27 / 38
第六章 希望への道
第27話 決着 règlement (挿絵あり)
しおりを挟む
わりと早い段階で本格的な冬がやって来て、学生たちの小遣い稼ぎが始まった。雪かきの手伝いをする代わりに、入寮条件が緩和されたり、学費免除が申請できたりする制度があるんだ。なにかと入り用の学生たちにはありがたい話だろう。まだ根雪になったばかりで除雪するほどではないけれど、男子寮事務室の前に『本年度の除雪控除申請は終了しました』って書いて貼られているのを見かけた。僕も前の学校で何度も雪かきには駆り出されたけれど、制度を利用することはなかったよ。まあ、正直富裕層の僕が免除してもらうなんて、ひんしゅく買うよね。
レヴィ氏の提案通り、ブリアック兄さんの指輪を預かったままで、時間が過ぎている。オリヴィエ兄さんから一度だけ『今度話そう』って連絡があった。きっと宝石店から、僕の手元に指輪があるってことが知らされたんだろう。僕は返事をしていない。もしかして僕に接触したことがバレたら、ジゼルさんが怒られるかもしれないって思ったのと、きっと、オリヴィエ兄さんも心の準備が必要だと思ったから。……僕よりも。
寮の部屋の、文机の引き出し奥に入れたまま。本当は貴重品をそんなところに置いてはいけないんだけれど。ときどき、箱を開いて眺めている。なんとなく。
レヴィ氏は、僕自身の将来を考えろって言った。でも指輪を見たときに想うのは、存在しない、けれどあり得たかもしれないブリアック兄さんの、将来。
窓の外では雪がちらついている。このままではいけないと思いながらそれを見る。瓦斯暖房で温められた部屋はとても快適だけれど、どこか肌寒いような、なにか足りないような気分で腕を抱く。
昼の休み時間終了の鐘が聞こえた。窓の下を、急いで校舎へと走って行く生徒の姿が通り過ぎる。鳴り終わっても、僕はちょっとの間、窓際から動けなかった。
僕自身の将来は、あの生徒が走った先にあるんだろうか。そんなことを考えた。
大幅に遅れて午後の授業に参加した。いつも通り教科担任はなにも言わなかった。僕の扱いは問題児ってよりも、繊細な硝子細工みたいな感じ。都合がいいからそれに準じている。
レオンが静かに手を上げて僕に振った。その席に座るのも、習慣になった。僕も小狡い人間になったなって思う。
前の学校が進学校だったからか、それともこの学校の水準を一般市民に合わせているからなのか、一年飛び級していても今のところ僕に授業内容の遅れはない。これだけサボってるのにね。冬休みを挟んで年明けにはどうなっているかはわからないけれど。きっとみんな、がっつり勉強してくるだろうから。雪国の冬なんて、雪かきか勉強くらいしかすることはないし。
冬休みの過ごし方を、どうしようか僕は迷っている。グラス侯爵領へ帰るか、このまま首都ルミエラで過ごすか。遠方から来ている学生の中には、実家へ帰らずに寮で過ごす者も多いんだ。中学生のときは、そうしたこともあったよ。どうせ雪に閉ざされて退屈なら、友だちと過ごしたかったし。ルミエラ市の方が除排雪の機能が回る程度の雪だからね。グラス侯爵領は一冬に二、三日、交通が麻痺する。もちろん最新の除雪機とか導入しているけれどね。降る量が尋常じゃないんだよ、ルミエラと較べたら。
それよりも――僕の心にかかっているのは、ただひとつだ。
もし、この冬、僕がグラス領に帰るとするなら。
目的は…………墓だ。
「では――では、ボーヴォワールくん次の詩の朗読を」
こうやって、各教科で、なにかしら当てられる。目立たないようにしているつもりなんだけどね。僕は教科書を手に取って立ち上がり、指定されたページを開いた。
「――荒野に立つ影は、いまだ帰らぬ何かを待ち望む。風に舞う灰色の霧は、友の声、消えた日々の残響」
重く響くその詩は、僕が生まれるより前にあった『レギ大陸戦争』を生き延びただれかが作ったものだという。題名はない。ただ、戦後にこうして伝えられて、僕たちの元に届いたこと、それに多くの人が共感して広まったことだけが確かだ。
――いつまでだろう。
私の魂に抵抗が、
そして心にひねもす悲嘆が宿るのは。
剣を置いたこの手は、
