99 / 153
第9章 Changing Voice
5.
しおりを挟む*+†+*――*+†+*
「え、救急車? そりゃあたくさん来るでしょう。だってここ、病院だもの」
退社後、病室でそわそわしながらお茶を淹れてくれている女帝に聞くと、一刀両断された。
そうだよね、病院だものね。
「社長だからここの病棟にくるかなと思ったんだけど」
するとソファに座って、いつもの通りたくさんの書類を見ている棗くんが、手首にきらりとブレスレットを光らせて前髪を掻き上げながら、あっさりと言う。
「ああ、それは無理ね。一介の企業の社長如きは、ここにこれないし」
ブレスレットありがとうとも、してみたよとも言われていないが、わざわざブラウスを腕捲りしてつけているのをさりげなく見せるあたり、本当に棗くんは素直じゃない。
さすがは王様のコンビの相手だと思いながら、なんとなく棗くんがわかってくる。いつも通りひとりぽつんとは座っているけれど、こうして会話に入ってくるあたり、少しは輪に打ち解けたような気がする。
「ここは官僚クラスよ、入れるのは」
「え、そうなの!?」
確かにセキュリティは面倒なほどにしっかりしている。
「ええ。だからエリュシオンの社長もまず無理ね。せいぜい、一般病棟の上の特別室あたり」
亜貴が入院していた時に、あたしが興味津々だったVIP室のことだ。
「だけどあそこも、下のランクでもかなりのコネがなければ無理なはずだけれど……。だけど……ビルのどこの会社?」
「ひとつ下の、シークレットムーンというIT会社」
「……ああ、そこならきっと一般病棟の上に居るわね」
「なぜ即答? シークレットムーンの社長を棗くんは知っているの!?」
あたしですら二年も同じビルに居たのに、よそ様の社長はおろか、鹿沼さんを始めとして、香月課長や結城課長らイケメン、あとはワイルドになりきれない微妙な野生児のしゅうしゅうさんですら、今まで知らなかったのだ。
それなのに、エリート街道を走る棗くんはなぜ知っているのだろう。
「私は社長とは直接的な面識はないけれど、ビルには社長と仲がいい忍月財閥のボンボンがいるからね。ねー、須王」
「知るか」
いつの間にか、備え付けの簡易シャワー室から出てきた須王が、頭をタオルで拭きながら吐き捨てる。
そりゃあ出てきたばかりの水も滴るイケメンには、わかるはずはないだろう。だけどビルに宮坂専務の居る忍月財閥直下の忍月コーポレーションという大企業が入っているのなら、縁故で関係者や親族が入っていてもいいような気がする。
そういえば、忍月コーポレーションに通いながら、オリンピアの影にいると思われる音楽協会に在籍するひとがいたんだっけ。
もしかして、そのひとのことなのかしら。
だけどまぁ、いいところに社長さんが入れたのなら、きっと鹿沼さんもひと安心だろう。香月課長も。
「ここでひとつお知らせがあります」
棗くんが言う。
「せっかく病室に慣れてきたけれど、不幸中の幸いにも患者が、驚異的な回復を見せているそうで、もう病室を出ようと思います」
「えーなんでさ!」
病院内のコンビニから、たくさんのペットボトルをレジ袋に入れて戻ってきたばかりの裕貴くんが言う。
「安静ならここじゃなくても須王のスタジオでも出来るし、スタジオの方が広いしストレスが少ない。セキュリティもしっかりしていて、私達も動ける。それよりなにより……ここ高いのよ」
「棗くんが料金出してたの!? あたしも出すよ!」
「そう? だったら折半なら上原サンは……」
棗くんがスマホの計算機のアプリを立ち上げて、あたしだけに見えるように入力した金額を見せてくれた。
「……へ、へぇぇぇ!? 一、十、百、千、万、十万……」
絶句するあたしから、裕貴くんは棗くんのスマホを取り上げて、女帝と覗き込んで、あたしと同じように言葉を失っている。
「別に須王にも出させるから、あなた達はいいわよ」
その須王は両耳を押さえて聞いていないふりをしながら、小林さんのところに赴いたようだ。
「まぁ移りたいのは、これだけが理由じゃないけどね。ここの病院に、私達以外の面会を謝絶するように連絡はしてあるんだけれど、おかしな男達に威嚇されて警備員が駆けつける騒ぎがあったらしいの。勿論、私達の敵かどうかわからないけれど、これで二度目なのよ。それにスタジオの方が色々と機器も揃っているし。出来るだけ早く移った方がいいと思うの。出来れば明日には」
あたし達は頷いた。
「小林さんは大丈夫かなあ」
小林さんは須王と話している。
最初こそくったりして、痛み止めと熱を下げる点滴をしていたが、今はそれも取り外され、いつ見ても上体を起こして笑い声を響かせて元気そうには見える。
「小林さん、須王のスタジオに移っても構いませんか?」
