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8_side A

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 付き合って三ヶ月目の今日、私は仕事だった。休んでもよかったんだけど、響くんが「せっかくだし」と出勤させてくれた。現在16時、そろそろやってくる。

「いらっしゃいませー」

 熱田くんが先に「おっ」と反応した。やってきた響くんは、照れくさそうに辺りを見渡した。

「なんかその、緊張するね。改めてお客さんとしてくると」
「ふふ、不思議な感じするね」

 響くんは「うん」とはにかんだ。この三ヶ月、私は響くんとずっと一緒にいて心から安心していた。この人なら本当に愛してくれる、って思えている。
 何故か焔も懐いているし。今日も「にいちゃんに会えるなら行く」と言っていたけど、さすがにそれは遠慮してもらった。

「じゃあ、早速選ぼうか。響くん、指輪したことある?」

 響くんは首を振った。

「ペアリングとかそんなのやったことなくて。その、そんなに今まで続いたこともないしさ」
「そうなんだ……」

 少し心の奥が、きゅっと締まった。でも、嫌な感情じゃないことだけは確か。
 ひとまず人気ランキングに誘導していく。三十種類のペアリングをずらっと並べていて、響くんは見入っていた。

「灯ちゃんごめん、どれがいいんだろう。やっぱり一位?」
「好みによるけど……その前にサイズ測ろうか。ね、どっちにする?右と左」

 響くんは両手をじっと見た。そして、「右」と呟く。利き手にあると邪魔に感じる職人さんは多いし、その流れだろうか。私はリングゲージを持って、響くんの指にひとつ通した。十七号は、大きいか。ひとつ下げて、ひとつ下げて……としていると、頭上から何か声が落ちてくる。顔を上げると、響くんは気まずそうに口を動かした。

「……その。お客さんみんなにこの距離感なの?」
「え?う、うん。基本的には」
「そっか……うん、仕事だもんね……」

 なんとなく考えていることがわかって、響くんの手をぎゅっと握った。

「ここまでするのは、響くんだけだよ」
「灯ちゃん……」

 響くんの声が、柔らかくなる。この人が重度の不安がりなのは、最初から勘付いてはいた。束縛もきっとしたいんだろうけど、きっと私に気を遣って出来ないんだろう。……だからこそ、ペアリングの購入は私から提案した。彼はとても喜んでくれた。
 改めてランキングに向き直り、まずは一位に設定されているものを響くんの指に通した。銀色の細身で、男性にしては綺麗な骨格をしている響くんの手によく映えていた。

「どう?」
「すごくシンプル。それに、軽いんだね。指輪っってもっとがちゃがちゃしてるのかと思ってた」
「この子はとくに細いから、つけ心地はだいぶ軽いよ」

 私の言葉を聞いて、響くんは「ふはっ」と笑った。彼を見ると、「ごめんごめん」と微笑む。

「いや、やっぱり『この子』って言っちゃうよね。俺も言っちゃう」
「ああ、そっか……言わないのか、普通は」

 響くんは自分で作ってるから余計にだろう。そういえば、響くんの作品はまだ直接は見せてもらっていない。熱田くんが一度自分が貰ったという財布を見せてくれたけれど、その精巧さに感動したのを覚えている。
 一旦指輪をトレイにおいて、他の指輪も観察し始める。

「そもそもここが十金素材っていって、十八金みたいに金を使ってるの。だからシルバーみたいに黒くならないし、アルコールとかにも強いね。着けっぱなしにするならこっちがいいかな。結婚指輪として選ぶ人もいるよ」

 そこまで言うと、響くんがびくりと身を跳ねさせた。「どうしたの」と聞いてみると、顔を真っ赤にしてこちらを見てくる。

「……そっか。結婚って、指輪……着けるもんね。そっか」

 マスクを着けていても、なんとなく表情や考えている事が分かるようになってきた。私もにやけそうになったけど、一応今は仕事中だから切り替えた。

「一応結婚指輪はプラチナが人気だから、それも見てみる?」
「い、いいっ。大丈夫!そ、その……ごめん。なんか、ペアリングもそんな感じに思えてきて……顔が、熱いや」

 なんだか可愛らしくて、でもパニックになってる気配もあったからひとまず手を伸ばして頭を撫でてみた。他にお客様がいなかったからこそ出来た一瞬の行為だったけれど、響くんは「ひゃああ」と声を上げる。熱田くんはニヤニヤしながらこちらを見ていた。
 響くんは改めて私に向き直る。

「灯ちゃんは好きなのないの?」
「私?んー、これとかかな」

 ランキングにおける四位。細身だけど流線形で、細かなダイヤモンドを表面にいくつか散らしている。男性用の分は同じ形で、装飾を入れていないものでどこか一位に似ているものだ。

「着けてみて」
「私が?」
「灯ちゃんとの、ペアリングだから」

 そう言われてみて、それは確かにと腑に落ちた。指に通して、翳す。細かい光が、きらきらと散った。響くんの指にメンズを通すと、響くんも私の真似をした。

「これがいいかな」
「え、いいの?」
「一位の子かなあと思ってたけど、灯ちゃんそっちの方が似合うし。それに、着けてみてこの子いいなって思った」

 にこにこしながら言う響くんが可愛くて、また撫でたくなった。けれど今度はお店の前をお客様が通ったから自粛した。ちなみに熱田くんが「いらっしゃいまっせーい!」と元気よく飛び出していった。
 結局この指輪はオーダー品というのもあって、注文だけ行った。それなりの値段がするから私支払いの社販価格を申請したけれど、響くんに押し切られる形で彼が支払ってくれた。

「出来上がりは来月でお店に届くから、また渡すね」
「ありがとう」

 柔らかい微笑み。ああ、やっぱり私は……この人が好きなんだと、再認識した。
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