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31.子どもの威嚇、か。
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「ギルヴィア・ジルガニッレの指示かな? まったく、性悪女らしい手口だよ」
「わがとうしゅの悪口は、やめてください」
クロイアの声はあくまで子どもだったが、その冷たさは子どもの域から脱していた。ラルネスは鼻で嗤う。
「なるほど、君もすっかりジルガニッレの人間と自負しているわけか。都市部の教会で聞いたが、もうすでに次期当主に内定しているんだって? 僕と同じだね」
「あなたといっしょにされたくありません」
クロイアは弓を拾おうとはしない。しかしその目は厳しくラルネスを見つめていた。
ラルネスは深くため息を吐く。
「……どうやら偶然、ではあるらしい。なるほど、そこにうまく乗っかった感じなんだね。いや、君を乗せたに等しいか」
「何のはなしですか」
「君は、自分のしている事を理解しているのかい」
ラルネスの余裕すら抱えた問いに、クロイアは首を振った。
「ぼくはまだ子どもです。だから、理解するひつようなんてないんです。ただ、ジルガニッレを守ることができれば、それでいいんです」
ラルネスの目から、余裕が消えた。そのまま、クロイアへと歩み寄ってくる。クロイアは何も言わず、引かなかった。ただしっかりとラルネスを見上げている。
ばきり、と地面から音かした。クロイアの弓が、ラルネスの靴の下にあった。
「そういうところが本当に大嫌いだよ。皆そうだ」
その声は、ぞっとする程冷え切っていた。しかし、クロイアは反応を見せないように耐える。そうしなければならなかった。
この男は、こちらが弱みを見せればすぐさま入り込んでくる。そう……聞かされていた。
「君、自分の父上が何をしたか知っているのかい」
クロイアの表情が、歪んだ。そこに、畳みかけてくる。
「君の父上とジェリアの関係は、知っているのかい」
クロイアは、長く唇を動かさなかった。しかしやがて、観念したかのように呟く。
「……分かりません」
「ほう」
「ただ……父さんは、ジェリアさんと結婚しようとしています。母さんがいるのに……いや、だから、あんなことを……あんなことを」
クロイアの声が震えている。それはどこか混乱しているようにも見えた。
ラルネスは何も言わない。それを促されたと感じたのか、クロイアは絞り出す。
「……はだかで、だきしめあって。ジェリアさんはでも、泣いていました。いつもとちがう声を……」
察した。ラルネスの胸の奥で、ぎゅっと何かが締め付けてくる感触。予想通りだったはずなのに、実際言葉として聞くと衝撃が走る。
……ジェリアがまた、あの男に。食い物に、されている。
ラルネスはもう一歩、クロイアに近付いた。今度はびくりと脈打つクロイアの頭をそっと撫でる。訳が分からずラルネスを見上げるクロイアに、微笑みかけた。
「弓、すまなかった。新しいものを用意して届けよう」
「い、いりません! それはとうしゅさまがくださった……」
「だったら尚更さ」
クロイアの頭から、ラルネスは手をどける。そして、歩き出した。
「……そうだな。僕の計画は君の救済にもなり得る。いずれ僕に感謝する時が来るよ、哀れな子羊くん」
ラルネスの呟きは、どこか歌うようでもあった。彼はそのまま、教会のそばにつけてあった馬車に乗り込む。
がらがらがら、と音を立てて車輪を進ませていくラルネスの馬車を、クロイアは悔しそうに見つめていた。しかし気を取り直して、弓を拾う。ラルネスに踏まれてしまったせいで、真っ二つになっていた。直せるだろうか。
「とうしゅさま……」
伯母は厳しく苛烈だが、優しい大人だ。父の姉と言えど、雰囲気は違う。エクソシストとして、ジルガニッレとしての教育はほとんどすべて彼女にされたと言っても過言ではない。だからこそ、昨日のように父に鍛錬を手伝ってもらえたのは新鮮だった。
……あの父が。ジェリアにしていた行為の意味は、クロイアには分からない。ただ、薄目を開けて、眠った振りをしているクロイアの隣にいた二人はとてつもない熱気を放っていた。思い返すだけで、胸の奥がぎゅっと熱くなる。
