恐怖の巨人、嫁になる

丸井まー(旧:まー)

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39:ストレスフル妊夫生活

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ニルダは腹の奥底から大きな溜め息を吐き出した。
セベリノの祖母アマリアを玄関先で見送ると、のろのろと居間へと移動し、できるだけ静かな動きでソファーにゆったりと腰掛けた。

妊娠が発覚して3ヶ月。ストレスが本当に半端じゃない。朝の日課の鍛錬はできず、庭の手入れも殆どできず、できるのはちょっとした散歩だけ。酒や珈琲など好きなものを飲み食いすることができず、とにかく気を使う毎日を過ごしている。幸い、悪阻などはないが、徐々に大きくなっていく腹に、どうしても違和感を覚えてしまう。
更に、セベリノの祖母アマリアが3日と開けずに訪ねてくる。最初の頃は、素直に嬉しかった。しかし、毎回のように、子育てに関する薀蓄や自分の苦労話を延々と聞かされるのが、いい加減キツくなってきた。ちなみに、セベリノの両親は一度だけ祝いを持って訪ねてきただけだ。あの変わらぬビビリようだと、子供が生まれても、殆ど会いには来ないだろう。
とはいえ、子育てで頼れる相手がいない訳ではない。2日に一度、会いに来てくれるミレーラや彼の家族がいる。特に次男のアロンソはミレーラと一緒によく来てくれて、制限されているせいで中々できない庭の手入れを手伝ってくれたりしている。アロンソの学校での話を聞くのも楽しいし、日中は静かな家の中が賑やかになって、非常に助かっている。

仕事の方は、アベラルドが班長代理として、それなりに上手くやってくれているようだ。アベラルドもどうやらニルダと同じタイプらしく、現場では活躍できるが、書類仕事は然程得意ではないらしい。部下達と上手く連携して、仕事をきっちりしてくれているが、書類仕事の量は変わらないどころか微妙に増えたセベリノは、毎日忙しいようである。
微妙に忙しくなったセベリノの為に、少しでも美味しい料理を作ってやろうと、特別産休に入ってから、ミレーラに料理を習い始めた。しかし、これが中々上達しない。火加減と味付けに問題がある。不味くはないのだ。でも美味くもないのである。最近は、自分には料理のセンスが無いのだと完全に諦め気味である。

ニルダは疲れた溜め息を吐きながら、少しずつ大きくなってきた下腹部を優しく擦った。
あまりストレスが溜まるのは良くないそうなのだが、どうしてもストレスが溜まってしまう。セベリノとセックス本番ができないのも地味なストレスだ。触り合いっこくらいはしているが、安定期に入った今も、セベリノが『激しくしない自信がない』と、ペニスの挿入は嫌がっている。
ふたなりは普通の女よりも生殖機能が劣る分、流産しやすかったり、難産になりやすいらしい。ミレーラも、2番目の子を流産している。本当なら、3人兄弟だったそうだ。
それを聞いたセベリノが、とても心配性で過保護になっており、ぶっちゃけ若干鬱陶しいくらいで、それもまた地味なストレスである。
あーーっと意味のない声を上げながら、ニルダはなんだか疲れた身体をぐったりとソファーに横たえた。

ソファーでうたた寝していると、セベリノが帰ってきていた。台所から物音がしたので、ニルダはいそいそと台所へ移動した。台所を覗き込めば、野菜を洗っているセベリノがニルダの方を見て、ニコッと笑った。


「ただいまです」

「おかえり」

「よく寝てたから、声をかけませんでした」

「ん」

「体調はどうですか?今夜はシチューの予定なんですけど」

「問題ない」

「それは良かったです。また、ばぁちゃんが来たんですか?」

「あぁ」

「んー。少し、頻度を控えてもらうよう、次の休みに言ってきますよ。ニー、疲れるでしょ」

「…………まぁ、少し」

「次の休みに、ちょっと実家に行って、ばぁちゃんに言ってきます。あ、ニー」

「ん?」

「ただいまのちゅーをお願いします」

「ん」



少し照れ臭そうに笑ってキスをねだったセベリノに嬉々として近寄り、ニルダはセベリノの腰を抱いて、唇に触れるだけのキスをした。もうちょっと深いキスがしたいなぁと思って、ニルダが優しくセベリノの下唇を吸うと、セベリノがニルダの頬を優しく摘んだ。


