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40:背中を蹴り飛ばして

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風呂とトイレと狭い台所以外には1部屋しかない古い集合住宅の一室に、いくつかの箱と少ない家具、魔導製品を運び込んだら、ハルファの引っ越しは終わった。ハルファの新たな城は本当にこじんまりとしていて、魔導製品や家具は必要最低限、ハルファ自身の荷物も少し驚く程少なかった。
ハルファに頼まれ、アイディーはハルファとディータと共に、ハルファの引っ越しを手伝いに来ている。中古の家具屋に集合住宅の前まで運んでもらったベッドやテーブル等を家の中に運び入れ、ハルファの着替えなどを入れた箱を3人でディータの家から運んだ。部屋の窓に安いカーテンをつけ、古くて小さい衣裳箪笥に少ない服を入れ、台所用品を備え付けの棚に収納したら、ほぼ終わってしまった。
ミケーネを保育園に送った後にハルファ達と合流して始めたが、まだ午前のお茶の時間である。
ディータがお菓子や軽食を買いに行ってくれたので、アイディーはハルファと共に台所でお湯を沸かしながら、珈琲を淹れる準備をしていた。


「アイディー。ロバートと話した?」

「おう。家族みたいに思ってるって言われて、正直結構嬉しかった。でもアンタだけじゃなくて、俺までほしいって言われてよ。俺、ヨザックが好きだから、旦那様には恋愛感情を抱けねぇって言ったわ」

「そうなんだ」

「俺にとっては、旦那様も坊っちゃんもアンタも恩人だからよぉ、アンタ方が笑って暮らせるよう全力でサポートするぜ」

「……ありがとう。アイディー」

「つーか、よかったのか?」

「何が?」

「いっそ早く旦那様の家に住んだらいいんじゃね?」

「んー……色々考えてみたんだけど、いきなり同居はキツいかなぁって。それに僕、働きたくてさ。17で結婚して専業主夫やってたから、社会経験が殆んどないんだよね。中学生の頃にバイトはやってたけど、普通にまともに働いてたのって1年くらいなんだ。何て言ったらいいかな……社会経験の短さと浅さが自分の視野を狭めていた気がするんだ。役場の子育て支援相談窓口に相談しに行くとか、保育園の一時預かりを頼んだりとか、誰かに相談にのってもらうとか、全然思いつきもしなかったんだよね。所謂パパ友みたいなのもいなかったし。買い物以外じゃ外に出てなかったから、外で働いて、色んな人と接する機会を設けた方がいい気がするんだ」

「ふーん」

「アイディーがいてくれるから、もうとことんアイディーに甘えちゃおうかと思って。……それに、まだミケーネと会う勇気が湧かないんだ。情けないことにね」

「そうか」

「1年会ってないし、多分忘れられてると思うし」

「あー……ん?そういや、家にアンタの写真ないな」

「多分だけど、ロバートが片付けたんじゃないかな?ミケーネにいない父親の顔を覚えさせても、しょうがないし。まぁ、実際は分かんないけど」

「案外、アンタの写真見ると、アンタがいないことを自覚して自分がしんどいからかもな」

「ははっ。本当そうかも。アイディー」

「あ?」

「背中蹴ってくれない?」

「あ?いいぜ。どんくらいの力加減でいく?」

「あ、いや。物理的に蹴るんじゃなくて、言葉のあやというか」

「あ?」

「その、……ミケーネに会う勇気が欲しくて。アイディーに背中を押すどころか蹴ってもらえたら、思い切れるかなって……」

「あぁ。なるほど」

「ごめんね。ロバート共々ダメな大人で」

「そういや、アンタいくつ?」

「僕?20歳」

「あ?もしかして2つしか違わねぇの?」

「うん」

「つーか、ヨザックと一緒じゃん」

「向こうはどうか知らないけど、僕はヨザックを知ってたよ。喋ったことないけど、一応同学年だったし」

「へぇー」

「ヨザックは目立ってたからさ。成績いいし、性格もいいし、腕っぷしも強いし。彼の周りにはいつも人がいたんだよね」

「ふーん。……その、恋人もいたのか?いやまぁ、いるよな……」

「あー……まぁ、恋人ができる度に噂にはなってたね。あ、でもひどい噂は聞いたことないから。浮気したとか二股かけたとか、そういうのは聞いたことないよ。剣の鍛練を優先するから全然デートしてくれないってぼやいてた子は知ってるけど」

