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Protecting Moon 4
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「朱羽……」
だし巻きを作っているあたしを、朱羽はエプロン姿のあたしのウエストあたりに手を組むようにして後ろから抱きしめ、首や頬や、キスの嵐だ。
「危ないから、座って待っててよ」
「駄目。あなたの腰がしばらく立てなかったんだから、俺があなたのコルセットになってるから。だから気にしないで?」
「……コルセットは、そんなにいやらしいキスをしない!」
「いやらしいってどんなの?」
「……っ」
「大目に見ろよ。あなたが俺の家で、朝食作ってくれるのが嬉しいんだって」
朱羽は、ひとつに結んだあたしの髪をひょいと手で上げ、ちゅうと音をたててうなじに吸い付いてきた。
「ひゃっ」
「好きでたまらないひとが、少し前までは俺のベッドで俺とたくさん愛し合ってて、今度は可愛い格好で俺の家のキッチンに立って、食事を作ってくれるなんてたまらない」
むわりと漂う朱羽のえっちな匂い。
「なぁ……このまま、ここに住めよ」
耳に吹きかけられる甘い息。
「俺と暮らそう? この家大嫌いなんだけど、それでも俺の家である限り、ここからあなたを出したくないんだけど」
「……っ」
「あなたの匂いが残るベッド、俺、もうひとりで使えないよ」
朱羽はあたしを抱きしめて揺らす。
「ここに住んで? ずっとふたりで夜を過ごそう? 俺の愛を受けとめてよ。まだまだ想いが溢れて、苦しいんだ」
「……。朱羽坊ちゃま、料理ができません」
「料理するの嫌なら、俺作るよ。だから、なぁ……」
「甘えっ子だなあ、朱羽は。最初の眼鏡キランはどうしちゃったのよ」
朱羽の頭をいい子いい子と撫でる。
「あれは営業モード。今の俺は素で、陽菜に甘えたいの」
「まっ、朱羽坊ちゃま、お子ちゃまみたい」
「……子供扱いするなら、今ここで抱くよ?」
揶揄すると、朱羽がむくれた。
「朝からいっぱいしたじゃない!」
「まだ足りない。10年だよ、俺の愛。それがこんな短い間ですべて語れると思うか? ……一生涯でも足りない」
あたしは真っ赤になって俯いた。
「おじいさんとおばあさんになっても、ラブラブでいようね」
ああ、そういう日がくるのかな。
これから戦いを控えている朱羽とあたしの間に。
どんなに確固たる心で愛し抜こうとしても、それでもなにか不安は拭えるものではないから。
……きっと朱羽もそうなのだろう。
だから、朱羽の家で幸せな時間を過ごしたことを、愛し合った時間を、維持させようとしているように思えた。
朱羽の指が、首から提げたままのペンダントに絡む。
「あなたの未来は、売約済みだからね」
横からちゅっと頬に唇を落とされた。
「……~~っ」
「なに真っ赤になってるんだよ。本当のことだろう? 返事」
「……はい」
「ああ、なんて顔をするんだよ。可愛いくてたまらないじゃないか」
何度もちゅっちゅっと頬にキスを食らった。
「朱羽って、見た目からはここまで甘々な感じがしなかったなあ」
クール中のクール。
氷の貴公子っていう感じで、甘い言葉など縁遠いというイメージだった。
「ああ、好きなひとには付き合っても、ちゃんと気持ちを伝えてスキンシップしないと駄目だとアメリカで教えられたから。じゃないと逃げられるって。……冗談じゃない。それなら毎日言ってやる」
「それは釣った魚に~っていう奴かしらね」
「そうそう。だからいつもちゃんと餌を頂戴。俺を愛してね」
「あたしが朱羽を釣ったの? 逆じゃない?」
「なんで逆なんだよ。俺は10年前から釣られてたんだよ。ようやく今、愛情という餌を貰えたんだから。まだまだ腹ぺこだよ」
