勿忘草は、ノスタルジアな潤愛に乱れ咲く

奏多

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1.ゼラニウムは、予期せぬ出会いを誘い寄せる

総支配人と支配人

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 ◇◇◇


『ファゲトミナート』最上階にあるBAR――。
 仄暗い照明の中、夜景が広がるカウンターは圧巻の美景だった。

「おいこら、穂積。いつもは散々俺の誘いをシカトしているくせに、仕事を山積みにした俺をここに引き摺り出して、さっきから堂々と、スマホばかり黙って見てるんじゃねぇよ」

 憤然とした声を出して、ロックのウイスキーを呷ったのは、ネクタイをとったワイシャツ姿の支配人、河原崎理人りひとだ。彼は今年三十四歳になる。
 眼鏡をとって固めた髪を崩しているラフな姿には、仕事中のような生真面目さなどなにもなく、どこか廃れた大人の色香が漂っている。

 その横には、ネクタイをきっちりと締めたままの背広服姿の真宮が座っていた。
 河原崎と同じく、丸い形の氷が浮いた琥珀色のウイスキーが入ったグラスが置かれているが、真宮はそれに手を伸ばそうとせず、先ほどからずっと鳴らず震えずのスマホをじっと見つめている。
 その姿は、どこか倦怠的アンニュイな色香が漂っていた。

 真宮はスマホを傍らに置くと、片手で顔を覆い、そのまま前髪を掻上げた。
 そしてぼんやりと、青白い満月を眺める。

「なぁ、理人。俺って……女とみたら無節操に口説いて遊び回る、お前と同種な軽い男に見えるか?」
「……お前、俺をなんだと思っているんだ。俺もお前も軽いどころか、超重量級だ」

 親指を突き立ててウインクすると、真宮は大きなため息をついてぼやく。

「やっぱり理人と同種か。俺の顔に傷でもつけたら、少しは……」
「……悪い、穂積。俺が調子に乗りすぎた。頼むから、思い詰めて傷を作らないでくれよ? お前が傷物になっちまったら、お前の教育係兼目付役の俺は、真宮大公に切り刻まれる!」
「それはご愁傷様。ちゃんと弔ってやるから安心して」
「……おい、穂積。お前が小さい頃から面倒を見てやっている俺に、今では随分な態度だと思わんか」
「それはひとえに、理人の教育の仕方が悪かったんだな」

 真宮はつらりとして、ウイスキーを口に含む。
 それを見た河原崎は苦笑しながら、真宮と共に、同じウイスキー……マッカランを飲んだ。

 静かなJAZZが店内に流れていた。
 他に客はなく、バーテンは気を利かせて離れて立っている。

 やがて真宮が静かに言った。

「……なかったことにされたんだ、彼女に」
「なにを?」
「昔のことを」

 真宮の言葉は、とても重みがあった。真宮はグラスをゆっくりと回すと、丸い氷がグラスにぶつかり、カランと透き通るような音を響かせた。

「ついでに言えば、俺は同世代の女と結婚していて、その上で年上女をからかって手を出そうとしている遊び人扱い。どうやら俺は、昔からそう思われていたらしい」

 自嘲気味に笑う真宮の顔には、やるせなさそうな鬱屈とした翳りに覆われていた。
 だからわざと河原崎は、茶化すようにして言う。

「ほう、手を出そうとしていたところには気づいて、それで昔も今も二番は嫌だとお前に壁を作ったということか。それは賢い……って、冗談だって、そんなに睨み付けるな」
「お前さ。彼女と牧瀬の間柄、どう思った? ただの同期や友達に思えたか?」

 河原崎は小さく笑い、真宮の問いに率直な意見を述べた。

「……いいや。ただの友達以上、恋人未満。もしくは……恋人候補。年齢的には結婚相手候補か」

 真宮の手がびくりと震える。

「彼女がどうであれ、少なくとも、あの課長サンの方は本気で、ふたりは身体を普通に触れあえるところにいる。彼女にとって、一番近いところにいて心許せる男だな。放っておきゃ、ごく自然にくっつきそうだと俺は思った」

 河原崎はポケットからタバコの箱を取り出すと、慣れた手つきで取りだした一本を指に挟み、反対の手でターボライターの火をつける。

 すると真宮もその箱から一本、勝手にタバコを取り出して口に咥えると、顔を傾けるようにして、ライターの火を先に横から奪った。そして静かに、紫煙をくゆらせる。

 真宮は普段タバコを吸わないが、極度にストレスを感じると、河原崎のきついタバコを一本だけ吸うのだ。

 河原崎はそっと、真宮の横顔を窺い見た。
 月を睨み付けるように見つめている美しい彼の顔は、頽廃的な翳りに覆われ、どこか脆さが見える。

「……わかっていたんだろうさ、穂積も。九年も経っているのだから、そういう男はいると。だからって、仕事として呼びつけたのに、あの男にばれるような、あからさまな態度をとるな。これから、やりにくくなるぞ。彼女をお前から、守ろうとするだろうから。……彼女に選ばれた騎士のように」

 灰皿にタバコの灰を落としながら河原崎は言うが、虚空に白煙を吐く真宮からは返事はない。
 
「わかってるさ、お前の気持ちは。彼女を探しまくったものな。彼女のためにお前、シビアな環境受け入れたものな。だけど……もっと頭を使え。お前、大公も苦笑するほど、いつも冷め切った冷徹男だろうが。こんなことで、今までの苦労を水の泡にして、突然子供ガキに戻るな」

