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第九章 二度目の死と伊都子姫

2.神護寺へ

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 「神護寺ってどこ?!」
 あたしは淡香花の方へ近寄りながら訊いた。
 
 義光は「嵯峨野の奥のまだ山の方ですよ…」と言い、あたしが淡香花の縄に手をかけて「馬具をかけて」と舎人に言うと、仰天して目を剥いた。

 「月子姫、行く気ですか?!」
 「だって止めなきゃ!出家なんて絶対ダメっ」
 
 元信様と約束したのよ!
 東宮が出家しそうになったら止めるって!
 
 「ちょ、待ってください!
 あなたの乗馬の腕で、しかも淡香花でなんて無理ですよ!」
 あたしの手をつかんで、止めようとする。

 あたしは手を振りほどいた。
 「判ってるわよ!
 だけど…東宮が…どうして?」
 
 「なんで出家するなんてなっちゃったの?!
 必ず迎えに行くって書いてたんだよ!」
 涙がぼろぼろ出て頭がガンガンして、あたしはもう支離滅裂になる。

 「月子姫…」
 義光はあたしの剣幕に驚いたように手を止める。

 「いや、しかし、先に誰かに報せましょう」
 「そんなことしてるうちに、剃髪しちゃうわよ!
 そうなったらもう…」

 淡香花の縄を取り合う。
 舎人が馬具を持ってきて、どうしようかとオロオロしている。

 業を煮やしたあたしは思い切り叫ぶ。

 「「お願い!行かせてっ」」

 はっとして、義光と顔を見合わせる。
 
 今の声…伊都子姫の声じゃない。
 本当の、「あたし」の声だ。

 「姫…今のは…」
 しばらく二人で呆然としていたが、義光は一度ぎゅっと目を閉じて開けると「實時さねとき!」と鋭く従者を呼んだ。

 「丹波を連れて来い。
 二人乗り用の馬具をつけて。
 急げ!」

 實時さんは「はっ!」と言って、舎人と共に走り出す。
 すぐに丹波という名前の、義光の愛馬の栗毛の馬を牽いてきた。

 「義光…」
 あたしは濡れて余計に寒くなって、震える唇で名前を零す。
 「止めても無駄でしょう。ご一緒します。
 私と丹波なら姫を乗せても、神護寺まで一刻少しで着くでしょう」

 義光も雨に濡れながら、笑って言い、あたしに手を差し伸べた。
 あたしは差し出された手につかまる。
 
 あっという間に馬上の人になり、差し出された市女笠を被る。
 「月子姫…お身体が熱いですよ…大丈夫ですか」
 あたしを自分の身体の前に据え、腰を支えながら、義光は心配そうに言う。
 あたしはすごく辛かったけど、大丈夫よ早く、と急かす。

 「神護寺に向かう。
 實時、そちは右大臣殿か伊靖に報せて、すぐに追いかけて来てくれ。
 頼んだぞ」

 「承知いたしました!
 お気をつけて。すぐに参ります!」
 實時さんがぬかるみに膝をついて言った。

 「月子姫、行きますよ、しっかり捕まっていて!」
 義光は丹波にハイっと声をかけ、丹波は走り出す。


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