「貪欲~」
「元はと言えば、誰のせいだよ」
「ごちそうさま、とっても美味しかったです」
「過去系にするなよ」
「あはははは」
笑い合う朝の風景。
長く続けばいいな、こういう穏やかな時間が。
決して、嵐の前の静けさにならぬよう、今は心の中で強く願うしか出来ない。
***
「「いっただっきまーす」」
テーブルの上には、朱羽ご希望の和食。
おかずは鮭の切り身に大根おろし、だし巻きとほうれん草のおひたし、ひじきと大豆とゆかりをマヨネーズで和えたもの、豚汁の残り、そして、アボガドにたらことチーズを混ぜたものを餃子の皮に包んで揚げた。
餃子の皮、ちょっと残っちゃったから、アップルパイの具でも入れて後で揚げるつもりだ。
……豚汁はあるけど、さっぱりしすぎているかなと、簡単に油で揚げたんだけれど、和食ではないからこれはおまけ。
「これか、餃子の皮!!」
朱羽は哄笑して、口にした。
チーズが糸を引いて、特にそれを遮るために舌を動かすところなんて、見ているとなんだかエロい。
絶対無自覚なんだろうな。どれだけどこに色気を溜めているんだろう。
白いワイシャツの第二ボタンがとれたとこからかしら。あそこをじっと見ていると、鼻血吹き出しそうなんだけど。
「これも美味しい」
「お口にあってよかった」
「陽菜の味付け、凄く好みで……やば。幸せで顔にやけてきた」
途中口を手の甲で拭って、朱羽は真っ赤になって、横を向いた。
「朝食を作ってくれるひと、俺に出来たんだ……って」
ぽつりぽつりと、噛みしめるようにして朱羽は言った。
「小学生の時からいつも朝食、自分で作って……ひとりだったから……」
……なんとなくだけど、彼は、母親の愛に飢えているように思えた。
母親を中心とした家族の愛。
打算とか見返りなしの、女から無償に注がれる愛情。
甘い余韻を残して目覚めた時、朱羽から散々と、あたしが夢現に朱羽の子を身ごもった夢を見ていると、寝ぼけていたことをからかわれた。
よりによって、なんでそんな時にそんなことを言っていたのかと羞恥に顔を赤く染めていた時、
――あなたとはきちんとしてから子供を作りたいけど、それでも……もし、子供が出来たのなら、迷わず産んでね?
ベッドで笑いながらも、そう真剣に言った朱羽を思い出す。
きっと朱羽に本当の血の繋がる家族が出来たら、それは朱羽の心の支えになる。
――あなたごと、俺の家族になって?
忍月に踏みにじられた母子の辛さが、昇華できるのだろうか。
辛い思いをして生きてきた朱羽が、幸せになれるのだろうか。
おこがましいけど、もしこの先、あたしが朱羽と家族になれたら、朱羽にもう寂しい想いをさせない――。
あたしは無意識にお腹に手をあてた。
今はいない赤ちゃんが、いつか天使のように羽ばたいて、お腹に降りてきてくれたらいいなあと思いながら。
後片付けした後まったりしながら、ベランダに出て葛西臨海公園を展望する。
当然ながら二階に住むあたしの部屋からは、夜景といえば真向かいの古いビルくらいで、朝からこんなに素晴らしい景色を眺望できるわけはなく。
燦々と照りつける太陽を視界に入れながら、朱羽が輝かんばかりの微笑みを浮かべた顔を傾け、唇を重ねた。
「穏やかな今日が、この先……毎日来るように、頑張ろう」
唇を離して、朱羽は切なそうに笑った。
「そのために俺も、ベストを尽くす。決して忍月に負けない。だから俺についてきて」
「うん。ついていく。あたし根性はあるから、朱羽が挫けそうになったら、ちゃんとあたし引っ張り上げるからね」
「はは、それは頼もしい」
あたしは真顔で言った。
「……今日、言おうと思う」
「ん?」
「結城に。会社辞めること」
「………」
