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翌日、屋敷の前に馬車が用意されました。高級な作りでマトリカリアの代表として訪問するに当たって、先方に失礼の無いものです。

しかし、それに乗る私は街娘のような格好をさせられていて、ドレスを汚されたく無い意図が見て取れます。手土産も持たされておりませんし、もはや体裁を取り繕うつもりも無いようです。

アザレア様とガーベラが見送りに来ていますが、終始ニヤニヤと嫌な笑みを崩しません。逆に私を連れていくはずの御者や衛兵は複雑そうな顔をしています。

ガーベラに「姉さん、お勤め頑張ってくださいませ」などと言われましたが無視しました。もうこちらも気を使うつもりはありません。
お父様はさすがにバツが悪いのか見送りにも来ませんでした。

私を乗せて馬車が出発しました。良い馬車だけあってなかなか速いもので、見る見るうちにお屋敷が見えなくなりました。

私は道すがらこの状況でどうやって逃げ出すか考えていました。
土地勘がないのでどこに逃げたらいいのかもわかりませんし。でも逃げるのが遅れたらどこかで始末されるに違いありません。

しばらく進むと馬車が停車しました。逃げ損ねたのかと一瞬ひやりとしましたが、どうやらぬかるみにはまって動けなくなっただけのようです。

逃げるチャンスは今しかないと思い、私は馬車から降りるとお花を摘みに行くといって茂みの陰に隠れてから、衛兵の目を盗んで馬車から離れようとしました。

「待ちな、お嬢さん」

でも、衛兵の一人に見つかって腕をつかまれてしまいました。

「お願いです、見逃してください!私、まだ死にたくないの!」

後がない私は取り乱して懇願しました。しかし、衛兵は私の手を強く引いて馬車のところまで連れて来ました。

「お願い……命まで奪うことないじゃないですか……」

私はその場にへたり込んで泣きだしてしまいました。私の不幸な人生はやはりここで終わってしまうのでしょうか。

「お嬢さん、俺たちはカトレア様の代からあんたの家に仕えてきたんだ」

私を引いてきた中年の衛兵がお母様の名前を出したので、私は顔を上げました。

「カトレア様には恩があるが、俺たちも貴族にゃ逆らえねえ。悪く思わないでくれ」

「私を殺すのですか?」

やっぱり殺されるんだと思うと、体の芯が震え上がってしまいました。痛いのは嫌だし本当に死にたくありません。でも、兵士は首を横に振りました。

「勘違いするんじゃねえ。おい、俺は土地勘がねえから説明してやってくれ」

衛兵が御者のお爺さんに声を掛けました。このお爺さんもずっとマトリカリアに仕えている人です。

「街道を行っても戻ってもマトリカリアかハイドランジアの村しかありません。そちらに逃げ込まれては我々も危険に晒されます」

命令に反して私を取り逃がしたと知られては、お父様に処分されてしまうということでしょうか。彼らが私を逃がしてくれるというのなら、私も彼らのことを考えなくてはいけません。

「お嬢様がどこかに逃げるおつもりなら、街道を離れてここから西に移動すれば王家の直轄地の村があります。女の足でも半日も歩けばそこに辿り着くでしょう」

そう言っておじいさんは村がある方向を指差してくれました。

「ありがとうございます。そちらに行ってみます」

「待ちな。そう焦るんじゃねえよ」

私がすぐにでも駆けだそうとすると、衛兵がそう言いながら水の入ったボトルと革袋を渡してきました。革袋には携行食料と少しの路銀が入っています。

「じいさんはそう言うが、山歩きはそんなに簡単なことじゃねえ。これくらい持っていけ」

「ありがとうございます!」

「根本的に助けてやったわけじゃないから礼なんか言うな。結局俺達にはお嬢さんを殺す度胸が無いだけだ」

それでも久しぶりに受けた人の親切に、私は涙ぐんでしまいました。

「でも本当に大丈夫かな、俺達」

「今更何言ってんだよ。大丈夫、なんとかなるさ」

別の衛兵が心配そうにしています。私の亡骸でも無いと信用してもらえないのでしょうか。

「良かったら私の髪でも持って行きますか?ちょうど変装にもなると思うので切りますけど」

「あん?まあ何もねえよりはいいか。お願いできるかい」

私はナイフを借りて、上げていた髪をほどきました。腰の下くらいまである髪を肩の辺りで一つにまとめて刃を当てます。

「ちょっとまて!」

衛兵が止める間もなく、私はそのままバッサリと髪を切りました。少し乱れていると思いますが、肩の上辺りまで伸びたボブくらいになったと思います。

「これで良い具合に街娘に見えますか?」

「あのなあ……まあやばくなったら使わせてもらうわ」

結構大胆にカットしたので皆さん少し引き気味のようです。

「では行きますね。ありがとうございました」

私はお礼を言ってその場を後にしました。
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