なぜなおも戦の重みを知るのか。
夜の静寂はあまりにも深く、
星たちの光はあまりにも鋭い。
だが土から芽吹く草花は、囁くように歌う。
「歩め」と――命の尽きた大地に、新しい芽をつむげと。
戦場に裂かれた心を、
この地で癒せと。
いつまでだろう。
私の魂に抵抗が宿るのは。
その答えは、
たったひとつ、私が私へと与えねばならないのだ――
読み終えると、教室に微かなざわめきが戻った。だれかのため息が聞こえた。先生が「お上手でした、ありがとう」と言ったので僕は礼をして座った。
学校の授業は、ときどき冴えたことを教えてくれる。たまにだけいいこと言うレヴィ氏みたいに。
いつまでだろう、って思う悲嘆にだって、最終的に、自分で結論を出さなきゃいけない。戦争にまで行って、いろんな問題を抱えた人がそう考えたんだから、きっとそうなんだろう。
だから。
僕は、冬をグラス侯爵領へ戻って過ごすことに決めた。そして、自分の中で決着をつけよう。
ただ、少しだけ気がかりなことがあった。そのことを考えていたら、先生の詩の解説を聞き逃した。なんとなく解釈違いな雰囲気だったからべつにいいんだけど。顔と名前が一致していない男子生徒が当てられて、しどろもどろで答えていた。それもべつに正解じゃない。
正解なんてないのかもしれないけれど。この詩だって、もし書いた人に聞いたら、思いつきで適当に書いたって言うかもしれないじゃないか。
とりとめなく考えていて、でもノートは手が勝手に要点を書いていく。こういうことができてしまうから、かわいげがなくて好かれないんだろうな、僕は。
鐘が鳴って、この時間の終わりを告げた。先生が次の範囲を言って教室を出たら、僕ら生徒も散り散りになるけれど、今日は先生が出入り口に立ち止まってだれかと話していた。そして振り返って、あきらかに僕を見る。
「――ボーヴォワールくん。宰相閣――ご父兄がみえている」
教室内がざわめいて視線が僕に集まる。僕は無言で机の上を片付けて、みんなに見守られながら廊下へ出た。
オリヴィエ兄さんの姿はすぐにわかった。廊下の窓から見下ろしたら、中庭の中を揉み手でもしそうな校長に案内されている。少しだけため息をついて、そして僕は階段へと足を向けた。
「――なにしに来たのさ、兄さん」
僕が声をかけると、降りて来ているのがわかっていたのか、驚きもせずにこちらを見て兄さんは笑った。
「――話を、したくて」
冷や汗をかいていた校長が、空気になろうとしていた。
ふさわしい場所とかよくわかんないけど、なんか校長が応接間みたいなところへ案内しようとしたから僕は「いいです。二階に部屋があるから」と言って断った。僕が歩き出したら、オリヴィエ兄さんも後ろから着いて来ている。校長も来そうだったけれど、それは兄さんが丁重に断っていた。
半螺旋の階段を上がる。もういろんな教室から生徒たちが出てきていて、僕らはいい見モノだった。音楽室の前を通り過ぎて、その奥。白い扉。ノックには、いつもの声が答えた。
「はぁい、テオく……っとお! 宰相さんじゃないのお! おひさしぶりです!」
「おひさしぶりです、レヴィ氏。妻と弟がお世話になっております」
ふたりはガッツリ握手をした。仲がいいんだろうか。そんな印象ないけど。レヴィ氏はいつも通りに湯を沸かして、この部屋では定番の、苦いのに甘い香りの茶を淹れた。
僕はソファに座った。兄さんも、斜向かいの一人掛けソファに。なんで正面じゃないんだよ。よくわかんないけど、レヴィ氏がカップを僕たちの前のテーブルに置いた。そして僕の正面に座った。
「――例の件は、レヴィ氏には知らせているのか」
兄さんが静かに尋ねた。僕は茶を口に運びながら「一番最初に、相談した。他には、話してない」と言った。レオンも知ってるけど、形見としか言ってないから、数に入らないだろう。――言わずと知れた、ブリアック兄さんとジゼルさんの結婚指輪のこと。
オリヴィエ兄さんはちょっとだけ考えるような表情をして、茶のカップを口元に運んだ。メガネが一瞬で曇った。口に含んでテーブルに置いて、メガネのもやがなくなるころに僕へ向き直って尋ねて来る。
