真冬の逃げ水 Mirage d'hiver

つこさん。

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第二章 カウンセリングの始まり

第8話 演奏 performance

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 三日ぶりに登校した。朝礼が始まるぎりぎりに行ったから、空いている席を探して教室を見回す。ざわざわした声がすっとやんだ。途端に教室全体の視線が僕に突き刺さるような気がして、心のどこかが冷たくなる。空いている席は、もう列の真ん中ばかりだった。だから最初に目についた前から二番目列の真ん中へ行こうと、階段を上る。その列に座っている女生徒たちが背筋を伸ばしたとき「テオ、こっち空いてるよ!」と奥から声があがる。レオンだ。ちょっと考えて、僕はその声に従った。

「来れたんだね、よかった」

 朗らかな笑顔でレオンは言った。他の数人といっしょに座っていたらしいけど、そいつらは僕が来たら席を詰めて避ける素振りをする。そんなもんだろう。その分だけ広くなったレオンの隣りへ座ったら、担任が教室へ入ってきた。
 出席を取る前に僕の姿に気づいた担任は「もうだいじょうぶなのかい、ボーヴォワールくん」とメガネを直しながら言う。僕は適当に「ええ、まあ」と言った。

 授業はどの科目でも興味深いと思う。けれど関心が沸かなくて、どうしても真剣に取り組めない。でも型通りに上手くうわっつらを取り繕うことはできるから、教師からはちゃんとして見えるんだろう。今のところ態度で注意されたのは、この前の音楽の件だけかな。
 午前一の授業は数学だった。教科担任が入ってきて、僕を見たらまた体調を尋ねられた。うんざりしながら「だいじょうぶです」と告げる。毎回の授業でこれがされるんだろうか。嫌になる。
 始まってしばらくしてからレオンが、破ったノートの紙面の一番上の行に、なにかを書き込んで僕の手元へすっと流して来た。

『もう、休まなくてだいじょうぶなの? 無理してない?』

 親かよ、と呆れながらも、その気遣いがほんの少しだけ心地よい。でもなんとなく、認めるのはシャクな気分だ。僕はその下へ万年筆を走らせてレオンへ戻す。

『べつに たいしたことじゃない』

 レオンは板書された問題に悩むような間を置いてから、もう一度書きつけてよこす。

『みんな、君のことを心配しているんだ。いろんな人から、君の体調について尋ねられた。』

 うそつけ、みんなって具体的に誰だよ、と鼻で笑って、僕は返信する。

『興味ない』
『今、僕と座っていたやつらもさ。君のこと心配して、さっき、なにかできないかって言ってた。』
『物珍しいだけだろ 嫌われてるのは知ってる』
『そんなことないよ。みんな君と仲良くなりたがっている。どうしたらいいかわからないだけで。』

 は、と軽く僕は笑った。万年筆をしまって、何も書かずに紙切れをレオンへ返した。

「――じゃあ、ボーヴォワールくん。これが解けるかい?」

 僕らがごそごそなにかしているのに気づいたんだろう。数学担任が僕を当てて来た。僕はノートや筆記具をまとめて手に持って、席を立ち黒板へ向かった。教師はちょっと驚いた様子で、僕がチョークで解答を書き込んで行くのを見ていた。
 背中に視線が突き刺さる。もう、慣れてしまった。べつに、こうなりたくてなったわけではないけれど、もうどうでもいいやと思う。

 みんな仲良くなりたがってる? 笑える。さっき教室に入ったときのことを思い出す。うそつけ。どこがだよ。

 なんとなく、すべてがバカらしかった。

「早退します」

 書き終えて、僕はそう言って教室を出た。教師も、他の生徒たちも、なにも言わなかった。
 寮へ戻っても暇だな、と思いながら階段を降りる。音楽室の方向から、まるでまとまりのない管楽器の合奏が聞こえた。それでレヴィ氏の部屋を思い出して、行ってみようと思ったんだ。
 扉が少しだけ開けられている。中から声がした。ノックをすると、脳天気な返事がある。そして扉が開くとレヴィ氏がにやりとした。

「はぁーい、テオフィルくん。とてもいい時に来てくれたわあ」
「あ、なんか嫌な感じなんで戻ります」
「なんで⁉ 入って入って、お客様がみえてるのよー」

 腕を引かれて中に入れられると、応接ソファに黒髪をひとつに結んだ小さい女性が、やたら姿勢良く座っていた。ああ、女性と二人きりだから扉を開けていたのか、と納得する。僕ら若者は、もうあんまり気にしないけれど、夫婦じゃない男女が二人っきりでいっしょの部屋にいるのは、ふさわしくないというのは一般的な考え方だ。

