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第九章 二度目の死と伊都子姫

7.再び、彼岸と此岸の間

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 おお、何か見覚えのある場所だぞ。
 あたしは暗闇の中を、明るい方へ向かって歩く。

 明るい方角から誰かが呼んでいる。
 あれ…この声…

 「もうここに来たのか。
 早すぎるであろう?」
 
 川岸に仁王立ちしているのは…い、伊都子姫っ?!
 いや、声を聴いて、まさかと思ったんだけども。

 でも以前に会った時とは、別人のように柔和な、笑顔。
 物腰も優しい。

 「本当は、誰かそなたに近しい者が迎えに参るのであるが…
 わらわの身体から抜け出してきた魂ゆえ、妾が参ったのじゃ」

 あたしの手を取って、くさむらに並んで座る。

 「あの…伊都子姫…」
 あたしは、伊都子姫の身体を借りておこなったさまざまな蛮行、それから元信様と主上のことを詫びようとした。
 
 伊都子姫は微笑んで首を横に振る。

 「よいよい。
 妾にはもう、あずかり知らぬことじゃ。
 彼岸に渡ってしまった者には此岸の事どもはどうでも良いのよ。
 そなたの思うように、生きて良かったのじゃ」

 そうだったのか…
 とか言えるほど品行方正なわけでは、まったくなかったんだけど。

「妾は、生きていた時、自分は徹頭徹尾、被害者だと思っていた。
 だけど、そうではなかったのかも知れぬ。
 被害者意識が強すぎるあまり、気づかぬうちに周りの者共を傷つけておったやも知れぬと、ここに来て初めて考えた」

 「そなたは、いとも易々と、妾のできなかったことをした。
 いや、易々とではなかったのかもしれぬな。
 悩み苦しみながら、手に入れたものであったのだろう」

 あたしの顔を見て、微笑む。
 こんなに素敵な笑顔のできる人なんじゃない…

 「さて。ここからが本題。
 そなたは、彼岸に渡りたいと思って居るか?」
 
 え…あたしは戸惑う。
 死んだら、渡るものなんじゃないの?
 選べるなら皆、生き返っちゃうじゃん。

 「実は、身体の方はまだ何とかなる。
 そなたがもう死んでも良いと考えたから、ここに来てしまった。
 生きようと思うなら、身体に戻ることもできる」

 えっ!あの苦しい状態でっ?!
 あ…でもそれなら。

 「伊都子姫が、還るっていうこともできるんじゃないの?」
 元々、あなたの身体なんだし。
 生きたいと思うのなら、伊都子姫が還るのが筋なんじゃ…

 伊都子姫はバカにしたように鼻で笑う。
 「一度、彼岸に渡った者は、もう戻れぬのじゃ。
 そうでなければ皆、身体さえあれば好きな時に生き返ってしまうであろうが。
 だから、此岸にいる今、聞いて居るのじゃ」

 あーそーですか。
 悪かったっすね、お、ば、か、で。

 ふふ、と伊都子姫は可愛く笑う。
 「生きたいのであろう?
 ではまた、生き返って濁世を今度こそ生き延びて見せよ」

 ひとつ願い事があるのだと言う。
 内容をあたしに話すと、伊都子姫は楽しそうに笑って立ち上がった。

 あたしを立ちあがらせ「左近衛中将様と幸せに」と言いざまに、とんっと胸を押す。
 足元の地面がふっと姿を消し、あたしはものすごい勢いで後ろへ引っ張られる。
 
 笑って手を振る伊都子姫がみるみるうちに遠ざかっていく。
 
 伊都子姫、ありがとう。
 頑張って幸せになるよ!

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