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閑話 アリサ・ネージュ

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 何故、こんな事になってしまったの……?
    私はどうすれば良かったのかしら……。
  こんな事になったのは、誰の所為――?
        やっぱり、私が悪かったのだろうか??
     あぁ、どうして?どうして……
 
 大切なあの子――可愛い可愛い私の子――……

         ・
         ・
         ・

 産まれた時、あまりの小ささに驚いた。
 信じられないくらいに小さな手足。なのにちゃんと爪があって……。私の乳を美味しそうに吸うあの子が愛しくて――夫と一緒に、この幸せが永遠に続くような心持でいたの――そんなことありえないのに。
 夫が死んで、いっそ二人で後を追えたら……そう何度思った事だろう。
 けれど、あの子の笑顔がその気持ちを捨てさせた。私を思いやって必死に笑顔を浮かべようとするあの子――。私が夫の分までこの子を育てなければ――そう決意して生きて来た。
 幸い、親一人子一人の男性と出会う事が出来て、私は再婚したわ。

 『子供を育てる為に――』

 彼は、夫と言うより兄のような人だった。
 互いに、互いの子供を育てる為の契約結婚――。私は亡くなった夫を愛したままで良いと言ってくれた人。感謝しかなかった。
 ダグは、母親に虐待されていた子供だった。あんな可愛らしい子を虐待するなんて!と信じられない気持だった。最初こそ怯えられてしまったけれど、エリシャが怯えたダグの心を開くキッカケをくれたの。
 優しい子だったのよ。
 可愛い可愛い、私の娘――。
 暫くは落ち着いた時間が続いたわ。エリシャとダグは仲良しで、二人ともとても可愛かった。笑顔が絶えない家の中、私はまた思っていたの。この幸せがずっと続きますようにって。
 けれど、神様は残酷だった。
 綻びは――今思えばエリシャが池に落ちてから始まったように思う。あの時は、あの子を失うんじゃないかと思って怖かったわ。だから、熱こそ出したけれど、無事だった事に安堵していたの。
 けれど、あの日からあの子はおかしな事を言うようになった。
 
 『女神様の世界に行ったのよ?』

 熱に浮かされて見た夢なのだろう――私も、夫もそう思っていたの。
 だってそうでしょう?絵は動かないものよ??天を貫くような塔なんて、見た事も聞いた事も無いし……。だから、エリシャの話は『そんな夢を見たのね?楽しかった??』としか思っていなかった――。
 今思えば、その時もっとしっかり話しを聞いておくべきだったのかもしれない。
 
 それから、暫くして夫が死んだわ。

 幸い、貯えを残してくれたけれど、二人を育てるのには到底足りない。子供達は家の事も出来る位に成長していたから、私は働いてこの子達を守る事に決めたの。
 親戚の伝手を頼って住み込みの仕事を得て――。慣れ親しんだ場所から子供達を連れ出す事に抵抗が無かった訳じゃないけれど、生きて行く為には仕方が無い事――そう考えていたのよ。
 けれど、王都に来てからエリシャはますますおかしくなってしまった――。本当なら、そこで向き合うべきだったんだわ。けれど、慣れない仕事に疲れた身体――私は、問題を先送りにしてしまった。
 大きな商家のお店の一つに迷惑を掛けた時だって、叱りはしたけれど、エリシャの話を聞こうとはしなかった。
 結局、あの子の暴走を止める為に、ダグが頑張ってくれていたと知ったのは最近の事――よりにもよって学園入学初日にエリシャが問題を起して自宅謹慎になった時に聞いたの……。
 申し訳無い事をしてしまったわ……。
 私がちゃんとエリシャの状況を知ろうとしなかったから――。全てダグに背負わせてしまっていたなんて……。