 真宮は黙ったままタバコの火を消すと、静かに琥珀色の酒を口に含んで言った。

「……思い出して貰いたいんだよ、一秒でも早く。……忘れられたくないんだ。俺の、勿忘草を……」

 黒いままのスマホの画面を、長い指で撫でながら。

「せっかく会えたのに……。繋がりが欲しいのは、俺だけだって思い知らされる」

 苦しげに語る真宮を見て、河原崎はウイスキーを飲みながら、片手で真宮の頭をぽんぽんと叩いた。

「なぁ、穂積。今夜の満月はすごく綺麗だ。……知ってるか? 今夜は一ヶ月に二度満月となる……ブルームーンと言うんだってさ。だからかな、まるでお前のピアスや瞳の色のように蒼く思えるよな」

 河原崎は、報われない想いに胸を焦がす、弟のような男に笑って言った。

「同じあの月を見て、彼女がお前のことを思い出してくれるよう、俺もブルームーンに願っててやるよ」
「……ん」

 真宮は、片手で持ったスマホを、祈るように額につけた。

 ……だが、いつまで経っても、彼のスマホは反応がなく。
 月はさらに蒼くなっていくのに、時間だけが無情に過ぎゆく――。

 真宮の大人びた端正な顔が、凄惨な翳りに覆われた。

「……理人。もう少しだけ付き合ってくれるか? ひとりだと……狂いそうになるから」
「わかったわかった。俺、今夜の仕事諦めるわ。明日、手伝えよ」
「……ん。わかっている」

 元々、彼女の居場所を掴めた真宮が、彼女をホテルに呼ぶことは河原崎は知っていた。
 茶番のような、強引な手を使って。

 真宮はずっとそわそわ落ち着かず、そして時間よりも大分早くにエントランスにいたことも河原崎は知っている。
 そして花瓶の前で花を活け直す彼女を見て、泣き出しそうな顔で立っていたことも。
 声をかけようと化粧室まで追いかけ、彼女を待たずして引き返してきたことも。

 真宮は逸る気持ちを押し止め、九年後の大人になった自分で再会したかったのだ。

 九年前、彼女は真宮に光を与えて、絶縁という闇に突き落とした。
 ……彼女が姿を現さないのは、衝動的になりすぎた子供の自分を嫌がってしまったからなのだと、真宮はそう嘆きながらも、貰った手紙に一縷の望みをかけて、ずっと彼女を探してきた。

 次こそは、やり方を間違えたくないと。

 だからこそ、彼女と再会した時の第一声をなににしようかと思い悩み、そして彼女からの反応を心待ちにしていた。

 だが彼女は真宮とのことをなかったことにしたいようだ。
 過去に縋る真宮に、彼女は現在という壁で己を守り、またもや彼をなかったもののように扱おうとする。
 さらには、偶然にしても親密な間柄の男を連れていた。

 ……それを目の当りにした真宮の心情は、いかなるものかとは思う。
 鉄壁さを誇る真宮が私情を隠せなくなるほどには、それは衝撃的で強烈なダメージだったのだ。

 万が一のために、ドアの前にうろついていてよかったと思う。
 白紙の紙にサインするようにと割って入ることで、真宮はなんとか冷静さを取り戻せたのだ。
 そうでなければ、いつものように……冷酷にも思える手段に訴え、結果、彼女を怖がらせただろう。

 電話番号とサインをした紙を彼女に手渡し、牧瀬がいないところで次のステージに進めるかと思いきや、またもや真宮は、背を向けた彼女を待ち続けている。
 
 こんな健気な姿を、彼女に見せてやれば、なにか変えてやることは出来るのだろうか。
 それでも彼女は背を向けようとするのだろうか。

 背を向けるのなら、いっそ未来に希望など全くないようなあくどいやり方で、彼の未練も執着を断ち切ってやって欲しいと思う。……情などなにもないのだと、彼の親のように。

 女も男も真宮の肩書きや才能、容貌に群がる。
 誰もが手に入れたがる彼を、なぜ彼女だけは受け入れようとしないのか。
 なぜ真っ青な顔で、穂積を拒むのだろう。

 いや、真宮の存在を記憶に深く刻んでいて、それでも真宮を知らぬふりをする理由はなんだ?

――俺は同世代の女と結婚していて、その上で年上女をからかって手を出そうとしている遊び人扱い。

 河原崎は、真宮の言葉を思い出して目を細める。

 真宮を遊び人だと昔から思っていたにしろ、なぜ真宮が結婚する相手を〝同世代〟と限定するのだろうか。
 それに年上だと、彼女はいつ知ったのだろう。
 彼女は大学時代にでも、真宮の情報を仕入れていたのだろうか。
 そもそも大学時代も、彼が真宮の御曹司だから、世界が違うと萎縮して逃げたとか?

 いや、それはないだろう。
 大体あの頃の真宮は、真宮姓を名乗っていなかったのだから、彼の素性など露見するはずはないのだ。
 真宮の話でも、なにひとつ彼女に自分のことを告げれなかったことを後悔していたはずで。

 社会に出て真宮のことを知ったとしても、フロントで見ていた限りにおいて、彼女は因縁ある相手だとわかってやってきたわけではなさそうだった。

 なにより九年後の彼女の顔に浮かぶのは、懐かしんだり苦々しく思う程度のものなどではない。
 真宮との再会は、彼女が蒼ざめるまでに、強烈な衝撃を与えたものだった。

 ……それはなぜだ?

 今まで選択肢にのぼることはなく、だが今は消去法で残る僅かな可能性があるのだとすれば――。
 
「……なあ、穂積。九年前のことだがよ、結局お前、彼女から貰ったという手紙はどうしたんだ?」

 ……とことん、付き合ってやろうじゃないか。
 彼のスマホに電話がかかってくるまで、どうせ真宮も帰ろうとしないだろうから。
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