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4:何でもない日

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 権左は、日が陰りだし、室内が暗くなってくると、行灯の火を灯した。ついでに煙管を取って来て、べろっと指を舐めてから、葉煙草を摘んで丸め、煙管に詰め込み、行灯の火で火をつける。軽く煙を吸い込んで、口の中で煙草の香りと苦味を楽しむと、ふぃーっと細く長く煙を吐き出した。

 今日は、朝からずっと新しい簪作りをしていた。権左が考えた簪を、遊女の一人がいたく気に入り、作ることになった。どちらかと言えば、単純な造りの簪だが、だからこそ難しい。単純な造りの簪をどこまで美しくできるかは、職人の腕次第だ。やる気も出るというものである。朝飯も昼飯も食わずに、ずっと作業をしていた。そういえば、水も飲んでいない。思い出したら、急に喉が渇いてきた。
 権左が、どっこらしょっと腰を上げると、ふと、権左から少し離れた所に、お盆にのせられた湯呑みがあることに気がついた。湯呑みを手に取り、匂いを嗅げば、茶のようである。もしや、と思い、狭い家の中を見回せば、布団の上で、狐姿の昌吉が寝ていた。
 お盆の上には、皿に盛られた握り飯もあった。昌吉が用意してくれたのだろう。

 権左は、ありがたく握り飯を掴み、大口を開けて齧りついた。程よい塩気が素直に美味い。中に、小魚を甘辛く煮たものが入っている。程よい塩加減の米と抜群に合う。茶は冷えているが、それでも香りがよくて美味い。
 ガツガツと握り飯を食いながら、権左はチラッと眠る昌吉を見た。昌吉は、すぴすぴと気持ちよさそうに眠っている。起こすのも、少し気の毒だ。飯と茶の世話もしてもらった。

 権左は、手についた米粒までしっかり舐めて食べきると、静かに立ち上がり、布団の所へ移動して、ぐにゃんと無防備に腹を見せて寝ている昌吉を抱っこして、敷布団の上に寝かせ、掛け布団をかけてやった。昌吉は起きる気配がしない。もしかしたら、仕事終わりに来たのかもしれない。

 腹が満ちて、気力が回復した権左は、また集中して、簪作りを再開した。
 権左は、一度集中すると、寝食を忘れる方だ。ふと気づけば、朝になっており、権左の少し離れた所に、汁物の椀と握り飯がのった皿、湯呑みがのせられた盆があった。昌吉が寝ていた布団の方を見れば、布団が無かった。多分、昌吉が庭に布団を干してくれたのだろう。

 権左が作業を中断して、ガツガツと握り飯を食い始めると、家の戸が開き、昌吉が入ってきた。手には、桶と洗って絞った後の手拭いや下帯を持っている。
 権左と目が合った昌吉が、嬉しそうに、細い目を糸のように細めて、笑った。


「おはよ。おっちゃん」

「おぅ。おはよーさん」

「今日と明日は休みなんだ。邪魔はしねぇから、居てもいいかい?」

「……好きにしろ」


 昌吉が嬉しそうに笑って、『洗濯物を干してくる』と言って、庭に出ていった。
 昌吉は、権左が簪を作るところを眺めるのが好きだ。昌吉がまだガキの頃に、何度か見せてやったら、どうも気に入ったようで、たまにだが、邪魔にならない隅っこで、権左の仕事を眺める。別に見られても権左は気にならないので、昌吉の好きにさせている。

 朝飯を食ったら、早速続きに取り掛かる。仮眠をとった方がいいのかもしれないが、切りがいいところまでやってしまいたい。権左は再び集中して作業に取り掛かった。

 日が暮れかかり、室内が薄暗くなると、権左は作業を中断し、行灯に火を灯した。ぽぉっと室内が明るくなる。何気なく、昌吉がいそうな場所に目をやれば、昌吉は狐姿のまま、じっと作りかけの簪を眺めていた。
 権左はぼりぼりと無精髭だらけの顎を掻きながら、昌吉に声をかけた。


「おい。それ、気に入ったのか」

「あいな。まだ途中なのに、すごくキレイだ」

「そりゃどうも。飯は食ったか」

「食ってない」

「食えよ。俺に構わねぇで」

「見るのに夢中になってたんだい」

「そうかよ」

「今から飯作るから、その間は休憩。おっちゃん、ずっと作業してるだろい」

「おう」

「雉を貰ったから、汁物にするよ」

「そいつぁ、豪勢だな」

「けへへ。娼館の主が、頑張ってるからって、褒美でくれた」

「そうかい。一人で食わなくていいのかよ」

「一人で食うより、おっちゃんと食った方が美味いさね」

「そうかよ」

「煙管でも吸ってなよ。すぐに支度する」


 ぽんっと、その場で、昌吉が狐の姿から人の姿になった。人の姿の昌吉の身体は、筋骨隆々とは言えないが、引き締まっていて、無駄な脂肪も無駄な筋肉も無いように見える。知り合いの春画絵師の所に連れて行ったら、春画絵師が喜びそうな身体だ。魔羅も陰嚢もデカくて、これで顔が美形だったら、女が群がってくる事だろう。

 さっと下帯を着けて、着物を着た昌吉が、袖を紐で括り、土間に下りて、台所へ向かった。パタパタと動き回る昌吉をぼんやり眺めながら、権左は取り出した煙管に煙草を詰め、火をつけて、煙草を吹かした。

 ふわふわといい匂いがし始める。煮炊きする音は、存外、耳に心地よいものだ。権左は滅多に自炊しないし、権左の父親も殆ど自炊はしなかった。子供の頃から、稲荷屋に行くか、飲み屋でいつも飯を食っていた。自分の家で煮炊きする音が聞こえてくると、不思議と心地いい。
 トントンと野菜を切る音、ことことと煮える音、しゅーしゅーと米が炊ける音。そして、昌吉の調子外れな鼻歌。
 権左は、ぼんやりと、なんかいいもんだなぁと思った。誰かと夫婦になるのは、とうの昔に諦めているが、誰かが自分の家に居てくれるというのは、存外悪くない。昌吉の想いを受け入れる気はないが、どうにも昌吉がいることに心地よさを感じてしまう。いかんなぁ、まずいなぁ、と思いながら、権左は、飯が出来上がるまで、ぼんやりと昌吉を眺めていた。

 美味い飯で腹が膨れると、一気に眠気が襲ってくる。納期まで、まだまだ余裕があるし、権左は、今日は寝ることにした。
 権左は、飯の後片付けを終え、手拭いで手を拭いている昌吉に声をかけた。


「おい。狐の姿なら一緒に寝てもいい。湯たんぽ代わりだ。変なことしやがったら叩き出すけどな」

「けへへっ! 一緒に! 寝るっ!」


 昌吉が、ぱぁっと顔を輝かせて、いそいそと着物を脱いで畳み、するっと狐の姿になった。権左が布団に潜り込み、ちょいちょいと手招きしてやると、ぴょんぴょんと弾むような足取りで、昌吉がやって来た。
 もふもふの昌吉の身体をゆるく抱き締めれば、昌吉からは微かな獣の匂いと共に、日の匂いがした。昌吉が、くふくふと上機嫌に笑っている。権左は、久方ぶりに、昌吉のもわっとした頭を撫でた。


「寝ろ」

「あいな。おやすみ。おっちゃん」

「おう。寝小便すんなよ」

「するわけ無いや。あたしをいくつだと思ってるんだい」

「二十のガキ」

「二十はもう大人だ。成人だってしてらぁ」

「はいはい。寝ろ。俺は寝る」

「あーい」


 もぞもぞと腕の中の昌吉が動いて、横を向いている権左の懐の中に入り込んできた。一瞬、引っこ抜いて放り投げてやろうかとも思ったが、昌吉のもふもふの身体が温いので、やめることにした。

 季節はもう秋の終わりである。少しずつ、冬の足音が聞こえるようになってきた。冷える夜には、昌吉の温もりが丁度いい。
 権左は懐の昌吉を無意識のうちに撫でながら、朝までぐっすりと眠った。

 翌朝。寝惚けた昌吉に顔をベロンベロンと舐められまくって起こされ、昌吉を家から放り投げたのは、後の笑い話になる。
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