 『何で、謹慎だなんて事になったの??』

 『別に良いでしょ?何だって……お母さんにはカンケー無い』

 エリシャに話を聞こうとしても駄目だった。
 きっと、今までちゃんと関わろうとして来なかったツケね。昔の素直で可愛らしい娘は何処にもいなかったのよ……。私に話しても無駄だと――そう壁を作ってしまった娘がいただけ。
 しっかりしなきゃ。
 そう思ったわ。あの子が産まれて来てくれた時の喜び――あの時の感情を思い出して……。今度こそ、しっかりこの子と向き合わなければ……。
 そうでなければ、この子は道を踏み外してしまう――そう思ったのよ。
 だから、仕事の合間を縫って、なるべくエリシャと関わるようにしたの。話す時間が増えれば、少しずつあの子との心の距離が縮まる気がしたわ。
 エリシャが一番楽しく話すのは『女神様』の話。女神様がどれだけ美しくて素晴らしいのかを楽しそうに話していたわ。
 ――最初は、夢の話だと否定してしまって失敗したのよね……。『女神様』のせいで、この子が変になったような気がしたからかもしれないけど。だから、気持ちを切り替えて、どんなに荒唐無稽でも、エリシャの話をただ『聞く』事にしたの。あの子の言葉を否定しない――それだけを心掛けて……。
 少しずつ、親子の絆を取り戻せているような気がしたわ。

 『エリシャ、一緒にお菓子を作りましょう?』
 
 『えー……面倒だよぅ』

 そう言いながらも、私と一緒に何かをしてくれるようになって――嬉しかったわ。
 エリシャの問題行動は、私が構ってあげずにいたから、寂しかったからかもしれない――そう思って。きっと、良い方に向かえる――そう考えていたのよ……。
 謹慎が明けて――エリシャが学園に通って――そのまま無事に卒業できるって信じてたのよ。今まで、私が信じた事が実現した事なんて無いのにね?

 『謹慎――ですか……?』

 学園から先生が説明にいらして、私はエリシャが再び謹慎になった事を知ったの……。意味が分からなかったわ。
 前回はエリシャから、入試の結果に文句を言ったら謹慎になった――そう聞いていたの。けれど、今回先生から詳しい説明があって――目の前が真っ白になった。あまりにも常識はずれな行動と言動に血の気が引いて――。
 座っているのに、そのまま倒れてしまいそうだったわ。
 先生が帰った後――エリシャと話をしたの。あの子は不貞腐れていて、怒っていたわ。自分がした事は必要な事だとそう言うのよ。
 その時、私は、今はまだ冷静に話しを聞けないと思ったの。エリシャも、私も落ち着いてからじっくりと話をするべきだろうって。
 ダグから、謝られてしまったわ。エリシャが謹慎になった理由を知っていたのに、私の心労を考えて話さなかったのが間違いだったって――。ダグは、何も悪く無いのに――情けない母親よね……。
 
 何故、こんな事になってしまったのかしら……?
 私はどうすれば良かったの……?
 こんな事になったのは、誰の所為なの――?
 ――やっぱり、私が悪かったのだろうか??
 
 そんな言葉が脳裏をグルグルと回る。冷静さを取り戻した後、私はエリシャと話をしたわ。

 『どうして、そんな事をしたの――?』

 『幸せになるためだよ?王子サマと結婚すれば、物語はハッピーエンドだもん。お母さんだって、あくせく働かなくって良いんだよ??ね、協力してよ!!家族の幸せのためなんだから!!』

 不思議そうに話す、あの子の事が理解出来ない。
 女神様の世界の物語??エリシャが聖女になって――悪役令嬢を倒して――王子様と結婚する――??そんな未来がある筈も無い。
 けれど、その夢に出て来た人々が、現にエリシャの目の前にいるのだ……だからこそ、この子はそれを盲信している――。なんて……なんて酷い悪夢だろう……。
 家族の幸せの為??少なくとも私とダグは幸せなんかじゃ無い。エリシャが――昔のあの子に戻ってくれたなら――……!!

 『王都に――来るべきじゃ無かった――……』

 気が付いたら、私は、そう呟いいたわ……。
 だってそうでしょう?そのコウリャクタイショウは全員王都にいたのよ??だったら、ここに来なければ、エリシャの妄想は夢物語で終わった筈だわ。

 『王都に来ないなんて選択肢無いわよ。だって、私が王都に来るのは運命だもん!!』

 その言葉に、私は凍りついたわ。
 この子が女神様の話をし始めたのは池に落ちてから――、王都に来るずっと前だ。そう、二人目の夫が亡くなるもっと前――彼が亡くなったから、私達は王都に来たのよ――?

 『トゥアルが死ぬ事――知ってたの――……??』

 あぁ、どうか――知っていたとは言わないで――……二人目の夫の名前――兄のように優しかったあの人――。彼は、エリシャの事を、ダグと同じように愛してくれた。
 エリシャだって、トゥアルに懐いていたのだ――……だからどうか神様――……違うと言って!!

