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Final Moon 5
しおりを挟むなんで千絵ちゃんがここに!?
いやそれより――。
「千絵ちゃんが監視役だったの!?」
「正解でーす。ね、ご当主」
忍月当主から否定の言葉が出てこない。
「……あ、社長! 会長にご昇進、おめでとうございます。具合、大丈夫ですかぁ?」
千絵ちゃんと最後に会ったのは、表参道か。
「皆さんもお久しぶりです」
今、とにかくにこやかに笑う彼女はなにを考えているのだろう。
朱羽の……あたし達の味方か。
それとも敵対する財閥の娘としてか。
「ご当主。ひとつよろしいですか」
傍観していた名取川文乃が言った。
「監視役というものの基準は一体なんだったのです?」
名取川家で、シークレットムーンがなぜここまで危機にあるのかと聞かれ、会社の皆は言いにくそうに、千絵ちゃんのことを口にした。
確かに千絵ちゃんが、向島のためにとうちで動いていなければ、うちは社員を失うことも、取引先の信用を失うこともなかった。
それをわかっていながらも、はっきりと千絵ちゃんが悪いと口にした者はいなかった。
やはりそれだけ、千絵ちゃんは社員に馴染んでいたんだ。
「朱羽の通う会社で、朱羽と近すぎず、距離を保てる者。そして監視役だということを悟られない者。悟らせない者。彼女はビルで、各会社に忍月と関係がある者を示唆し、さらには詮索させないための噂をたてた」
千絵ちゃんはシークレットムーンだけではなく、社外の人達とも仲がよかった。全部の会社社員が集まる食堂で、いつもご飯を食べていた。
噂の出所は、彼女だったのか。
「忍月の関係者がいると思ったら、会社の雰囲気は変わる。その中でワシの孫達がどう振る舞っているのか、そこらへんを彼女に監視させた」
「ご当主は、彼女がどんな目的でシークレットムーンに入ったのか、ご存知で?」
名取川文乃は噛みつく。
「彼女が向島の血に連なるものだというのは、渉の上司……あの馬鹿の動きでわかっていた。わかっていて、ワシは彼女に指名した。ひっかき回すのならそれでもいい。それで朱羽が潰れればそれまでと。逆に、監視役を彼女が受けないと、彼女の素性を明かすと言ってな」
「とは言っても、活動は全くしてませんでしたよ? 別に報告義務もないですしね。先日お電話頂いて、私の方がびっくり」
ふふふ、と千絵ちゃんは笑う。
ひとりは当主の息がかかっているうちの専務。
もうひとりは、シークレットムーンを潰そうとしていた向島の娘。
当主が、なにをしたかったのかがよくわかる気がする。
「お話は聞きました。香月課長がシークレットムーンに居るのが相応しいか、それとも財閥の当主になるのがいいのか、ここで監視役である私の発言が求められ、もしもそこで当主のお願い通り、財閥の方がいいって言ったら、香月課長はシークレットムーンを辞めて、忍月の次期当主にならないといけないんですよね?」
千絵ちゃんの声が悪意に聞こえてくる。
だけど表参道で、千絵ちゃんは……僅かでも理解を示してくれたのではなかったのだろうか。
あの場あの場限りで、やはり向島の娘として、実行する気なのだろうか。
「ふふふ、香月課長。次期当主になって私とお見合いしません? 真下さんなんてお嫁さんに貰ったら、お尻に敷かれちゃいますよ? 私なら、香月課長に尽くしちゃいます」
「千絵ちゃん……」
「なんですか、主任。あ、主任は可哀想ですよね、香月課長と身分違いになって別れちゃわないといけないんですから。なんだか、昔の私と同じですね。立場は違いますけど。ふふ、主任。私失恋のスイーツ巡り、おつきあいしましょうか?」
「千絵ちゃん。それはキツいわ」
あたしは言った。
「どれだけ辛いものか、千絵ちゃんはわかっているくせに」
「はい。だから言ってたじゃないですか。香月課長を下さいって。早くに手放していたら、苦しくならなかったのに。それなのに幾ら電話を待っていても、電話くれないし」
「やらねぇぞ」
結城が言った。
「あら、結城……社長。香月課長と鹿沼主任が別れたら、結城さん、主任を貰えるじゃないですか。念願の恋人になれるんですよ?」
「ひとをハイエナみたいに言うな。俺は、香月のおこぼれにあずかるために、今ここにいるんじゃねぇよ。馬鹿にするな」