「……どうやって、存在を知った? 前から、おまえが取りに行くように言われていたのか?」
「怒らないで聞いてくれる?」
「もちろん」
その言葉が本当かどうかわかんないけど信じることにして、僕は「ジゼルさんから、受け取ってほしいって、たのまれたんだ」と言った。オリヴィエ兄さんが目を見開いた。
「おまえに、会いに来たと?」
「うん。学校にではないよ。いろんな人がいるところで、わかんないように声かけられた」
「なにか言っていたか?」
重ねて質問してくるオリヴィエ兄さんは、僕が想定していたよりも冷静だった。もし、これが、結婚指輪に関する話じゃなかったら、怒ったかもしれないけれど。
オリヴィエ兄さんも、僕と同じ結論を得たのだろう。――ジゼルさんは、ブリアック兄さんが、愛そうとした人だ。
「……アウスリゼを離れるって、言ってた。ここじゃもう、暮らせないって」
僕が言った言葉に、オリヴィエ兄さんは唇を結んだ。そして、あんまりその唇を動かさずに「他には。また連絡を取る約束はしたか?」と尋ねる。
「してない。好きに処分してほしいって。自分が受け取りに行くことほど、惨めなことはないって。それで、僕に」
「……そうか」
オリヴィエ兄さんもどうしたらいいかわからないんだと思う。僕も、ずっと悩んでいる。でも、今年の冬休みは、家へ帰ることに決めた。だから。
僕はオリヴィエ兄さんを見た。レヴィ氏は完全に空気になって、茶の甘い香りをたのしんでいる。兄さんが僕を見返したときに、僕は尋ねた。
「ねえ、国を出る準備って、どのくらいかかるものなの?」
「……どうだろうな。一般の事務についてはよくわからないが、外遊に行くときの手続きを考えたら、一週間くらいではないか」
「……じゃあ、まだ、居るかな。ジゼルさん」
僕がなにを言おうとしているのかわからないんだと思う。だからオリヴィエ兄さんはちょっと不安そうな表情で僕を見る。僕は、もう気持ちが定まって、そうするのがいいと思ったから、言った。
「ジゼルさん、探してよ。やっぱり、この指輪は彼女のものだから。受け取ってもらえなくてもいい。一度でも、見せたいんだ。これは――けじめとして」
沈黙が落ちた。この部屋の防音壁も通過する鐘の音が、次の授業の時間を知らせてくれた。茶はいつも通り苦くて、でもカフェの苦味とはまた違って、僕のあいまいさを払拭してくれた。
レヴィ氏の提案通り、ブリアック兄さんの指輪を預かったままで、時間が過ぎている。オリヴィエ兄さんから一度だけ『今度話そう』って連絡があった。きっと宝石店から、僕の手元に指輪があるってことが知らされたんだろう。僕は返事をしていない。もしかして僕に接触したことがバレたら、ジゼルさんが怒られるかもしれないって思ったのと、きっと、オリヴィエ兄さんも心の準備が必要だと思ったから。……僕よりも。
寮の部屋の、文机の引き出し奥に入れたまま。本当は貴重品をそんなところに置いてはいけないんだけれど。ときどき、箱を開いて眺めている。なんとなく。
レヴィ氏は、僕自身の将来を考えろって言った。でも指輪を見たときに想うのは、存在しない、けれどあり得たかもしれないブリアック兄さんの、将来。
窓の外では雪がちらついている。このままではいけないと思いながらそれを見る。瓦斯暖房で温められた部屋はとても快適だけれど、どこか肌寒いような、なにか足りないような気分で腕を抱く。
昼の休み時間終了の鐘が聞こえた。窓の下を、急いで校舎へと走って行く生徒の姿が通り過ぎる。鳴り終わっても、僕はちょっとの間、窓際から動けなかった。
僕自身の将来は、あの生徒が走った先にあるんだろうか。そんなことを考えた。
大幅に遅れて午後の授業に参加した。いつも通り教科担任はなにも言わなかった。僕の扱いは問題児ってよりも、繊細な硝子細工みたいな感じ。都合がいいからそれに準じている。
レオンが静かに手を上げて僕に振った。その席に座るのも、習慣になった。僕も小狡い人間になったなって思う。
前の学校が進学校だったからか、それともこの学校の水準を一般市民に合わせているからなのか、一年飛び級していても今のところ僕に授業内容の遅れはない。これだけサボってるのにね。冬休みを挟んで年明けにはどうなっているかはわからないけれど。きっとみんな、がっつり勉強してくるだろうから。雪国の冬なんて、雪かきか勉強くらいしかすることはないし。
