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『三田園子』という人

198話 もう半過ぎてんじゃーん

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「――地毛だ!」

 朗々とした声ではっきりとした返答がありました。すごい、生まれて初めての父娘の会話がカツラ疑惑。わたしが振ったんだけど。勇二兄さんがなぜかめちゃくちゃ動揺して挙動不審で手を上げ下げしていました。落ち着いて、あなたは無事よ。
 とりあえずわたしは、要件を言って帰ろうと思います。はい。

「よかったです! じゃあちょっとくらいなくなってもいいですよね?」
「なんの話だ、いったい⁉」
「髪の毛、くださいませんか。毛根から。勇二兄さんも」

 勇二兄さんの目にちょっとだけ恐怖が浮かび、「なに、どういうこと?」と早口で尋ねられました。わたしは、小田原で温泉に浸かりながら考えたことを口にしました。

「一希兄さんからももらったんです。毛。同意書も書いてもらいました。念のために四枚。――とりあえず、わたしたち、DNA鑑定しませんか?」

 いっしゅん、部屋から音が消えました。はい。
 勇二兄さんが、とても悲しそうな目をしました。まあ、兄さんは、母がなんて言ってたか知らないからね。
 母によると、わたしは不貞の子だというウワサがあったとのことです。わたしを徹底的に疎んじたのは、そういうことなんだととても納得が行きました。なので、確認。ぶっちゃけ、今対面していて、この人がわたしの血縁じゃないって言う方がちょっと説得力ないな、くらいには思っているけれど。
 もしかしたら、義嗣さんもそう思っているのかもしれません。わたしの顔をじっと見ています。そして「なぜだ」と形ばかりの質問をされました。

「なぜもなにも、あなたはずっと良恵さんの浮気を疑っていて、それであんな風にひとりで小田原に引きこもるような生活をさせているんでしょう?」
「ええ⁉」

 さすがに勇二兄さんがかなりの大声で驚きました。まあただの推測なんですけど。――でもまあ、当たってますよね。義嗣さんの沈黙を見る限り。

「――だから、調べましょう? お互い、その方がすっきりしますよね? あとくされなく今後を生きて行くには、疑問や疑惑ってない方がいいし。あ、複数の場所に提出して調べてもらえるように、一希兄さんからは多めにもらってますので。毛根から」
「……なぜだ? なぜ、今になって」
「だいじょうぶです、あなたの娘ですーって主張したいわけではないので。あなたの権利や生活をおびやかすつもりはまったくありません。ただ、わたしがずっと疑惑の人間として記憶されるのが、ムナクソなだけです」

 わたしは肩にかけていた黒バッグから、わたし名義の通帳と印鑑、解約に必要な委任状を取り出しました。そして、義嗣さんのデスクへと歩み寄って、それを置きます。

「お返しします」

 わたしが、福岡へ行ってから、毎月振り込まれたお金です。一度も手をつけていません。なんでか知らないですけど、未だに入金が続いていました。来る前にいちおう記帳してびびった。
 義嗣さんは、じっと通帳を見下ろしていました。そして「それはおまえのものだ」とおっしゃいましたが、わたしは「いりません」と言いました。

「あなたに、お世話になるつもりは、今も昔も今後もありません。白黒つけましょう。それで、終わりにしましょう。たとえ血縁関係が証明されても、わたしはあなたを家族に選びません」

 背後から、勇二兄さんがひゅっと喉を鳴らした音が聞こえました。
 結局、わたしと義嗣さんとで、それぞれ違う業者さんへ提出することで話がまとまりました。まとまりましたというか、まとめました。話が進まないので。一希兄さんの毛髪サンプルはちゃんと小さいジップロックふたつに分けてあります。そして、義嗣さんと勇二兄さんからそれぞれもらって、わたしも義嗣さんへ、その場で抜いて提出して。
 同意書もしっかり、それぞれの分を作成し、準備は整いました。

「じゃ、おじゃましました。結果届いたらまたご連絡差し上げます」

 そう言ってさくっと部屋を出ようとしました。が、ドアが開かなくて、勇二兄さんがうしろから助けてくれました。ありがとうございます。
 秘書の加藤さんが一礼してわたしたちを見送りました。あの人もたぶんわたしのこと、思ったより似ているとか考えてたんだろうなー、などと思いました。検査にかかる時間は、提出してからだいたい一週間。うーん、長い。しかたがないけど。
 勇二兄さんのお部屋に戻って。真くんさんがなぜかキリッとした顔で「首尾は?」と聞いてきたのでわたしもキリッと「上々です」と答えました。はい。

「じゃあ、わたしこれ提出しちゃいたいので、これで失礼しますね」
「……ちょっとまってくれ。……待って」

 勇二兄さんが頭を抱えながら応接ソファに沈みました。真くんさんが「お茶煎れるー、一服くらいしていきなよー」とおっしゃってどこかへ消えました。とりあえず向かい側の椅子に座ります。

