身代わり愛妾候補の逃亡顛末記

Dry_Socket

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第六章 シエーラの戦闘

17.デメトリア

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 その日の夕方には、私の準備は調って出発を待つばかりになった。
 デメトリアも一旦下がって、自分の支度を済ませた。
 アンナベッラはとても恐縮していたけれど、聞けばまだ5歳の男の子がいるそうで、とてもではないけど遠く離れたしかも戦場に連れて行けるわけがない。

 デメトリアが自分から申し出てくれて本当に助かった。
 行軍の予定ではデメトリアの故郷の近くも通るけど、敵の進軍いかんによってはルートが変更されるかもしれない。
 デメトリアは領主(男爵)のお嬢さんだそうで、私よりはずっと裕福で豊かな生活をしていたようだ。
 今回のご愛妾候補にも、お父上から打診があったそうだけど断ったと言っていた。
 
 侍従が呼びに来て、私は侍女たち小姓たちに見送られて部屋を出た。
 足早に歩いていく侍従の後をついて行く。
 デメトリアは少し息を切らしていたが、それでも黙ってついてきた。

 外へ出ると、残照が消えてもう辺りは薄闇に包まれていた。
 私は畏まって立っている御者に手を取られて、スタイリッシュな感じの馬車に乗り込む。
 後で聞いたらこれは軍用の馬車で、スピードと強度重視のもので乗り心地はあまり良くないそうだけど、農馬の牽く屋根もないただの木製の箱みたいな馬車に乗り慣れている私としては、充分だった。

 二人乗りだそうで、私はデメトリアと並んで乗った。
 宰相を始め、たくさんの人が見送る中、馬車は静かに動き出す。
 アレク様はどこにいらっしゃるんだろう。

 デメトリアは「ちょっと椅子が硬いですわね、大丈夫でございますか?」と心配してくれたけど、私は「えっそうかしら」と本気で答えて、デメトリアを驚かせてしまった。
 「あ、あの…わたくしは、シエーラの田舎育ちで…
 貧しくてこんな馬車に乗ったこともほとんどないの。
 領主館で働いていたのよ」

 私がしどろもどろに説明すると、デメトリアは手を口に当てて、私を見つめる。
 「…まあ…
 あら、でも、子爵様のお嬢様だって…お聞きしましたけど」
 「それはそうなんだけど…私の曾祖父の代に反乱があって、伯爵の地位を追われてしまったの。
 それからは子爵に落とされて、農民と変わらない暮らしをしているのよ」

 「やだ…噂は本当だったのね…」
 デメトリアは目を瞠ったまま小さく呟く。
 「噂?」
 私が言葉の意味を測りかねて尋ねると、「いえ、何でもありません」と慌てたように顔を背けた。

 それからは車内は無言になり、かなり速度の速い馬車は暮れなずむ首都を進んで行く。
 だんだん道が悪くなってきて、馬車は時折、ガタンと大きく揺れるようになってきた。
 それでも、お館様の馬車の乗り心地よりはずっと良い。
 緩衝材が車体のどこかに入っているのだろうと考える。
 音を聞いている限り、車軸もしっかりしているようだ。ブレがない。

 私は喉が渇いてきて、デメトリアに声をかけた。
 「デメトリアは喉が渇かないかしら。
 わたくし、ちょっと…」
 と言いながら、しっかりと固定されている水差しを取ろうとした。

 「今はおやめください。
 こぼしたら、私の仕事が増えますわ」
 先ほどまでとは打って変わって、冷たい口調でデメトリアは言い、私はビックリして手を止めた。
 デメトリアはふんと息をつくと、また無言で馬車の外を眺めている。
 仕方なく、私も飲み物は諦めて椅子に座りなおした。

 なんだろう…
 私、何か気に障るようなこと言ったかしら。
 少し不安になって声をかけようとするけれど、デメトリアの頑なな横顔に言葉を失う。

 それからだいぶ経って、馬車は漸く止まった。
 既に都からはかなり離れ、広大な野原の真ん中で野営するようだ。
 何輌もの馬車が停まっていて、兵士たちが行き来して火を焚いている。

 私はちょっと前から頭痛と吐き気がして、ぐったりと椅子に寄り掛かっていた。
 御者がドアを開け、デメトリアがさっさと降りる。
 と、「クレメンティナ、大丈夫か」と言いながらアレク様が馬車の入り口に足をかけて半身を入れてきた。
 私の顔色を見て「おい、どうした、具合悪いか」と焦ったように言って私を抱き上げて外に出る。

 火の傍に設えられた椅子に降ろし、アレク様は心配そうに私の顔を撫でた。
 「酔ったか、ちょっとスピード上げすぎたな」
 「いえ、大丈夫です
 お水を頂戴できますか」
 私が言うと、アレク様は背後にいるデメトリアを一瞥して口を開いた。

 「お前ちゃんとクレメンティナの世話をしてたのか」
 凍るように冷たいアレク様の声に、デメトリアは真っ青になった。
 「いえ、あの…申し訳ありません」
 頭を下げて、急いで馬車に戻って水を取りに行き、私に手渡した。
 
 冷たいとは言えない水だったけど、私は美味しくてすべて飲み干してしまう。
 「あ…ごめんなさい、デメトリアの分が」
 「デメトリア!」
 アレク様が大きな声で言うと、デメトリアは震えあがってその場に立ちすくむ。

 「そちは帰れ。
 すぐに他のものを寄こすように伝えろ!」
 最後は恫喝するような大声でアレク様は怒鳴り、その迫力に周りにいた者たちはすべて「はっ!」と答えて走り出した。

 デメトリアは「申し訳ありません!」と泣き声で言い、膝から頽れて座り込む。
 「どうぞ、どうぞお許しください。
 私は…」
 「デメトリアは悪くありませんわ。
 わたくしがきちんと自分の体調管理をしていなかったのでございます。
 デメトリアをお叱りにならないでくださいまし」
 私は懸命にとりなす。

 
 
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