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Waning Moon 2
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「お待たせ~。さぁ、ハイエナ共、三十分早いのに十三時まで昼休憩に入っていいとの社長のお言葉までとってきた、優しい結城課長に三拝四拍手二拝、ひとり十秒以内!」
「「「三拝四拍手二拝、ひとり十秒以内!?」」」
あたしの声に社内でブーイングが上がる。
「はい、俺に三拝四拍手二拝しねぇ奴はなしだぞ。十秒以内、間違ったら最後尾! さあ、ケーキのないクッキー1枚の奴は誰かな~?」
そんなはずはないのに、おやつ用に買ったクッキー1枚を入れて、ケーキをひとつ隠して結城は煽る。
「ちなみに買ってきた俺と、選んだ鹿沼と、鹿沼を貸してくれた香月、そして休憩させてくれた社長は優先的に先に取った。残るは……さあ、誰からだ?」
結城の前に長い行列。
皆ケーキの箱を持つ結城に向かって、神道の拝礼ともまた違うでたらめな拝礼で数を間違える様、十秒過ぎる様、上手くいって喜ぶ様は、眺めていて可笑しくて仕方がない。
あたしが言い出したこととはいえ、結城だから出来ることだ。
あたしに縋るように想いを伝えた結城の姿は、そこには微塵にも見せない。あたしだけに見せる結城の顔は、きっと誰も想像もしていないだろう。
それは優越感に浸るというより、切ない。
――あ~、笑うから。だから同情すんなよ、同情するなら愛をくれ。
そういつものような明るい姿を見せた結城が、無理矢理元気に笑っているのがわかるから。
思えば会社がこうなって、社員は辞めて重役は休暇を取って投げ出し、痩せていく社長を見て一番堪えているのは結城で、ほぼ寝る間も惜しんであれこれと動いているのに、こんな状況で笑えとは酷な話だったかもしれない。
だけど結城の笑顔と元気には、皆が癒やされるから。
皆の力が必要な今、結城に頑張って貰うしかないのだ。
結城が、あたしと課長の距離が縮まることにあんなに余裕と元気をなくすのなら、少なくとも会社が大変な時くらい、結城側にいて課長とは線を引き、課長とはただの上司と部下でいるのが正しいのかもしれない。
いや今も上下関係だけれど、あたしが課長を意識しすぎるのだ。前のようにかわせばいいのに、強く出れない自分を自覚している。
……戻らなきゃ。最初の時のように。
「課長、はいどうぞ」
そそくさと衣里のところに行こうとしたら、課長に訊かれた。
「これがその有名なケーキなんですか? 随分とシンプルな真四角ですが」
「ここのお店はケーキが全部キューブ型なんです。課長のはヘーゼルナッツのプラリネです。中にビターチョコのムースとコーヒーチョコガナッシュのダコワーズがあるんですが、その間にブランデーが入っていて、大人の味として一番人気なんです」
また呼び止められる。
「……あなたは?」
「あたしは、ベリー系で……」
「もって来て」
「え?」
課長が優しく微笑んだ。
「あなたは一番人気のこれが、そらで説明できるほど好きなんでしょう? 私はベリー系好きだから、そっちを食べさせて下さい」
なんでそれが好きだとわかるの!?
ひとつしかないから、課長にあげたかった。
「でもあたしは、いつも食べてるしっ」
「ベリーのは美味しくない?」
「美味しいです! あたしこれも好きなんで」
「だったら取替えましょう。ベリーのもあなたのおすすめなんでしょう? このチョコのを美味しく食べてるところを見せて下さい。……あなたに、私にと、ひとつしかない好きなものを持ってきてくれたことだけで、嬉しいんです。ありがとう」
このひとは、どうしてこういうことをさらっと言うのだろう。
どうして、隠していたことを暴くほどあたしをわかってくれるのだろう。
どうして、あたしの心をきゅんとさせるのだろう。
ずっと乙女心とは無縁で生きてきたあたしを、どうして乙女にさせようとするのだろう。
鉄仮面のくせに。
人前にはいつも同じ顔でいるのに、どうしてあたしにだけ……。
「ん?」
「あたしは……、衣里と食べますので!!」
線を引こうとしてもこれじゃあ、あたしが線を引けない。あたしは自らその線を踏み越えそうだ。
結城の悲しい叫びを聞いたのに、気づけば課長に吸い寄せられている。
やだよ、こんなのあたしじゃないよ。
課長を振り切るのに、こんなに疲れるなんて。
「衣里」
紅茶系のケーキを、満面の笑みで食べていた衣里を連れて休憩室に行く。
休憩室には誰もいない。
「どうした、恋する乙女」
「は、は!?」
着席した第一声、衣里は笑ってあたしを見ながらケーキを食べる。
「私の席は結城の横なんだから、あんたと香月課長が見えるんだわ。ああ、美味しい」
「ねぇ、あたし……でれでれしてた?」
「うん。見ているこっちが胸焼けするくらい。なに自覚あったの?」
「そ、そんなに!? 自覚なんてないよ、結城に言われて。木島くんにもそんなこと言われたのよ。ええええ!?」
あたしは仰け反った。
「なんていうか幸せオーラ満開、みたいな。付き合ったの?」
衣里はスプーンを口に入れて聞いてくる。
「まさか! 付き合ってないよ!!」
付き合ってないのに幸せオーラ満開!?
なにそれ! 課長に手を繋がれて幸せ~なんて、ただのドMじゃないか。
「別に課長、あんたと付き合っていると宣言したんだし、それについてぎゃあぎゃあ言うのはいないと思うよ? うるさい連中は皆やめてくれたし」
「それはよくない。会社はそういうところじゃない。風紀を乱す」
「なに、結城が嫉妬に狂った?」
「狂った……というほどではないけど、ってなんでわかるの!?」
「ははは……。筋肉馬鹿は単純だからね、待てが解除されたら直球ばかりでしょう。それに比べて課長は涼しい顔して変化球ばかりだから、恋愛から遠ざかって曲がっていた陽菜の心のバットにカツンとあたるんじゃ?」
「なんだか、否定出来ないそのたとえ」
「あははは。だけどその様子なら、あの馬鹿にも望みはあるんだ?」
「……友達でいたいのが本心」
「じゃあそう言えば?」
「今までそう言い続けてきたんだ。それでも結城が動いたの。結城はあたしが課長を意識しているのわかってる。あたしは今まで見ないふりをしていた結城の気持ちを、受け止めないととけないの。それが結城への誠意だと思うから」
「あのさあ、陽菜」
衣里が笑った。
「そんなんだったら、結城との友情にも皹入るよ」
「え?」
「私が結城だったら、"~しないといけない"とか"~だと思うから"なんて言われたら、怒るわ。友情だって欲しいのはそんな義務感じゃない」
「……っ」
「恋愛においても、そういうのは誠意とは言わないよ、陽菜」
衣里がまっすぐにあたしの目を見た。
「それは、ただの同情よ」
「同情?」
「うん。結城を哀れんでいるようにしか思えない。"結城をフッたら結城が可哀想。結城を傷つけたくないから、悲しませたくないから、ちゃんと話を聞いてあげる"」
衣里の言葉が、あたしの心を抉る。
結城の言葉が蘇る。
――あ~、笑うから。だから同情すんなよ、同情するなら愛をくれ。
哀れみだと、同情だと、そう言うの?
結城を傷つけたくないあたしの心は。
「陽菜はあの馬鹿に脅されてるの? 陽菜が付き合わないと、なにか秘密をばらすとか、友達をやめるとか」
「そんなことは!」
「課長にもそうなの? "部下だから上司に服従しないといけない"とか"イケメン上司だからドキドキするのが当たり前だ"とか?」
「そんなことは……」
課長に惹き込まれるあの吸引力は、理屈ではない。
「昔逃したのが惜しくなって執着してる、とかは?」
「それはない! 今は昔と切り離してる」
最初は九年前を意識していた。
だけど今は、今の課長を見ているつもりだ。
「陽菜。頭で考えるものと、頭より心が動くものは違う」
ズキンと、心が痛む。
「両者は一緒にならないよ。一緒だと思い込もうとすることは、結城と課長どちらにも失礼だよ。それに結城が可哀想だからと頭で考えて、結城の傍に居ることを選ぶのなら、課長を切るの? 結城が嫉妬するの可哀想でしょ? だったら、課長と今まで通りは駄目だよね」
ドキッ。
「まあ、陽菜が課長にでれでれして結城が怒って不調和になるのなら、少なくとも会社では課長に営業モードで接せられるよう、今まで通りに線を引くのもひとつの手であることは、私も反対はしない。正直今、会社の危機に幸せオーラは必要ないし」
……そんなにあたしの顔、でれでれしてたの!?
やばいじゃないか。これは戻さないといけない。
「陽菜、仮に結城を選んだとして、選ばれなかった課長は可哀想に思わないの?」
――結城さんを選ばないで。結城さんの元に行かないで。
「……っ」
胸がぎゅっと絞られるようだ。
あそこまで言われて、結城を選んだら非道な気すらしてくる。
「課長は結城のことなんて?」
「二週間後……どちらかを選んでって言われてる」
「また早いこと。それは付き合いたいということで?」
「いや、それは……」
衣里が大きなため息をついて、ぶつぶつと独りごちる。
「一目瞭然なのに、なんなの!? 陽菜に言わせたいとか!? ヘタレと卑怯者の取り合いなんて、陽菜が不憫だわ……」
「ねぇ、早口で聞こえなかったんだけど」
「いいのよ、聞かなくて。今のあんたでは、どちらかを選ぼうとすれば、選ばれない方が可哀想だからとふらふらして、可哀想の比率が高い方を選ぶことになる。陽菜は涙もろくてお人好しのところがあるから」
否定出来ない。
「あのふたりが求めているのは、"悲劇のヒーローはどちらか"じゃない。それをあんたがそんな基準で選んだとして、陽菜があのふたりだとしたら嬉しい?」
「嬉しくない……」
「そうよね。論点がずれてるのよ、陽菜。それは恋愛を誠意をもって真剣に考えているとは言えないわ。それなら結城も泣く」
「……」
「恋愛から遠ざかっていた陽菜に恋愛を考えろというのは酷な話かもしれないけれど、陽菜は受動ではなく能動で考えていいのよ。どう思われるのかではなく、陽菜が男として意識出来るのは誰? 恋を拒否していた陽菜を、目覚めさせてくれたのは?」
恋に踏み出してもいいと思えたのは――。
「でもね、衣里。結城には本当に助けて貰ってるの、八年も。今のあたしが居るのは結城のおかげなの。結城を失ったら、あたしは壊れる」
「それは課長じゃできないものなの?」
「出来ない……」
満月のあたしを受容して貰えるようには思えない。
「本人にそう言われたの? 自分では無理だと」
「言ってはないけど」
「なんで言ってみないの?」
――満月のこと、香月に言えるのか?
「わかりきっているから。言うだけ無駄よ、逆に言って知られるのが恥ずかしい」
「それ、私は知っていること?」
あたしは静かに頭を横に振る。
「私と課長どちらかに言わないといけないのなら、どっち?」
「衣里。衣里の方が理解しようとしてくれる」
即答すると衣里が肩眉を跳ねあげた。
「なんで課長はそう思えないの?」
「……怖いの」
「怖い?」
「蔑まされて、目の前から消えるのが。衣里や結城と積み上げてきた年数分の信頼感がないから、居なくならないと断言できない」
「結城が知ったのはいつ? 結城が陽菜の秘密を知ったのは、最近なの?」
「いや、大学時代……」
「あんた達が出会ったという大学3年?」
頷くと衣里がため息をついた。
「陽菜。言ってることとやってることが矛盾してる」
「え?」
「信頼関係が今ほどないそんな初期に、あんたは結城には自分を晒した。だったら課長に晒せないのは、信頼関係とか関係ないよ。結城には蔑まれてもいいと思えた。だけど課長には嫌われたくない……。私的には、もう答えが出ている気がするけど」
「……っ」
「だけど恐らく、その秘密を課長に言えるくらいにならないと、或いはなにかの問題であるのなら解決して、結城を離すか……課長もそうだけど、結城とも始まらないんじゃない? そこがネックのように思えるけど」
満月の問題の解決――即ちそれは、課長に寄り添うなら、課長にすべてを話して満月の夜、結城ではなく課長になだめて貰う。
或いは結城に寄り添うならば、課長とのすべての約束を反故にして、結城だけを見つめる――。
衣里はあたしの頭を撫でて言う。
「陽菜がなんでそこまで結城に恩義感じているのかわからないけど、恋愛感情や友情ではなく、結城睦月という人間があんたを助けたいと思ったから助けたんだと思う。結果恋愛感情がついてきただけで。だから陽菜もそこは切り離して考えるべき。あいつもそんなので気を惹きたいとは思わないよ? 男のプライドあるだろうし」
「………。結城、課長のことも信頼しているみたい。会社を立て直すのにすごく必要としているの。だからその選択が苦しそうで……」
「それは結城事情でしょう? あんたと課長がくっついて終わる友情ならその程度だということじゃない? 陽菜が過大評価していただけ」
「っ」
「本当の友情ならなにがあっても続くし、会社の仲間なんだから協力も当然。どちらかを選ぶんじゃないのよ、公私混同するなっていうの、あの馬鹿」
すっぱりと衣里は言う。
「あっと、ここまで言ってなんだけど、これは私の意見。私は全能神じゃないから、真理を言っているわけじゃない。考えて結論を出すのは陽菜だけど、こういう見方もあるんだと、私の意見も結論を出す参考にして欲しい。納得いかないものは蹴って構わないから」
「うん、ありがと」
六年目にして初めての恋話に照れるけれど。
「……なんか衣里に惚れそう」
「お~、おいで。お姉さまが可愛がってあげる」
「同い年で、しかもあたしの方が誕生月早いけど」
「はっは~、クリスマス生まれと大晦日生まれ、めでたい恋人になろうか」
ひとしきり笑って、あたしはぼやいた。
「八年の結城と二週間の課長なら、普通ならあたしをわかってくれる結城に、迷わず行くんだろうな。結城は本当にいい男だし」
「馬鹿だけど」
「でも課長だよ?」
「営業力は認めてやる」
「あははは」
「ねぇ、課長はあんたのこと理解してくれないの?」
「……してくれる。というか、見透かされていると言った方がいいような」
「あの冷徹な目は怖いよね。私は嫌だわ、見下されているようで。あの馬鹿のようにつるみたい気はまったくしないわ」
衣里は本当にストレートだ。
それでもきっとあたしには、言葉を選んでくれているように思う。
「あの馬鹿も片思い歴持ち出すかもしれないけど、恋に落ちるのは一瞬なの。惹かれるのは、数分あればいい」
「衣里は……」
それは社長のことなのかしら。
尋ねようとした時、衣里は壁の時計を見て慌てて立ち上がった。
時計は12時をちょっと過ぎていた。
「ごめん、私12時半にいかないと駄目なんだわ。明日会社出てくる?」
「そのつもり」
「だったら明日帰りに飲もうか、女ふたりで!」
「うん、そうだね」
「……伝えられる、考えて貰えるってことはいいことだよ、陽菜。私なんて伝えることも出来ない。伝えたところで、考慮の余地なくあしらわれて本気にされないから」
衣里は長い髪を掻き上げて笑った。
「道が拓かれているあんたは幸せものだよ? いいんじゃない、陽菜がどちらを選ぼうとも、親友の私は、陽菜の選択を応援する。たとえ二股かけることになろうとも」
「二股は嫌だよ……」
「ふふふ、前に進みな、陽菜。恋愛は過去に捨てたものではなく、今するものだから。あんたが一生懸命考えた答えなら、ふたりどちらも納得するから。恋愛は誰もが傷つくの。綺麗なものなんて恋愛じゃない。さあ、硬い卵から、孵化しなよ!」
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「お待たせ~。さぁ、ハイエナ共、三十分早いのに十三時まで昼休憩に入っていいとの社長のお言葉までとってきた、優しい結城課長に三拝四拍手二拝、ひとり十秒以内!」
「「「三拝四拍手二拝、ひとり十秒以内!?」」」
あたしの声に社内でブーイングが上がる。
「はい、俺に三拝四拍手二拝しねぇ奴はなしだぞ。十秒以内、間違ったら最後尾! さあ、ケーキのないクッキー1枚の奴は誰かな~?」
そんなはずはないのに、おやつ用に買ったクッキー1枚を入れて、ケーキをひとつ隠して結城は煽る。
「ちなみに買ってきた俺と、選んだ鹿沼と、鹿沼を貸してくれた香月、そして休憩させてくれた社長は優先的に先に取った。残るは……さあ、誰からだ?」
結城の前に長い行列。
皆ケーキの箱を持つ結城に向かって、神道の拝礼ともまた違うでたらめな拝礼で数を間違える様、十秒過ぎる様、上手くいって喜ぶ様は、眺めていて可笑しくて仕方がない。
あたしが言い出したこととはいえ、結城だから出来ることだ。
あたしに縋るように想いを伝えた結城の姿は、そこには微塵にも見せない。あたしだけに見せる結城の顔は、きっと誰も想像もしていないだろう。
それは優越感に浸るというより、切ない。
――あ~、笑うから。だから同情すんなよ、同情するなら愛をくれ。
そういつものような明るい姿を見せた結城が、無理矢理元気に笑っているのがわかるから。
思えば会社がこうなって、社員は辞めて重役は休暇を取って投げ出し、痩せていく社長を見て一番堪えているのは結城で、ほぼ寝る間も惜しんであれこれと動いているのに、こんな状況で笑えとは酷な話だったかもしれない。
だけど結城の笑顔と元気には、皆が癒やされるから。
皆の力が必要な今、結城に頑張って貰うしかないのだ。
結城が、あたしと課長の距離が縮まることにあんなに余裕と元気をなくすのなら、少なくとも会社が大変な時くらい、結城側にいて課長とは線を引き、課長とはただの上司と部下でいるのが正しいのかもしれない。
いや今も上下関係だけれど、あたしが課長を意識しすぎるのだ。前のようにかわせばいいのに、強く出れない自分を自覚している。
……戻らなきゃ。最初の時のように。
「課長、はいどうぞ」
そそくさと衣里のところに行こうとしたら、課長に訊かれた。
「これがその有名なケーキなんですか? 随分とシンプルな真四角ですが」
「ここのお店はケーキが全部キューブ型なんです。課長のはヘーゼルナッツのプラリネです。中にビターチョコのムースとコーヒーチョコガナッシュのダコワーズがあるんですが、その間にブランデーが入っていて、大人の味として一番人気なんです」
また呼び止められる。
「……あなたは?」
「あたしは、ベリー系で……」
「もって来て」
「え?」
課長が優しく微笑んだ。
「あなたは一番人気のこれが、そらで説明できるほど好きなんでしょう? 私はベリー系好きだから、そっちを食べさせて下さい」
なんでそれが好きだとわかるの!?
ひとつしかないから、課長にあげたかった。
「でもあたしは、いつも食べてるしっ」
「ベリーのは美味しくない?」
「美味しいです! あたしこれも好きなんで」
「だったら取替えましょう。ベリーのもあなたのおすすめなんでしょう? このチョコのを美味しく食べてるところを見せて下さい。……あなたに、私にと、ひとつしかない好きなものを持ってきてくれたことだけで、嬉しいんです。ありがとう」
このひとは、どうしてこういうことをさらっと言うのだろう。
どうして、隠していたことを暴くほどあたしをわかってくれるのだろう。
どうして、あたしの心をきゅんとさせるのだろう。
ずっと乙女心とは無縁で生きてきたあたしを、どうして乙女にさせようとするのだろう。
鉄仮面のくせに。
人前にはいつも同じ顔でいるのに、どうしてあたしにだけ……。
「ん?」
「あたしは……、衣里と食べますので!!」
線を引こうとしてもこれじゃあ、あたしが線を引けない。あたしは自らその線を踏み越えそうだ。
結城の悲しい叫びを聞いたのに、気づけば課長に吸い寄せられている。
やだよ、こんなのあたしじゃないよ。
課長を振り切るのに、こんなに疲れるなんて。
「衣里」
紅茶系のケーキを、満面の笑みで食べていた衣里を連れて休憩室に行く。
休憩室には誰もいない。
「どうした、恋する乙女」
「は、は!?」
着席した第一声、衣里は笑ってあたしを見ながらケーキを食べる。
「私の席は結城の横なんだから、あんたと香月課長が見えるんだわ。ああ、美味しい」
「ねぇ、あたし……でれでれしてた?」
「うん。見ているこっちが胸焼けするくらい。なに自覚あったの?」
「そ、そんなに!? 自覚なんてないよ、結城に言われて。木島くんにもそんなこと言われたのよ。ええええ!?」
あたしは仰け反った。
「なんていうか幸せオーラ満開、みたいな。付き合ったの?」
衣里はスプーンを口に入れて聞いてくる。
「まさか! 付き合ってないよ!!」
付き合ってないのに幸せオーラ満開!?
なにそれ! 課長に手を繋がれて幸せ~なんて、ただのドMじゃないか。
「別に課長、あんたと付き合っていると宣言したんだし、それについてぎゃあぎゃあ言うのはいないと思うよ? うるさい連中は皆やめてくれたし」
「それはよくない。会社はそういうところじゃない。風紀を乱す」
「なに、結城が嫉妬に狂った?」
「狂った……というほどではないけど、ってなんでわかるの!?」
「ははは……。筋肉馬鹿は単純だからね、待てが解除されたら直球ばかりでしょう。それに比べて課長は涼しい顔して変化球ばかりだから、恋愛から遠ざかって曲がっていた陽菜の心のバットにカツンとあたるんじゃ?」
「なんだか、否定出来ないそのたとえ」
「あははは。だけどその様子なら、あの馬鹿にも望みはあるんだ?」
「……友達でいたいのが本心」
「じゃあそう言えば?」
「今までそう言い続けてきたんだ。それでも結城が動いたの。結城はあたしが課長を意識しているのわかってる。あたしは今まで見ないふりをしていた結城の気持ちを、受け止めないととけないの。それが結城への誠意だと思うから」
「あのさあ、陽菜」
衣里が笑った。
「そんなんだったら、結城との友情にも皹入るよ」
「え?」
「私が結城だったら、"~しないといけない"とか"~だと思うから"なんて言われたら、怒るわ。友情だって欲しいのはそんな義務感じゃない」
「……っ」
「恋愛においても、そういうのは誠意とは言わないよ、陽菜」
衣里がまっすぐにあたしの目を見た。
「それは、ただの同情よ」
「同情?」
「うん。結城を哀れんでいるようにしか思えない。"結城をフッたら結城が可哀想。結城を傷つけたくないから、悲しませたくないから、ちゃんと話を聞いてあげる"」
衣里の言葉が、あたしの心を抉る。
結城の言葉が蘇る。
――あ~、笑うから。だから同情すんなよ、同情するなら愛をくれ。
哀れみだと、同情だと、そう言うの?
結城を傷つけたくないあたしの心は。
「陽菜はあの馬鹿に脅されてるの? 陽菜が付き合わないと、なにか秘密をばらすとか、友達をやめるとか」
「そんなことは!」
「課長にもそうなの? "部下だから上司に服従しないといけない"とか"イケメン上司だからドキドキするのが当たり前だ"とか?」
「そんなことは……」
課長に惹き込まれるあの吸引力は、理屈ではない。
「昔逃したのが惜しくなって執着してる、とかは?」
「それはない! 今は昔と切り離してる」
最初は九年前を意識していた。
だけど今は、今の課長を見ているつもりだ。
「陽菜。頭で考えるものと、頭より心が動くものは違う」
ズキンと、心が痛む。
「両者は一緒にならないよ。一緒だと思い込もうとすることは、結城と課長どちらにも失礼だよ。それに結城が可哀想だからと頭で考えて、結城の傍に居ることを選ぶのなら、課長を切るの? 結城が嫉妬するの可哀想でしょ? だったら、課長と今まで通りは駄目だよね」
ドキッ。
「まあ、陽菜が課長にでれでれして結城が怒って不調和になるのなら、少なくとも会社では課長に営業モードで接せられるよう、今まで通りに線を引くのもひとつの手であることは、私も反対はしない。正直今、会社の危機に幸せオーラは必要ないし」
……そんなにあたしの顔、でれでれしてたの!?
やばいじゃないか。これは戻さないといけない。
「陽菜、仮に結城を選んだとして、選ばれなかった課長は可哀想に思わないの?」
――結城さんを選ばないで。結城さんの元に行かないで。
「……っ」
胸がぎゅっと絞られるようだ。
あそこまで言われて、結城を選んだら非道な気すらしてくる。
「課長は結城のことなんて?」
「二週間後……どちらかを選んでって言われてる」
「また早いこと。それは付き合いたいということで?」
「いや、それは……」
衣里が大きなため息をついて、ぶつぶつと独りごちる。
「一目瞭然なのに、なんなの!? 陽菜に言わせたいとか!? ヘタレと卑怯者の取り合いなんて、陽菜が不憫だわ……」
「ねぇ、早口で聞こえなかったんだけど」
「いいのよ、聞かなくて。今のあんたでは、どちらかを選ぼうとすれば、選ばれない方が可哀想だからとふらふらして、可哀想の比率が高い方を選ぶことになる。陽菜は涙もろくてお人好しのところがあるから」
否定出来ない。
「あのふたりが求めているのは、"悲劇のヒーローはどちらか"じゃない。それをあんたがそんな基準で選んだとして、陽菜があのふたりだとしたら嬉しい?」
「嬉しくない……」
「そうよね。論点がずれてるのよ、陽菜。それは恋愛を誠意をもって真剣に考えているとは言えないわ。それなら結城も泣く」
「……」
「恋愛から遠ざかっていた陽菜に恋愛を考えろというのは酷な話かもしれないけれど、陽菜は受動ではなく能動で考えていいのよ。どう思われるのかではなく、陽菜が男として意識出来るのは誰? 恋を拒否していた陽菜を、目覚めさせてくれたのは?」
恋に踏み出してもいいと思えたのは――。
「でもね、衣里。結城には本当に助けて貰ってるの、八年も。今のあたしが居るのは結城のおかげなの。結城を失ったら、あたしは壊れる」
「それは課長じゃできないものなの?」
「出来ない……」
満月のあたしを受容して貰えるようには思えない。
「本人にそう言われたの? 自分では無理だと」
「言ってはないけど」
「なんで言ってみないの?」
――満月のこと、香月に言えるのか?
「わかりきっているから。言うだけ無駄よ、逆に言って知られるのが恥ずかしい」
「それ、私は知っていること?」
あたしは静かに頭を横に振る。
「私と課長どちらかに言わないといけないのなら、どっち?」
「衣里。衣里の方が理解しようとしてくれる」
即答すると衣里が肩眉を跳ねあげた。
「なんで課長はそう思えないの?」
「……怖いの」
「怖い?」
「蔑まされて、目の前から消えるのが。衣里や結城と積み上げてきた年数分の信頼感がないから、居なくならないと断言できない」
「結城が知ったのはいつ? 結城が陽菜の秘密を知ったのは、最近なの?」
「いや、大学時代……」
「あんた達が出会ったという大学3年?」
頷くと衣里がため息をついた。
「陽菜。言ってることとやってることが矛盾してる」
「え?」
「信頼関係が今ほどないそんな初期に、あんたは結城には自分を晒した。だったら課長に晒せないのは、信頼関係とか関係ないよ。結城には蔑まれてもいいと思えた。だけど課長には嫌われたくない……。私的には、もう答えが出ている気がするけど」
「……っ」
「だけど恐らく、その秘密を課長に言えるくらいにならないと、或いはなにかの問題であるのなら解決して、結城を離すか……課長もそうだけど、結城とも始まらないんじゃない? そこがネックのように思えるけど」
満月の問題の解決――即ちそれは、課長に寄り添うなら、課長にすべてを話して満月の夜、結城ではなく課長になだめて貰う。
或いは結城に寄り添うならば、課長とのすべての約束を反故にして、結城だけを見つめる――。
衣里はあたしの頭を撫でて言う。
「陽菜がなんでそこまで結城に恩義感じているのかわからないけど、恋愛感情や友情ではなく、結城睦月という人間があんたを助けたいと思ったから助けたんだと思う。結果恋愛感情がついてきただけで。だから陽菜もそこは切り離して考えるべき。あいつもそんなので気を惹きたいとは思わないよ? 男のプライドあるだろうし」
「………。結城、課長のことも信頼しているみたい。会社を立て直すのにすごく必要としているの。だからその選択が苦しそうで……」
「それは結城事情でしょう? あんたと課長がくっついて終わる友情ならその程度だということじゃない? 陽菜が過大評価していただけ」
「っ」
「本当の友情ならなにがあっても続くし、会社の仲間なんだから協力も当然。どちらかを選ぶんじゃないのよ、公私混同するなっていうの、あの馬鹿」
すっぱりと衣里は言う。
「あっと、ここまで言ってなんだけど、これは私の意見。私は全能神じゃないから、真理を言っているわけじゃない。考えて結論を出すのは陽菜だけど、こういう見方もあるんだと、私の意見も結論を出す参考にして欲しい。納得いかないものは蹴って構わないから」
「うん、ありがと」
六年目にして初めての恋話に照れるけれど。
「……なんか衣里に惚れそう」
「お~、おいで。お姉さまが可愛がってあげる」
「同い年で、しかもあたしの方が誕生月早いけど」
「はっは~、クリスマス生まれと大晦日生まれ、めでたい恋人になろうか」
ひとしきり笑って、あたしはぼやいた。
「八年の結城と二週間の課長なら、普通ならあたしをわかってくれる結城に、迷わず行くんだろうな。結城は本当にいい男だし」
「馬鹿だけど」
「でも課長だよ?」
「営業力は認めてやる」
「あははは」
「ねぇ、課長はあんたのこと理解してくれないの?」
「……してくれる。というか、見透かされていると言った方がいいような」
「あの冷徹な目は怖いよね。私は嫌だわ、見下されているようで。あの馬鹿のようにつるみたい気はまったくしないわ」
衣里は本当にストレートだ。
それでもきっとあたしには、言葉を選んでくれているように思う。
「あの馬鹿も片思い歴持ち出すかもしれないけど、恋に落ちるのは一瞬なの。惹かれるのは、数分あればいい」
「衣里は……」
それは社長のことなのかしら。
尋ねようとした時、衣里は壁の時計を見て慌てて立ち上がった。
時計は12時をちょっと過ぎていた。
「ごめん、私12時半にいかないと駄目なんだわ。明日会社出てくる?」
「そのつもり」
「だったら明日帰りに飲もうか、女ふたりで!」
「うん、そうだね」
「……伝えられる、考えて貰えるってことはいいことだよ、陽菜。私なんて伝えることも出来ない。伝えたところで、考慮の余地なくあしらわれて本気にされないから」
衣里は長い髪を掻き上げて笑った。
「道が拓かれているあんたは幸せものだよ? いいんじゃない、陽菜がどちらを選ぼうとも、親友の私は、陽菜の選択を応援する。たとえ二股かけることになろうとも」
「二股は嫌だよ……」
「ふふふ、前に進みな、陽菜。恋愛は過去に捨てたものではなく、今するものだから。あんたが一生懸命考えた答えなら、ふたりどちらも納得するから。恋愛は誰もが傷つくの。綺麗なものなんて恋愛じゃない。さあ、硬い卵から、孵化しなよ!」
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