身代わり愛妾候補の逃亡顛末記

Dry_Socket

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第九章 逃亡の終着点

5.懐かしの我が家

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 馬車は状態の悪い街道をひた走り、あっという間に国境を越えてシエーラに入った。
 後ろからついてくる兵士や、私たちの乗る馬車よりも質の落ちる馬車に乗り合わせている使用人たちはものすごく大変だったと思うけど、さすがはエセルバート様の統率力、皆遅れずについてきてくれた。

 驚いたことに、終戦からたった一日でシエーラの様子は変わっていた。
 焼け野原は当然のことながら相変わらずだけれど、あちこちに木材資材が積まれ仮小屋が建ち始めている。
 戦火ではなく煮炊きのための煙が上がり、人々が忙しく立ち働いていた。

 何より私が驚き、かつまた嬉しかったのは。
 人々の表情が生き生きと輝いていたことだ。

 「エルヴィーノの兄貴とオズヴァルドの親父が首都で音頭取ってシエーラの復興を後押ししている。
 近隣の州からも人手を集めて、傭兵にもそのままいてもらって手伝わせている。
 あとはお前の兄だな。
 どこまで踏ん張れるか。
 これからの領主としての力量が試される」
 スピードを落として漸くまともに話ができるようになったアレク様が私の頭越しに窓の外を眺めながら言う。

 私はうなずいて同意を示し、それから口を開いた。
 「決して身びいきで申すのではございませんが…
 レオンツィオ兄なら、きっと領民や中央の貴族の方々に恥ずかしくない対応を取れると存じますわ」

 私の言葉を聞いたアレク様はくすっと笑って私の頬を撫でる。
 「そう願っているよ。
 さて、旧領主館はもう使い物にならないから、新たに建設するとして…
 暫間の執務はどこでやるかな」

 呟くアレク様の言葉に呼応するように、馬車はどこかへ向かって走っていく。
 あれ…ここは…
 見覚えのある景色に、私は思わず身を乗り出す。

 御者の背越しに見える懐かしい風景に、私は飛び出したい衝動に駆られる。
 我が家だ!
 子爵家とは名ばかりの、大きめの農家のような、でも懐かしい私の家!

 「お、ここは…?」
 止まった馬車から飛び降りそうになっている私の腰を抱いて宥めながら、アレク様は窓から外を覗く。
 
 家の粗末な扉が開いて、レオ兄様とにぃ兄様が転がるように出てくる。
 焦ったように並んで立ち、私たちの馬車に深くお辞儀する。
 ゲリラ戦の時の鎧は脱いで野良着に戻り、なんだかやたら慌てているようなお二人の様子に、私は訝しく思う。

 扉が開くのももどかしく、私はアレク様の手を振り切って飛び降り、兄様たちに駆け寄る。
 「クレメンティナ!
 よく、無事で…」
 兄様方と抱き合うようにして喜ぶ私を、アレク様は笑ってみていたが、やがてゆっくりと馬車から降りてきた。

 兄様たちははっとして、アレク様にお辞儀する。
 「申し訳ありません!
 このような…見苦しい賤家しずやにお越しくださいまして、誠に有難うございます」

 アレク様は私に近づいて肩を抱き、建物を眺め、また庭を見回した。
 「そうか、ここが…
 そなたを育んだ家なのだな」
 「はい、さようでございます」

 「ふうん…ここは幸いにも、戦禍の犠牲にはならなかったようだ。
 領主館の再建まではまだ時間がかかるだろうから、ここでしばらく執政するのがいいのだろうな。
 しかし如何にも古いし、手狭だなぁ。
 よし判った、すぐに手を入れさせよう」
 アレク様が呟いたとき、中から慌ただしくお母様の声がした。
 
 「レオンツィオ!セノフォンテ!
 何をしているの、早くお湯を持って来てちょうだい!」
 「あっ!はい、只今!」
 レオ兄様が慌てて答え、私たちの方を向いて、また頭を下げた。

 「あの、今、大変申し訳ありませんが…私事で立て込んでおりまして…」
 「義姉が今朝から産気づきまして、その、つい先程無事に産まれまして」
 「えっ!」

 私とアレク様は思わず顔を見合わせ、私は急いで「早く、行ってあげてください、兄様!」と声をかけた。
 アレク様もうなずくのを見て、レオ兄様は「申し訳ありません…セノフォンテ、後は」とにぃ兄様に言い、にぃ兄様も「承知しております」と短く答えてレオ兄様を家の中に促す。

 「おめでとうございますレオ兄様、カルロッタお義姉様にもお伝えしてください!」
 足早に去っていくレオ兄様の大きな背中に声をかけると、レオ兄様は振り返って照れたように少し笑って手を上げた。

 「どちらだったのだ?」
 アレク様がにこやかににぃ兄様に訊く。
 「あ、はい、男の子でございました」
 にぃ兄様も嬉しそうに答える。

 「そうか、それは良かった。
 無事に産まれたことが何よりだ」
 アレク様は満足げに言い、私を見おろして「クレメンティナにもいつか…そのような日が来るのだろうな」と微笑んで髪を撫でる。

 アレク様と私の…子供。
 いつか、赤ちゃんをこの腕に抱く日が来るのだろうか。
 そうなると良いな。
 私は想像して、少し赤くなってしまう。

 その時、家の中からお母様が珍しく慌てふためいて走り出てきた。
 「まあ、大変申し訳ございません!
 恐れ多くも、大公陛下と妃陛下をこのようなところに、立たせっぱなしにさせてしまって…
 セノフォンテ、急いでご案内してちょうだい」

 お母様はお産の介抱をしていたのだろう、髪は乱れてドレスの腕もたくし上げたままだ。
 にぃ兄様は「判っておりますよ、母上、身支度をなさいませ」と言って、私たちに改めて向き直った。

 「取り散らかしておりまして大変恐縮ですが、どうぞ中にお入りください」
 「ああ、ありがとう」
 アレク様が答えて、私の腰に手を回し、にぃ兄様について家の中に入る。
 オズヴァルド様やシプリアノも馬車から降りて、一緒に入ってきた。
 
 お母様は急いで踵を返すと台所の方へ向かって急ぎ足で歩いて行った。
 お産の手伝いに来ていた近隣の女性たちに、いろいろと指示を飛ばしているようだ。
 ああ、相変わらずきびきびとしたお母様の声。
 懐かしさに胸が締め付けられる。

 
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