「あぁ。ヨザック、剣を振り回して身体を鍛えるの好きだからな」

「そうなの?」

「おう。ヨザックの家で会う時はまず剣の鍛練やってる」

「え?イチャイチャしないの?」

「剣の鍛練の後にやる」

「その、鍛練の後に、ぶっちゃけセックスできるの?」

「あ?普通にやってっけど」

「わぉ。君達の体力ヤバイね」

「まぁ、それなりに鍛えてるからな」

「弟君にはもう紹介したの?」

「……してねぇ」

「あ、そうなんだ」

「……アンタも俺の背中蹴ってくんねぇ?なんかよぉ、どうにも気恥ずかしいし、アイツが1人でしんどい時に俺ヨザックに恋して浮かれてたから気まずくてよぉ」

「人を蹴ったことないんだよね。僕」

「マジか」

「うん。でもやってみる」

「ははっ!……なんならよぉ、同じ日に一緒に済ませるか?どっちかが土壇場でビビってバックレそうになったら首根っこ掴んで止めるっつーことでよ」

「君の巨体を止められる気がしないんだけど」

「がんばれ」

「マジかー」

「つーことで、来週の休みに旦那様の家に集合な」

「来週!?」

「思い立ったが吉日だろ。来週の休みはヨザックも仕事休みだしよぉ。皆家にいるし」

「だ、だ、だ、大丈夫、かな……?」

「大丈夫だ。俺がいる。頼りねぇけど旦那様もいるし」

「う、うん……アイディー。僕がバックレないように迎えに来てほしいんだけど……」

「いいぞ」

「ありがとう」


アイディーはハルファと顔を見合わせて笑った。お互い、踏ん張り時な気がする。ガーディナにヨザックのことは話していない。ガーディナが1人で頑張っていた時に、アイディーはヨザックに優しくしてもらって、恋をして浮かれていた。その事が後ろめたくて、あと少し気恥ずかしくて、恋人ができたことを言えなかった。このまま、ずるずる言わずにいるのもどうかと思う。この際だから、言ってしまうべきだ。
アイディーはハルファと軽く拳をぶつけあった。






ーーーーーー
気持ちがいい秋晴れの休日。
アイディーはハルファの家にハルファを迎えに行き、途中で合流したヨザックを含めた3人で、ロバートの家の玄関先に立っていた。
ハルファはアイディーの腕に強くしがみついている。そうでもしないと逃げてしまいそうなくらい、緊張しているらしい。アイディーも緊張して背中に汗をかいている。
とりあえず落ち着こうと、ハルファと2人で何度も深呼吸をしていると、ヨザックがそんな2人に苦笑して、サクッと玄関の呼び鈴を押した。


「「あ」」

「2人とも腹をくくれよ」


思わず顔をひきつらせていると、玄関のドアが開いた。ハルファと2人で小さくビクッと身体を震わせると、玄関からガーディナとガーディナに抱っこされたミケーネが出てきた。


「おかえり。兄ちゃん。お客さん?」

「よーちゃん!」

「よーっす。ミー坊。元気か?」

「げんきー!だっこー!」

「お。いいぞー」


ミケーネがもぞもぞ動いてガーディナの腕から抜け出し、ヨザックに飛びついた。ヨザックはミケーネを抱き上げ、咄嗟にアイディーの背中に隠れてしまったハルファに近づいた。
アイディーは後ろ手に、背中に張り付いているハルファの腰をポンポンと優しく叩いた。


「だれー?」

「……ミケーネのもう1人のパパだよ……」

「パパ?」


ハルファがアイディーの背中の服の布地を片手で握ったまま、ヨザックに抱かれているミケーネを真っ直ぐに見た。掴まれている服越しにハルファの手の震えを感じる。
ミケーネはキョトンとしてハルファを見ている。1年程会っていないし、写真でも見たことがないので、顔を忘れてしまっているのだろう。不思議そうな顔をするミケーネを真っ直ぐに見て、ハルファが大粒の涙を溢した。


