小さい奴隷は恋をしない

かふか

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腕の中で

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ヘルティマは外套の頭巾をギュッと被った。街は賑わっていて人々が楽しそうに買い物をしていた。


お願いだヘルティマ!夕食に出す鶏を買ってきて欲しい!

肩をガシリと掴まれ、どうしたのかと問おうとしたところ焦った顔をしたヘルツがそう言った。
ヘルティマはこれからエントランスの掃除をしようと思っていたところだった。

どうやら、執事長ルーダに頼まれたおつかいを忘れサボって寝こけていたヘルツはつい先ほど起きて、自分がまだ何もしていないことに焦ったのだと言う。
今日のノルマを達成していないヘルツはバタバタと仕事を終わらせようとした。だが、買い物に行く時間がなくこのままじゃルーダに怒られてしまう!と、半べそをかいていたところフェンデルを見送るヘルティマの姿を見かけたのだそうだ。

執事長ルーダは長年グランツ邸に勤めている。
白頭の老人だと言うのに仕事はテキパキとしていて、使用人達の尊敬の的であった。しかし、使用人教育に関してははとても厳しく鬼のルーダなんて呼ばれているぐらい怒ると怖い。

そんなルーダの頼みを寝こけて忘れていたなんて知られたら、もうそれはそれは怖いお仕置きが待っているのだろう。ヘルティマは自分のことのようにゾクリと背筋が凍った。

お願いされたら断れないたちだ。それに、奴隷という立場で誰よりも身分の低いヘルティマは断ることができなかった。
苦笑いをこぼしながら首を縦に振ったヘルティマにヘルツはパァッと表情を明るくし、両手をギュッと握りしめた。

ありがとうヘルティマ!この恩は一生忘れないからな!

キラキラとした瞳を向けられた後すぐにヘルツは去って行ったのだった。


足が不自由なため外に出るのも一苦労なヘルティマは人混みの中皆と同じような速さで歩けないからか肩がドンドンとぶつかってしまう。
この国に来てからあまり外へ出る機会がなかったので久しぶりの街に萎縮してしまった。

ヘルティマの足に気がついた人はジロリと横目で見ると少しばかり離れて行く。
足が遅いため舌打ちをしてくる人も少なからずいた。しかし、鶏を買って帰らなければヘルツは怒られてしまうし、ウォルハイドの夕食のメイン料理がなくなる。
それはマズイと思ったヘルティマは一生懸命に大通りを歩いた。

しばらくすれば目的の店が見えてきた。ヘルツが書いてくれた地図はもう見なくても大丈夫だとポケットに入れる。

木造の店からは何やらもくもくと良い匂いがして惹かれるようにその扉を開けた。

カラン

「いらっしゃーい」
大柄な男が出迎えてくれた。ヘルティマの三倍ほどはありそうなその体にムチリとはち切れそうなほどのエプロン。
カウンターの下にはいろんな種類の肉が並んであってまるでケーキを選ぶ少年のようにヘルティマはきょろきょろとケースの中を見渡した。
ハハハと豪快に笑った店主に恥ずかしくなる。

「すみません。鶏を一羽。」

はいよ。
笑顔の店主はそう一言言うと立派な鶏を持ち上げた。

「おつかいか?偉いな」

朗らかに笑った店主にもう二十五になる立派な成人ですと言えるはずもなく苦笑いを浮かべたヘルティマは金を懐から出した。

またな坊主!という声にぺこりと頭を下げると、ヘルティマは足を早めた。
もうすぐで日は沈みそうだ。グランツ邸のコックは出来立てを出すため調理が始まるまではまだ少し時間がある。それに、今日はご主人様も少し遅くなると言っていたためまだ猶予はありそうだ。

ヘルティマは再び外套の頭巾を被り直すとズルズルとグランツ邸の方へ足を進めた。

すると、一際大きい男がズンとヘルティマの肩を押した。

「うわっ」

ズシャッと買った鶏ごと地面に突っ込んでしまった。
ヒリヒリとする顔と膝、あぁどうしようと砂まみれになった鶏を見た。
今から買いに行ってももう遅い、ヘルティマは項垂れると大きな男の影が覆った。
圧倒的な存在感にワナワナと頭上を見上げれば心底気に食わないと言った顔でヘルティマのことを見下ろす男がいた。

ヘルティマとその男を囲むように街の人々はなんだなんだと集まってきた。

「雑魚が、邪魔なんだよ。」
イラついたというよりなんだか悪巧みをしているかのような表情を浮かべたその男はそう言うとヘルティマを軽く蹴った。

頬と膝がまた擦れて、小さく呻き声を出してしまう。ヘルティマはこの足のせいで手すりがないと一人で立ち上がれないのだ。
チッと舌打ちをした男はヘルティマの深く被っていた頭巾の隙間から溢れている黒い髪を掴むとグイッと持ち上げた。

その拍子で頭巾は外れ、野次馬は、子供じゃないか!やめなさいよ!と、声を上げた後ヘルティマの首についている重そうな黒い鉄を見て今度はハッと表情を一変させた。

瞬時に変わってしまった空気はピリリとヘルティマを震わせた。

その時、カツリとヘルティマの側に石が転がってきた。小さい石だが明らかにヘルティマに向けられた物だと分かった。

「くそフルガ人め!!私の夫を返してよ!!」

怒りに満ち溢れたまだ年若い女が叫んでいた。その形相はまるで鬼のようで、ヘルティマは男に持ち上げられながらどうしようもない気持ちで溢れた。

次々と襲ってくるフルガ人への、ヘルティマへの怒号。
そうだ、グランツ邸にずっといたから分からなかったのだ。ヘルティマの首にあるのは罪人の証拠、上層の指示に従い、戦争を手伝った立派な証だった。