「月曜日の株主総会が終わったらと思ったけど、それは友達としてどうかと思うの。決心したなら、ちゃんとすぐ話したい。隠していたと思われるの、あたしが結城の立場でも辛いから」
「それによって、社長になろうとする結城さんの心が乱れても?」
朱羽の顔が悲壮感に覆われた。
「俺がこんなこと言うのもなんだけど、結城さんが社長になろうとした理由のひとつは、あなたが部下としているからだと思う。恋愛関係や友情とはまた違う、月代社長のように家族のように近くで見守ろうとしてくれていたのだと。……あなたの帰る場所を、確立しようとしてくれているのだと」
「………」
唇が震えた。
社長に語り尽くせない恩義を感じている。結城にも、過去がどうであれ、結城に救われていた部分はちゃんとあったから。
社長の意志を引き継ぎ、結城が家に、家族になってくれようとしている。
だけどあたしは――。
「……ちょっと、待っててくれるかな。あなたと俺が立て続けに辞めたら、恐らく結城さんのダメージが大きい」
そうだよね、今さらだけど……朱羽も辞めるんだ。
何度も会社の危機を助け、結城が友達と認めた朱羽まで、会社を辞めるんだ……。
「……わかった。様子を見ながらということで。……退職願は持ち歩いてるよ。あれ、直属の上司に渡しておいた方がいいんだっけ?」
「……俺からより、あなたからの方がいいだろう。結城さんにとっては、まだ……」
朱羽は、物憂げな思案顔で遠い空を見上げていた。
太陽が輝いているにもかかわらず、遠い空には鈍色の雲に覆われて。
嵐の予感――。
そう、感じた。
アップルパイ――。
なにか手伝いたいとすり寄ってくる朱羽に、林檎の皮むきをお願いする。慣れた手つきで一度も切れずにしゃりしゃりと皮を剥いていく。
「うますぎ。あたしより上手いじゃない」
「そりゃあ俺も、小学生の時から料理していたから。母親が家に男を引っ張りこんでセックスばかりして、作ってくれなくなって。生きるため、かな」
笑顔だけれど、凄惨な過去だ。
「母さんも、とっかえひっかえじゃなく、俺と陽菜みたいに愛し合ってセックスをしていたのなら、今では……その気持ち、わからないでもないけどね。寝なくても食べなくてもいいから、繋げていたくなる飽くなき欲望。あなたを離せなくなるから」
「……っ」
「だから願わくば母さんが、父さんを愛しあって俺を産んでくれていたらいいなって思う。……もう、聞くことも出来ないけれど」
自嘲気な独白。
「生きているうちに、聞いておきたかったことはたくさんある。死んでから気づく。なんで俺は、母さんを煙たがって反抗して生きてきたかなって。……あなたに言ってなかったけど、俺、かなり荒れて喧嘩ばかりしてたんだ。母親を切り離したいのに切り離せない、それでいつも鬱々としてて」
「あたしと会った時も?」
「いいや。コンビニで助けられた時は母さんはそこまで酷くなくて、あなたを抱いて、あなたを探しに大学まで行ったあたりから、母さんが悪化して。俺は精神の均衡を崩した……」
「……っ」
「俺が荒れて暴力的になっているのに、学校にも行かずに乱した服装をしているのに、なんで母さんは俺を無視して、家で男とセックスしているんだといつも憤ってて。反抗して家を出ても、心配で家に戻ってみると案の定、男がいなければ食べることすら放棄してる。金を盗まれていたこともあった。男に頭から精液かけられて真っ白なものが乾いて悪臭を放ちながら、ぼんやりとしていて。と思ったら、裸だろうと外に出て、男を誘ってる。そんな母さんを無理矢理連れ帰り、食事を作って。そうじゃないと、母さん餓死してしまうから」
「………」
朱羽のお母さんの姿が、満月の時のあたしの姿にだぶる。
極限に至ると、自分がなにをしているのか、誰が声をかけているのかまったくわからなくなるから。
……だからといって、息子だと気づいてなかったのだろうか。
本当に?
