いじっぱりなシークレットムーン

奏多

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  Waning Moon 3

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 衣里がどう思うのか客観的に聞いていたおかげで見えてきたものがある。

 友達と思う結城の恋愛感情を否定すること、課長に満月のことを言うのを恐れることは、双方どちらかを喪(うしな)うかもしれないと恐れているのではないかと。

 行方がわからなくなる「失う」ではなく、その存在が確実になくなる「喪う」。あたしは彼らを消したくないんだ。いなくなってしまうことに怯えている。

「同情か……」

 誰よりも結城には笑顔で幸せになって貰いたい。

 満月に縛り付けた結城をあたしから解放しないといけない……そう思えど、満月以外のセックスを結城が望んでいることに対して、あたしはYESとは言えないのだ。

 結城が八年あたしを想ってくれたなら、その八年、あたしは満月以外のセックスを望んでこなかった。

 幾ら最初の取り決めがあったとしても、どんなに結城はいい奴だと最初からわかっていたとしても、あたしは結城にはときめかなかった。恋愛感情だと思える気持ちが動いてなかった。

 だけど課長には、九年前にセックスをしたことがあるとはいえ、満月以外にでも彼の求めに応じたいと思った。約束の日が満月でなければと何度思ったことか。課長に対して、今までにない動くものがあるのは自覚している。

 結城を悲しませたくないけれど、それを理由に結城を選ぶのは、同情だと……そう衣里に言われた言葉が心に突き刺さった。

 結城が好きなのに。結城を喪いたくないのに、課長に惹かれてやまない。意識でどうのこうの考えるより、もうあの匂いに包まれるだけでたまらない気分になる。まるで条件反射を植え付けられたパブロフの犬状態だ。

 課長への性欲だけが勝っているのかと思ったこともあったが、課長の一面を知る度に楽しい気分になる。結城以外、あれほど警戒していた異性に対して、プライベートでふたりきりになっても構わないほどに。
 
「でれでれか……」

 公私混同できない、このままでは駄目だ。

 とにかく、社内ででれでれと数人から指摘される事態はこの先回避せねばならない。今会社本当にやばいのに、あたしってばなにをしてるのよ!

「営業スマイル営業スマイル……」

 いつもの会社モードを取り戻したい。

「やば……、溶けてきちゃってる」

 ワイン色のキューブ方のケーキは、スプーンを入れるとヨーグルトと様々なベリーが細かいクルミ生地と混ざって出てくる。

 いつもは甘酸っぱいその味が、なんだか味気なく感じた。

「課長に、満月のこと言わないと駄目だ。」

 ……ブルームーンを課長と過ごそうと思ったら。そこから始めようと思えば。

 だけど、拒まれ課長を喪ってしまったら、あたしは立ち直れるだろうか。

 遠い昔の高校時代のように、環境を変えて逃げ出すことは出来ないのだ。あたしはシークレットムーンと最後まで共に居たいから――。
 


 ***


 昼食後、とにかく全神経を仕事モードに直す。

 でれでれしないためには、課長の近くに居ない!

 そう心に決めたが、もとより課長は忙しそうで席に戻ることなく、サーバー室で杏奈と籠もりきりだ。

 でれでれを指摘した結城と衣里は営業に出ている。

「まだ帰ってこない」

 課長がサーバー室に行ったきりなのが、無性に気になる。

 杏奈とプログラムのことを話しているだろうことはわかるのに、そこにあたしが混ざれないのがあたしの気分を害する。

 プロジェクトの内容はわかっているのに、その細やかなことを打ち合わせする課長と杏奈の会話を聞いていたら、機械語ばかりを話していてあたしには宇宙人が喋っているようにしか思えなかった。
 
「主任」

 また机の向こう側から木島くんの生首がぬぅっと出てきて、悲鳴を上げた。

「なんで悲鳴を上げるんっすか!? 俺お化けじゃないっすよ」

 何で下から出てくるんだよ!!

