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第三章 賀茂祭・露頭の儀

30.元信様の話

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 それから北の方様と会って、なんとか説き伏せ、二の姫の玄米食の了解を取り付ける。
 本当は、皆たまには玄米食にした方が良いんだよ。
 誰だって脚気の危険性はあるんだから。

 北の方様からは、あたしの奔放な行動が目に余るとお説教を食らった。
 まあねえ…自覚はあるんですのよ、お母様。
 だけどまあ、元信様がそれを良しと、それどころか積極的に応援してくれてるんだから。

 …と、思ってたんだけど。
 その夜、元信様が浮かない顔で来た。

 「どうなさったの?」
 夕食のお膳をはさんで向かい合い、箸を取ってあたしは訊いた。
 「ええ…」
 元信様も箸を取ろうとして、手を降ろす。
 
 なに?どうしたの?
 ゆってごらん?

 「今日、宮中で東宮殿下が…
 右大臣家の伊都子姫の部屋で、定期的に知的な催しを開くとおっしゃって。
 参加したい公達を募ると…」

 ち、よっと待て!
 なに、なんだって?!
 あたしは蛤のお吸い物を落っことしそうになる。
 
 「あれ、本気でおっしゃってたのっ?
 っていうか、お父様にお断り頂いたはず…」
 あたしが驚いて言うと、元信様はため息をついた。

 「やっぱり昨日、本当にそんな話があったんですね。
 冗談であってくれればよいと思っていたのですが…
 あの東宮殿下が言い出したら、誰も逆らえませんよ」

 ええー、困るよそんなのっ
 何だってあたしが、男の人たちと知的な催しなんてやらにゃいかんの!
 できるわけないでしょう?!

 「わたくし、何の素養もないので困りますと申し上げたんですのよ。
 でも東宮様はお父様も丸め込んでしまわれて…
 今日、お父様からお断りしてくださいとお願いしたんです」

 「右大臣も二の姫のことがあるから、あまり強くはおっしゃれないでしょう。
 主上と貴女のように、婚約破棄になってしまうのが一番怖いはずだから」
 拳を握って、膝に打ち付ける。

 「貴女が、殿下のお気に入りになったら。
 他の公達もこぞって貴女の知遇を得たいと思うでしょう。
 今は不遇をかこっている右大臣にも陽の光が当たるかもしれません」
 
 そう、なんだ…
 あたしは食欲を失くして箸を置いた。
 東宮ほどの権力者になると、政治的な事とか周りの思惑もいろいろあるんだなあ…

 「何より私が心配なのは、美しく聡明で自由闊達な貴女を本当に好きになってしまう公達が現れる可能性が高いことです」
 いやそんな…褒めすぎですよん♡
 って、えっ?

 「今でさえ私は、落ち着かない日々を送っているのです。
 私なんかよりもずっと、眉目秀麗で洒脱な会話ができて頭脳明晰な公達が現れたら、貴女はその人のところへ行ってしまうんじゃないかと」

 「いえ、それはないです」
 あたしは本心から言った。
 どんな人も、元信様には敵わないよ~

 元信様は、あたしを見つめた。
 「嘘でも、嬉しいです姫…」
 
 立ちあがってあたしの方へ来る。
 「私もその知的催しには絶対に参加します。
 主上からも了承を得ましたので」
 そう言って、あたしの肩を両手で抱いて唇にキスした。


 あたしはその時は、元信様の言葉の意味が判らなかった。
 のちに、大きな政争の渦に巻き込まれていくことになるって…


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