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第81話 夢――小さな綻び

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 ギシリ

 世界が軋む音がする。
 何故そう思うか分からないままに私はそれを感じていた。暗い――ううん、黒いその場所を――気が付いたら歩いていて……何処だろう――。此処は……。分からない。そして答える者もココには居ない――。
 遠くから聞こえる世界が軋む音――その中を一人、歩き続ける……。

 寂しい
 怖い
 ――……寂しい――

 そんな思いがすり抜けるように繰り返し私の中を通って行く――。
 纏まらない思考に、定まらない感情。
 だから、これは夢なのだと理解した。それなら、この世界が軋む音もただの夢の筈なのに。

 不安
 恐怖

 音を聞くたびに、私の心はそれに雁字搦めにされていく。
 歩いて、歩いて、歩いて――訳のわからない焦躁感が、加速度的に増していく。そんな時だった――。
 黒い黒い世界の先にポツンと一つ白いそれ。

 雪――

 雪ちゃんが、そこにいた。
 私に背を向けて、ただポツンと。
 その瞬間、私は動けなくなった。「雪ちゃん」と呼びかけようとしても、声が出ない。指も足も何もかもが動かせない。私と雪ちゃんの間には、透明で分厚い壁みたいなものがあって――声が出たとしても、きっと届かなかったとそう思う。

 黒い世界に白い色が一つ――

 その光景が酷く不安を掻きたてた。
 そんな私の不安を嘲笑うように、雪ちゃんが動いた。
 私から離れるように歩き出す。
 駄目だよ、そっちは!行かないで!!そう声を出したいのに、喉が張り付いたようになっていて……。その間にも雪ちゃんが、どんどん遠くなる。
 そして――パクリと黒いナニカに飲み込まれた――……   『ギシリ』――大きく世界が軋む。

 「雪ちゃんっ?!!」

 私はそう叫んで飛び起きた。私の声で起きてしまったらしい雪ちゃんが『まぁま、よんだ??』と寝ぼけた声で答える――。
 私の指先は、血の気が失せて冷たくなっていて、震える手で雪ちゃんを抱きしめてその温もりを感じて――やっと、安堵の息を吐く――そのお陰か、さっきのがただの夢だったんだって納得できた。
 雪ちゃんは、いきなり抱きしめた私に文句を言うでもなく『うにゅう』と言って、スゥスゥと寝息を立て始める。
 怖い夢だった。
 とても孤独で寂しくて。そして雪ちゃんが消えてしまう夢。
 お陰で今日は元気が無いとアルに心配される一日になってしまった。一応、夢の事を話して体調が悪い訳じゃないって納得しては貰えたけれど、相当酷い顔をしていたらしい。もう少しで保健室に直行させられる所だった。
 寮に帰ってからも、漠然とした不安感と気分の落ち込みは解消されなくって。寮が閉まるまでは時間があったから、夕方一人で散歩に出る事にして歩く――。
 雪ちゃんは、良く寝たままいつもの定位置。私の髪の毛を布団がわりに熟睡中。アルを誘おうかとも思ったけれど、皇太子は馬車でホテルに帰った所は見ていたので、まぁ、大丈夫だろうと寮を出た。

 「駄目だなぁ――」

 たかが夢――それなのに、何故か落ち着かない私の感情。
 散歩でもすれば、気分も変わるかと思ったけれど、中々上手くは行かないらしい。そんな時だった。校舎に向かって歩く人影――その人影には見覚えが合った。
 その人は、私に気が付いたらしく立ち止った後――そのままこちらに歩いて来る――。

 「クワイトスさん?こんな時間にどうしたのですか?」

 「――皇太子殿下が忘れ物をなさったらしく、取りに参りました」

 歩いて来たのは、皇太子の仮面の護衛騎士――クワイトスさんだった。
 どうやら、皇太子が宿題を忘れ――それを学外では侍女として動いているベッケン嬢が気が付き、クワイトスさんに取ってこい!となったらしい。
 何と言うか、相変わらず人を人とも思っていない感じを受けるのは、私の皇太子の印象が最悪だったからだろうか……。
 護衛を自分から離しちゃって良いのかな?と思ったけれど、クワイトスさんが帰るまではベッケン嬢が皇太子の傍から離れず、部屋から出さないようにしたのだとか。
 
 「それにしても、ここでお会い出来るとは――……先日はすぐにお助け出来無かった上、お手持ちの手巾を汚したままで――その――」

 申し訳無さそうにするクワイトスさんの話を良く聞けば、どうやら血の染みが落ちにくい事を失念していたらしく、あのハンカチを洗ったものの血の跡が残ってしまったらしい。

 「あぁ、それは――返して頂こうと思っていた訳ではありませんから。お気になさらず――」

 端っこに、四つ葉のクローバーとレンゲソウの花を手慰みに刺しただけの白いハンカチだ。元より、返却を求めるつもりも無かったので私はそう告げたのだけど……。

 「いえ、それでもこちらに多大な非があっての事――大変申し訳なく……」

 クワイトスさんはそう言うと、小さな白い紙袋を取りだした。
 そして「これを――」と言うと、私に手渡す。
 ベッケン嬢に渡して貰おうかとも悩んだのですが――……とクワイトスさん。けれど、自分が渡す方が誠意があるのでは?と考えて、数日前から機会を伺っていたらしい。