冬休みの過ごし方を、どうしようか僕は迷っている。グラス侯爵領へ帰るか、このまま首都ルミエラで過ごすか。遠方から来ている学生の中には、実家へ帰らずに寮で過ごす者も多いんだ。中学生のときは、そうしたこともあったよ。どうせ雪に閉ざされて退屈なら、友だちと過ごしたかったし。ルミエラ市の方が除排雪の機能が回る程度の雪だからね。グラス侯爵領は一冬に二、三日、交通が麻痺する。もちろん最新の除雪機とか導入しているけれどね。降る量が尋常じゃないんだよ、ルミエラと較べたら。
それよりも――僕の心にかかっているのは、ただひとつだ。
もし、この冬、僕がグラス領に帰るとするなら。
目的は…………墓だ。
「では――では、ボーヴォワールくん次の詩の朗読を」
こうやって、各教科で、なにかしら当てられる。目立たないようにしているつもりなんだけどね。僕は教科書を手に取って立ち上がり、指定されたページを開いた。
「――荒野に立つ影は、いまだ帰らぬ何かを待ち望む。風に舞う灰色の霧は、友の声、消えた日々の残響」
重く響くその詩は、僕が生まれるより前にあった『レギ大陸戦争』を生き延びただれかが作ったものだという。題名はない。ただ、戦後にこうして伝えられて、僕たちの元に届いたこと、それに多くの人が共感して広まったことだけが確かだ。
――いつまでだろう。
私の魂に抵抗が、
そして心にひねもす悲嘆が宿るのは。
剣を置いたこの手は、
なぜなおも戦の重みを知るのか。
夜の静寂はあまりにも深く、
星たちの光はあまりにも鋭い。
だが土から芽吹く草花は、囁くように歌う。
「歩め」と――命の尽きた大地に、新しい芽をつむげと。
戦場に裂かれた心を、
この地で癒せと。
いつまでだろう。
私の魂に抵抗が宿るのは。
その答えは、
たったひとつ、私が私へと与えねばならないのだ――
読み終えると、教室に微かなざわめきが戻った。だれかのため息が聞こえた。先生が「お上手でした、ありがとう」と言ったので僕は礼をして座った。
学校の授業は、ときどき冴えたことを教えてくれる。たまにだけいいこと言うレヴィ氏みたいに。
いつまでだろう、って思う悲嘆にだって、最終的に、自分で結論を出さなきゃいけない。戦争にまで行って、いろんな問題を抱えた人がそう考えたんだから、きっとそうなんだろう。
だから。
僕は、冬をグラス侯爵領へ戻って過ごすことに決めた。そして、自分の中で決着をつけよう。
ただ、少しだけ気がかりなことがあった。そのことを考えていたら、先生の詩の解説を聞き逃した。なんとなく解釈違いな雰囲気だったからべつにいいんだけど。顔と名前が一致していない男子生徒が当てられて、しどろもどろで答えていた。それもべつに正解じゃない。
正解なんてないのかもしれないけれど。この詩だって、もし書いた人に聞いたら、思いつきで適当に書いたって言うかもしれないじゃないか。
とりとめなく考えていて、でもノートは手が勝手に要点を書いていく。こういうことができてしまうから、かわいげがなくて好かれないんだろうな、僕は。
鐘が鳴って、この時間の終わりを告げた。先生が次の範囲を言って教室を出たら、僕ら生徒も散り散りになるけれど、今日は先生が出入り口に立ち止まってだれかと話していた。そして振り返って、あきらかに僕を見る。
「――ボーヴォワールくん。宰相閣――ご父兄がみえている」
教室内がざわめいて視線が僕に集まる。僕は無言で机の上を片付けて、みんなに見守られながら廊下へ出た。
オリヴィエ兄さんの姿はすぐにわかった。廊下の窓から見下ろしたら、中庭の中を揉み手でもしそうな校長に案内されている。少しだけため息をついて、そして僕は階段へと足を向けた。
「――なにしに来たのさ、兄さん」
僕が声をかけると、降りて来ているのがわかっていたのか、驚きもせずにこちらを見て兄さんは笑った。
「――話を、したくて」
冷や汗をかいていた校長が、空気になろうとしていた。
