死ぬほど愛しているけれど、妻/夫に悟られるわけにはいかないんです

杏 みん

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83.エレベーターは密室でドキドキ、じゃないからね、監視カメラちゃんとあるからね

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 「……………………整理していいか」

 病院の食堂とは思えない、スタイリッシュな空間で。
 文法も時系列もめちゃくちゃな、私の長話を黙って聞いてくれた後……そう切り出した蓮ちゃん。
 私は、コクリと頷いた。

 「まず……運動会については仁と話し合えた。唯の発言の真意もきちんと伝えられた。で、辞退は回避できた。だからこれは解決。いい?」

 「うん」

 「次。清香について。仁に好意を抱いている事はやはり事実だった。でも仁はそれに応じていないし、応じるつもりもない。だから放置でOK。だからこれも解決。どう?」

 「あ、あ、でもね、さっきも話した通り――」

 「清香が何をしようが、仁にその気が無いならスキャンダルになりようがないだろう」

 「だけど……っ、例えば、斎藤さんが職場で仁ちゃんにめちゃめちゃベタベタしたとしたら!? 仁ちゃんにその気が無くても、絶対変な噂が立つでしょう?」

 「清香の行動が目に余るようなら、仁が上司に訴えて異動させるよ。スカウト課のエースと、秘書課から飛ばされてきた新人アシスタント……唯なら、どっちの意見を重んじる?」

 「……でも、でも、そういういざこざは無いに越した事は無いでしょう? だから、私は運動会で頑張るのっ。仁ちゃんが一等を取れば、斎藤さんは引き下がるって約束してくれたし」

 ガッツポーズをして、鼻息を荒くする私に、蓮ちゃんはため息を吐いた。

 「あっ、この間も言ったけど、蓮ちゃんは何もしてくれなくていいからね。ここは……借り物競争は、私自身が頑張らなきゃいけないトコだと思うんだ」

 「……わかった。凛と清香の妨害は心配だけど……唯の事は仁が守ってくれると信じて、見守るよ。はい、じゃ、これも解決」

 「あ……なんかごめんね、アドバイスしてくれてるのに、我を貫く着地の仕方で……。時間、大丈夫?」

 カップに並々注がれたミルクティーをすすりながら謝る。蓮ちゃんは黒豆茶の入ったマグをテーブルに置いて、腕時計を見た。

 「そうだな……そろそろアポの時間だ」

 「え! 大変! 行こう!」

 慌ててカップを持って『食器返却場』と書かれた棚に走る。

 「蓮ちゃんのも片付けとくから! 行っちゃってて大丈夫だよ」

 そんな私の後ろから『そこまで急がなくてもいいよ』と声をかけてくれる蓮ちゃん。殆ど減っていない黒豆茶の入った、マグをしっかりと持って。

 「ロビーまで送る。俺もそこで院長と待ち合わせしてるし」

 「院長? 蓮ちゃん今、医療系の部署にいるの?」

 食器を片付け、テーブルをささっと拭いてから、速足で食堂を後にし、エレベーターを目指す。
 急がなくてもいいと言われたけれど、万が一にも蓮ちゃんを遅刻させるわけにはいかないから。

 「いや、そういうわけじゃないんだけど。次の異動先で活かせるように、休みの日を使って動いてるんだ。今日は院長に人事の事色々聞けたらと思って」

 「え!? 休み……!?」

 エレベーターのボタンを押しながら、一瞬固まってしまった。
 仕事が休みの日に、仕事をする……。さすがは生粋の、意識高い系……っ。

 「この前唯をここに送った時、タクシーが何台も停まってただろ。俺の後ろにも次々来てた」

 「そう……だったかな?」

 全然覚えてない。あの時は、仁ちゃんが心配すぎて、まわりを見る余裕もなく。

 「一般外来の終了時間が過ぎてるのに、まだ一定数の患者が出入りしているんだな、って思った。入院患者の見舞いの可能性もあるけど。血統種である仁の受診にも対応出来てる点からも、ここの救急診療体制は充実してるのかもしれない。時間外に、バンバン急患を受け入れられる位に。血統種専門医は万年不足してるのに、大学は労働力を外に出したがらないから、そこに人材の吹き溜まりができてる可能性が――」

 と。そこまで語ったタイミングで、蓮ちゃんは気付いた様子。私の頭から、煙が出ている事に。

 「悪い、つまらない話を……」

 「ううん、とんでもない! やっぱり蓮ちゃんてすごいなあ~と思って。一つの種から百も二百も収穫するというか! 次の部署でも大活躍間違い無しだね!」

 「だから……褒めすぎだって」

 照れくさそうに視線を外す蓮ちゃん。
 可愛い。誰もが認める才色兼備の完璧人間なのに、私なんぞに褒められただけで照れてくれる謙虚さが……たまらなく可愛い。思わず、ニヤニヤしてしまう。

 でも……少し気になるのは……。

 「……あんまり頑張り過ぎないようにね?もしかして蓮ちゃん、ちゃんと寝れてないんじゃない?」

 「……えっ、……ああ、黒豆茶……」

 キョトン、からの、っは! からの苦笑い。

 「この前も、ルイボスティー飲んでたし……カフェイン摂らないようにしてるんだよね?」

 「唯こそ、さすがだな。よく見てる」 

 チーンという音に続いて、エレベーターの扉が開く。
 私の背をそっと押す蓮ちゃんの横顔には……うっすらと疲労の色が滲んでいた。

 「まぁ、生きてれば色々ある。俺だけじゃない、皆あれこれ悩んで、それでも頑張って毎日生きてるんだよな」

 自分自身に言い聞かせるような、言葉。
 
 蓮ちゃんは、昔からそうだ。
 どんなに辛い事があっても、自分だけじゃない。もっと苦しんでる人もいる。皆頑張ってる。だから自分も……そうして、無理をしてしまう人。

 「私に出来る事があったら……何でも言ってね? あ、蓮ちゃんほどの人が、私にどうにか出来る事なんかで悩まないってわかってはいるんだけど……」

 『だったら言うなよ』という、差し出がましい申し出だけど。
 でも、それでも、助けられるばかりじゃ嫌なんだ。
 私だって蓮ちゃんの役に立ちたい。大事な大事な、蓮ちゃんの。

 「それじゃあ……頼んでいいか。解決してなかったもう一つの問題について……俺のアドバイス、きいてほしい」

 「もう一つの問題?」

 目を数回瞬かせてから、それが何を指すのか、気が付いた。

 「あ、えと、仁ちゃんにされた、アレの事!?」

 そうだ。勢いに任せて、昨夜の事も全部話してしまったんだった。
 今更ながら、恥ずかしくなってしまう。

 「い、いいのあれは……確かに今朝まではすごく悩んでたんだけど! もう解決済というか! 斎藤さんとのゴタゴタがあって、気持ちを切り替えられた! もうアレについて考えるのはやめよう、深い意味は無かったんだろうし、今は借り物競争に集中! 絶対1等取るぞって! だからもう大丈夫! というか、私がアドバイスを貰う事が、どうして蓮ちゃんの役に立」

 正直な気持ちの推移を、懸命になって話していたのだけど。最後までは、聞いて貰えなかった。


 志半ばで、唇を塞がれてしまったから。


 「…………え?」

 ポカンとする私を、至近距離で見つめる、蓮ちゃん。

 「キスした理由、今の俺と同じだと思う」


 チーン。


 再び響く、音。
 開く扉。
 離れていく、蓮ちゃんの良い香り。


 昨夜の転倒といい、たった今のエレベーターでの出来事といい……。

 「なんか……ドラマみたい……」

 現実に遭遇するとは思っていなかった出来事の連続に――私はどこか、他人事のような感覚で、呟いてしまった。
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