『ジェリア』
あの声は、父が母を呼ぶ時とは打って変わって……甘い、熱い声だった。
父はジェリアを愛している。それは、子どもながらに察していた。しかし、それを言うなら……自分もだ。
「はやく……おとなに、なりたいなあ」
そうすればきっと、ジェリアも自分を対等に見てくれるだろうに。それこそ、母を妻として抱える父よりも、道としては真っ当だ。
クロイアは歩き出した。教会の修行を抜け出してきた状態だ、早く戻らなければ。
「緊急事態! 緊急事態発生!」
エリオードが南部から都市部へと帰還し、三日。
都市部に居を構える中央教会の中で、エクソシストの一人が叫びながら駆けていた。すれ違うエクソシスト全員、何事かという顔をしながらも駆けだした。
「エクソシスト総員、現在の仕事を止めて会議室へ集合!」
扉を厳重に封鎖している地下聖泉にまで、その声は届く。エリオードは聖泉に浮くゴミを排する手を止め、駆け足で地上へと向かう。厳重な扉を開き素早く錠を閉めると、会議室へ駆けだした。
会議室にはすでに半数程のエクソシストがいたが、すぐに全員が集合する。人数を確認すると、重い表情をしたモシェロイが口を開いた。
「……アーネハイト家当主と当主夫人が何者かにより殺害された」
それを聞き、全員の顔が強ばる。それは、エリオードも同じだった。
アーネハイト家当主といえば、確かジェリアの父の兄……つまり、ジェリアの伯父に当たる人物だ。そして、ラルネス・アーネハイトの父。
モシェロイは壁に一枚の大きな紙を張りだした。エヴァイアン都市部の地図だ。彼は指示棒で一点を指す。
「遺体が発見されたのは三十分前。令息であるラルネス・アーネハイト氏による通報だ」
「何故教会に?」
一人のエクソシストが言葉を発する。確かに、こういった事件の場合は通報は直接国主へ向かうはずだ。まさか。
「犯人は依然として逃亡中。侵入経路と思しき地点がここだ」
ぐるり、と指示棒がアーネハイト本邸の周囲に円を描いた。そして、その内の……方角で言えば真北を叩く。
「ラルネス氏が言うには、ここの結界石が破壊されていたらしい。結界石はオブジェを模して置いていた……つまりわざわざ壊す必要が無かったはずだ。壊した理由とすれば、単純だ。『あれば邪魔』と考えられていたということだ」
結界石は、特殊な鉱石を地下聖泉に漬け込む事で作られる。聖泉の清らかな水を浴びさせる事で、亡霊の侵入を弾くのだ。勿論作り方は門外不出で、石の特徴が分かるのは管理している教会関係者と……その敵だけだ。
「ネクロマンサーが噛んでいる可能性が非常に高い。念のため何名か急行させ、現在結界の応急処置中だ。それもあって、現場検証は我々エクソシストが行う事になった」
モシェロイの顔は険しい。そのまま、続けた。
「現状緊急任務に当たっている人員分の穴を埋めるため、ロドハルトからも数名の派遣を依頼している。それを踏まえて今から二つの班に分ける。片方はアーネハイト邸現場検証、もう片方はエヴァイアン都市部周辺に隠れている犯人の捜索だ」
全員が「はっ」と返事する。
すぐさまモシェロイにより、班分けが発表される。エリオードを含め数名がアーネハイト邸の現場検証に出る事になった。実際現場に向かうのはロドハルトから派遣されてくるエクソシストと合流してからだそうなので、一旦自邸へと向かう事にする。こうなると、なかなか帰宅出来なくなる。
馬車を使うまでもなくジルガニッレ邸へ到着し、早速自邸へと入り込む。昼間なので明かりはない。しかし、気配はあった。奥の方だ。きっとエリオードにはまだ気付いていない。
一旦寝室に入る。フォニカによって乱されたままのベッドを見て、うんざりする。ジェリアならばあの几帳面な性格で、絶対起きてすぐ直すだろうに。
「……ん?」
ベッドに、一枚の封筒が落ちているのを見つけた。何かと思い、拾い上げる。フォニカ宛だった。それも切手を見るに、鳩による直急便だ。
「あら、今日は早いのね」
突然、声が聞こえる。ハッとして振り返る。反射で、封筒を胸元にしまい込んだ。
現れたフォニカは嬉しそうだった。しかし、気にも留めていられない。「すぐに出る」と呟くと、フォニカは駆け寄ってきた。気のせいだろうか、どこか顔が……青い。
「体調でも悪いのか」
さすがにそう言わざるを得なかった。フォニカはうなずく。しかしそれは、どこか嬉しそうで。彼女は満開の笑顔で、返した。
「私、妊娠したわ」
「わがとうしゅの悪口は、やめてください」
クロイアの声はあくまで子どもだったが、その冷たさは子どもの域から脱していた。ラルネスは鼻で嗤う。
「なるほど、君もすっかりジルガニッレの人間と自負しているわけか。都市部の教会で聞いたが、もうすでに次期当主に内定しているんだって? 僕と同じだね」
「あなたといっしょにされたくありません」
クロイアは弓を拾おうとはしない。しかしその目は厳しくラルネスを見つめていた。
ラルネスは深くため息を吐く。
「……どうやら偶然、ではあるらしい。なるほど、そこにうまく乗っかった感じなんだね。いや、君を乗せたに等しいか」
「何のはなしですか」
「君は、自分のしている事を理解しているのかい」
ラルネスの余裕すら抱えた問いに、クロイアは首を振った。
「ぼくはまだ子どもです。だから、理解するひつようなんてないんです。ただ、ジルガニッレを守ることができれば、それでいいんです」
ラルネスの目から、余裕が消えた。そのまま、クロイアへと歩み寄ってくる。クロイアは何も言わず、引かなかった。ただしっかりとラルネスを見上げている。
ばきり、と地面から音かした。クロイアの弓が、ラルネスの靴の下にあった。
「そういうところが本当に大嫌いだよ。皆そうだ」
その声は、ぞっとする程冷え切っていた。しかし、クロイアは反応を見せないように耐える。そうしなければならなかった。
この男は、こちらが弱みを見せればすぐさま入り込んでくる。そう……聞かされていた。
「君、自分の父上が何をしたか知っているのかい」
クロイアの表情が、歪んだ。そこに、畳みかけてくる。
「君の父上とジェリアの関係は、知っているのかい」
クロイアは、長く唇を動かさなかった。しかしやがて、観念したかのように呟く。
「……分かりません」
「ほう」
「ただ……父さんは、ジェリアさんと結婚しようとしています。母さんがいるのに……いや、だから、あんなことを……あんなことを」
クロイアの声が震えている。それはどこか混乱しているようにも見えた。
ラルネスは何も言わない。それを促されたと感じたのか、クロイアは絞り出す。
「……はだかで、だきしめあって。ジェリアさんはでも、泣いていました。いつもとちがう声を……」
察した。ラルネスの胸の奥で、ぎゅっと何かが締め付けてくる感触。予想通りだったはずなのに、実際言葉として聞くと衝撃が走る。
……ジェリアがまた、あの男に。食い物に、されている。
ラルネスはもう一歩、クロイアに近付いた。今度はびくりと脈打つクロイアの頭をそっと撫でる。訳が分からずラルネスを見上げるクロイアに、微笑みかけた。
「弓、すまなかった。新しいものを用意して届けよう」
「い、いりません! それはとうしゅさまがくださった……」
「だったら尚更さ」
クロイアの頭から、ラルネスは手をどける。そして、歩き出した。
「……そうだな。僕の計画は君の救済にもなり得る。いずれ僕に感謝する時が来るよ、哀れな子羊くん」
ラルネスの呟きは、どこか歌うようでもあった。彼はそのまま、教会のそばにつけてあった馬車に乗り込む。
がらがらがら、と音を立てて車輪を進ませていくラルネスの馬車を、クロイアは悔しそうに見つめていた。しかし気を取り直して、弓を拾う。ラルネスに踏まれてしまったせいで、真っ二つになっていた。直せるだろうか。
「とうしゅさま……」
伯母は厳しく苛烈だが、優しい大人だ。父の姉と言えど、雰囲気は違う。エクソシストとして、ジルガニッレとしての教育はほとんどすべて彼女にされたと言っても過言ではない。だからこそ、昨日のように父に鍛錬を手伝ってもらえたのは新鮮だった。
……あの父が。ジェリアにしていた行為の意味は、クロイアには分からない。ただ、薄目を開けて、眠った振りをしているクロイアの隣にいた二人はとてつもない熱気を放っていた。思い返すだけで、胸の奥がぎゅっと熱くなる。
『ジェリア』
あの声は、父が母を呼ぶ時とは打って変わって……甘い、熱い声だった。
父はジェリアを愛している。それは、子どもながらに察していた。しかし、それを言うなら……自分もだ。
「はやく……おとなに、なりたいなあ」
