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サンガレア魔術研究所

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カミロが第2研究部の研究室に入ると先輩達は全員揃っていた。壁の時計を見るとギリギリ昼休憩終了1分前だった。
部長のシャール・サンガレアが全員に仕事再開の声をかけ、午前中にしていた作業の続きを始めた。

第2研究部の部長であるシャール・サンガレアは背が低くて細身で、どう見ても女にしか見えない見た目である。それもとびきりの美女に見えるらしい。土の神子マーサの五男と結婚している。
副部長のパナット・ニーベルグは逆にかなり背が高く、横幅がかなり大きい。とても温厚な人物で、シャールとは高等学校時代からの友人らしい。サンガレア領軍に勤める男の伴侶がいる。
イアソン・パークは第2研究部どころか魔術研究所でも1番の古株の1人である。本来なら第2研究部の部長を勤める筈の人物だが、本人が面倒くさがって、毎回歴代の部長に部長職を押しつけ続けているらしい。結界魔術を専門とする魔術師の間では、知らない者などいないであろうという程の有名人である。見た目は中背中肉の地味な人だ。
アフラック・ビーツは第2研究部では唯一、魔術研究所に住み着いている先輩だ。いつも眠そうな顔をしている。基本的には引きこもりだが、年に何度か花街に出かけるとか。背が高く、中々に男前らしい。
ミーケ・キャンベルはカミロより3歳歳上の先輩で、『傾国』という二つ名を持っている。なんでも、中性的な美貌で男を引き寄せる色香があり、長い睫に縁取られたブラウントパーズのような瞳に見つめられるだけで誰しもが恋に落ちるとか落ちないとか。薬事研究所に勤める年下の薬師の恋人がいるそうだ。

カミロは人の美醜がよく分からない。シャールもミーケもずば抜けて容姿が整っているらしいが、他の先輩や研究所で見かける魔術師達の顔と何が違うのか、いまいち理解ができていない。流石に人の顔の区別はできる。でも美しいとか、醜いとか、そういうのはよく分からない。
容姿のいい悪いはよく分からないが、全員が非常に優れた魔術師であり、研究者であることはよく分かる。カミロの性別は一応知っているし、『色なし』なのは一目で分かるが、かといって誰も特に何も気にしていない。ただ『カミロ』という魔術師として扱ってくれている。研究部の人数が少ないこともあり、また穏やかな性格の者ばかりなので、実に平和な環境である。
実家から逃げてサンガレアにやって来て、魔術研究所で働き始めてもう1年が経つ。
カミロは今の生活をとても気に入っている。

今日予定していた作業が切りがいいところまで終わったので、規定の終業時間には1時間程早いが今日の仕事は終わりになった。研究が佳境の時やノッているは就業時間など関係なく仕事をするし、特に何もない時や煮詰まっている時は早めに仕事を切り上げたりもする。割とそこら辺は緩い。ぶっちゃけ決められた期限以内に成果を出せばそれでいいのだ。

帰り支度ということで、カミロが机の引き出しに入れていた財布と家の鍵を制服のポケットに突っ込んでいると、シャールが全員に声をかけ、1枚の紙をペラっと見せてきた。


「すいません。すっかり忘れてました。今度5年ぶりに『公的機関交流会』があるんです。参加条件は独身、恋人なしのサンガレアの公的機関に勤務してる人で、今回は水の宗主国提供の魚介類を使った料理や風の宗主国のワイン、それから火の宗主国の果物やお酒が振る舞われるそうですよ。屋台もいっぱい出るし、ちょっとしたイベントもあるらしいです」

「部長。それ何日っすか?」

「えっと、来週の土曜日ですね。会場は中央の街の郊外にある原っぱらしいです。会場までは魔術師街の馬車乗り場から臨時の馬車も出るそうですよ。参加費は無料です。サンガレア公爵家主宰ですから、美味しいご飯が食べられますよ。本当は2週間前にチラシを渡されてたんですけど、すいません。忘れてました」