ふさわしい場所とかよくわかんないけど、なんか校長が応接間みたいなところへ案内しようとしたから僕は「いいです。二階に部屋があるから」と言って断った。僕が歩き出したら、オリヴィエ兄さんも後ろから着いて来ている。校長も来そうだったけれど、それは兄さんが丁重に断っていた。
半螺旋の階段を上がる。もういろんな教室から生徒たちが出てきていて、僕らはいい見モノだった。音楽室の前を通り過ぎて、その奥。白い扉。ノックには、いつもの声が答えた。
「はぁい、テオく……っとお! 宰相さんじゃないのお! おひさしぶりです!」
「おひさしぶりです、レヴィ氏。妻と弟がお世話になっております」
ふたりはガッツリ握手をした。仲がいいんだろうか。そんな印象ないけど。レヴィ氏はいつも通りに湯を沸かして、この部屋では定番の、苦いのに甘い香りの茶を淹れた。
僕はソファに座った。兄さんも、斜向かいの一人掛けソファに。なんで正面じゃないんだよ。よくわかんないけど、レヴィ氏がカップを僕たちの前のテーブルに置いた。そして僕の正面に座った。
「――例の件は、レヴィ氏には知らせているのか」
兄さんが静かに尋ねた。僕は茶を口に運びながら「一番最初に、相談した。他には、話してない」と言った。レオンも知ってるけど、形見としか言ってないから、数に入らないだろう。――言わずと知れた、ブリアック兄さんとジゼルさんの結婚指輪のこと。
オリヴィエ兄さんはちょっとだけ考えるような表情をして、茶のカップを口元に運んだ。メガネが一瞬で曇った。口に含んでテーブルに置いて、メガネのもやがなくなるころに僕へ向き直って尋ねて来る。
「……どうやって、存在を知った? 前から、おまえが取りに行くように言われていたのか?」
「怒らないで聞いてくれる?」
「もちろん」
その言葉が本当かどうかわかんないけど信じることにして、僕は「ジゼルさんから、受け取ってほしいって、たのまれたんだ」と言った。オリヴィエ兄さんが目を見開いた。
「おまえに、会いに来たと?」
「うん。学校にではないよ。いろんな人がいるところで、わかんないように声かけられた」
「なにか言っていたか?」
重ねて質問してくるオリヴィエ兄さんは、僕が想定していたよりも冷静だった。もし、これが、結婚指輪に関する話じゃなかったら、怒ったかもしれないけれど。
オリヴィエ兄さんも、僕と同じ結論を得たのだろう。――ジゼルさんは、ブリアック兄さんが、愛そうとした人だ。
「……アウスリゼを離れるって、言ってた。ここじゃもう、暮らせないって」
僕が言った言葉に、オリヴィエ兄さんは唇を結んだ。そして、あんまりその唇を動かさずに「他には。また連絡を取る約束はしたか?」と尋ねる。
「してない。好きに処分してほしいって。自分が受け取りに行くことほど、惨めなことはないって。それで、僕に」
「……そうか」
オリヴィエ兄さんもどうしたらいいかわからないんだと思う。僕も、ずっと悩んでいる。でも、今年の冬休みは、家へ帰ることに決めた。だから。
僕はオリヴィエ兄さんを見た。レヴィ氏は完全に空気になって、茶の甘い香りをたのしんでいる。兄さんが僕を見返したときに、僕は尋ねた。
「ねえ、国を出る準備って、どのくらいかかるものなの?」
「……どうだろうな。一般の事務についてはよくわからないが、外遊に行くときの手続きを考えたら、一週間くらいではないか」
「……じゃあ、まだ、居るかな。ジゼルさん」
僕がなにを言おうとしているのかわからないんだと思う。だからオリヴィエ兄さんはちょっと不安そうな表情で僕を見る。僕は、もう気持ちが定まって、そうするのがいいと思ったから、言った。
「ジゼルさん、探してよ。やっぱり、この指輪は彼女のものだから。受け取ってもらえなくてもいい。一度でも、見せたいんだ。これは――けじめとして」
沈黙が落ちた。この部屋の防音壁も通過する鐘の音が、次の授業の時間を知らせてくれた。茶はいつも通り苦くて、でもカフェの苦味とはまた違って、僕のあいまいさを払拭してくれた。
20
あなたにおすすめの小説
「がっかりです」——その一言で終わる夫婦が、王宮にはある
柴田はつみ
恋愛
妃の席を踏みにじったのは令嬢——けれど妃の心を折ったのは、夫のたった一言だった
