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七・小さな騒動とレインのさらなる受難③
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緩やかな山道を一時間かけて登ると、眼前には緑豊かなグランハリストの街並みが広がる。レインたちが住む古城も見える。
見晴らしのよい滑落現場には、事故の翌年から小さな慰霊碑と転落防止の柵が新たに設けられている。レインは、その慰霊碑に先ほど購入したチューリップを備えた。
隣国へ行くには大きく遠回りするか、近道だがひと山越えなければならない。もともと転落防止の柵はあったのに、その日は生憎の豪雨で視界不良、そして、若い運転手で技量不足という不運が重なり事故が起きたのだろう。それが事故調査した専門家の見解だった。
(…………どこにいるの、ラクセル)
遺体が見つからない以上、どこかで生きていると信じているものの、日に日に減る手がかりのせいでくじけそうだった。藁にもすがる思いで駆けつけ、不発に終わることが殆どだ。
レインの母親が出産したときに不在だった父親は、それから十年も経ったころに城下町で再会した。出稼ぎに行ったままどこかで頭を打ち、記憶喪失になったらしい。レインとラクセルのことは忘れ、懸命に看病してくれた女性と結婚したことを知る。腹違いの妹が二人いる。
それゆえに、レインは尚更ラクセルを探そうと躍起になっていた。本気で心配しているのは自分だけだと思っているからだ。実の父親には再婚した家庭がある。異母兄妹ともたまに顔を合わせるし、仲よくもしている。けれどレインにとって最も焦がれているのは、母親の忘れ形見であるラクセルだ。
慰霊碑の下は傾斜はついているが五十メートルはありそうなくらいの断崖だ。地面を覗きこもうとすると恐怖すら感じる。この場で馬車の運転手は投げ出されて即死、二頭の馬も助からず、本体であるキャリッジは衝撃に耐えかねて原型を留めていなかった。事故当日に駆けつけると辺りは騒然としていた。
「ラクセルに会いたい……」
なるべく毎月供えるようにしている花は、ここで命を落とした運転手と二頭の馬のためと、もう一つはラクセルへのメッセージだ。よく花を贈ってくれる弟だったので、忘れていないよという念を込めている。
けれど、明日から三か月間は謹慎処分で自宅待機になる。その間は、国家騎士団のある宿舎には足を運べないので、情報が一切入らなくなる。ラクセルを探すどころか弟たちを守れないという現実が、今のレインにとってはなによりも辛かった。
思わず慰霊碑の隣でへたり込む。眼下に広がる風景はいつだって素晴らしいのに、夕日に輝く街並みを綺麗だと感じないのはどうしてだろう。そんなことを考えていると、背後に誰かの気配がした。
「…………レイン」
「……どうしたの、リオール。珍しいね、ここに近づくと嫌がるのに」
理由はわからないが、レインが事故現場に近づくと途端に機嫌が悪くなる。ここから引き離そうとする。本当は、月に一度ではなく毎日でも探し回りたいくらいなのに、それをやろうとするとリオールはいい顔しないのだ。二人は幼馴染みのはずなのに、仲がよかったはずなのに、捜索しているレインを睨みつけてはやめさせようとする。
「グウェンソードから聞いて探してた。たぶんここだろうって。もう夕方になるし、帰るぞ」
「…………帰るって、一体どこに? ラクセルもいないのに、俺だけ帰られるわけないでしょ」
「…………城に決まってるだろ?」
レインとラクセルの生家はもう取り壊されて残っていない。第二の家はリオールの言う通り城だ。
しかし、そこには血の繋がりのある家族は一人もいない。誰もいないのだ。
リオールのことは弟だと思っている。けれど、国王の実子で王位継承権を持つ期待されているリオールと、養子で肩身の狭い思いを強いられてきたレインとは、やはりなにかが違うのだ。
「ラクセルに会いたいよ……ねえリオール」
「ラクセルはもういない!」
「うそ! そんなこと言うリオールなんて……嫌い!!」
引っ張り上げられそうになり、胸を押し返して抵抗すると、柵を飛び越え勢い余って背中から身を乗り出してしまった。慌ててリオールが引き寄せようとするも、二人ともバランスを崩して空中に放り出された。
それからはあっという間だった。五十メートルはある崖の傾斜を、真横に転がりながら転落してゆく。地と空と崖が交互に入れ替わり、リオールとともに勢いを増しながら、芝生の生えた地面に大きく叩きつけられる。衝撃に備える隙などなかった。
「う……いたたた……ッ」
時間にして一、二分だろうか。ようやく止まったので目を開けると、一番下まで落下していた。そこでふと違和感を覚える。崖を転がり落ちたはずなのに、背中を少々打ったくらいで済んだのだ。