「おお、俺は退屈で退屈でさ。ここに居たら病人にされて、骨も完全修復しないから、早く動きたいわ」
「いや……それはまだ無理のような」
須王は笑った。
「早く治せよ。俺、お前以外のドラム、入れる気はねぇから。曲を作ったら身体に叩き込むから、回復したら一発でいけ」
「がはははは。本当にお前は無理で強引な注文ばかりだな。ま、慣れたけど。むしろ、そういうのがなければお前じゃないというか。おお、早く治すぞ。だけど退院出来るほどになったということは、嬢ちゃんのブレスレットの効果はあったんじゃないか?」
「え、嬉しい! あたしというより、作ってくれた奥様に感謝ですけど」
あたしはブレスレットをなでなでと触っていたら、棗くんも含めた皆もそれぞれの方向を見ながら石を撫でていて、なんだか笑えた。
棗くんが言う。
「退院は明日にして、懐かしきスタジオに戻ることにしましょう。須王、それでいい?」
「ああ。俺も、音楽をしねぇといけねぇから、ちょうどいい。お前らも辺鄙な要塞だが構わねぇ?」
「辺鄙だなんて、須王さん! 青山の一等地であれだけの御殿構えて」
「そうよ、早瀬さん。人数分以上のベッドと部屋があるのって、常人じゃないから」
常人じゃないよ、王様だもの。
「三芳、お前明日出れるか? 柚がもうテンパってる」
「了解です。言われていたものは終わったので。……柚、頑張ろうね。ただの秘書兼受付嬢から、現場で働ける一般社員に昇格出来るかしら、私も」
「え、一緒に働いていたじゃない、今までも」
女帝は病室で棗くんからただ、パソコン講座を受けていたわけではなかったらしい。
須王も仕事を出さないで、せっかくの有給をのんびりさせてあげればよかったのに。
「違うわ。私はあくまで補助員だもの。だから本当はチーフになって頑張れる柚が、羨ましかったの。色々仕事を教えてね、先輩」
「ちょ……」
女帝がにっこりと微笑む。
あたしは女帝の差別めいたコンプレックスに気づかなかった。
「プロジェクトがうまく行けば、三芳を受付嬢から引き抜くぞ。受付嬢は悔いのねぇように、ほどほどにな」
「本当ですか!? 頑張ります!」
そうか、これで彼女もエリュシオンの前線に出るのなら、少しでも……残ったスパイではない社員達とで、エリュシオンを更生させられたらいいな。
元はといえばエリュシオンの体制が招いた現実。
須王のように、前社長が望んだような音楽を愛して、素敵な音楽を提供出来る会社になるといいな。
「あ、その前にちゃんと美保はしめあげますんで。私のいない隙に好き勝手なことをしたツケをちゃんと支払って貰わなきゃ!」
女帝はグーにした左手に、パーにした右手をパチンパチンと鳴らした。
「あと隆ね、上の。私は隆のところなんて行っていないから。それを勝手に使われたのは正直気分が悪い。ばれたら消えれば不問だという、なめきったガキの考えに、ぶん殴ってやりたいわ。なにより、柚を裏切ったんだもの」
すると棗くんが口を開いた。
「その子は私に任せてくれるかな。ちょっとひっかかるところがあるの」
「ひっかかる?」
「ええ。パラダイスを管理している忍月コーポレーションの情報で、隆の履歴書情報を見せて貰ったの」
協力したのは、宮坂専務かしら。
「……だけどその情報は、調べたら嘘だらけだった。もしかすると、そのおばさんという人とも親戚ではないのかもしれないわ」
「ええ!? あたしおばちゃんから甥っ子だと紹介されたんだよ!?」
「そのおばさん……文恵さんは、履歴書通りの住所に住んでいたし、旦那に早々に先立たれていたのも本当だったんだけれど、彼女は兄弟姉妹がいないの、義理でも。だから甥っ子が出来るはずがない」
「じゃあなんで……」
「まだわからないけど、ちょっとその線から絞ってみる。隆は偽名だろうけれど、どこから使わされたものなのか」
「……お願いします」
あたしは、「隆くんいなくなっちゃったんだ。居づらいよね」……程度にしか思っていなかった中、棗くんは疑わしいと調べていたんだ。
棗くん、さすがだ。
「あ、そんな尊敬の眼差しを送られても、これは須王が言い出しっぺよ。相当隆を怪しく思ったのね」
「え、そうなの?」
王様もさすがだ。
「二年もお前を口説かなかったのに、今突然強引に口説いたからな。理由があったとしか思えねぇ」
須王はやけに断言してくる。
「いや、それは元はと言えばティラミス……」
「どんな理由があったにしろ、お前が隆を頼ったという事実が、隆の狙い通りかもしれねぇ。隆が消えたのは仕切り直しで出直すつもりか、あるいは誰かに既に消されているのか」
「な、なに物騒なことを……」
「最悪な事態も想定しておけ。黒服が関わっていること自体、物騒なんだ。お前にばれて必要がなくなれば、捨て駒の行く先はふたつにひとつしかねぇ」
「……っ」
須王の言葉が、やけにシビアに心に響いた。
隆くん、可愛かったのになぁ。
美味しい料理やスイーツを作ってくれたのになぁ。
なにか事情があったからだと、あたしは思いたかった。
最初から騙そうとしていたなど、信じたくなかった。
0
あなたにおすすめの小説
極上イケメン先生が秘密の溺愛教育に熱心です
朝陽七彩
恋愛
私は。
「夕鶴、こっちにおいで」
現役の高校生だけど。
「ずっと夕鶴とこうしていたい」
担任の先生と。
「夕鶴を誰にも渡したくない」
付き合っています。
♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡
神城夕鶴(かみしろ ゆづる)
軽音楽部の絶対的エース
飛鷹隼理(ひだか しゅんり)
アイドル的存在の超イケメン先生
♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡
彼の名前は飛鷹隼理くん。
隼理くんは。
「夕鶴にこうしていいのは俺だけ」
そう言って……。
「そんなにも可愛い声を出されたら……俺、止められないよ」
そして隼理くんは……。
……‼
しゅっ……隼理くん……っ。
そんなことをされたら……。
隼理くんと過ごす日々はドキドキとわくわくの連続。
……だけど……。
え……。
誰……?
誰なの……?
その人はいったい誰なの、隼理くん。
ドキドキとわくわくの連続だった私に突如現れた隼理くんへの疑惑。
その疑惑は次第に大きくなり、私の心の中を不安でいっぱいにさせる。
でも。
でも訊けない。
隼理くんに直接訊くことなんて。
私にはできない。
私は。
私は、これから先、一体どうすればいいの……?
黒瀬部長は部下を溺愛したい
桐生桜
恋愛
イケメン上司の黒瀬部長は営業部のエース。
人にも自分にも厳しくちょっぴり怖い……けど!
好きな人にはとことん尽くして甘やかしたい、愛でたい……の溺愛体質。
部下である白石莉央はその溺愛を一心に受け、とことん愛される。
スパダリ鬼上司×新人OLのイチャラブストーリーを一話ショートに。
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
【完結】異世界に転移しましたら、四人の夫に溺愛されることになりました(笑)
かのん
恋愛
気が付けば、喧騒など全く聞こえない、鳥のさえずりが穏やかに聞こえる森にいました。
わぁ、こんな静かなところ初めて~なんて、のんびりしていたら、目の前に麗しの美形達が現れて・・・
これは、女性が少ない世界に転移した二十九歳独身女性が、あれよあれよという間に精霊の愛し子として囲われ、いつのまにか四人の男性と結婚し、あれよあれよという間に溺愛される物語。
あっさりめのお話です。それでもよろしければどうぞ!
本日だけ、二話更新。毎日朝10時に更新します。
完結しておりますので、安心してお読みください。
人狼な幼妻は夫が変態で困り果てている
井中かわず
恋愛
古い魔法契約によって強制的に結ばれたマリアとシュヤンの14歳年の離れた夫婦。それでも、シュヤンはマリアを愛していた。
それはもう深く愛していた。
変質的、偏執的、なんとも形容しがたいほどの狂気の愛情を注ぐシュヤン。異常さを感じながらも、なんだかんだでシュヤンが好きなマリア。
これもひとつの夫婦愛の形…なのかもしれない。
全3章、1日1章更新、完結済
※特に物語と言う物語はありません
※オチもありません
※ただひたすら時系列に沿って変態したりイチャイチャしたりする話が続きます。
※主人公の1人(夫)が気持ち悪いです。
極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~
恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」
そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。
私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。
葵は私のことを本当はどう思ってるの?
私は葵のことをどう思ってるの?
意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。
こうなったら確かめなくちゃ!
葵の気持ちも、自分の気持ちも!
だけど甘い誘惑が多すぎて――
ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる