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第9章 Changing Voice
6.
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スタジオに戻るのは平日の金曜日だ。
あたしと須王は先に会社に行くことになり、女帝は金曜日まで有給予定を変更して、スタジオに小林さんを無事送り届けられたのを確認してから、棗くんに会社まで送って貰うことになった。
――だって、美保が私が出る月曜日に休むかも知れないじゃない? だから私出て、あいつを締め上げる!
恐らくは須王もそれを懸念して、一日早く女帝を出させたのかも知れない。
後から来た女帝は、エリュシオンのあまりのひとの少なさと暗さとやる気のなさに、ここは墓場だと嘆くよりも怒り出し、皆に発破をかけた。
「ねぇ、この状態でいいわけありませんよね!? もっと死に物狂いで着実な仕事をしないと、会社潰れますよ!?」
それは皆が思っていても口に出さなかったこと。
それを口にした女帝は、無反応な社員達を見て、裏で悔しいと泣いた。
「私だってひとのこと言えないのはわかっている。私だって早瀬さんを追いかけて、この会社に来たんだもの。音楽が好きだったわけでもない、愛社精神に溢れていたわけでもない。与えられた仕事だけを淡々とこなしていただけ」
「奈緒さん……」
「だけど、それなりに培ってきたものはあるわ。新人に負けないわよ、私。そりゃあ柚の知識には負けるかもしれないけど、柚の知らないこともやって来た。だから頑張ろうね、柚。お互いフォローしあって!」
「うん! あたしは細やかな気配りは慣れてないし、仕事の顧客のフォローしか出来ないの。だから奈緒さんを見習わせて貰う。あたしに出来ることはなんでも言うから、気軽に言ってね」
「さんきゅ。心強いわ!」
「あたしも!」
やる気がある社員とエリュシオンを守れるのは非常に心強い。
あたしも頑張れる気持ちになる。
午前中は各自引き継ぎの仕事をした。
あたしは統合されたイベント課に、やってきたすべてのことを引き継がないといけない。
寂しいな、育成課がなくなってしまうのは。
企画の育成オンリーで昔からやってきたのに。
須王のプロジェクトに参加出来て嬉しいけれど、長年の通常業務をイベント課に引き継いで、プロジェクトが終わったらまたいつも通りの仕事が出来るかわからない。その時はイベント課の仕事になったものを、少し回して貰う程度になるかもしれない。
不安を抱えながら、あたしの場合はイベント課の課長に引き継ぐ。
こちらも仕事があって忙しい、と、育成課の仕事をするのがとても嫌な顔をされてあたしは心苦しかった。
一番危惧するところは、顧客フォローだ。
担当が変わろうと顧客はエリュシオンを信頼してくれている。
それを裏切ってしまっていたから、エリュシオンは今の崩壊寸前になっているのに、同じ轍を踏まないで貰いたいのだけれど。
あたしが担当したものだけでも、顧客を裏切ったり失望させたりはしたくない。いい音楽を届けるために、それを奏でられる人材を育成して欲しい――。
……そんな憂慮の心地で引き継ぎをしている間も、女帝が美保ちゃんに怒鳴る声が二階にも届く。
女帝はもう完全に猫を被るのをやめたみたいで、そのストレートさで美保ちゃんを追い詰めているようだ。
美保ちゃんも癇癪を起こすようにしてわあわあ泣いている中で、電話が鳴れば女帝は途端に今までの優しい営業用の声で対応し、美保ちゃんの口を押さえながらそつなく業務をこなすのが凄いと思う。
やがて会議室に籠もって曲を考えているらしい須王がうるさいから鎮めてこいとなぜかあたしに言い、あたしは修羅場と化した受付にびくびくしながら訪れた。
「だから、あんたひとりの判断で社長に電話かけられるはずがないでしょうが! 誰に言われたのか、それを言えと言っているの!」
「だから、私の判断だと言ってるじゃないですか! 美保が悪かったと謝っているのだから、もうそんなにキーキー怒鳴らないで下さい!」
「それは逆ギレというの! あんたはそれだけのことをしでかした自覚があるの!?」
「どうして牧田さんの病名を間違って伝えただけで、そこまで怒られないといけないんですか」
「問題は間違ったことじゃないの! あんたが規律を乱したことよ!」
「それは奈緒さんの勝手なルールで……」
「あら、あんただって勝手なルールをしているでしょう?」
「なんですか、それ」
……なんだろう、美保ちゃん、女帝が怒鳴る度に目をそらしている。
後ろめたいから?
あたしはその視線が妙にひっかかった。
足元にある、床にある延長式の六つ口の白いテーブルタップ。パソコンや電話など色々とコードがささっている。
どうしてそこばかり?
まさか、盗聴器……あのタップとか?
あたしは棗くんから借りた、盗聴器の探索機を起動させて美保ちゃんの背後を通るようにして屈み込んで、タップに探知機を向けた。
すると、大音量で歌声が流れ始めたのだった。
『ここよ、ここここ、そこはいやん』
あまりにはっきりと聞こえる……誰かの女声だったために、フロアがしーんと静まりかえる。
『ここよ、ここここ、そこはいやん』
皆あたしを見るから、あたしは身体を強張らせながらも、探知機を消してそっと袖の中に隠した。
……いやまあ、須王のプライベート用のスマホの着メロを笑点に変えてしまうお茶目な棗くんだから、ありえない事態ではなかったけれど、だけどあたしは、そのありえない事態を想定していなかった。
さらに探知機の存在を隠してしまえば、音がして消えた方向にいるあたしが、蹲りながらそんなおかしな歌を歌ったと勘ぐられる……いや、もう勘ぐられていることに気づいて青くなる。
「ち、違……あたしじゃないっ」
だが、皆の頭には、きっちりと節をつけた声が再生しているはずだ。
あたしの頭の中にも、リピートしているもの。
『ここよ、ここここ、そこはいやん』
……棗くんの馬鹿。
「ぶははははは」
あたしの危機に、いつの間にやら立っていた須王が笑った。
「お前、幾ら喧嘩を止めたいとはいえ、それはないわ」
笑いながらもダークブルーの瞳は怜悧さを失っていない。
くそ、この男。
わかっているくせに、あたしを犯人に仕立てるつもりか!
「それともスマホかなにかの音楽なわけ? そういう趣味?」
あたしはぎりりと歯軋りをして、スカートをぎゅっと握りしめ、須王を睨み付けて言った。
「……あたしが歌いました!」
きっと事態を把握していなかったのだろう女帝が、残念な子を見る眼差しを向けている。
「ああ、それと。ビルの電圧点検に業者が来るそうだから、午後はちょっとパソコンストップな。はい、各自業務につけ!」
須王がパンパンと手を叩き、女帝とあたしを呼ぶ。
「会議室集合」
怒ってやる、怒ってやる!
モグモグの歌をおかしなものにさせた須王に、怒ってやる!
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