カラフルドロップス

浅川瀬流

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その空に放つ

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 ぬいぐるみ恐怖症。

 ホラー映画などの影響でトラウマになり、ぬいぐるみがいる部屋に入れなかったり、ぬいぐるみを直視できなかったりする。恐怖症の一つだ。

 大学一年の七海ななみも、幼いころに両親からプレゼントされたぬいぐるみが、声を出すタイプのもので、ひどく恐怖心をいだくようになった。

「なんだこれ?」

 あるとき七海は、近所の公園に貼られたポスターを目にした。『ぬいぐるみ恐怖症おしゃべり会&ぬいぐるみ飛ばし大会、開催決定!』と、でかでかと書かれている。

「なんだこれ?」

 再びつぶやくと、地味に長い開催内容文に目を通した。

『ぬいぐるみ恐怖症のかた必見! 同じ境遇の人と交流できる画期的なイベントです。なかなか共感してもらえない恐怖症だからこそ、自分と同じ気持ちの人と思う存分おしゃべりしましょう。そしてイベントの目玉、ぬいぐるみ飛ばし大会を実施します。苦手なぬいぐるみを手にするのは苦痛かもしれませんが、思いっきり投げ飛ばし、スカッとしてみませんか?』

「なんかすっげーアホなイベントだな」
 そう言いつつも七海の口角は上がっていた。高校までソフトボール部でピッチャーをしていた彼女にとって、久々に物を投げられる機会だ。とはいえ、ボールではなくぬいぐるみなのだが。

 七海はぬいぐるみに触れることはできるが、長い時間はムリだ。そのあと確実に具合が悪くなる。だがまあ、投げ飛ばすだけなら大丈夫だろう。七海は今週の日曜に開催されるそのイベントに参加することを決めた。

 そして日曜日。会場である公園には意外とたくさんの人が集まった。みんなぬいぐるみ恐怖症なんだよな、と七海は一人関心する。動きやすいようにジャージを着たが、周りを見回すとみんな普段着だった。

 司会者がマイクを使って開催宣言をした。まずはおしゃべり会である。公園内にはテーブルがセッティングされ、飲み物やお菓子が用意されている。立食パーティーみたいなイメージを持ってもらえばわかりやすい。
 自由に歩き回っておしゃべりをするようだ。なんとも投げやりなイベントである。

 七海は配られた紙コップを持ち、コーラを入れようと手を伸ばす。すると、誰かと手がぶつかった。
「あ、すみません。お先にどうぞ」
 相手がサッと謝り、七海に譲る。眼鏡をかけたその男性と目が合った。そんな彼も上下ジャージ姿。同じことを思ったのか、二人は思わず笑った。

「大会って聞くとジャージかなと思って」
 そう言って目を細める彼に、七海は大きくうなずいた。
「わかるっす。なかなか高校生気分が抜けないんだよな」

 七海は2リットルのペットボトルを持ち、彼の分も一緒に注いだ。そのまま木陰へと移動し、二人のおしゃべり会が始まった。

「僕は間宮まみや京太けいた。大学三年」
「大学一年、近藤こんどう七海」
「近藤さんもぬいぐるみ苦手、なんだよね?」
「そう見えないっすか?」
「うん、なんか怖いものなさそうな感じ」
「よく言われるっす」

 なんだか自分とは全然タイプの違う人だな、と七海は思った。七海の頭には京太が教室で本を読んでいる姿が思い浮かぶ。イメージにピッタリである。

「間宮さんはなんでぬいぐるみ恐怖症になったんすか?」
 正直こんなに大勢の恐怖症の人に会えるとは思っていなかった。みんなはなにをきっかけにぬいぐるみが怖くなったのだろう。

「妹がいるんだけど、家に飾ってあるひな人形を見てから、ぬいぐるみもダメになったんだ」
「あー、たしかにひな人形は怖いっすね」

 うんうんと相づちを打つ七海に、京太は瞳を輝かせた。同士に出会えて嬉しいのだろう。

「ぬいぐるみのあの目がとくに嫌なんだ」
「同意っす! 光のないあの目を直視できない」
「だよね。小学生のころなんて女の子たちがぬいぐるみごっことかして遊んでたし、もう視界に入るだけで苦痛で」
「友だちの部屋に行ったとき、四方八方ぬいぐるみだらけで気持ち悪くなったことあるっす」
「うわ……それは怖すぎる。呪われそうだよね」
「ほんとそれ! 突然動き出して、襲われたりな」

 ぬいぐるみの話でこんなに盛り上がれるとは。二人がその後も話し込んでいると、司会者の声が聞こえた。いよいよぬいぐるみ飛ばし大会をやるそうだ。上位5名には景品もあるらしいので、七海のやる気は俄然がぜん上がった。ジャージ姿の京太も気合は十分のようだ。

「そういえば近藤さんは何部だったの? やっぱ運動部だよね?」
 お菓子を食べながら順番待ちをしている七海に、京太は質問した。彼は準備運動を念入りにしている。

「ソフトっす」
 七海はお菓子をボールに見立て、投げる動作をした。
「それじゃ投げるのは得意な感じだね」
「優勝狙うんで」
 親指を立てて笑う。

「間宮さんは?」
「僕は美術部」
「ゴリゴリの文化部っすね」
「体力測定のボール投げは10mで得点1だったから」
 遠い目で応える京太に、七海は苦笑いを浮かべた。
「それはなんというか……ひどい記録」

 五人ずつ横に並び、一斉にぬいぐるみを投げる。七海はうさぎのぬいぐるみ、京太はくまのぬいぐるみを係の人から受け取った。七海としては1秒でも早く投げ飛ばしたい。京太も手元を見ないようにしていた。


「さん、にい、いーち! GO!」


 司会者の元気な掛け声に合わせて、七海と京太はぬいぐるみを思いっきり投げた。京太の飛ばしたやつは早々に落下したが、七海のやつはキレイな放物線を描き、遥か遠くに落ちた。


 ◇


「――いや、すごいよ。ほんとに優勝しちゃうなんて」
「本気を出せばこんなもんっす」
 ほめられて嬉しい七海は頭をかく。先ほどステージ上で表彰式があり、お食事券をもらった。七海的にはもっと豪華賞品を期待していたのだが、これはこれでいっかとありがたく受け取った。

「あのさ、良かったら……」
 京太が何か言おうとする。
「ん?」

 首を傾げる彼女に、京太はためらいがちに続きを放った。すると七海は「なんだそんなことっすか」とあきれた表情で返し、すぐさまニヤリと口角を上げる。

「あ、じゃあこのあとこれ使って食べいきましょーよ」

 七海は食事券をリュックにしまうと、ほらほらと京太の腕を引っ張った。太陽はもう沈み始めている。彼の耳が赤いことに、七海だけが気づいていない。
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