今よりずっと、その先で。

津崎 トコ

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sp2.サクラボシ

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私の朝は、人の気配がない内に始まる。



職場から微妙に遠いこの距離が煩わしい。


私は小走りで駅へ向かう。


電車に飛び乗って、揺られること30分。


私の勤務先、小山総合病院こやまそうごうびょういんに辿り着く。



「おはようございます」


「おはようございます、佐々木さん。昨日横嶺よこみねさん、夜間出産あったわよ」


「おぉ、おめでとうございます。お疲れ様でした」



朝の申し送りを済ませて、私はある妊婦の元へ向かった。



703号室。名札は井坂 晴海いさか はるみ


「失礼します。井坂さん、佐々木です」


「佐々木先生、おはようございます」


井坂さんは非常に清楚な美しい女性だ。

同じ女として憧れるし、何より私に信頼を置いてくれていることが有難い。



井坂さんのベッドを覗くと、先客がいた。


一瞬たじろいたが、だめだと思って向き直る。



彼女のお兄様だ。


「佐々木先生、おはようございます」


「お、おはようございます」



井坂さんのお兄様、井坂 透いさか とおるさんは眼鏡を掛けた紳士めいた方で、何処か彼女と雰囲気が重なる部分がある。


とは言え、私は正直彼が苦手なのだ。



「井坂さん、何か変わった様子ございませんか」


「はい、今日は体調いい気がするし、赤ちゃんも元気な気がするの」


彼女はお腹をさすりながら、微笑んだ。



「そうですか。早く赤ちゃんに会えるといいですね」


私も彼女に微笑むと、彼女は嬉しそうに頷いた。



「それでは、失礼します。また何かあったらお呼び下さいね」


「ありがとうございます」


お互い会釈して、病室を出る。



案の定、彼は追ってきた。


「唯さん、今夜食事…」


「何度誘われても行きません。他を当たって頂けますか」


「俺は唯さんがいいんです」


真剣な声に一瞬耳を傾けて、また歩き出す。


井坂さんはなぜだか熱心に私を口説いているらしい。



私にとっては迷惑でしかないのだが。






今日は昼から「母親学級」を開いた。



母親学級とは、出産を控える妊婦さん達のいわば「準備講座」。




「佐々木先生、これなんですけど…」

あるひとりの妊婦さんが私に声を掛けてきた。


「それはですね…」


私も説明を始める。 終わったあと、彼女は笑顔でこう言った。


「いつも、こうやってアドバイスして下さってありがとうございます。出産に不安もあるけれど、早くこの子に会いたいって、最近そればっかり考えるんです。ここの先生達が不安を取り除いてくれるから」



心の中が暖かくなった。


あぁ、母親って素敵だなぁ。



「ありがとうございます。元気なお子さんを出産してくださいね、全力でサポートします」


私も笑顔でそう返した。











こうやってほっこり帰れる日もあれば、怒られて落ち込んだり、自分の担当の妊婦さんの出産に立ち会いきれなくて心配になったり、すごく心が忙しい。


でもすごくやりがいのある仕事だ。




「あ、助産婦じょさんふさんだ」







振り返ると彼がいた。



「井坂さん…」


「お仕事終わり、だよね?飲みに行きませんか」



…たまにはいいかな。



「…今日だけですよ?」


私は笑って彼に返事をした。





心の隅では忘れられない存在がいる気がするけど、
私の未来は、その他でどんどん満たされていく気がした。




桜が枯れかけているのを見つける。

でも、周りの桜はまだまだ満開だ。



「まだ諦めるには早いか」



私はそう呟いて、彼の隣に並んだ。








Fin.
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