「近くに居たら居たで重荷なのに、だけど死んで欲しくなくて。俺がひとりになるのが怖くて……そのストレスで心臓病を患ったのだと思う」
「朱羽……」
「もっともっと言葉をかけて理解しようとすればよかった。もっともっと俺がどう思っているのか、理解して貰おうと頑張ればよかった。ずっと、母ひとり子ひとりでやってきたというのに。母さんさ、どんなに男に狂っても、俺には手を出さなかった。それは息子だとわかっていたからだと、気づいても今更で……」
「………」
「……母さんがこうなったのは、忍月の義母の暗躍があったからだと、渉さんから言われたよ。結局渉さんのお母さん同様、俺も母さんを死なせてしまって。……後悔ばかりだ」
どんな言葉も出てこなくて、あたしは朱羽の後ろから抱きついた。
「なんだよ、陽菜も甘えっ子?」
「うん、甘えっ子」
朱羽はなにも言わずにナイフを調理台に置き、彼の前に回ったあたしの手を取り、口づけた。
「……あなたがいてくれれば、それでいい。こうやって、俺を愛してくれれば、寂しくなんてないから。……」
「……うん」
「予期せぬ出来事で、取り返しがつかなくなって後悔しないように、あなたにはちゃんと伝えるから。どんなに愛しているかって」
「……うん」
「それでも、俺の想いのすべては語り尽くせないだろう。どうやれば伝え尽くせるか、よくわからない。十年抱え続けてきた想いは、こんなに膨れあがって苦しいほどなのに」
このひとが愛おしい。
「あたしは、朱羽への想いを抱えたのは三週間とまだ短いけど……、この先もずっと朱羽を愛し続けるよ。朱羽への愛情、膨らませるからね。毎日、朱羽を好きになるからね」
「ん……」
あたしの手の甲の上に、ぽたりとなにかが落ちた。
「お母さんの分も、朱羽を愛し続けるからね」
「ん……」
ぽたり。
あたしはそれに気づかないふりをして、朱羽の背中に頬を寄せて、静かに涙した。
・
・
・
・
朱羽が剥いてくれたりんごを六つに割って、五ミリくらいの薄さに切ること、林檎三種二個ずつ計六個。
バターを鍋で溶かして小麦粉と砂糖を入れてもったりとさせ、切ったばかりの林檎を入れて、シナモンやスパイスを混ぜて煮詰めていく。
冷蔵庫から取り出したパイ生地をふたつに割り、家から持参したのし棒でのばしていこうとすれば、朱羽がやりたいと目をきらきらさせるため、男の力で薄く薄くのばして貰う。
ショートニングを入れた生地はすぐに適度の柔らかさになって伸びる。
ひとつはナイフを入れて縦に細く切り、もうひとつは型の上に入れて、それを会社分と二組作った。
少し冷ました林檎を、型の上のパイ生地に乗せ、こんもりとした山に長く切ったパイ生地を格子状になるようにおき、型の上のパイ生地の切れ端を丸めていく。
上にハケで溶いた卵黄をを塗ってオーブンに入れ、ふたりで覗き込んで微笑みあう。
朱羽がコーヒーを入れてくれている間、あたしは餃子の皮に包んだアップルパイの具を揚げた。
朱羽はコーヒー豆をミルで挽いている。
「本格的だね、あたしなんていつもインスタントなのに」
「渉さんが珈琲が好きなんだ。サイフォンもあるけど、そっちで淹れる? それともドリップ?」
「サイフォンといいたいけど、あたし濃いの苦手なんだ」
「じゃあドリップで、カフェオレにする?」
「いやいや、せっかく淹れてくれるなら、ブラックで飲む。飲めないわけではないんだ。疲れている時とかはブラックだし」
「陽菜はイキっぱなしで疲れているものね。お肌はつやつやだけど。あ、俺もかな」
「……っ、もう!!」
「あはははは」
朱羽とふたりで作ったアップルパイ。
奇しくもアメリカ帰りのひとに、アメリカンだという……ショートニングを使ったアップルパイを作ることになろうとは。
それでもあつあつの林檎と、あっさり味のサクサクするパイはとてもうまくいったようで、本格的に湯を回すようにして淹れてくれた朱羽の珈琲のほろ苦さ加減とマッチして、どんな喫茶店にも負けないほど美味しい昼食タイム。
手伝って貰ってしまったけれど、喜んで貰えてとても嬉しい。
途中朱羽のお膝にだっこされて、アップルパイにも負けない甘い甘いキスと、服を脱がされながらの悦楽がご褒美で。
林檎より、漂う朱羽の匂いの方が魅惑的だった。
会社の分のアップルパイ。既に揚げていた餃子の皮も持って、持参したケーキの箱とタッパに入れた。
朱羽はダークブルーの背広を着て、あたしは持参したスーツを着て。
ここからはまた、戦闘態勢となる。
シークレットムーンのWEB部課長と主任の肩書きは、早くて今日、遅くとも月曜日になくなる。それまでの、正式な鎧だ。
今度このスーツはいつ着ることになるのかわからないが、辞める最後の一秒までは、あたしはシークレットムーンの一員でありたい。
わがままだろう。わかっている。あたしは仲間失格だ。
それでもせめて――。
「じゃあ、いこうか」
朱羽が手を差し伸べる。
「うん、いこう」
……あたしが選んだのは、この手だ。
「また、ここに来て。これを最後にしないで」
「うん。またお邪魔させてね」
朱羽との未来を感じられなかったマンション。
だが、なにか後ろ髪引かれる思いで玄関先で振り返り、記憶に刻みつけるようにして家の内を眺めながら、また来ようと心に決め、あたし達は出ていった。
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