「ニー。駄目ですよ。晩飯の時間が遅れます」

「少しだけ」

「俺が我慢できなくなるから駄目です」

「……分かった」

「……よ、夜なら別にいくらでもしてくれていいですけど」

「ん」


照れ臭そうに笑うセベリノが可愛くて、ニルダは思わずセベリノの頭を撫で回した。台所に置いてあるニルダ用の椅子に座り、手早く料理をしながら今日の仕事の話をしてくれるセベリノの声に耳を傾ける。仕事は相変わらず問題ないようだ。アベラルドも班の者達と馴染んでいるようである。
アベラルドに定期的に休みを取らせるとミレーラと約束しちゃったので、セベリノの休みが少し減ってしまった。仕方がないのだが、2人で1日過ごせる日が減ったのが寂しい。
セベリノも寂しがってくれているが、同時に、ミレーラに隔日で来てもらえる方が安心できるからと、ニルダの分まで仕事に励んでくれている。

ニルダの身体を気遣って、働いているのに家事までほぼ全部してくれているセベリノが疲れやしないかと、ニルダは最近本気で心配している。もっと手を抜いて欲しいし、休んで欲しい。自分の為に、セベリノが疲れるのは嫌だ。何度か、それをセベリノに伝えているのだが、セベリノはいつも『大丈夫ですよ』と笑って流す。これもまた、ニルダの小さなストレスの要因の一つになっている。

子供ができたのは素直に嬉しい。でも、今はとにかくストレスだらけの毎日で、正直しんどい。
セベリノが作ってくれた美味しいシチューを食べながら、ニルダはこっそり小さく溜め息を吐いた。





------
ミレーラがアロンソと一緒に、ニルダの家に来てくれた。まずはニルダの身体を診察してから、のんびりとお茶を飲む。
すっかり冬本番になり、年末年始が近づいていることもあって、ミレーラとお互いの旦那達の仕事が忙しくなって寂しいと愚痴を溢し合っていると、クッキーを頬張っていたアロンソが口を開いた。


「ねー。熊のおっさん」

「ん?」

「年末年始って、親父達マジで忙しいんだろ?うちに来れば?」

「あぁ。いいね。ニー。そうしない?」

「……申し出はありがたいが、断る。疲れて帰ってくるセーべを、せめて温かい家で眠らせてやりたい。料理は上達しないが、少しでもセーべの為に何かしてやりたい。年末年始は本当に忙しい。寝に帰るのがやっとなくらいだ」

「ガランドラの街は大きいからねぇ。そりゃ、そうなるのかぁ」

「ミリィもアーロも、そろそろ此処に来ない方がいい。暫くはできるだけ外出を避けた方が無難だ。年末年始が近くなると、どうしても治安が悪くなる」

「えっ。そこまでなの?」

「2人とも美しいから目立つ。この時期だけ余所から来る者も多い。よからぬ事を考える奴が出てくるだろう。……ルドが忙しくなければ、外出の度に護衛して欲しいくらいなんだが」

「えーー。マジかぁ」

「えー!じゃあ、年越しの祭りにも行けねぇの!?すっごい楽しいって友達から聞いてんだけど!」

「……それなら、年越しの日は俺が同行しよう。この腹でも多少は大丈夫だろう。何かあってもミリィがいる」

「うーん。年越しの祭りって人がめちゃくちゃ多いんでしょ?大丈夫かなぁ」

「もう安定期に入ってる。体調を崩したこともない」

「まぁ、そうだけど」

「母さん。熊のおっさんが大丈夫なら、一緒に年越しの祭りに行きたい」

「んーーーー。よし。ニー。ほんの少しでも体調に変化があったら必ず僕に言うこと。そして、その場合は速やかに帰るからね。これが約束できないなら、君の主治医として祭りへの参加は許可できない」

「約束する。……俺も気晴らしがしたい。ストレスが本当に溜まっている」

「あー。まぁねぇ。セーべのお祖母ちゃんはまだ来るの?」

「週1になった」

「それでも来るのね。まぁ、ニーも気晴らししないと本当にキツいもんねぇ。読書が趣味の引きこもり体質の僕でも、妊娠中は制限が多くて、本当にストレスがヤバかったもの。ストレスの溜め過ぎは身体によくないからね」

「あ!ねぇねぇ。母さん。熊のおっさんの散歩がてらさ、うちの買い物に付き合ってもらえばいいんじゃね?少しは運動しなきゃいけねぇんだろ?」

「おや。名案。素晴らしいよ。アーロ」

「是非。散歩も近所を少し歩くだけだから、もう飽きた。もうミリィ達の家くらいまでなら歩いてもいいだろう?」

「うん。まぁ、今の所何事もなく順調だし、いいかな。でもこれも条件付き。少しでも体調に変化があった時は必ず僕に言うこと。それが守れるなら、こっちからお願いしたいくらいかな」