 『そんな事、どうでも良いでしょ――』

 不貞腐れた顔で言われた言葉。
 私は理解したわ。この子は、彼が死ぬ事を知っていて黙っていたんだって。信じられない――信じられない、信じられない!!だって、黙っていたと言う事は、エリシャがトゥアルを殺したようなものじゃない――!!!
 優しかったエリシャ――ダグが母親からされた仕打ちに涙したエリシャ――私の後をついて来て、笑いながらお手伝いしてくれたエリシャ――……小さな手で抱きつきながら『まま大好き!』そう言ってくれたエリシャ――その姿が、全部音を立てて崩れて行く……。

 『ふざけないで!人の命を何だと思ってるの!!あんたは誰――??誰なの??』

 『はぁ?何言ってるのよ――私はエリシャに決まってるでしょ?』

 『そんな訳無いわ――!!私のエリシャは優しい子だった。人にあんな常識知らずな迷惑かけたり、義父親を見殺しにするような子じゃ無かった――……お前のような悪魔がエリシャであるものか!!返して!返してよ!!私の可愛いエリシャを返して!!』

 あの子の肩を掴んで、強く揺すった。
 返して、返してと泣きながら――。あの子は――ガラス玉のような、何も感情を映さない目をして私を見ていたわ……。

 『あんたの為にやったのに――……?』

 底を這うような低い声でそう言われて、強い力で突き飛ばされ――憎々しげに睨まれて、思わず息が止まりそうになったわ……。私の為――?冗談でしょ。私はそんな事望んだりしてない――家族で、慎ましく幸福に暮らせれば良かっただけ!!
 
 『私も、ダグだってそんな事を望んじゃいないわよ!幸福ですって?!あなたがした事の何処に幸福になれる道が続いてると思えるの?沢山の人に迷惑をかけて――!!王子様に愛される未来なんて来る筈が無いでしょう?!』

 嫌われるだけじゃ無い!そう叫んで、私はエリシャの全てを否定した――……。
 この時の私は、怒りに我を忘れていたの。私の愛していた筈の娘が、別人に取り替えられたかのような恐怖――。私の娘がトゥアルを見殺しにしたと言う怒り――。学園の様々な人達にこの子がしてしまった事……その自分勝手な行動に反省もしないエリシャへの苛立ち。
 
 ガンッガンガンガン!!

 いきなり、部屋の中でけたたましい音が鳴ったわ。
 部屋の中で鳴ったのに、何がその音を出したのか・・・・・・・・・・・分からなかったの……。一瞬にして激昂が冷めて、私は部屋で棒立ちになった。
 エリシャが、ゆらりと傾ぐようにふらついた後、顔を上げたわ――。見た事の無い表情だった。まるで、知らない人みたいに――そして私を一瞥する事無く、部屋から出て行ったの……。

 私は、その場で動けなかった。

 得も言えぬような気持ち悪さを感じて気が付いたら腕を擦っていたわ。まるで真冬の最中に薄着で外に出たみたいにブルブルと震えて……。そこで初めて、私はあの子に恐怖したのだと気が付いたのよ。
 とても、探しに行く気になれなくて、暫く呆然としていたわ。ダグが帰って来て声を掛けてくれるまで、私はエリシャの部屋に立ちつくしていたわ――。
 ダグが淹れてくれたお茶を飲んで一息吐いて、やっと冷静になれたの。自分の子を怖がるなんて……私は一体どうしてしまったのかしら?
 しかも、酷い言葉を言ってしまったわ。あの子が帰って来たら謝って、ちゃんと話をしなきゃ……。私達の為に、エリシャが王子様と結婚したいと言うのなら、ちゃんと話しあってそれを望んで無い事を分かって貰わなければ……。
 トゥアルの事は、謝っても謝りきれない――けれど、ダグを通して償う事は出来るかもしれないわ……エリシャだけの所為にはしないようにして、一緒に償って行こう――。それが、母親として出来る事じゃ無いかしら……?そう思ったのよ――。けれど、エリシャは帰って来なかった。
 そう、帰って来なかったの――……。
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 次の閑話は、『???』の人にするつもりでしたが、アルの閑話にするかで悩み中です……。次の閑話をアルにした場合、『???』の人の閑話はもっと後ろに持って行くかと思われます。
 結論が出ていないので、明日の更新は遅くなるかもしれません……。明日中に更新できるように頑張ります;;
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