「ソノコじゃん……」
「はいっ、ソノコでございます! おじゃましております!」

 遠い外国からやって来た、兄嫁のソノコだ。返事と同時になぜか右手の手刀を額に当てている。この人の不思議な言動は外国由来だから、そういうものだろうと周囲の人間はつっこまない。だからぜんぜん直らなくて、ときどき僕は珍妙な天然記念動物と接している気分になる。
 ソノコが、なんでここにいるんだろう。僕は不思議に思ってレヴィ氏を見た。彼は小さく肩をすくめた。
 部屋の中は、この前と同じ茶葉の甘い香りがしている。味は苦いんだけれど。僕はソノコの隣りに座って「なんでここにいるのさ?」と尋ねた。レヴィ氏が僕にもお茶をくれた。

「はいっ、定期の心理相談と、なんかいろいろのためです!」

 手刀を額に当てたまま、キリッとした表情でソノコは言った。僕もレヴィ氏もつっこまなかった。
 ソノコは、オリヴィエ兄さんと結婚してとてもキレイになった。結婚式準備のあたりから、そりゃキレイだったけれど。オリヴィエ兄さんの眉間のシワが取れたのと、ソノコのキレイさはきっと相関関係にある。二人とも幸せなんだろう。おめでとう。
 兄さんがあんまり家に帰れてないのは問題だとは思うけれど、ソノコはソノコで忙しくしているみたいだし、それでいいんじゃないかな。そう思うと、やっぱ僕が泊まりに行くのは、おじゃまじゃないかなって気になって、やめようかと思った。けれどソノコがそのことに言及して来た。

「レヴィ先生から、テオくんのことをよろしく頼むと言われたのです! 本官、せいいっぱいおもてなしをする所存であります!」

 僕がレヴィ氏を見ると、レヴィ氏は「こんなにはりきってくれちゃって、いいお義姉さんねえ」と言った。なに言ったんだよ。盛大に事故る未来しか見えなくなったんだけど。
 まあ、なんか、週末の二日間オリヴィエ兄さんとソノコの家へ泊まることに確定した。僕にとっても思い出深い家なんだ。前は、ソノコが他の女性と共同で住んでいたんだ。
 その女性が使っていた部屋は、そのままになっている。誰もなにも言わないけれど、みんな知っている。ソノコが、彼女の帰りを待っていることを。
 僕も、そうなったらいいな、と思っている。
 きっと、いつか。

 お昼近くまで、実のないバカな話を三人でしていた。レヴィ氏は仕事しろよと思った。ちょっとだけ、もう一度オルガンの音色を聞いてみたくなって、僕はレヴィ氏へ「弾いてみていい?」と尋ねた。

「ええ、どーぞどーぞ!」
「おお、テオくんはオルガン弾けるんですね?」
「いや、初めて触るよ。ソノコは?」

 僕が水を向けると、ソノコは胸を張って「弾けますとも!」と言った。僕もレヴィ氏もその意外さに驚いて、弾いてみせてほしいと頼んだ。外国の曲、聴いてみたいから。きっと聴いたことがないようなすごい曲だろうと、そんな期待を抱いた。
 腕まくりをしてソノコは椅子に座った。鍵盤に向かい、真剣な表情で両手をかざす。そして。
 なんだか、牧歌的というか、ゆっくりとしたのどかな曲だった。もっと難しい曲を想像していたのだけれど。途中でなぜか腕を交差させて弾く。終わったあとに、いかにも得意げな顔でソノコが振り向いたから、僕とレヴィ氏は拍手をした。

「なんか、かわいらしい曲だね。なんて曲?」
「猫を踏んじゃったときの曲です!」

 僕は黙った。レヴィ氏は爆笑した。
 聞くところによると、ソノコの国では義務教育というのがあって、その間で練習し、弾けるようになる人が多い曲なんだそうだ。全国民が弾けるって言ってたから、まあそういうことなんだろう。
 なぜか僕も教えられた。四回目くらいで問題なく弾けるようになったら、ソノコが深刻な表情で「解せぬ……わたしは二年かかったのに……!」と言った。
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