イアソンがシャールに近づいて、チラシを受け取って読み始めた。なんとなく、ぼんやりその様子を眺めていると、イアソンがカミロの方を見た。


「カミロ。お前、祭りに行ったことはあるか?」

「ありません」

「つーか、そもそも魔術師街から出たことあるのか?」

「ありません」

「んー。じゃあ行くぞ。俺もついていくし」


カミロはイアソンの言葉に目をパチパチさせた。


「ミーケは恋人いるから無理だな。アフラックも行くか?」

「あー……なんか屋台とかあるんでしたっけ?」

「らしいな。俺、行ったことないんだよ。つーか、多分20年近く魔術師街から出てねぇわ」

「流石に20年は長くないですか?」

「だって別に出なくても生活できるし。特に用事もないし」

「花街楽しいですよ」

「わざわざ花街に行って、金払ってまでセックスすんの面倒くせぇ。つーか、花街遠いじゃん」

「まぁ、それなりに。でも、イアソン先輩。何でまた『公的機関交流会』に行くんですか?あれって通称・お見合い祭りでしょ。恋人でもつくりに行くんですか?」

「いや別に。カミロが世間知らず過ぎるから、多少なりとも見聞広めさせようかと思って」

「あぁ。なるほど」

「結界魔術も用途や張る場所によって種類があるだろ?それなりに世間っつーか、普通の生活っつーか、結界魔術が実際に使われてっとことか、まぁ魔術理論以外にも色んなもん知っとかねぇと実用的な研究なんぞできねぇじゃん」

「一理ありますね」

「そういう訳だから行くぞ、カミロ。これも新米魔術師としての仕事みたいなもんだ」

「はい」

「お前の私服ってよー、全部研究所の売店で買ったやつだろ?」

「はい」

「じゃあ、3日後の休みに中央の街に服買いに行くぞ。とりあえず祭りの前に中央の街見学だ」

「分かりました」

「俺も一緒に行きます。俺もそろそろ新しい服買いたいし、交流会じゃ珍しいものが食えるんですよね」

「よーし。じゃあ、3人で行くかー。あ、ミーケは3日後の休みはどうする?一緒に行くか?」

「ご一緒させてもらいます。キリルがその日は用事があるらしくて。暇なんですよね」

「キリルって噂の恋人君か?」

「えぇ。すっごい素敵なんですよ。惚気聞きます?」

「素直にいらねぇわ」

「軽く3時間は語れるのに……」

「よーし。ちょっと早いが飯食いに行くかー」

「はーい」

「行くぞー。カミロー」

「はい」


すぐに帰宅するシャールとパナットに挨拶をして、4人でゾロゾロと研究所内の食堂へ移動を始めた。
イアソンはカミロが住む官舎の隣の一室に住んでいて、カミロがサンガレアに来たばかりの頃から何かと面倒をみてくれている。ミーケも官舎住まいだが、2つ離れた建物に住んでいる。カミロは大体毎日3食をイアソンとアフラックと3人で研究所の食堂で食べている。ミーケは朝食と夕食の時はいたりいなかったりだ。恋人が官舎に来ていたり、恋人の家に行っている時は普通に食堂には来ない。
食堂でイアソンが趣味で研究開発している魔導製品の話を聞きながら早めの夕食をとり、茜色に染まり始めた道を歩いて、早めの帰宅をした。







ーーーーーー
この世は男女比が平等ではなく、6:4で男の方が多い。当然溢れる男が出てくるので、土の宗主国では複婚や同性婚が認められている。王都とサンガレアには男同士で子供をつくることができる施設も存在しており、サンガレアは特に同性愛に寛容な土地柄なので男夫婦や男同士の恋人達が多い。
神の恩恵が色濃い宗主国の王族は500年の時を生き、神子はそれよりも長く1000年の寿命がある。王族に仕える者や土の神子を戴くサンガレア領の公的機関で働く者は、通称・長生き手続きというものを受けることができる。長生き手続きをすると、神殿で神より祝福を受け、その時点から肉体が老いることなく生き続けることができる。長生き手続きを止めると、そこからまた普通に老化が始まっていく。
長生き手続きは、肉体と魔力が1番いい状態と言われている25歳で受ける者が多い。まだ今年で23歳になるミーケと20歳になるカミロは長生き手続きを受けていないが、第2研究部の他の面子は皆長生き手続きを受けている。イアソンなんて、もう数百年も生きているらしい。

