いじっぱりなシークレットムーン

奏多

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  Crazy Moon 6

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「……。さ、帰ろう」

 戻ってくる気配のない車を自嘲気に笑いながら、あたしには美しすぎる靴をふと目にし、無性ににやけてしまった。

 この年になってこんな高価な贈り物をされたから……、というよりは、課長がどんな顔をしてこの靴を選んだのだろうと思うと、その場面を想像するだけで顔が緩んでしまうのだ。
 
――愛情料理、だったんだ。

 どんな顔で料理してたんだろう――。

「やばい、やばい。このままじゃ本気でやばい」

 緩む頬をパンパンと片手で叩いて振り向いた時だった。

「よう」

 目の前に結城がコンビニ袋を手にして立っていたのは。

 白いパーカーにカーキー色のチノパン。完全に私服だ。

「心配したんだぞ、なんのためのスマホだ、こら!」

 片手で作った拳骨をあたしの頭にくれて、結城は声をたてて笑った。

「なんだその顔。ムンクの叫び、地でいけるおもしれー奴」

「し、失礼ね。誰がムンクの叫びよ!!」

 ぎくりとしたのだ。

 課長は結城と電話で話したと言っていた。

 そうして今、目の前のコンビニの袋を持って現れた結城は、たった今帰ったばかりの課長とキスをしていたのを見てしまっていたのだろうか。

「あはははは、お前の心の声、言ってやろうか? "なんでここにいるの?"、"いつからここにいたの?"、"課長に靴を貰って赤らめた顔をキスされたの、見られてたの?"」

「――っ!!?」
 
「大丈夫だからそんな顔をするな。俺は別にお前に差し入れを持っていってやろうとしたけれど、お前が家にいないからコンビニで時間潰してたわけでもねぇし? 別に雑誌立ち読みしてたから、俺の立つ真向かいの硝子の奥に停まった、えらく高そうな銀のフェラーリは見てねぇし? そんなとこからお前出てくるわけねぇし?」

 見られてた。
 完全に見られていた。

「別にあの課長とひと晩過ごして、こんな夕方近くに昨日のスーツで堂々ご帰宅されても、別に俺はなにも言える立場じゃありませんし? しかもあの課長と似たような匂いをつけてこられても、なにしてたんだと怒る資格もありませんし? 俺、理解ある同期で、鹿沼さんにとって何者にも代えがたい特別な存在みたいだし?」

「……あ、あの……」

 ちらちらとあたしを見ながら嫌味を言う結城は、突然に親指を突き立てて言った。

「だけどよ、鹿沼。部下として熱出して道端に倒れた上司を介抱をしたことは、えらい! 営業課長の俺が褒めて遣わす!」

「は、はあ……」

「あの課長、心臓の手術をしにアメリカにいたらしいぞ。お前知ってた?」

「いや、まるで全然。心臓って……」

 まるでそんな様子は見られなかった。単純な留学ではなかったらしい。宮坂専務ならきっと真相を知っているだろう。

「ショック? 俺には話して、お前には話さないの。すげぇ、お前ぶーたれてるけど」

「べ、別に……」

 結城は、いじっぱりと笑いながら続けた。 
 
「今は心臓はもう大丈夫らしいけど、疲労が祟ると熱出して倒れることが多いらしい。気づいたらいつも病院で点滴をしているほどらしいから。病院にいかずにすんだのは、お前のおかげだと」

「そんなこと言ってたの!?」

「ああ、それだけじゃない。お前と連絡つかないと俺を心配させた謝罪と、礼とを言うんだよ、すげぇ丁寧に」

「なんでお礼?」

 すると結城は面倒臭そうな顔をしながら、頭をガシガシ掻いてその件はぼかした。男同士の話らしい。

「……参ったよ、いっそ俺を挑発してくれれば俺、キレれたのに」

 結城はどんな課長の言葉を思い出しているのだろう。
 自嘲気に笑う結城の顔は疲れているようにも思える。

「あいつ、絶対キレねぇよな。そこまで落ち着き払える、余裕なハイスペックで出来ているのか。感情が乏しいのかな」

「いや……そんなことは。大人びてはいるけれど、素は子供っぽいというか可愛いところもあるし」

 すましたようなクールさはあるけれど、普通に喜怒哀楽はあるし、むくれたり拗ねたり、表情は出てきたと思う。

「……ふうん? 俺には会社に来た時から、まるで態度が変わらねぇけど。へぇ、そんな感じで接しているの、お前に」 

 鉄仮面――結城はそれしか見ていないのか。

「そのせい? お前があいつを気にするの」

「え?」

「それともイケメンだから? フェラーリ持ってるほどの金持ちだから? トラブル抑えられるまで頭がいいから? どれ?」

 結城の顔から笑いは消えていた。

「俺の知ってるお前は、軽々しく男の家に行かないし、病人の熱が下がった時点で帰ってくるだろう。しかもプレゼント貰って、フェラーリで帰ってきて、思い切り嬉しそうで。お前、フェラーリにくらっときたの? 靴? それともあいつの家?」

 腕組みをした結城の目が、剣呑な光を湛えて細められた。

「お前、そんな女だったっけ?」

 侮蔑の眼差しが向けられ、あたしはむきになって言った。

「付属のなんてどうでもいいよ。逆にセレブすぎるの怖いし、現実感ないというか。お約束のあまりに出来すぎたハイスペックぶりに驚いてばかりだったあたしなんて、うへーすげーくらいだし。別にそんなの知ったからって、課長は課長で変わりないし」

「………」

「だけどなんていうか、課長もそうしたセレブ生活に馴染んでない感じで、なんとなくだけど、居心地悪そうには感じたけど。部屋は白すぎるし、フェラーリも今まで使ってないみたいだし。自慢されるでもなく、満喫しているようにも見えなかった。結城みたいに、欲しい車手に入れて嬉しい!という感じまったくなかったし」

「………」

「車で送って貰ったのは、昨日靴の踵を折って、課長抱えているから邪魔で投げ捨ててきちゃったのよ。で課長のサンダル借りたら、ガッパガッパ音鳴って恥ずかしかったから」

「……。なんでキスされて拒んでなかった?」

「それは……」

 なにも言い返せない。

 こんなところでと驚いただけで、抵抗しなかった。する気もなかった。
 
「……昔寝た相手に、情でも湧いた? そこまでよかったのか、あいつとのセックス。肩書きじゃないなら、惹かれたのそこ?」

 結城の目が真剣で、だからあたしは誤魔化すことが出来ず、言った。

「よく……わからないの。まだ」

「まだ、か……。まだ、ね……」

 結城は皮肉気な笑いを作る。

 風もないのにコンビニ袋がカサカサと小さな音をたてているのは、結城の手が震えているのだろうか。

「俺の前で、すげぇ恋しそうな顔して車見送ってたのに、"まだ"か。長年一緒に居て、お前を毎月抱いてる俺は、一度だってそんな顔されたことねぇのにさ!」

「ちょ、結城、声を小さく……」

 コンビニ利用客がにやにやとした目であたし達を見ている。恥ずかしくなったあたしがそういうと、結城はいらっとしたように眉間に皺を寄せて、あたしを抱きしめ、キスをしようとしてきた。

「結城!」

 怒って顔を背けると、結城は苦しそうな顔をして、あたしを胸にぎゅっと力強く抱きしめた。

「……俺は拒むのに」

 震えた声が、身体全体から伝わってくる。

「だって人前……」

「じゃあ人前じゃなかったら、いつでもこうしていいの? 好きな時にお前にキスしていいの? お前を俺の家に泊まらせて、呼び捨てにしてもいいの? ……満月の時みたいに、激しく求め合える?」

「……っ」

 言葉に詰まると、結城の乾いた笑いが感じ取れた。

「八年経っても、俺は満月だけの男? 特別な友達?」

 結城の声と熱が苦しい。

「……陽菜。俺どうすればいい? どうすればあんな目をして俺を見てくれる? どうすれば離れたくないと一緒に居たいと、男として意識する? ……朝になったらさっさと帰らないでいて貰えるためには」

「結城……」


「あの約束反故にして、恋人になりたい。そう動きたい」


 あたしは泣きそうになった。

 満月が過ぎた朝、結城が付き合おうと言うことは最近多くはなったけれど、それは一過性のように流せるものだった。なによりあたしは約束で線を引きたかった。満月ではない時くらい、結城を縛りたくなかったから。

 そしてそれは渋々とでも、わかって貰えていると思っていた。

 初めてなのだ、結城が満月以外でこの手のことを訴えたのは。

 悲痛なその声に、ぎゅっとあたしの胸が絞られるように痛んだ。
 いつも朗らかな結城のこんな声に、あたしも震える。

「なんで、恋愛をするのにあいつはよくて、俺は駄目だ? あいつがいいというのなら、俺が納得できる理由を見せろよ。……見せても、やんねーけどよ、お前を」
 
 そして結城は、なにか思い当たったようにぎゅうとあたしを抱きしめる手に力をいれると、あたしの耳に囁いた。

「……まさか、思い出したから…とかじゃねーよな?」

 低く震える声で。

「思い出すってなにを?」

 すると結城は身体を離して笑った。

「なんでもねぇ。俺は今日帰るけど……来週末の土曜、出かけるぞ」

「は? なによ突然」

「遊びに行くぞ、さらに一週間分積もり積もってるだろう俺のストレス発散に、お前付き合え。めちゃイライラしてるのお前のせいだから!」

「そ、そんな……」

「これ、やるから飲め。昨日からご苦労さん。今日はゆっくり寝ろよ、行くとこ決めたらLINE入れるから必ず返せ。最近シカトばかりだからな」

 コンビニ袋を開けば、ビタミン系のジュースが沢山入っていた。

 少しだけ元気よくなった結城は笑った。

「デートだからな! 一週間、気合い入れてろよ!!」
 
 耳を赤く染めながら。

「気合いって……」

 思わず笑ってしまったあたし。

 お誘いを断らなかったのは、あたしは結城と話そうと思ったのだ。

 課長に抱かれるためではなく、あたしに縛られすぎている結城を解放しないといけない時期に来たと思ったから――。

 見ぬふりをしてきたけれど、もう潮時だ。

 結城が満月の時以外にも恋愛関係を求めるのなら、満月の関係はクリアにしないといけない。そう当初の約束通りに。

 結城がなにを望んでどうしたいのか、あたしはきちんと向き合う必要があると思ったのだ。知らないふりをして、あたし都合で満月に必要ないからとは到底言えない。

 課長には悪いけれど、お役御免と簡単に切り捨てられるような存在ではないのだ、結城は。セックス以外にも、結城には助けられているのだ。

 課長に抱かれるつもりなら、結城にも抱かれるというような関係は確かによくないことは十分にわかる。たとえ満月という理由があろうとも、二股のようなものだ。

 だけどだからといって、課長に満月のことを話して容認して貰うまでの覚悟は、まだ出来ていない。課長には隠したいのだ、あたしの崩れた化粧を隠したいように。
 
 八年だ。

 八年の結城との付き合いは、九年前に会っただけの課長との付き合いとは重みが違う。八年、結城はあたしを嫌わないで助けてくれた。

 その結城から付き合おうと言われたのを、それは結城のためにならないという理由付けのあたし都合で、結城は特別だけど恋人ではない友達にして拒んできた。

 それに結城が不服というのなら。こんなに傷ついた声で独占欲を露わにするのなら、結城とちゃんと本音で向き合うのが、八年も結城を縛り続けてきたことに対する誠意だと思う。それは電話やメールでするものではないとあたしは思うのだ。

 そんな覚悟を決めているあたしの前で、結城は思い出したように爆弾を落とした。


「それと。今月はブルームーンだからな」

「ブルームーン!? いつ!?」


 ブルームーン――。

 それは一ヶ月に二回来る希な満月のことを言う。


「四週間後の金曜日だ」


――四週間後は金曜日。金曜の夜からは離さない。離れたくないと言わせる。


「本気に今月末!? 30日!?」

「ああ」


 くらりとした。


――あなたが俺に抱かれたいと思うなら、たとえどんな理由があったとしても、もう彼には抱かれないで。


 結城を説得出来たとしても、満月の姿をまた課長に晒すことになる。あの時はわけがわからないような中坊でも、今は聡明な24歳の上司。こんな淫らな発作を起こすことを知られたくない。……嫌われる。蔑まれる。

 ああ、今月末なんて、なんで言ってしまったんだろう!

 
――結城さんを友達と思っているのなら、……俺を少しでも男として意識して抱かれたいと覚悟を決めたのなら。……この先、あなたが女になりたいと思うのは、俺の元だけにしろ。



 ……さあ、どうする?

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