーツタイプの自分の自転車のかごにカバンを乗せた。
喉まで込み上げてきた吐き気を押さえるように、いっぱいに朝の新鮮な空気を吸い込んだ。
そして、その時になってやっと私は思い出した。
きょうが、私にとって、きわめて重要な一日。
そう。
美沙殺しの犯人当ての日であることを。
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