サンガレアの魔術研究所は、研究馬鹿な魔術師達にとっては楽園のような所である。
朝早くから夜遅くまで営業している安くて美味しく量が多い食堂。サンガレアは温泉地であるため、午前中の清掃時間以外はいつでも利用できる温泉大浴場。良心的な値段の洗濯代行サービスに、服や下着なども含めた幅広い商品を扱っている売店。仮眠室も広くてベッド数も多く、シーツ類は毎日費用は研究所持ちで洗濯代行サービスの者が回収して洗濯済みのものと取り替えてくれるので、いつでも清潔なベッドで寝ることができる。研究所の魔術師が趣味で作った運動用魔導製品が置いてある運動室もあるし、大きな魔術書専門図書館も併設されている。更に研究所内でなら、機材や道具なども割と自由に使うことができる為、家事などの些事に煩わされることなく、ひたすら研究に没頭できるという研究者にとってはまさに夢のような場所なのだ。完全に住み着いている者も多く、全体の4割近くになる。
カミロも魔術研究所で働き始めて半年もすれば、研究所に住みたくて堪らなくなった。しかし、サンガレア領の教育・研究機関の総責任者である土の神子マーサに絶対に駄目だと言われてしまった。男として生きてきたが、残念ながらカミロの身体は女である。実は男と女の身体の違いも知らなかったが、カミロがほぼ魔術関係以外の常識的な知識がないと知ったマーサに性教育をされた。勿論座学で。
マーサに『男として生きてきたことを捨てる必要はないけど、女の身体であることを否定しても駄目よ。色々考えるのが面倒なら、いっそ『カミロ』という生き物として生きなさい。あ、勿論気持ち的な意味でね。一応世間一般の常識はちゃんと学んで、それに沿ってね。その方が問題起きないし。女の身体で男湯に普通に入ったりとか、そういうのは止めてね。あとトイレも一応女性用使ってちょうだいよ?とりあえず生活の中での男女の違いとか早めに学習してね?』と言われた。
研究所に住むのを駄目だと言われたのは、男しか住み着いていない場所に女が住むのは問題があるかららしい。仮眠室は複数あるが、基本的にいくつものベッドが1部屋に置いてあって共用だし、風紀的な問題があるとか。よく分からないが、そういうものかと一応納得した。残念ではあるが、仕方がないのだろう。ちょうどその頃に初潮がきてしまい、嫌でも自分は女の身体をしていると少し理解してしまったこともあり、カミロは官舎で独り暮らしをしている。

官舎の自宅に入ると、埃っぽい匂いが鼻につく。最初の何ヵ月かは頑張って一応小まめに掃除をしていたし、シーツも3日に1度は洗濯していた。しかし、どうにも面倒で、今ではシャワーを浴びた後に使うタオルを洗濯するくらいしかしていない。それも未使用のタオルが無くなってから、まとめて洗濯している。制服や私服は勿論、下着も洗濯代行サービスに頼んでいる。シーツを最後に洗ったのがいつかも思い出せないし、床は埃で白っぽくなっている。家では基本的に水しか飲まないので、台所の備え付けの戸棚にはコップが1つしか置いていない。魔導冷蔵庫もなく、魔導コンロもない。あっても料理なんてできないし、多分しないだろうから最初から買わなかった。
風呂も研究所で済ませればタオルを洗濯する必要もなくなるのだが、他の人間と一緒に女湯に入るのに抵抗があり、研究所の大浴場を利用したことは1度もない。仕方がないので風呂だけは家で入っている。

魔術研究所は基本的に休日でも開いているが、1年のうち年末年始の休みの間だけは閉まる。普段住み着いている者達はその間だけ、知り合いの家に転がり込んだり、馴染みの中央の街の宿屋や花街の娼館に行ったりする。カミロの初めてのサンガレアでの年末年始の休みは、隣のイアソンにまるっと世話になった。イアソンは少なくともカミロよりも生活能力が高く、一応簡単な料理もできる。年末年始の休みに入る前に研究所の売店や魔術師街にある店で必要な大量の食品や日用品を買い込み、イアソンの家でずっとイアソンの趣味の魔導製品開発の手伝いをしていた。カミロは結界魔術が専門で、魔導製品関係は完全に専門外だが、イアソンに色々教えてもらい、カミロ的にはかなり有意義な休みを過ごすことができた。

家事ができなくても普通に生きていける上に好きな魔術の研究三昧な生活は実に素晴らしい。
シーツが汚くても、家の中が埃っぽくても、風呂場が黴だらけでもカミロはまるで気にしない。
そんなことよりもイアソンに借りた魔術書を読むことの方が余程大事である。
カミロは今日も汚い部屋で夜遅くまで魔術書を読んで、微妙に黄ばんで埃臭い布団にくるまって眠りに落ちた。
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