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 マディア公爵邸にて

109話 どうか良い方向へ

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 部屋に戻ってから、料理長さんからいただいたパン耳ラスクを持ってお庭に出ました。東側の南側のちっちゃい噴水みたいなのがあるところ。庭師さんに挨拶して、噴水の近くにしゃがんで、くるくる言っている鳩に小さくしたラスクをちょっとあげました。四羽しかいなかったのにうわっとたくさんやってきました。「ぜんぶはやらん!」と宣言して、わたしは見張りさんに不人気だったバター調理のラスクをもぐもぐしました。おいしい。たぶん揚げたてのときより味が落ち着いている。着いてきていたアベルはなにも言いませんでした。アベルが着ると全身よろいは音がしません。
 なんて無力なんだろうなあ、と思います。やれることはぜんぶやってきた。とりこぼして空回りして、それでもなんとか前進してきた。たぶんほかにいろいろ賢いやり方はあったのだろうと思うけれど、わたしのせいいっぱいはこの道だった。だけど、行き止まりだった。
 鳩の無垢な瞳が一斉にわたしを注目しています。くるっぽーくるっぽー。アウスリゼでも鳩って同じ鳴き方するんですね。
 鳩の群れの中から、アベルがわたしを拾い上げました。近くのベンチまで持っていかれて座らせられます。アベルも隣に座って、かぶとを外しました。「俺にもくれよ」と手を出してきたので、五個その上にのせました。しばらく無言でもぐもぐしました。鳩が足元に襲来しました。

「俺さ、おまえすごいなーって思うところがあるんだけど」

 もぐもぐ材料がなくなったのでアベルが話しはじめました。わたしはパン耳が入った油紙を差し出しました。二個とってもぐもぐしました。

「自分のためだけじゃなくて、他人のためにも泣けるとこ」

 泣いていいのは、わたしじゃない。
 食べ終わったので、油紙をたたんでポケットに入れました。

 ミュラさんへお手紙を書きました。封をして出しました。一時間後には、封をしたままのお返事がきました。
 状況は把握していること。ミュラさんの側でも動いていること。なにも心配しなくてもいいというやさしい言葉と、体調を心配してくれる言葉。わたしの中に書き連ねられた理想ばかりの未来展望は、足元をマッピングすらできませんでした。
 夕飯のあたりに、メラニーの先生から言付けがありました。謝罪を受け取るとのことでした。「ありがとうございます」とメッセンジャーさんに頭を下げました。アベルが夜勤の方と交代して、一日が終わっていきました。ほとんど眠れずに朝を迎えました。

 おはようございます。朝食前にラジオ体操第四を完成させました。文机の上に飾ったタツキはまだ生き生きとしていて、花言葉はきっとド根性だろうな、と思いました。悩んでも仕方がないことを悩むだけ頭がすっきりしていません。おかげさまで午前中をぼーっと過ごせました。朝食にレテソルでは一般的なオレンジソースのサラダが出てきました。おいしかったです。
 お昼に差しかかる前、クロヴィスが布告を出して招集されたお医者さんの第一陣がマディア邸に到着しました。四人と伺いました。全員で六人になるそうです。そして、午後。

「ミタ様。主がお呼びです、至急いらしてください」

 家令さんがいらっしゃいました。わたしはラジオ体操第五の必要性について考えていました。呼び出されたのはいつもとは違うお部屋で、王座の間みたいな印象がある、接見のためのお部屋です。クロヴィスは奥の檀上の椅子に座り、入室したわたしを見てうなずきました。

「ミタ嬢、あなたはこちらへ」

 右手側を差し出されて、そこに立ちます。よろいじゃないアベルが警備で入り口のあたりにいるのが見えました。そして、入室が宣言されて入ってきたのは、『アウスリゼ王国特派弁理公使エルネスト・ミュラ氏』でした。
 公式な文官としての衣装をまとい、中ほどまで歩いてきてひざまずき首を垂れます。わたしはひさしぶりに見るミュラさんの姿にびっくりするとともに、ちょっとやせたな、と思いました。

「顔をあげよ」

 クロヴィスが低い声で言いました。ミュラさんはそのままの姿勢でまっすぐにクロヴィスを見ました。「公使としての正式なおとない、いかがなされたか」と、クロヴィスが端的に尋ねました。

「マディア公爵閣下へごあいさつ申し上げます。アウスリゼ王国ラファエル国王陛下より、閣下へお言葉があります」
「拝聴しよう」
「『あなたの兄弟であるルミエラより、親愛なるマディアへあいさつを送る。私がマディアの幸福と安ねいに心を砕いていることをお伝えする。騒乱を伴う報せがあるが、それは互いの厚生を損なうものとはならないであろう。また、マディア公夫人を衷心よりお見舞い申し上げる。そのゆえに三人の医師をそちらへ派遣する。健やかであるように。』」

 沈黙が落ちました。

 ミュラさんがふところから書状を取り出し、それをクロヴィス側の文官が差し出した豪華なトレイみたいのに載せました。文官さんはクロヴィスの前まできてひざまずき、それを掲げます。クロヴィスはそれを受け取り、開いて中身を確認しました。そして「……賜った」と述べました。
 ミュラさんが立ち上がって二度礼をして下がりました。その際にちらりとわたしをご覧になった気がします。わたしは元気です。接見はそれで終わりでした。

 ずっと詰めていた息をいっぺんに吐きました。クロヴィスが「ミタ嬢」と声をかけてきたので、「はいなんでしょう」とお返事しました。

「この三人の名を見たことがあるか」

 書状を差し出してわたしに見せてくれます。いいんでしょうか。王様からのお手紙ですが。拝見して「正直、さっぱりわかりません」と言うと、クロヴィスが笑いました。

「――あなたは、なんでも知っているように思っていた」
「さすがにそれはないですねー、すみません」
「いや、いい。医師団に確認すればすむことだ」

 そう言うとクロヴィスはなにかを考え込むように沈黙して、しばらくのちに声を上げました。

「――王国直轄領にある隊を、領境まで下げよ。医師を迎えに行く」

 思わずへんな声が出ました。

 おはようございます。次の日です。
 有言即実行クロヴィスは、昨日のうちに領境へ向かいました。お医者さんたちは国内有数の超有名人だったようです。しかし、どちらかと言えば臨床ではなく研究側の方たちだそうで。そうですね、現役すご腕臨床医は、マディア領内からかき集めてきましたからね。必要なのは知恵や知識だということなんでしょう。すごいね。賢い人たちの考えることって無駄がない。
 メラニー医師団には、メラニーの主治医の先生が加わっていました。すごくうれしかった。
 わたしにできることはなにもないけれど、すべてはわたしひとりで為していくことではないのだ、と気づけました。
 そう、ここには、みんながいる。それぞれの幸せをつかむために前へと身を伸ばしている、美しい人たちが。
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