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Final Moon 7
しおりを挟む「当主。俺にも、そういう女がいます」
専務が言った。
「母が死んだ記憶を上書きする、愛する女がいます」
「渉……」
「殺されたくなかった。俺は隠し続けようとしたけれど、だけど朱羽とカ……陽菜を見て、俺も言いたくなった。……沙紀っ!」
専務が声を上げた。
「沙紀、いるんだろ!? 俺の女として、出てこいっ!」
ドアが静かに開き、男装の沙紀さんが出てきた。
「え、吾川……」
沙紀さんは専務の隣に行って、頭を下げた。
「私は女です。前に一度お会いしました、専務の……渉の秘書をしており、……渉と、おつきあいさせて頂いています」
沙紀さんの目は強かった。
「渉からすべて聞いた上で、私は渉と同じ道を進みたいと思いました。この度朱羽くんと陽菜ちゃんが引き離されそうで、私と渉はこちら側から補佐しようと、男装をさせて頂きました」
どこまでも、強い女に見える。
「私は、渉を愛しています。渉と離れません。なにがあろうと」
「……はぁ」
当主は俯いてため息をついた。
「どいつもこい……ゲホゲホッ」
しばし咳が続く。
「この年になり、ワシは孤独感に苛まれた。誰もかれもがワシの肩書きだけを欲し、ワシの心は錆び付いていることに気づいた。結城くんの話を聞いて、羨ましかった。ワシも若返れたらと思った」
そこには威厳もなにもない、
「せめてワシが作ったものだけでも、ワシの血が連なる者に継いで貰えたらと思った。最高の縁談で、華々しく当主の座を譲り渡したいと。渉には早々に嫌がられ、そして朱羽達からも拒まれた。しかし後継争いをすると聞いて、ワシの心は躍った。継いでくれようという者が必ず出ると。ワシのように忍月を愛し、大きくしてくれる者が出ると」
しわくちゃな老人がいた。
「だがそれまでワシの身体が持たぬ。それで後継争いを切り上げた途端、こうだ。誰もがワシの忍月を継ぐことが幸せではないという。誰もが忍月当主の嫁に相応しい良家の娘ではなく、愛する者と結ばれたいという。……愛する者と結ばれる忍月であれば、ワシは……文乃と結ばれておったわ」
ぽつり、ぽつりと……それは愚痴のように。
「ワシが生きた証はなんだったのかの? 愛する者と結ばれず、心を無くし、その結果身内からは背を向けられ。忍月を優先して、忍月を第一にと考えてワシがしてきたことは一体なんだったのかの?」
それは老人の心の吐露。
「ワシがしてきたことは、すべて無駄だったのかの?」
涙が流れた。
「……無駄で終わらせたくないと思うのが、身内でしょう」
そう言ったのは専務。
「悲しいことに、どんなに酷い仕打ちをされても、血の絆は断ち切れないようです。な、朱羽」
「……はい」
ふたりはなにを言い出したのだろう。
「俺があなたの意志を継ぎ、そして朱羽が俺の意志を継ぐ。それでいいですか」
「渉……っ」
当主は歓喜と怪訝の中間の表情をした。
「ただし、条件があります」
専務は朱羽と顔を見合わせて、ふたりでにやりと笑った。
専務は、ゆったりとした口調で言った。
「俺達の要求は三つ。ひとつは俺達が選んだパートナーを認め、俺達の結婚に口出ししないこと。見合いや政略結婚なんてもってのほかです」
「む……」
当主は口ごもった。
「ふたつめ。俺達は美幸さんに恨みを持っています。その美幸さんの処遇を、陽菜に任せます」
「あ、あたしですか!?」
「そうだ。妥協案を見つけろと提案したのはお前だ。それにお前だけは彼女を理解したいと言った。ならばその結果に俺達は従おう。できるか」
責任重大だ。
だけど――。
嫌いだから敵だからと追い出すことは簡単だ。だけどその簡単なことを誰も出来なかったことに、忍月の歪みがある。
その歪みの原因を正さない限り、幾ら辣腕の彼らとて忍月に縛られたまま。そしてきっとそれが出来るのは、第三者なのだとあたしは思うのだ。
「……はい、やります」
専務は頷いている。
「そして三つ目の条件は、朱羽を陽菜と共に、月代さんのシークレットムーンに働かせること」
「なんと……、朱羽を別会社に働かせる気か」
「はい。財閥を背負う身でありながら、シークレットムーンにも所属させる。シークレットムーンは朱羽に良い方の影響を与えた。それを切るには、今の朱羽を否定することになる」
「……っ」
「シークレットムーンを忍月財閥直下の企業にします。忍月コーポレーションの下ではなく、同列に。同時にOSHIZUKIビルに居る弟達の会社も同じく。つまり俺の弟達を介して、忍月財閥に同調させる。そして俺も、当主の後を引き継いで忍月コーポレーションの社長の座を就きます。忍月コーポレーションを含めた四つの会社を、弟達を通して忍月財閥の動力にします」
「忍月を変える気か? 伝統を重んじているワシが改革を許すと?」
「許さざるを得ません。なぜなら俺と朱羽で、世界の忍月財閥にさせるんですから」
世界……。
朱羽も専務も外国語は堪能だ。特にアメリカなら生活をしていたのだから、現地の状況は把握出来ている。
「初代忍月善助を助けた石油国の王族は、今や友好関係を築くのではなく、従属と献上金を求めている。そこから脱却し、必ずや肩を並べさせます。あなたはその現実をいつも憂えていたはずだ」
悠然と腕を組んで、超然と専務は笑う。
「出来るのか、お前に」
「やってみせます。俺の代で出来ないのなら、朱羽の代でやらせます。そのくらいの手腕なくして、忍月の当主は務まりません。だな、朱羽」
「はい。俺の力不足の部分を、シークレットムーンと渉さんに鍛えて貰います。俺が、渉さんの夢を受け継ぎ、必ず現実のものと完成させます」
朱羽も強い目をして、言い切った。
「忍月の輝かしい未来のためには、今の状況を変えねばならない。その力を発揮するには、俺はシークレットムーンと陽菜が、渉さんは沙紀さんが必要です。こちらの条件が却下されるのなら、残念ですが俺と渉さんは当主の座を辞退させて頂きます」
逆転劇――。
当主の力に脅かされていた兄弟は、今や嫌がっていた当主の座をかけて当主を脅かしている。
「朱羽、それは……」
あたしが手紙にしたためたから?