「約束する」

「うん。じゃあ、そういうことで。よろしくね。ニー」

「あぁ」


ニルダは小さく笑った。主治医の許可が出たので、今より長めの散歩も年越しの祭りの参加もできるようになった。これが気晴らしになって、少しでも溜まりまくっているストレスが発散されるといい。

ニルダはその後、ミレーラとアロンソに編み物を教えて、のんびりと楽しい時間を過ごした。






------
ニルダが子供用のちょっとした毛布を編んでいると、玄関の呼び鈴が鳴った。今日はミレーラが来る日ではない。またアマリアだろうか。憂鬱な溜め息を吐きながら、のろのろとニルダはソファーから立ち上がった。

玄関のドアを開け、ニルダは驚いて目を見開いた。妹のアルマが立っていた。


「アルマ」

「……久しぶり。外、寒いから、中に入れて。ていうか、早く中に入って。ニーの身体が冷えちゃう」

「あ、あぁ」


ニルダは突然のアルマの訪れに驚いたまま、暖かい居間へと移動した。アルマにお茶を淹れようとしたが、アルマが自分がやると言って、台所に向かったので、ニーは大人しくソファーに座った。
セベリノが使いやすいように物の配置は多少変わっているが、然程大きく変わった訳ではないので、多分大丈夫だろう。
ニルダがローテーブルの上の編みかけの毛布を片付けていると、すぐにアルマがお盆を持って居間に入ってきた。
ニルダの分はお茶ではなく、温かいミルクだった。礼を言って一口飲んだ後、ニルダは戸惑いながら、アルマを見た。
アルマは真顔でじっとニルダの少し膨らんだ下腹部を見つめていた。


「……ニー」

「なんだ」

「セベリノから聞いてたのに、今まで顔も出さなくてごめん」

「いい。気にするな」

「妊娠おめでとう。体調は?悪阻はあるの?」

「全くない」

「そう。そろそろ腰が痛くなったり、トイレが近くて面倒な時期じゃない?」

「あぁ」

「……腹巻き、作ってきたの。もっとお腹が大きくなっても使えるように何種類か。お腹と腰は冷やさない方がいいから」

「ありがとう。アルマ」

「んーん。本当はもっと早く来たかったんだけど、中々隙が無くて」

「隙?」

「こっちの話。赤ちゃん用の産着とか、おむつも作ったの。少しだけど、よかったら使って」

「助かる」

「私が使ってた産着やおむつの作り方が載ってる本も持ってきたの。いる?」

「いる」

「じゃあ、あげる。分かりやすいから、ニーならすぐに上手に作れるようになるわ」

「ん。助かる」

「……赤ちゃん、生まれても、すぐに会いに来れないと思う。……ごめん」

「いい。事情があるのだろう」

「……うん。ニー。身体に気をつけて。本当に。ニーだけの身体じゃないの。……私もセベリノも、ニーの事、すごく心配してる」

「友達ができた」

「友達?ニーに?」

「医者をやってるふたなりだ。主治医もしてくれている」

「本当に!?」


アルマの顔が、パァッと嬉しそうに輝いた。なんだか興奮気味に、ミレーラ達のことを聞かれ、ニルダは素直にアルマに話して聞かせた。アルマが本当に嬉しそうに笑った。


「よかった。少しは心配が薄れるわ。いいご縁があったのね」

「あぁ」

「そのご縁を大事にしてね」

「ん」

「……そろそろ帰らなきゃ。ニー。また来れそうな隙ができたら、会いに来るわ。絶対に無理をしないでね。些細な事でも、そのお友達に言ってね」

「ん」


アルマは何度もニルダの身体を心配する言葉を口にしてから、寒空の中、1人で帰っていった。
思いがけないアルマとの時間が、本当に嬉しかった。ニルダは上機嫌で、アルマが持ってきてくれたものを紙袋から出して、ローテーブルの上に並べた。
腹巻きに赤ちゃん用の産着やおむつ、小さな靴下や手袋、読み込まれていたのがよく分かる付箋付きの少し古い本が1冊。それから、小さな封筒が入っていた。
ニルダは小さな封筒を手に取り、中に入っていた紙を取り出した。どうやら、アルマからの手紙のようである。
アルマの手紙には、一言だけ書かれていた。

『私達の新しい家族に祝福を』

ニルダはアルマからの手紙を読んで、我慢しきれずに、涙を一つポロリと溢した。
アルマが、ニルダに子供ができた事を本当に嬉しく思ってくれているのが伝わってきて、嬉しくて嬉しくて堪らなかった。
アルマの事情は未だに知らないが、こうしてわざわざニルダに会いに来てくれた事が嬉しくて堪らなかった。

ニルダはアルマの少し丸っこい字を見つめて、小さく微笑んだ。
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