結城の怒りを込めた静めた声に、千絵ちゃんは押し黙る。
「香月はな、物じゃねぇんだよ。人間なんだよ。俺からすれば、忍月もお前も香月をひととして扱ってねぇじゃねぇか。香月の気持ち、まるで考えてちゃいねぇ!」
「同感」
衣里が、腰に手を当てて冷ややかに言った。
「どうして、香月の心を優先しようとしないのかな。力づくで奪って、香月から愛されると本気で思う!?」
「千絵ちゃん……」
杏奈が気の毒そうに言う。
「千絵ちゃんが受けた傷、鹿沼ちゃんや香月ちゃんにもつけたい? そこまで嫌うのはどうして?」
「……私は」
千絵ちゃんはなにかを言いかけて、ぐっと堪えた。
「やだなあ、皆してそんなに真剣な顔で! いいですよ、私はどうせ悪者ですから。シークレットムーンを売ったし、私は恨まれるのが当然で、皆の仲間ではないですから!」
「でも千絵ちゃんは、助けようともしてくれた」
あたしは言った。
「スポ根は流行らないといいながら、スポ根で乗り切れる案を出してくれた。仲間ではないといいながら、仲間として考えてくれたんじゃないの?」
千絵ちゃんは泣き出しそうな顔をしている。
その時、笑い声が響く。
この声、またあのひとか。
「監視役を心理的に味方につけようとしている。これはお義父さま、ゆゆしき事態ではありませんか?」
「そんなつもりではっ!!」
あたしは焦った。
「これはペナルティーとして、無効にすべきです!!」
無効になるとは即ち――。
「監視役はひとりしか朱羽さんを認めなかった。よって朱羽さんは」
「お待ち下さい!!」
遮るようにそう言ったのは千絵ちゃんで、バックから手紙を取り出して当主に持って行った。
「私の結論は、あらかじめこちらに書いてあります。これが私の答えです」
千絵ちゃんは、一体なにを書いていたのか。
ゆっくりと時間をかけて出した答えとは……。
「渉」
「はい」
「これを読み上げろ」
ひと通り目を通した手紙を、専務が受け取った。
固唾を呑んで見守るあたし達――。
「『私、向島千絵は……香月朱羽さんはシークレットムーンになくてはならない、必要不可欠な存在だと断言いたします』」
あたし達は顔を見合わせ、わあっと歓声を上げた。
「『香月さんがきてシークレットムーンは、月代会長が仰るとおりの化学変化が起きました。彼はどんなトラブルも柔軟にカバーでき、その能力は未知数。特に営業に秀でた結城社長と頭脳派である香月朱羽さんがタッグを組み、そこに真下さんや鹿沼主任、木島さん、三上さんを中心に社員が一丸になれば、シークレットムーンはこの先、面白いほどの成長を見せるでしょう。シークレットムーンとその仲間で、香月さんの能力はさらに伸びて鍛えられることを、ここに記します』」
それまで刺々しい言葉を吐いていた千絵ちゃんに抱きつき、皆で泣きながら頭をぐしゃぐしゃにした。
千絵ちゃんは泣いていた。
今まで皆の前で泣かなかった分、大きな声をたてて「今まで本当にごめんなさい」と大きな声で吠えるようにして謝り、その場で崩れ落ちた。
あたしと衣里と杏奈は泣きながら、千絵ちゃんを抱きしめた。
男性陣も鼻を啜っていた。
「ありえない!!」
机を叩いて立ち上がったのは美幸夫人。
「そんなこと!!」
「ありえるんです、奥様。こちら、私の兄からの"お返事"です」
涙で化粧をぐしゃぐしゃにさせた千絵ちゃんは、もう一通の手紙を美幸夫人に渡そうとしたが、当主がこれも専務に読み上げろと言ったため、専務が再びそれを受け取った。
「『忍月美幸様
先日はお電話頂き、ありがとうございました。
ご依頼頂いた件、美幸さんに有利な証言をさせれば、今後向島に有利に忍月が動いて下さるというお話は、謹んで辞退申し上げます。
忍月と向島の間の確執の緩和は、美幸さんではなく、渉くんとの間で話を進めていきたいと思います。むしろ私は、渉くん以外の人物とは話の場につきません』」
向島専務……。
彼が融解したのは誰のおかげなのだろう。
朱羽と杏奈と宮坂専務と。
「『また、美幸さんが背後にいらした忍月コーポレーションの副社長におかれましては、完全に私とは手を切りましたこと、改めてご報告いたします』」
うわ、美幸夫人がバックにいたのかよ。
その魂胆はわからないけれど、もしかするとシークレットムーンを潰すことで、朱羽を手に入れようとしたとか?