「ああ、ごめんごめん。で?」

「これ、課長からの差し入れっす」

「まあ」

 それは温かいブラックの缶コーヒーだった。

「これで眉間の皺なくして下さい。なんか怖いっすから!」

「眉間の皺!?」

 指で触ってみたら皺がある。老化したと思うのと同じくらいショックだ。

「自覚ないんすか!? サーバー室を睨み付けてうーうー言いながら、眉間の皺。怖いっす!」

「ご、ごめん……」
 
「ちょうど席を立った時に課長が"主任はきっと出来上がるプログラムを心配しているから、差し入れを持って行って安心するように言って下さい"と」

 でれでれの次は、うーうーですか。
  心配されて差し入れまで貰うあたしって一体……。

「主任、ファイトっす! 皆いい感じで頑張ってますから! いい奴らばかりが集まって残りましたよ」

「ありがとう、木島くん……」

 こんな時でも、なんで課長が直接ここに来て差し入れしてくれないのかしら、なんて思うあたしは大馬鹿者だ。

 でれでれと言われてから、妙に意識してしまう。

 プルタブを引き上げて、温かなブラックコーヒーを飲んだら、気が引き締まった気がする。

「さあ、頑張るぞ。仕事仕事……」

 あたしはパソコンの顧客管理しているデータベースソフトを開いて、顧客先を条件で抽出しながら、タックシールを印刷をかける準備をした。
 
 課長と結城が、社長を交えて打ち出した、シークレットムーン打開策――。

 それは課長がWEBと営業のために用意したタブレットをもっと広げたようなもので、タブレットだろうがスマホだろうがガラケーだろうがPCだろうがはたまたゲーム機だろうが、ネットに繋がるどんな媒体でも、同じアプリケーションが使えて見て操作できるというマルチプラットフォームに対応したサーバーサービスだ。

 普通WEBですら作った頁は、見る媒体(スマホとかPCとか)によって表示されるものが限定される。レイアウトもそうだけれど、プログラムなどはさらに顕著で、どんなにPCでバリバリ動いていた凄いプログラムでも、スマホに対応していなければ動かない。
 

 プログラムは、人工知能を除いて、自分で考えてそれに応じてアクションを起こすことが出来ないため、人間がその都度プログラムで指示しなければならないのだ。

 ガラケー主流だった頃は、ネットにアクセスした媒体を判別するプログラムによって、ガラケーだったらガラケーが対応するプログラムで書かれた頁に、ガラケー以外だったらPCが読める頁に自動的にジャンプさせる方法を取って、二種の頁を作っていたが、スマホやタブレットなど媒体が増えてしまってからは、PC寄りだけれど制限があるスマホ用、レイアウトサイズを考えなくてはならないタブレット用など、PCでは出来ないタッチアクションのものも含めて、分岐の種類が増えるにつれて考えて作らないといけない頁やプログラムの種類も増えた。

 顧客はどこの媒体から多く入ってくるかわからない。だから制作者もかなりの手間がかかっていたものだ。

 それを杏奈は、サーバーにも、簡単に言えば「どの媒体でも同じ表示をさせなさい」という互換プログラムを作っていて、そのサーバーにFTPソフトなどで転送されたすべてのデータは、問答無用で……媒体の画面サイズに応じてレイアウトは変わるが、どの媒体でも見ることが出来、さらにはアプリケーションソフトも同様に使えるものを、課長と協力して作り上げている。

 さすがに有名どころのワープロソフトや表計算ソフトはライセンスの問題があるから、そうした既知のソフトについては、それがインストールしていないために使えない媒体において、自動互換して使えるうち独自のプログラムも入れてある。イメージ画面を見せて貰ったが、本家より使いやすい。
 
 それをパッケージとして買って貰うのではなく、全社員数のランクに応じた格安のランニングコストで、サーバーごと借りて貰うのだ。

 つまり先方でひとり使おうが、百人使おうが、うちに支払われる金額は同じである。だがうちにしてみれば、先方都合でなにも使わない時があろうとも毎月支払いが生じる。
 
 無論セキュリティー面からすれば、スマホやタブレットに外部ウイルスにかかる危険は高いが、課長の作ったプログラムを改良し、そのサーバを使う媒体は事前にウイルスチェックが入る。