王太子妃リディアの唯一の安らぎは、王太子アーヴィンと交わす午後の茶会。だが新しく王宮に出入りする伯爵令嬢ミレーユは、妃の席に先に座り、殿下を私的に呼び、距離感のない振る舞いを重ねる。
リディアは王宮の礼節としてその場で正す——正しいはずだった。けれど夫は「リディア、そこまで言わなくても……」と、妃を止めた。
「わかりました。あなたには、がっかりです」
微笑んで去ったその日から、夫婦の茶会は終わる。沈黙の王宮で、言葉を失った王太子は、初めて“追う”ことを選ぶが——遅すぎた。
妻からの手紙~18年の後悔を添えて~
Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。
妻が死んで18年目の今日。
息子の誕生日。
「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」
息子は…17年前に死んだ。
手紙はもう一通あった。
俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。
------------------------------
お飾りの妻として嫁いだけど、不要な妻は出ていきます
菻莅❝りんり❞
ファンタジー
貴族らしい貴族の両親に、売られるように愛人を本邸に住まわせている其なりの爵位のある貴族に嫁いだ。
嫁ぎ先で私は、お飾りの妻として別棟に押し込まれ、使用人も付けてもらえず、初夜もなし。
「居なくていいなら、出ていこう」
この先結婚はできなくなるけど、このまま一生涯過ごすよりまし
思いを込めてあなたに贈る
あんど もあ
ファンタジー
ファナの母が亡くなった二ヶ月後に、父は新しい妻とその妻との間に生まれた赤ん坊を家に連れて来た。義母は、お前はもうこの家の後継者では無いと母から受け継いだ家宝のネックレスを奪うが、そのネックレスは……。
はじめまして、私の知らない婚約者様
有木珠乃@『ヒロ弟』コミカライズ配信中
ファンタジー
ミルドレッド・カーマイン公爵令嬢は突然、学園の食堂で話しかけられる。
見覚えのない男性。傍らには豊満な体型の女性がいる。
けれどその女性から発せられた男性の名前には、聞き覚えがあった。
ミルドレッドの婚約者であるブルーノ王子であることを。
けれどミルドレッドの反応は薄い。なぜなら彼女は……。
この世界を乙女ゲームだと知った人々による、悪役令嬢とヒロイン、魔女の入れ替え話です。
悪役令嬢を救いたかったはずなのに、どうしてこんなことに?
※他サイトにも掲載しています。
夫と息子に邪険にされたので王太子妃の座を譲ります~死に戻ってから溺愛されても今更遅い
青の雀
恋愛
夫婦喧嘩の末に置き去りにされた妻は、旦那が若い愛人とイチャついている間に盗賊に襲われ、命を落とした。
神様の温情により、10日間だけこの世に戻った妻と護衛の騎士は、その10日間の間に心残りを処分する。それは、娘の行く末と……もし、来世があるならば、今度は政略といえども夫以外の人の妻になるということ。
もう二度と夫と出会いたくない彼女は、彼女を蔑ろにしてきた息子とも縁を切ることを決意する。
生まれかわった妻は、新しい人生を強く生きることを決意。
過去世と同じ轍を踏みたくない……
三十年後に届いた白い手紙
RyuChoukan
ファンタジー
三十年前、帝国は一人の少年を裏切り者として処刑した。
彼は最後まで、何も語らなかった。
その罪の真相を知る者は、ただ一人の女性だけだった。
戴冠舞踏会の夜。
公爵令嬢は、一通の白い手紙を手に、皇帝の前に立つ。
それは復讐でも、告発でもない。
三十年間、辺境の郵便局で待ち続けられていた、
「渡されなかった約束」のための手紙だった。
沈黙のまま命を捨てた男と、
三十年、ただ待ち続けた女。
そして、すべてを知った上で扉を開く、次の世代。
これは、
遅れて届いた手紙が、
人生と運命を静かに書き換えていく物語。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる
