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領境の街・リッカー=ポルカ
61話 わたしのすべきこと
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お名刺をくださいました。ノエミ・サューキさん。なんて読むんですか。さゅーき。ノエミさんでいいですね。はい。
なんだか人手が足りていないのか、ノエミさんがここの事務所を取り仕切っているようです。そのうえバスの運転もされるそうです。だいじょうぶですかここの事務所の運営体制。それでわたしが送り込まれたんですか。レテソルにいっぱい人いたやん。なんで派遣しないの。なんでわたしを。わたしが来たいって言ったからですね、はいわかりました。
いただいてきた信任状とお手紙を渡しました。開封してじっと読まれます。視線が左右に動くのを見るともなしに見ていたら、すっとこちらをご覧になって目が合いました。
「あなた……あの演説やった外国人さんなんだ?」
身に覚えがなさすぎて固まりました。なにそれ。わたしいつの間にそんなことしたの。いやしてないし。わたしがなにも返せないでいると、ノエミさんはすたすたと事務所の奥へ行かれ、書棚からファイルみたいのを取り出しました。で、持ってきて開いて見せてくれました。
「ロランスのやつ……あいつ、あたしの元部下だけど。たしかに、『健康ではつらつとした女性』送ってとは申請だしたけどね……」
新聞記事のスクラップ。日付を確認すると、三カ月近く前ですね。わたしがカチカチ始めてまもないころです。「これよ」と指をさされた少し小さめ切り抜きのタイトルに目をやって、無事死亡しました。
----------
アウスリゼを愛する異国の乙女
「努力する人々が住む美しい国」
----------
寄稿者は『ピエロ・ラブレ』。……経団連フォーラムのことかあああああああああああああああ‼
わたしが言ったことなんですけど。たしかにわたしの発言なんですけど。たとえ小さい記事だとしてもこう、なんかこう、文字起こしされてしまうと、なんかこう。なんか……。はじゅかちっ。
「あなたの言葉はね……なんていうか、ありがたかったわよ。今アウスリゼ国内、こんなんだから。きれいなんて言ってもらえて」
どこか遠くを見るように発せられたその言葉にひっかかるものがあって、わたしはノエミさんを見ました。ノエミさんはわたしを見返して、「来てくれてありがとう、うれしかったわ。明日の朝の、長距離バスでレテソルへ戻ってちょうだい」とはっきりおっしゃいました。
「えええええ⁉ 不採用ですか⁉」
「そう。まさか外国人が、しかも、アウスリゼを愛してくれているあなたが、来るとは思わなくて」
ノエミさんはちょっと笑って「なにもないから、もてなせなくてごめんね。本当なら、盛大に歓迎会でもしたいんだけど」とおっしゃいました。わたしは全力で困って、「え、どうしてだめですか、外国人だと都合が悪いんですか?」と食い下がりました。
「そうね、とても都合が悪いわ。……だれだってね、『好き』って言ってくれる人に、自分の嫌なところなんて見せたくないじゃない? そんな感じ」
とりあえず今日はここに泊まって、と、部屋へ連れて行ってくれました。寮というか、交通局事務所の部屋をいくつか宿泊できるように改装してあるようです。ぜんぜん人気がないので「他に職員さんはいないんですか?」とお尋ねしたところ、職員は地元民以外ほぼ引き揚げて、今はノエミさんがリッカー=ポルカ交通局全体を統括・管理しているとのことでした。
「ごめんね、あなた以外を派遣してくれるよう、ロランスに手紙を書くわ。それを持ってもう一度レテソル事務所に行ってくれる? あいつ、まだ下っ端だからきっと把握していなかったのよ。今、ここがどういう状況か」
……レテソルの事務所では、リッカー=ポルカでの仕事を差し止めていると言っていました。ロランスさんは、再開発中だからって納得されていましたけど。ここまでくるとさすがにわたしだって察します。
「――あの……もしかして、やっぱり……なるんですか、戦争」
「まだよ」
言葉にして声に出すと、ぞわりと腕が泡立ちました。けれどすぐにはっきりと、首を振ってノエミさんが言ってくれて、少しだけほっとして。でも、『まだ』なんだ。なるんだ。ここ、領境だから戦線になるんだ。……ゲームでは、街のことなんて考えずにプレイしていたけど。
「民間には、今の状況は秘されているわ。あたしたちみたいな、一部の人間だけが知ってる。ね? あなたを、こんなことに巻き込みたくないの。……アウスリゼの、嫌なところなんて見せたくないのよ」