そんな私情で、会社が危機にさらされたの!?
「『今後はあなた様の息がかかった当主を仕立てようなど身分不相応のことは考えず、どうぞ忍月の未来を考え、ひっそりと亡き次期当主の供養をなさって下さいますよう。
また、千絵から監視役のことを聞きました。忍月のご当主があなた様に口外するとは思わないので、恐らく当主がかけた後をリダイヤルし、私に繋げたと思いますが、千絵が承ったものは千絵に考えさせます。そこには私の意志はありませんこと、ここに宣言しておきます。
向島宗司』」
息がかかった当主……つまり副社長を当主にしようとしてたとか?
もしかして、肉体関係とかあったのかしら。
副社長が駄目だから、次に朱羽にしようとしてたとか!?
「どういうことだ、美幸!」
「そ、その……」
「監視役はふたり共、朱羽がシークレットムーンに必要だと断言した。ならばここで名取川陽菜嬢に客観性が持てたことになる」
専務の声が響き渡る。
「だとすれば、陽菜嬢は本家にて、衣里嬢のご指摘通り、美幸さんに危険がないのか、調査して頂きたい。このように手を回して色々なことをしているようなので、俺か朱羽立ち会いの元、記録などお探し下さい」
「わかりました」
うおっ、家捜しか。
こんな展開になるとは思っていなかった。
「渉さん、お待ちになって! 忍月の本家に、他人をいれるなんて!」
見られては駄目なものでもあるような慌てぶり。
「はっはっは。美幸さんでも本家に入れるのだから、陽菜嬢でも入れるでしょう。陽菜嬢は、名取川さんの娘ですよ?」
専務が冷たく言い、名取川文乃がそれに同調した。
「美幸夫人。陽菜の後ろには名取川家があります。陽菜だけではない」
すると、衣里のご両親が顔を見合わせて言った。
「衣里がここまで熱くなれる月代さんの会社なら、私も応援したいと思います。ですので、真下は陽菜さんに協力する衣里の後ろに」
「お父様、お母様!」
「そんな二大旧家の力だけではなく、取引先を力にした結城社長、まだまだコネが沢山ある月代会長が、朱羽についている」
専務の隣に朱羽が立つ。
「渉さんには向島がついてます。……ねぇ、お義母さん。あなたは力を気にしますけれど、あなたの後ろには誰がいるんですか?」
美幸夫人の視線の先には、厳しい顔をした当主。
「あなたはまた裏から手を回し、フェア精神を穢した。その報いは本家にて……、陽菜の探し出したものをお待ち下さい」
朱羽の眼鏡のレンズがキランと光った。
朱羽と専務がこうして美幸夫人を責めているところは、初めて見たようなものだ。
彼らは追い出す気なのだろうか、当然の報いとして。
だけどその前に、美幸夫人とお話をしたいの。
当主が理解してくれるかと聞いてきたから、あたしもまた、拒絶ではなく妥協点を見つけないといけない。
追い出すのは簡単だ。
だけど、誰ひとりとして美幸夫人を恐れ、その正直な心を聞いていないのであれば、あたしくらい、聞いてみてもいいんじゃないだろうか。
彼女はなぜ、本家に居座っているのか。
どんな思いで、朱羽と専務の母親を殺したのか。
それが出来るほど、狂っているのか。
……嫌いだけどね。
「ではこれにて、閉会いたします」
専務の声と同時に、朱羽があたしに手を伸べた。
「一緒に、おいで?」
あたしはその手を取り、そして抱きついた。
・
・
・
・
手を振るシークレットムーンの皆を背後にする。
名取川文乃も、衣里のご両親も後にする。
月代会長にも、頭を撫でて貰った。
この先はあたしひとりで戦わないといけない。
本家に向かうタクシーの中、後部座席に座るあたしと朱羽。
ふわりとした魅惑的な匂いを漂わせながら、朱羽の手があたしの身体に回り、顎を持ち上げるようにして、唇を重ねてくる。
恋しかった朱羽の唇。
……熱と激しさが加速する。
助手席の専務と運転手は見ないふりをしてくれていたが、会いたいのに会えなかったその反動は凄まじく、周囲が見えないあたしは、朱羽に抱きつくようにして情熱的なキスを繰り返した。
「今夜、部屋に来て」
「ん」
朱羽の匂いに包まれていながら、帰る時は朱羽も一緒だと心に誓った。
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