そうすればきっと、ジェリアも自分を対等に見てくれるだろうに。それこそ、母を妻として抱える父よりも、道としては真っ当だ。
クロイアは歩き出した。教会の修行を抜け出してきた状態だ、早く戻らなければ。
「緊急事態! 緊急事態発生!」
エリオードが南部から都市部へと帰還し、三日。
都市部に居を構える中央教会の中で、エクソシストの一人が叫びながら駆けていた。すれ違うエクソシスト全員、何事かという顔をしながらも駆けだした。
「エクソシスト総員、現在の仕事を止めて会議室へ集合!」
扉を厳重に封鎖している地下聖泉にまで、その声は届く。エリオードは聖泉に浮くゴミを排する手を止め、駆け足で地上へと向かう。厳重な扉を開き素早く錠を閉めると、会議室へ駆けだした。
会議室にはすでに半数程のエクソシストがいたが、すぐに全員が集合する。人数を確認すると、重い表情をしたモシェロイが口を開いた。
「……アーネハイト家当主と当主夫人が何者かにより殺害された」
それを聞き、全員の顔が強ばる。それは、エリオードも同じだった。
アーネハイト家当主といえば、確かジェリアの父の兄……つまり、ジェリアの伯父に当たる人物だ。そして、ラルネス・アーネハイトの父。
モシェロイは壁に一枚の大きな紙を張りだした。エヴァイアン都市部の地図だ。彼は指示棒で一点を指す。
「遺体が発見されたのは三十分前。令息であるラルネス・アーネハイト氏による通報だ」
「何故教会に?」
一人のエクソシストが言葉を発する。確かに、こういった事件の場合は通報は直接国主へ向かうはずだ。まさか。
「犯人は依然として逃亡中。侵入経路と思しき地点がここだ」
ぐるり、と指示棒がアーネハイト本邸の周囲に円を描いた。そして、その内の……方角で言えば真北を叩く。
「ラルネス氏が言うには、ここの結界石が破壊されていたらしい。結界石はオブジェを模して置いていた……つまりわざわざ壊す必要が無かったはずだ。壊した理由とすれば、単純だ。『あれば邪魔』と考えられていたということだ」
結界石は、特殊な鉱石を地下聖泉に漬け込む事で作られる。聖泉の清らかな水を浴びさせる事で、亡霊の侵入を弾くのだ。勿論作り方は門外不出で、石の特徴が分かるのは管理している教会関係者と……その敵だけだ。
「ネクロマンサーが噛んでいる可能性が非常に高い。念のため何名か急行させ、現在結界の応急処置中だ。それもあって、現場検証は我々エクソシストが行う事になった」
モシェロイの顔は険しい。そのまま、続けた。
「現状緊急任務に当たっている人員分の穴を埋めるため、ロドハルトからも数名の派遣を依頼している。それを踏まえて今から二つの班に分ける。片方はアーネハイト邸現場検証、もう片方はエヴァイアン都市部周辺に隠れている犯人の捜索だ」
全員が「はっ」と返事する。
すぐさまモシェロイにより、班分けが発表される。エリオードを含め数名がアーネハイト邸の現場検証に出る事になった。実際現場に向かうのはロドハルトから派遣されてくるエクソシストと合流してからだそうなので、一旦自邸へと向かう事にする。こうなると、なかなか帰宅出来なくなる。
馬車を使うまでもなくジルガニッレ邸へ到着し、早速自邸へと入り込む。昼間なので明かりはない。しかし、気配はあった。奥の方だ。きっとエリオードにはまだ気付いていない。
一旦寝室に入る。フォニカによって乱されたままのベッドを見て、うんざりする。ジェリアならばあの几帳面な性格で、絶対起きてすぐ直すだろうに。
「……ん?」
ベッドに、一枚の封筒が落ちているのを見つけた。何かと思い、拾い上げる。フォニカ宛だった。それも切手を見るに、鳩による直急便だ。
「あら、今日は早いのね」
突然、声が聞こえる。ハッとして振り返る。反射で、封筒を胸元にしまい込んだ。
現れたフォニカは嬉しそうだった。しかし、気にも留めていられない。「すぐに出る」と呟くと、フォニカは駆け寄ってきた。気のせいだろうか、どこか顔が……青い。
「体調でも悪いのか」
さすがにそう言わざるを得なかった。フォニカはうなずく。しかしそれは、どこか嬉しそうで。彼女は満開の笑顔で、返した。
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