 使用者によって、たとえば参照だけか、編集も出来るのか、それを外部出力まで出来るかなど、権限レベルも細かく設定できる……という優れものである。

 どんな媒体でも作動出来るというマルチプラットフォームは、制作側から言えば理想なのであるが、如何せん開発は難しい。すべての媒体は種類がありすぎるのだ。

 PCのOSでもWindowsだけではなくMac、サーバー用PCのOSで言えばLinuxやWindows Serverなどにわかれているように、スマホでもAndroidとiOSというように分かれており、OSのすべてがすべてが、ひとつのプログラムで同じように作動はしない。

 今までのサイト作りにしても、杏奈のようなプログラマーではなく、WEB部の方で、WEBを見れる媒体のものをシステム開発課のプログラムなり、デザイン課のデザインなりでカバーしてきたのは、それがWEBにおいて最低限しないといけない作業だったからだ。PCから見れるのに、スマホで見れないなんてサイトを作ってしまったら、お金はとれない。

 WEBですら人数を割り当て作っているものを、さらに顧客がネットに転送したものでも簡単に他と共有できるようにと開発しているもので、打開したい――。

 家でも会社でもプログラムを作っているらしい課長と杏奈と(ふたりの会話はまるで機械語でちんぷんかんぷん)、そしてあたし達WEB部の確認と、木島くんくん中心のレイアウト調整、また結城が課長と協力してサンプルと資料を作ってきたために、営業ががんがんと新規を回り、WEBでは協力して既存の会社に郵送したり電話したりメールをしたり。

 既存の大手会社をあたしが回るのは、課長と結城にこっぴどく怒られて、あたしは社内に残された。課長と結城で回ることにしたらしい。

 あたしの今の仕事は、郵送用のDM作りだ。
 
 封筒の住所を確認して、大至急で版下を作ってカラーコピーで印刷した案内チラシもOK。あとはお詫びも兼ねた案内状を、社長に認可して貰うだけだ。前に社長に言ってその通りに作ったものだから、社長がお昼寝から目覚めるのを待って、事後承諾ということで内容物を三つ折りにして、三時。

 あたしは二階に上がる。

 いつも秘書室の受付の子がいるのに、今はいない。秘書が真っ先にやめていった現実。三橋さんは今笑顔でいれるのだろうか。

「社長、鹿沼です」

 コンコンとノックしたが、応答がない。

 眠りこけているのだろうか。

 出直した方がいいか、いやだけど金曜日の今日の郵送に間に合わせたいと思い、思い切ってドアを開ける。

「社長?」

 机の上に突っ伏している社長の姿がある。
 熟睡中らしい。

「社長、すみません~」

 いつもすぐ起きるのに、起き上がらない。

 社長の手が伸びたまま、電話機の受話器が机の外に落ちている。


 ……なにかおかしい。


「社長?」


 間近で読んでも応答がないから、腕に触れてみた。

 椅子がくるりと回り、社長の顔が見えた。

「社長!?」

 そこには真っ青な顔色をした、意識のない社長があった。

「しっかりして下さい、社長、社長!?」

 かろうじて息と脈はある。
 だが弱い。限りなく途切れそうなほどに。

「社長!!」

 やだ、社長が……ねぇ、なんで!?

 カタカタ震えながら、思い出すのは課長の顔だった。

 助けて欲しい。
 だけど、あたしがしっかりしなきゃ!! 

 あたしは深呼吸しながらサーバー室の内線にかけ、出来るだけ気丈な声で出た課長に言った。

「課長、すみません。社長が倒れているので、救急車呼びます」



 ***


 内線をかけるので力尽きてしまったようで、外線に切り替えて救急車を呼ぼうとしても、震える手は119の三つの番号を押せない。違う番号ばかり押してしまい、また最初からやり直す。

 頭の中に満月がチカチカ光る。


「落ち着け、落ち着けあたし! 落ち着け」


 泣きながら震える右手首を左手で掴んで、番号を押そうとしたあたしから受話器が取れ、突然ふわりといい香りに覆われた。

 この匂いは……。


「救急車をお願いします。住所は……」


 この声は……。


「……はい、意識はありません。嘔吐もないようで、脈はどちらも遅くて弱いです。汗をかいて熱は少しあるようですが、呼吸数は落ちています。はい、はい……」


 課長だ。社長を触っている。

 カタンと受話器が置かれる音がした。


「大丈夫。俺が来たから」


 急いで駆け上がってきたのだろう、少しだけ荒い呼吸が感じられる。課長はあたしを胸に押しつけるように片手で抱いた。

 あたしはカタカタ震えながら課長にしがみつく。

「しゃ、社長が……」

「うん」

 怖い。
 とにかく怖い。

「死んじゃったら……」

 社長が死んでしまったらと思えば、喪ってしまうと思えば。

「大丈夫」

「でも……意識、なくて……」

「もう大丈夫だから、あなたも社長も。俺が傍に居るから」

 まるで催眠術のように、課長の声はあたしの心に忍び込む。

 大丈夫。課長が居るからあたしも社長も大丈夫。

「ありがとう……」

 返事の代わりに頭を撫でられた。

「社長はどこか具合が悪かった?」

「聞いたことがないの。いつも元気で……」

――僕にもしものことがあったら、会社は睦月に継がせてくれ。

 どきっとした。

――僕さ、もう長くないんだよ。

 そんなはずがない。そんなはずが。
 社長は元気だったのよ。

 いつも飄々として、自由気ままで。
 ムーンの時から寝てばかりで……。

 モシモ、グアイワルイノヲカクスタメダッタラ?

「足の下にあるこれ……薬?」
 
 課長に言われて、足元を見てみたら、確かにぱらぱらとなにかが零れ、ている。

 人差し指の第二関節ぐらいの長さの銀色の袋にオレンジの模様と、「オキノーム」と10という文字が見える。

 課長がそのひとつをポケットに入れた時、慌ただしい音がして救急隊の人達が担架をもって入ってきた。

 社長は酸素マスクをつけられて担架に乗せられ、救急車の中に運搬される。

 いつも元気な社長が弱々しくて、泣けてくる。

「木島くん、三上さん。会社をお願いします。私は鹿沼さんと病院へ行ってきます。連絡入れますので」

 頷くふたりと不安そうな社員を見ながら、救急車のドアが閉められた。

 車内の長いすに課長と座りながら、課長と救急隊員に聞かれたことを答えていくが、あたしには具合悪そうな予兆すら感じなかった。

 心電図や血圧のモニターを見ながら、普通より数が少ないことにあたしは怯えてしまう。

 課長が社長室で落ちていた薬を差し出した。

「これが落ちていたんですが。袋に書かれてる"オキノーム"は、どんな薬ですか?」

 救急隊はそれを見た。

「私は専門家ではないので。これは向こうの医療スタッフに渡しておきます」

「それ、痛み止めではないですか? ……私の知識では、がん患者が突発的な痛みを感じた時に飲む経口投与の頓服だと。そう入院していた時に、知り合った方から教えて貰った気がします。確か名前が、オキノームと」
 
 救急隊員は苦笑する。

「一般的知識から言えば、確かにこれはがん患者に用いられることの多い強度の痛み止めです。ただこれが本当にがんに用いられたのかどうかは、検査をしてみて、搬入先の医者に聞いて下さい」

 がん!?

 最近痩せていたことは知っていたけれど、まさか病気なんて想像すらしていなかった。
 
「どこか病院の指定はありますか?」

「彼の罹患歴がわからないので、ちょっとここで電話いいですか? 病気を知ってるかもしれないひとに連絡したいんで。そうしたら彼が通院したことがある病院に搬入して下さい」

 課長はどこに電話をかけるのだろう。

「渉さん、朱羽です。突然すみません。月代社長が倒れたんですが、渉さんは社長の病気とか病院とか、ご存知ないですか?」

 あたしは課長を見つめた。

「……わかりました。東大付属病院ですね」

 険しい顔をして課長は電話を切ると、救急隊員に言った。

「東大付属病院へお願いします。知人の話では……セイソウシュヨウ。何年も通院し、手術歴もあるそうですので、病院側も受け入れてくれるかと」

「か、課長。セイソウシュヨウって?」 

「精巣腫瘍。男性特有のがんです」

 
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