自分がこれから為そうとしていることの重さを感じて、わたしはバッグを持った拳を握り込みました。
――ぜったいに、止めなきゃ。マディア北東部事変。
「戻りません」
わたしは、はっきりとそうお伝えしました。ノエミさんは困ったような、でも少し怒っているような顔で、わたしに「だめよ」とおっしゃいました。
「まだ戦争になるわけでもないんですよね? それに、一カ月だけのお仕事ですよね? わたしにだってできます、やらせてください」
「状況なんて、いつどう変わるかわからないわ。あたしたちだって、そのときには対処できないかもしれない。その言葉だけで十分よ、ありがとう」
「ノエミさんが」
わたしは、言葉を探して息を吸いました。なんて、なんて言えばいいだろう。なんて伝えれば、ここに残れるだろう。
「――ノエミさんが、ここにいるのはどうしてですか」
「あたしには、ここに残ってすべきことがあるからよ」
「それは、わたしがいただいた一カ月のお仕事と関係ありますか」
「まあね」
「『健康ではつらつとした女性』が必要?」
「それが一番いいかと思ったけど、この際、だれでもいいわ。ここにいる人、誰かに頼んでみる」
「じゃあ、わたしに頼んでください」
「あのねえ、ソノコ。あたしの話聞いてた?」
「聞いてたからです。聞いちゃったからです。大好きなアウスリゼが、たいへんなことになるかもしれない瀬戸際だって、聞いちゃったからです。わたし、もう外国人じゃないです。移民査証をもらって、もうアウスリゼに籍があるひとりのアウスリゼ国民です。自分の国が、自分が住んでいるこの美しい場所が、たいへんなことになるって聞いて、引き下がれるわけ、ないじゃないですか!」
息、切れ切れです。経団連フォーラムのときみたいですね。でも、今の方がずっと切実で、自分ごとで、はっきりとした手触りの実感です。
――こうやって、ゲームでは見えなかった人たちがいる。
ゲームの画面には映らなかった人たち、わたしがプレイしていたシミュレーション盤面では描かれなかった人たちが。それぞれが必死に、自分にできることを探して、生きて。
「わたし、頑固ですよ。お仕事させてくれるまで居座りますから。諦めてください」
泣きそうな表情でノエミさんはわたしをご覧になりました。ちょっとなにかを言いかけて、それからぎゅっとハグされて、「お仕事の話をしていい?」と言われました。「はい、お願いします!」とわたしが答えると、もう一度ぎゅっとされて、離れました。
「――今、リッカー=ポルカは、なるかもしれない事態に備えているわ。少しでも被害が少なくなるように、重要文化財を保護したり、建物を耐火性の塗料で補強したり。動けて敏い若者たちはみんな移動して、残っているのはほとんど、行くあてのない人か老人たちよ。ここが地元で、蒸気バスなんて乗ったことがない人ばかり」
それで、人通りがぜんぜんなかったんですね。……再開発って、戦争に向けて状況を整えることだったんだ。事の大きさに、わたしは奥歯を噛みしめました。
「あなたのお仕事は、乗客がバスに慣れるまでの期間限定の車掌。運転手は、あたし。……今から一カ月、有事に向けて避難訓練をするわ。もし事が起きたとき、リッカー=ポルカに残っている住民を全員回収し、逃げる。マディア領交通局、リッカー=ポルカ事務所の使命よ」
きっとシナリオが、少しずつ違う。ゲーム通りじゃない。マディア北東部事変がまだ起こっていないから、それさえ食い止めればどうにかなると、短絡的な考えでここまでやってきてしまったけれど。現場がここまで緊迫した状況になっているなんて、想像もしていなかった。
レアさんがシナリオから弾かれて、ジルが組み込まれた。そして、わたしがいる。それだけで、きっとぜんぜん違う状況になっていることは想定できたはずなのに、どこが知識チートなんだろう。笑ってしまう。ゲーム知識なにひとつ活用できていないじゃない、わたし。
「――あなたみたいに頑固なおじーちゃんおばーちゃんばっかりよ? 説得して、なだめすかして、その気にさせて、乗ってもらうの。いざというとき、ためらいなく乗ってもらえるように、蒸気バスは怖くないって知ってもらうの。有事に備えてるなんて悟らせないように、笑顔で。できる?」
「はい、せいいっぱい、お勤めさせていただきます!」
避難訓練が、ただの訓練で終われるように。わたしは、わたしがすべきことをしよう。
「ありがとっ」
ノエミさんがくしゃっと顔をゆがめておっしゃいました。握手して、もう一度ハグして、二人でちょっとだけ泣いて、今日の晩ごはんは豪華にしようっていうノエミさんの言葉に、わたしは「やったー」と言いました。
なんだか人手が足りていないのか、ノエミさんがここの事務所を取り仕切っているようです。そのうえバスの運転もされるそうです。だいじょうぶですかここの事務所の運営体制。それでわたしが送り込まれたんですか。レテソルにいっぱい人いたやん。なんで派遣しないの。なんでわたしを。わたしが来たいって言ったからですね、はいわかりました。
いただいてきた信任状とお手紙を渡しました。開封してじっと読まれます。視線が左右に動くのを見るともなしに見ていたら、すっとこちらをご覧になって目が合いました。
「あなた……あの演説やった外国人さんなんだ?」
身に覚えがなさすぎて固まりました。なにそれ。わたしいつの間にそんなことしたの。いやしてないし。わたしがなにも返せないでいると、ノエミさんはすたすたと事務所の奥へ行かれ、書棚からファイルみたいのを取り出しました。で、持ってきて開いて見せてくれました。
「ロランスのやつ……あいつ、あたしの元部下だけど。たしかに、『健康ではつらつとした女性』送ってとは申請だしたけどね……」
新聞記事のスクラップ。日付を確認すると、三カ月近く前ですね。わたしがカチカチ始めてまもないころです。「これよ」と指をさされた少し小さめ切り抜きのタイトルに目をやって、無事死亡しました。
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アウスリゼを愛する異国の乙女
「努力する人々が住む美しい国」
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寄稿者は『ピエロ・ラブレ』。……経団連フォーラムのことかあああああああああああああああ‼
わたしが言ったことなんですけど。たしかにわたしの発言なんですけど。たとえ小さい記事だとしてもこう、なんかこう、文字起こしされてしまうと、なんかこう。なんか……。はじゅかちっ。
「あなたの言葉はね……なんていうか、ありがたかったわよ。今アウスリゼ国内、こんなんだから。きれいなんて言ってもらえて」
どこか遠くを見るように発せられたその言葉にひっかかるものがあって、わたしはノエミさんを見ました。ノエミさんはわたしを見返して、「来てくれてありがとう、うれしかったわ。明日の朝の、長距離バスでレテソルへ戻ってちょうだい」とはっきりおっしゃいました。
「えええええ⁉ 不採用ですか⁉」
「そう。まさか外国人が、しかも、アウスリゼを愛してくれているあなたが、来るとは思わなくて」
ノエミさんはちょっと笑って「なにもないから、もてなせなくてごめんね。本当なら、盛大に歓迎会でもしたいんだけど」とおっしゃいました。わたしは全力で困って、「え、どうしてだめですか、外国人だと都合が悪いんですか?」と食い下がりました。
「そうね、とても都合が悪いわ。……だれだってね、『好き』って言ってくれる人に、自分の嫌なところなんて見せたくないじゃない? そんな感じ」
とりあえず今日はここに泊まって、と、部屋へ連れて行ってくれました。寮というか、交通局事務所の部屋をいくつか宿泊できるように改装してあるようです。ぜんぜん人気がないので「他に職員さんはいないんですか?」とお尋ねしたところ、職員は地元民以外ほぼ引き揚げて、今はノエミさんがリッカー=ポルカ交通局全体を統括・管理しているとのことでした。
「ごめんね、あなた以外を派遣してくれるよう、ロランスに手紙を書くわ。それを持ってもう一度レテソル事務所に行ってくれる? あいつ、まだ下っ端だからきっと把握していなかったのよ。今、ここがどういう状況か」
……レテソルの事務所では、リッカー=ポルカでの仕事を差し止めていると言っていました。ロランスさんは、再開発中だからって納得されていましたけど。ここまでくるとさすがにわたしだって察します。
「――あの……もしかして、やっぱり……なるんですか、戦争」
「まだよ」
言葉にして声に出すと、ぞわりと腕が泡立ちました。けれどすぐにはっきりと、首を振ってノエミさんが言ってくれて、少しだけほっとして。でも、『まだ』なんだ。なるんだ。ここ、領境だから戦線になるんだ。……ゲームでは、街のことなんて考えずにプレイしていたけど。
「民間には、今の状況は秘されているわ。あたしたちみたいな、一部の人間だけが知ってる。ね? あなたを、こんなことに巻き込みたくないの。……アウスリゼの、嫌なところなんて見せたくないのよ」
自分がこれから為そうとしていることの重さを感じて、わたしはバッグを持った拳を握り込みました。