フォンシュタールの者達を葬り去った張本人らは死刑となり、大切な人を殺された者達の怒りは必然的にまだ生きている共犯者、フルガ人奴隷へ向けられたのだった。
普通の奴隷は手足に枷をする、しかしフルガの奴隷は首に枷をさせたので、見分けがつく。

枷がつけられた時、一生罪を背負って生きろとそう言われたのを思い出した。

ぶつけることさへ赦されない思いがヘルティマの中で溢れ出す。ごめんなさい、ごめんなさい。いくら心の中で謝ったって罪悪感は消え去ることはない。
クタっとまるで萎れた花のように地面を向く。


「ヘルティマ?」

まるで光がさすような声が耳にスンと入ってきた。
その人はカツリカツリと上等なブーツを鳴らし、こちらに近づいてくるではないか。
上の方で動揺した声が聞こえるとフラリとヘルティマの髪は自由にされた。

「あっ」

すると訪れたのは冷たく硬い地面じゃなくて、ほんのりと暖かく硬いそして穏やかな腕の中だった。
白い軍服は騎士の証、カチャリと聞こえる胸元のバッチはその中でも位の高い者を表していた。

「ウォルハイド様」

勢いで握りしめてしまっていた服をパッと離し、腕の中から抜け出そうとしたが、思った以上に強く抱きしめられていたことで抜け出せずにいた。
銀髪が夕日に輝いてオレンジ色になる。翡翠の瞳が冷たく細められた。
ドキリとヘルティマの心臓は鳴った。

「うちの使用人が何かしたかな」

ウォルハイドがその瞳に捉えたのはヘルティマに突っかかってきた男だった。無表情だがどこか怒っているようにも感じる。
ヘルティマはどうしたら良いのか分からずウォルハイドの腕の中でじっとしてるしかできなかった。

「なっ、あっ、あなた様は…!大変失礼致しました。まさか第三師団長の使用人でいらしたとは。」

さっきの強気な態度がみるみるうちに縮こまり弱々しくなった男はどうやら軍人だったらしく似合わない綺麗な敬礼をウォルハイドに向けた。
しかし、ウォルハイドはそれを一瞥すると周囲の人々を落ち着かせ、この場をうまく治める。

そして最後に残った男に再び向かったウォルハイド。

「たしか君は城門警備のグルドの部下だったな。」
口から冷気でも出るんじゃないかと思うほどに冷たい言葉に硬直してしまった男。そこに含まれている意図を察したのか、顔面蒼白になりぱくぱくと焦り始めた。

ウォルハイドは団長というだけあり、顔も広いし部下も相当な人数いる。大抵の人間は彼に逆らえないのだ。

ギロリとその翡翠に睨まれ男は縮み上がった。

「分かったのなら去れ。今度同じことをしたら容赦しないからな。」

そう冷たく言い放つと、一礼をしてすぐに去っていく男。

ヘルティマは流石だと思いながら押し付けられているウォルハイドの胸元をじっと見つめる。

「ご、ご主人様。申し訳ございません、ご迷惑をおかけしました。」

もごもごとしながら言葉を発する。ウォルハイドは自分から腕の中に閉じ込めたはずのヘルティマに気がつくと、驚いたようにヒュっと小さく空気を吸った。

「…っヘルティマ。」

パッと話されたことに少し悲しくなったが、守ってくれたんだと実感するとぽかぽかとさっきの体温が顔を包んだ。

「顔を怪我をしてるじゃないかっ、足は、大丈夫か?」

いつも無表情のウォルハイドが珍しく焦っていた。ペタペタとヘルティマの体を触る彼に、あっと声を漏らし顔と膝を擦りむいてしまったのを思い出した。
穴が空いてしまったズボンから肌が見えて血が滲んでいる。
服をダメにしてしまった!と、謝ろうとしたが言葉を発する前にウォルハイドはあろうことか軽々しくヘルティマの体を横抱きにした。

「なっ!ご主人様!」

「すぐに帰って手当てをしよう。私もちょうど帰るところだった。」

浮いた体に驚いたヘルティマは自分がウォルハイドに抱き上げられていることに気づいた。
美しい顔が近づいて動揺する。

「だっ大丈夫です!自分で歩けます!」

「その足で何時間歩くつもりだ?」

ぐっと押し黙らされ、ヘルティマは小さく申し訳ございません。と呟くと、ウォルハイドは満足したような顔をした。

銀色の髪が暗がりによく映える。
まるで星屑のようだとヘルティマは触れそうになった指先を静かに収めた。
あまり動かない表情のせいで何を考えているのか分からない時があるが、優しいのは知っていた。

愛しています。ご主人様。

そう言えたならどんなに良いか。自分がフェンデルのように美しく舞が得意であったなら、この優しい貴人の隣に相応しい人間になれた。
自分がフルガの奴隷でなければ。
足が丈夫であれば。

とめどなく溢れてくる想いがつんと涙腺を刺激する。ウォルハイドの体温がじんわりと伝わり悲しくなった。

薄暗い夜道、酒屋が騒がしくなりつつある街をヘルティマとウォルハイドは一言も話すことなく歩く。

どうか、どうかこの時間が永遠に続きますように。

ヘルティマは叶わない想いを静かに胸中で願った。




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