 「見ても宜しいですか?」

 そう聞けば、頷かれたのでそっと紙袋を開いた。中に入っていたのはハンカチだ。
 ガーゼのような生地が何枚か重ねられ、刺繍というより刺し子模様が入ったものだった。藍染のような色合いで、グラデーションがかかった生地と、様々な色を使った刺し子模様がとてもあっていて可愛らしい。
 庶民が使うハンカチの少しお高いタイプのものである。デザインやその美しい仕上がりを見れば、貴族が使っていたとしても珍しがられるけれど、馬鹿にされないレベル。丁寧な手仕事はそれだけで見る価値があると言う事だ。

 「公爵家のご令嬢に失礼かとも思ったのですが……絹のものや、刺繍やレースが使われたものは似たようなものを既にお持ちだろうかと――……知人の商家に行った折にこれが目に留りまして……もしお嫌でなければ、と……」

 「――いえ、とても素敵なものだと思いますが……こんな事を言うのも失礼ですが、これ、お高かったのじゃありません??――鉱石の糸を使ってますわよね……?」

 私がそう言ったのは、メインとなっているハンカチ表面の綺麗な刺し子模様に隠れるようにして、透けて見える模様に気が付いたから。
 幾枚か重ねた生地の中側――ほとんど見えなくなるそこに鉱石の糸で模様が描かれていたのだ。手がこんだ品である。鉱石糸と言うのは、字の通り――鉱石から糸を作ったものだ。他にも金属糸があったりする。
 これらは錬金術師等の技術者が開発した技術。魔法と鉱石、それと金属は相性が良いので主に術具等に使用される事が多い。それ以外にも、鉱石糸や金属糸は見た目がキラキラしていて綺麗なので結婚式のドレスの刺繍に使用されたり、ドレスを引きたてる小物の一部に使用される事が多いのだ。
 つまり、それなりにお高い糸です。
 クワイトスさんは、私の言葉に驚いた顔をした。

 「――流石ですね……何でも、幸福を祈る模様だそうです――ハッキリ言ってしまえば、ご令嬢にお渡しするには申し訳ない値段だとだけ……知人の商家でしたし――糸は手持ちが……」

 そう言った後、クワイトスさんはシマッタ!といった雰囲気で口を噤んだ。
 まぁ、そうだよね……。『糸は手持ち』って言ったんだもの……。と言う事は、目に入って気に入ったから買ったという言葉とは矛盾する。
 多分、知人のお店で相談してワザワザ作ってくれたっぽい。けれど、それを言うと重たい印象になるから、既製品を買ったって言ったんだろう。
 さて、どうしたものか……。
 クワイトスさんの行動は、皇太子を止められなかったと言う私に対しての罪悪感が主だろう……。後は、ハンカチを汚して綺麗に出来無かった申し訳無さ――かな?
 どちらにしても、このハンカチは作られてしまったのだし……突き返すのも違う気がする……。お値段は安かったと言う事だけを信じれば、気が付かなかったフリをして大人しく貰ってしまった方が無難だろうか。

 「――……そうなんですのね?とても美しい手巾で驚きましたわ……。大切に使わせて頂きます――ありがとうございます」

 にっこりと笑顔で言えば、クワイトスさんはホッとした顔をした。
 まぁ、これを返されてもクワイトスさんが使う訳にもいかないしね。お礼を受け取ってしまえば、この話は此処で終わり。後で、揉めるような事態にもならないだろうと考えての行動だった。

 「――……王太子殿下は、素晴らしい方ですね……」

 唐突にそう言われて、私はキョトンとした顔をしてクワイトスさんを見上げた。

 「済みません、こんな事を言った所で致し方も無いのですが――……貴女は、お幸せですか??」

 脈絡の無い問い――。
 けれど、その言葉の中にアルのような人物が皇太子であったのなら――という微かな羨ましさを私は感じた。
 そして、アルのような婚約者がいる私は幸せなのか――?と問われたのだと思う。それなら、答える言葉は一つだけだ――

 「――……えぇ。私は幸せですわ!」

 好きな人と、恋人になれて――将来は結婚する。
 政略で結婚する事が多い貴族。その中にあって婚約者に恋ができた私は幸運だった。まだまだ、クリアしないといけない問題は山積みだったけれど、それもちゃんと乗り越えられるって思えるのはアルが傍にいてくれるからだ。
 私の答えに、クワイトスさんは笑顔を浮かべた――けれど、何故かそれが泣いていように見える。
 何故だろう……?
 そう思ったのは一瞬で、クワイトスさんは普通の笑顔で「皇太子殿下をお待たせする訳にもいかないので……」と礼をすると、校舎の方へと歩き去って行ったのだった――。
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 どう展開するかは決めていたのですが、その展開までどうやって持って行くかをここ数日、悩んでました。
 ルートA、B、C――どれにしよう……?って感じだったのですが、やっとこ定まった感じです。
 物語の本編は全体を通してみれば終盤――ルートが決まったので、そこに辿りつくまで頑張りたいと思います!

 次は1話だけ 閑話『???』が入ります。宜しくお願いしますm(_ _)m
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