「……ねえ、ちょっと。ちょっと、どういうこと。説明して」
「んー? べつに特別説明することもないんですけどねえ?」

 母である良恵さんが、わたしに言ったことを伝えました。わたしが義嗣さんの子どもじゃないってウワサされたということ。
 わたしが生まれた当時のことなんて、わたしと勇二兄さんにわかるわけがありません。一希兄さんもその当時のことはわからないとしながら、「母が、父から冷遇されているのは確かだ」と言いました。そして不貞に関する憶測も、まったく聞いたことがないとは言えないと。

「――母は、あの通り、実年齢にしてみたら若く見えるからね。金をかけているからだけど。昔から、華があって、なにかしらのイベントでは特別目立つ人だった。父はなにも言わないけれど、いろいろ思うところはあるのだろう。別居して、たぶん二十年にはなると思う」

 帰りの車の中でそんなことを説明してくれました。なので、快く毛根を犠牲にしてくれました。
 二十年って、わたしがまだ低学年のころで。勇二兄さんが中学受験勉強最高潮のときですね。二人とも東京にいたのに別居とか、家賃たいへんですよね。庶民感想しか出てこない。
 たぶん、小田原で子どもたちといっしょに住まないで東京に残っていたのは、良恵さんなりの意地とかだったのかな、と想像しました。それとも、離れた心を食い止めようとしていたのかな。わからないな。いずれにせよ、同居していたらヒステリーがすごそうなので、義嗣さんにひっついてくれていてよかった、と思うなどしました。はい。薄情者ですみません。
 そんな、憶測混じりなことを憶測込みですと告げて説明しました。真くんさんが「まじでぇ?」とお茶を出してくれました。どこから聞いてたの。

「……そうか。それで、DNA鑑定か」
「えっ、そんなんするの⁉」
「……兄貴も同意の上で、四人の」
「さすがに、良恵さんがわたしたちを産んだことまでは疑問を差し挟むことはないと思うのでー。わざわざサンプルもらいに行くのもやだし」

 お茶おいしい。これめっちゃいいやつだ。わたしにはわかる。勇二兄さんはうなだれて、そして「これから提出に行くの、園子?」と尋ねてこられました。

「はい。なんか窓口でもキット売ってくれるみたいなんで」
「どこ?」
「足立区です」
「よし、行こう」
「ちょー! ちょー! ちょーっと待って勇二、十六時半に佐伯さん!」
「間に合うだろ」
「ギリすぎるでしょ!」

 真くんさんが秘書っぽいところを初めて見ました。びっくりしました。はい。「言い訳はおまえの得意技だろ、たのんだわ」と言って勇二兄さんは立ち上がり、デスクへ車のキーを取りに行きました。ふあ、ちょっと待って、お茶飲みきれない。
 ちょっとだけ雨が降ったようでした。道が混んでいて。でもショートカットしまくって十五時四十分ごろには鑑定をしてくれるラボに着いていました。勇二兄さん運転も上手いんだな。これも一希兄さんに仕込まれたのかな。そんな気がするな。
 窓口へ行って、もろもろ提出して。お支払いもニコニコ現金払いで。勇二兄さんが「どうか、俺にも出させてほしい」と懇願してこられたので、一希兄さんからも預かったお金と合わせて、仲良く割り勘しました。残ったお金は、いっしょに美味しいもの食べようってことで。

「――園子は、すごいな」

 帰りの車を走らせながら、勇二兄さんがぽつりとつぶやきました。なにがでしょうか。「俺は、とてもではないけれど、父へあんな風に口をきけない」と言われて、これはちょっと反省した方がいいのだろうかと我が身を振り返りました。はい。

「……なんでも、物怖じせずに、決めたらその通りに行動して。すごいなって思う。まぶしいよ」

 そうでしょうか。照れる。でも、勇二兄さんだってわたしにはまぶしいのだが。そのところはどうなんでしょうか。

「兄さんは、わたしよりなんでもできる人じゃないですか」
「そんなことないよ。なんか、器用貧乏ではあるけど」
「ぶきっちょのわたしにはそれがまぶしいです」
「ははっ」

 勇二兄さんのスマホがぶるぶるしています。雲間をぬって太陽がちょっと傾いているのが見えました。お客さん来ちゃったんだろうな。「勇二兄さん、ここで落としてください」と言ったら、「いや、せめて中央区まで送る」と宣ったので、「お仕事真面目にしてる方がすてきです」と言ってみました。降ろしてくれました。

「あとで電話する。今日もどっかでメシ食おう」
「わかりました、待ってます」

 とりあえず、真くんさんへ電話しました。そっち向かったよって。
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