あたしが、結城達と話し合ったこと……。
――忍月財閥の次期当主候補をため口で扱き使えるのって、すごくね? しかも俺のダチだよ。
最初は結城の冗談から始まった。
――なあ。あいつが次期当主のまま、シークレットムーンにも働くっていうことは駄目なのかな。大体、忍月の現当主だって、忍月コーポレーションの社長やってたんだろ? うちは香月が来てくれるのなら、香月が財閥背負っていても別にいいんだし。
朱羽が当主になって、さらにシークレットムーンにも働いてくれていたら。あたし達の同僚でいてくれたのなら。
――香月なら、忍月もうちも両立できそうな気がするんだけれど。まあ香月の気持ち次第だけれど、お前ら財閥の御曹司がうちで働くの反対?
誰も反対する者はなく。
――香月なら財閥の方で問題起きても、俺達が助けてやれるしさ。
――忍月財閥直下のシークレットムーンっすか? なんかすごく大出世っすよね? けどうちもまだ危機を完全には脱していないし、課長をうちだけで使うっていうのもどうっすかね。そのせいで課長が、忍月で叩かれたりでもしたら。財閥の業務とかは、俺らお手伝いできないし、課長ひとり大変になる気が……
――ひとりだけを大変にしなければいいんじゃない? もしもの話、当主が妥協して、すべての問題点がクリア出来るのだとしたら。専務と香月のふたり体制で忍月財閥を動かしてみるっていうのは? 香月はまだ若いし、次期当主みたいな形でも、専務を補佐して色々と教えて貰いながらうちに務めて、社会情勢をリサーチしたりコネを広げていけば。正直専務は、一企業のたかが専務にしておくのは勿体ないし、香月もそう。だったら、すべてを手に入れれば?と思うんだけど。
――そんな大団円、出来るのかなあ。香月ちゃんも専務も忍月を嫌っているわけでしょ? まずは彼らの意志が大切だよ。……仮に忍月当主の意を汲んで、彼らが望むような環境で当主になれるのだとしたら、財閥の方が居心地いいとか辞めちゃわないかなあ。杏奈、香月ちゃんとプログラムしたいのに。
――それは、専務がそうさせないっす。あのひと、沙紀さんと弟溺愛しているっすから、課長をシークレットムーンに返してくれるっす! 課長が望む環境が作れたのなら、専務も同じ環境になるってことっすよね? だったらあの専務なら、沙紀さん連れて当主をやるといいそうっす。
――俺さ、専務が当主になっても、専務のためになにかしてぇと思うんだよ。ここまで色々シークレットムーンの危機を救って貰っててさ。あのひとも、俺好きなんだよな。
――結城社長、俺もそう思ってるっす。あの兄弟なら、俺も協力したいっす。協力っていってもずば抜けた頭脳とイケメンっすから、利益還元?
――どっちに転んでも、忍月財閥直下シークレットムーンだね、あははは。
都合のいい、願望のような会話だけれど、それでも……朱羽や専務も納得する形で、お祖父様と仲良く出来たら……そう思った。
まったく話が通じない、サイボーグのようなお祖父様ではなかったから。
だから、頑なに拒絶せず、ちゃんと本音を話し合って結論を出して欲しい……そう思った。
「あたしが手紙に書いたから?」
そう聞くと朱羽は静かに頭を横に振り、微笑んだ。
「その前に、渉さんと話をしていたんだ。拒絶しないで迎合しろ、理解しあえというあなたの言葉に心を動かされて。そうしたらあなたの手紙だ。……嬉しかったよ、同じ意見に行き着いたから」
「いかがですか、当主」
専務の促す言葉に、当主はしばし考えこみ、その場での返答を避けた。
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