――ぜったいに、止めなきゃ。マディア北東部事変。
「戻りません」
わたしは、はっきりとそうお伝えしました。ノエミさんは困ったような、でも少し怒っているような顔で、わたしに「だめよ」とおっしゃいました。
「まだ戦争になるわけでもないんですよね? それに、一カ月だけのお仕事ですよね? わたしにだってできます、やらせてください」
「状況なんて、いつどう変わるかわからないわ。あたしたちだって、そのときには対処できないかもしれない。その言葉だけで十分よ、ありがとう」
「ノエミさんが」
わたしは、言葉を探して息を吸いました。なんて、なんて言えばいいだろう。なんて伝えれば、ここに残れるだろう。
「――ノエミさんが、ここにいるのはどうしてですか」
「あたしには、ここに残ってすべきことがあるからよ」
「それは、わたしがいただいた一カ月のお仕事と関係ありますか」
「まあね」
「『健康ではつらつとした女性』が必要?」
「それが一番いいかと思ったけど、この際、だれでもいいわ。ここにいる人、誰かに頼んでみる」
「じゃあ、わたしに頼んでください」
「あのねえ、ソノコ。あたしの話聞いてた?」
「聞いてたからです。聞いちゃったからです。大好きなアウスリゼが、たいへんなことになるかもしれない瀬戸際だって、聞いちゃったからです。わたし、もう外国人じゃないです。移民査証をもらって、もうアウスリゼに籍があるひとりのアウスリゼ国民です。自分の国が、自分が住んでいるこの美しい場所が、たいへんなことになるって聞いて、引き下がれるわけ、ないじゃないですか!」
息、切れ切れです。経団連フォーラムのときみたいですね。でも、今の方がずっと切実で、自分ごとで、はっきりとした手触りの実感です。
――こうやって、ゲームでは見えなかった人たちがいる。
ゲームの画面には映らなかった人たち、わたしがプレイしていたシミュレーション盤面では描かれなかった人たちが。それぞれが必死に、自分にできることを探して、生きて。
「わたし、頑固ですよ。お仕事させてくれるまで居座りますから。諦めてください」
泣きそうな表情でノエミさんはわたしをご覧になりました。ちょっとなにかを言いかけて、それからぎゅっとハグされて、「お仕事の話をしていい?」と言われました。「はい、お願いします!」とわたしが答えると、もう一度ぎゅっとされて、離れました。
「――今、リッカー=ポルカは、なるかもしれない事態に備えているわ。少しでも被害が少なくなるように、重要文化財を保護したり、建物を耐火性の塗料で補強したり。動けて敏い若者たちはみんな移動して、残っているのはほとんど、行くあてのない人か老人たちよ。ここが地元で、蒸気バスなんて乗ったことがない人ばかり」
それで、人通りがぜんぜんなかったんですね。……再開発って、戦争に向けて状況を整えることだったんだ。事の大きさに、わたしは奥歯を噛みしめました。
「あなたのお仕事は、乗客がバスに慣れるまでの期間限定の車掌。運転手は、あたし。……今から一カ月、有事に向けて避難訓練をするわ。もし事が起きたとき、リッカー=ポルカに残っている住民を全員回収し、逃げる。マディア領交通局、リッカー=ポルカ事務所の使命よ」
きっとシナリオが、少しずつ違う。ゲーム通りじゃない。マディア北東部事変がまだ起こっていないから、それさえ食い止めればどうにかなると、短絡的な考えでここまでやってきてしまったけれど。現場がここまで緊迫した状況になっているなんて、想像もしていなかった。
レアさんがシナリオから弾かれて、ジルが組み込まれた。そして、わたしがいる。それだけで、きっとぜんぜん違う状況になっていることは想定できたはずなのに、どこが知識チートなんだろう。笑ってしまう。ゲーム知識なにひとつ活用できていないじゃない、わたし。
「――あなたみたいに頑固なおじーちゃんおばーちゃんばっかりよ? 説得して、なだめすかして、その気にさせて、乗ってもらうの。いざというとき、ためらいなく乗ってもらえるように、蒸気バスは怖くないって知ってもらうの。有事に備えてるなんて悟らせないように、笑顔で。できる?」
「はい、せいいっぱい、お勤めさせていただきます!」
避難訓練が、ただの訓練で終われるように。わたしは、わたしがすべきことをしよう。
「ありがとっ」
ノエミさんがくしゃっと顔をゆがめておっしゃいました。握手して、もう一度ハグして、二人でちょっとだけ泣いて、今日の晩ごはんは豪華にしようっていうノエミさんの言葉に、わたしは「やったー」と言いました。
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