「ミケーネ……ごめんね……」

「いたいの?」

「ううん。……ミケーネに会えて嬉しいだけ」

「あーちゃん、おうた」

「ん?」

「あーちゃんのおうた、たのしい」

「あぁ。楽しかったら泣き止むかもな」

「うん」

「……はは……ありがとう。ミケーネは優しいね。ミケーネ。抱っこしてもいい?」

「いいよー」


ハルファがアイディーの服から手を離し、ミケーネに手を伸ばした。ヨザックからミケーネを受け取ったハルファは、ミケーネの大きくなった身体をぎゅっと抱き締めた。


「ミケーネ大きくなったね。重いや。ご飯美味しい?」

「おいしーよ」

「そっかぁ……そっかぁ……アイディーのご飯好き?」

「だいすき!」

「ははっ……ミケーネ、ごめんね。愛してる」

「あい?てる?」

「ミケーネが大好きってこと」

「うん!」


ハルファが大粒の涙を溢しながら、本当に嬉しそうに愛おしそうに笑った。よかった。なんとか大丈夫そうだ。
次はアイディーの番である。
ハルファ達の様子を眺めているガーディナと、いつの間に来たのか、涙ぐんでいるロバートに、アイディーは目を向けた。優しく目を細めてハルファ達を見守っているヨザックの片腕をとり、アイディーはヨザックの隣に立った。
ハルファが頑張ったのだから、アイディーも頑張らねば。アイディーは1度深呼吸をしてから、真っ直ぐにガーディナを見て、口を開いた。


「俺の恋人。ヨザック」

「ヨザック・ティタンだ」


ガーディナが驚いて目を見開いた。
暫しの沈黙の後、ガーディナが複雑そうな顔をしているロバートを見た。


「師匠」

「なんだ」

「ちんこもぎ取る魔術ってないですか?」

「もぎ取る魔術はないが、不能にする魔術はある。主に性犯罪者の刑罰に使用されている」

「教えて下さい今すぐに」

「医療魔術だから覚えるのに時間がかかるぞ」

「覚えます」

「ガーディナ?」

「ヨザックさんとやら」

「あ、はい」

「俺の兄ちゃんを泣かせたら不能にすっから。そのつもりで」

「あぁ。分かった」


どこか拗ねたような子供っぽい顔でガーディナが言うと、ヨザックが真剣な顔をして頷いた。ガーディナがヨザックがいる方とは反対側に来て、アイディーの身体に腕を回して抱きついてきた。


「ガーディナ?」

「……兄ちゃんは俺だけの兄ちゃんだったのに」

「あ?あー……その、わりぃ。やっぱ気分わりぃだろ」

「別に。兄ちゃん好きなんだろ。ヨザックとやらが」

「おう。好きだぜ」

「むぅ……じゃあいい。でも浮気とかしやがったら、すぐに俺に言えよ。不能にしてやっから」

「……ははっ!そん時は頼むぜ」

「おう」

「俺はハニー一筋なんだけどなぁ。まぁ、よろしく。義弟よ」

「まだ義弟じゃねぇし」

「じゃあ、ガーディナって呼ぶな?」

「……ん」


ヨザックが手を差し出し、ガーディナと握手をした。
どうやら、こちらも一応なんとかなったようである。アイディーは安心して、ほっと小さく息を吐いた。
緊張が解けたら小腹が空いてきた。もうすぐ昼食時である。アイディーはパンッと手を叩いた。


「とりあえず、飯食おうぜ」

「あーちゃん。ごはん、なぁに?」

「今日のお昼はオムライスだぜ。坊っちゃん」

「わんわんがいい!」

「おーう。ケチャップでばっちし描いてやんよ」

「やったー!」

「僕も手伝うよ」

「お。わりぃな。ハルファ」


アイディーは口元を弛めて、ガーディナをくっつけたまま、ロバートにミケーネを受け渡したハルファも一緒に、台所へと移動した。
チキンライスは仕込み済みだ。サラダとスープも作ってある。あとは卵を焼くだけだ。
アイディーはご機嫌に鼻歌を歌いながら、手早く昼食の準備をした。

全員分のふんわり卵のオムライスが完成したら、いよいよ昼食である。居間の方から、ミケーネのはしゃぐ声が聞こえる。ヨザックとロバートに遊んでもらっているらしい。
アイディーは弛む口元をそのままに、皿を乗せた大きなお盆を食堂に運んだ。


「飯できたぞー!」

「「はぁーい!」」


ミケーネとヨザックの返事を聞きながら、アイディーは胸がむずむずするような喜びに頬を弛めた。
アイディーにとって大事な者達が揃った、夢のようで夢じゃない食事の始まりである。


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