「え…………リオール?」
すぐ後ろで動かない身体が一つ。頭部からは出血し、頬も数個所切れている。もちろん意識もない。
「リオール、リオールが、おれのせいで……!!」
ようやく現実に引き戻されたレインは、横たわったままの身体を小さく揺さぶった。しかし返事はない。両目にはじわじわと涙が浮かび、頬を伝い落ちる。
崖の上で自暴自棄になったから、関係のないリオールを巻き込んだ――。
顔面蒼白になりながらしがみつき、レインは泣き叫びながら何度も何度も名前を呼んだ。けれど、目を覚ますことはない。いつの間にか、愛馬で駆けつけたグウェンソードとリグジェットには気づかず、動かぬ身体をひたすら揺すっていた。
「おれのせいで……おれのせいで、また……やだよ、リオール!」
「おいレイン、なにがあったんだ!?」
「リオールを連れて行かないで、母さん!!」
「おい、レイン!」
「………………っ」
レインは、大きく肩を揺さぶられて、ようやくグウェンソードとリグジェットの姿を両目に捉えた。二人に状況を説明しようとする。ところが、今度は言葉が一切出てこない。転落したことと、滴る血を目にしてショックを受けてしまったのか、口をぱくぱくさせるだけで声にならない。助けてほしいのに、崖から滑落してしまったことを伝えたいのに、発することができない。
「────しっかりしなさい! お兄ちゃんでしょ!」
取り乱すレインに気合いを入れてくれたのは、他でもないリグジェットだった。頬を掌で一発、ばちんと叩かれハッとする。
「……ありがとう、リグジェット!」
ようやく声を取り戻したレインは、崖の上でリオールの手を跳ねのけ、一緒に転落してしまったことを矢継ぎ早に伝えた。救護を得意とするリグジェットに、頭を打っている可能性があるのでリオールの身体を動かさないようにと指示され、グウェンソードが医者を連れて戻るのを待った。
「リオール……お願い、起きて……!」
ずっと呼びかけているが目を閉じたままだ。それでも、反応するかもしれないから声をかけ続けるように言われたので、ひたすら声を出した。
「もうすぐお医者様が来るからね、大丈夫だよ」
グウェンソードは、愛馬に跨りひたすら飛ばしたのか、十分足らずで初老の男を連れてきた。地面に降り立った医者は、すぐさま駆け寄りリオールの瞳孔を確認し、頭部の応急処置を済ませた。既に血は止まっており、リグジェットの処置がよかったと褒めていた。
見晴らしのよい滑落現場には、事故の翌年から小さな慰霊碑と転落防止の柵が新たに設けられている。レインは、その慰霊碑に先ほど購入したチューリップを備えた。
隣国へ行くには大きく遠回りするか、近道だがひと山越えなければならない。もともと転落防止の柵はあったのに、その日は生憎の豪雨で視界不良、そして、若い運転手で技量不足という不運が重なり事故が起きたのだろう。それが事故調査した専門家の見解だった。
(…………どこにいるの、ラクセル)
遺体が見つからない以上、どこかで生きていると信じているものの、日に日に減る手がかりのせいでくじけそうだった。藁にもすがる思いで駆けつけ、不発に終わることが殆どだ。
レインの母親が出産したときに不在だった父親は、それから十年も経ったころに城下町で再会した。出稼ぎに行ったままどこかで頭を打ち、記憶喪失になったらしい。レインとラクセルのことは忘れ、懸命に看病してくれた女性と結婚したことを知る。腹違いの妹が二人いる。
それゆえに、レインは尚更ラクセルを探そうと躍起になっていた。本気で心配しているのは自分だけだと思っているからだ。実の父親には再婚した家庭がある。異母兄妹ともたまに顔を合わせるし、仲よくもしている。けれどレインにとって最も焦がれているのは、母親の忘れ形見であるラクセルだ。
慰霊碑の下は傾斜はついているが五十メートルはありそうなくらいの断崖だ。地面を覗きこもうとすると恐怖すら感じる。この場で馬車の運転手は投げ出されて即死、二頭の馬も助からず、本体であるキャリッジは衝撃に耐えかねて原型を留めていなかった。事故当日に駆けつけると辺りは騒然としていた。
「ラクセルに会いたい……」
なるべく毎月供えるようにしている花は、ここで命を落とした運転手と二頭の馬のためと、もう一つはラクセルへのメッセージだ。よく花を贈ってくれる弟だったので、忘れていないよという念を込めている。
けれど、明日から三か月間は謹慎処分で自宅待機になる。その間は、国家騎士団のある宿舎には足を運べないので、情報が一切入らなくなる。ラクセルを探すどころか弟たちを守れないという現実が、今のレインにとってはなによりも辛かった。
思わず慰霊碑の隣でへたり込む。眼下に広がる風景はいつだって素晴らしいのに、夕日に輝く街並みを綺麗だと感じないのはどうしてだろう。そんなことを考えていると、背後に誰かの気配がした。
「…………レイン」
「……どうしたの、リオール。珍しいね、ここに近づくと嫌がるのに」
理由はわからないが、レインが事故現場に近づくと途端に機嫌が悪くなる。ここから引き離そうとする。本当は、月に一度ではなく毎日でも探し回りたいくらいなのに、それをやろうとするとリオールはいい顔しないのだ。二人は幼馴染みのはずなのに、仲がよかったはずなのに、捜索しているレインを睨みつけてはやめさせようとする。
「グウェンソードから聞いて探してた。たぶんここだろうって。もう夕方になるし、帰るぞ」
「…………帰るって、一体どこに? ラクセルもいないのに、俺だけ帰られるわけないでしょ」
「…………城に決まってるだろ?」
レインとラクセルの生家はもう取り壊されて残っていない。第二の家はリオールの言う通り城だ。
しかし、そこには血の繋がりのある家族は一人もいない。誰もいないのだ。
リオールのことは弟だと思っている。けれど、国王の実子で王位継承権を持つ期待されているリオールと、養子で肩身の狭い思いを強いられてきたレインとは、やはりなにかが違うのだ。
「ラクセルに会いたいよ……ねえリオール」
「ラクセルはもういない!」
「うそ! そんなこと言うリオールなんて……嫌い!!」
引っ張り上げられそうになり、胸を押し返して抵抗すると、柵を飛び越え勢い余って背中から身を乗り出してしまった。慌ててリオールが引き寄せようとするも、二人ともバランスを崩して空中に放り出された。
それからはあっという間だった。五十メートルはある崖の傾斜を、真横に転がりながら転落してゆく。地と空と崖が交互に入れ替わり、リオールとともに勢いを増しながら、芝生の生えた地面に大きく叩きつけられる。衝撃に備える隙などなかった。
「う……いたたた……ッ」
時間にして一、二分だろうか。ようやく止まったので目を開けると、一番下まで落下していた。そこでふと違和感を覚える。崖を転がり落ちたはずなのに、背中を少々打ったくらいで済んだのだ。
「え…………リオール?」
すぐ後ろで動かない身体が一つ。頭部からは出血し、頬も数個所切れている。もちろん意識もない。
「リオール、リオールが、おれのせいで……!!」
ようやく現実に引き戻されたレインは、横たわったままの身体を小さく揺さぶった。しかし返事はない。両目にはじわじわと涙が浮かび、頬を伝い落ちる。
崖の上で自暴自棄になったから、関係のないリオールを巻き込んだ――。
顔面蒼白になりながらしがみつき、レインは泣き叫びながら何度も何度も名前を呼んだ。けれど、目を覚ますことはない。いつの間にか、愛馬で駆けつけたグウェンソードとリグジェットには気づかず、動かぬ身体をひたすら揺すっていた。
「おれのせいで……おれのせいで、また……やだよ、リオール!」
「おいレイン、なにがあったんだ!?」
「リオールを連れて行かないで、母さん!!」
「おい、レイン!」
「………………っ」
レインは、大きく肩を揺さぶられて、ようやくグウェンソードとリグジェットの姿を両目に捉えた。二人に状況を説明しようとする。ところが、今度は言葉が一切出てこない。転落したことと、滴る血を目にしてショックを受けてしまったのか、口をぱくぱくさせるだけで声にならない。助けてほしいのに、崖から滑落してしまったことを伝えたいのに、発することができない。
「────しっかりしなさい! お兄ちゃんでしょ!」
取り乱すレインに気合いを入れてくれたのは、他でもないリグジェットだった。頬を掌で一発、ばちんと叩かれハッとする。
「……ありがとう、リグジェット!」
ようやく声を取り戻したレインは、崖の上でリオールの手を跳ねのけ、一緒に転落してしまったことを矢継ぎ早に伝えた。救護を得意とするリグジェットに、頭を打っている可能性があるのでリオールの身体を動かさないようにと指示され、グウェンソードが医者を連れて戻るのを待った。
「リオール……お願い、起きて……!」
ずっと呼びかけているが目を閉じたままだ。それでも、反応するかもしれないから声をかけ続けるように言われたので、ひたすら声を出した。
「もうすぐお医者様が来るからね、大丈夫だよ」
グウェンソードは、愛馬に跨りひたすら飛ばしたのか、十分足らずで初老の男を連れてきた。地面に降り立った医者は、すぐさま駆け寄りリオールの瞳孔を確認し、頭部の応急処置を済ませた。既に血は止まっており、リグジェットの処置がよかったと褒めていた。
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