勿忘草は、ノスタルジアな潤愛に乱れ咲く

奏多

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3.ブーゲンビリアは、あなたしか見えないと咽び泣く

心を繋げたいのは

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 香乃は唇を開かなかった。
 頭を横に振って、牧瀬を拒む。

 しかし牧瀬は下がらず、香乃の唇に噛みついた。
 香乃が驚いた拍子に、反射的に開いてしまった唇から舌を割り込んでくる。

 初めて触れる牧瀬の舌に、気持ちいいとか感じる以前に、涙が出て。
 ざらついた舌の感触のように、抵抗感に肌が粒立った。

 あれほど牧瀬の愛撫は心地よく、身体を濡らしていたというのに。
 真宮から逃れるために、散々白檀の香りに包まれ、肌に馴染んだというのに。

 彼とのキスは罪悪感だけが膨れあがる。

 駄目だと、狂ったように頭をふり続けてキスから逃れようとする香乃に、牧瀬は否応なしにキスを深めていく。それが優しく、悲しくて――心で謝りながら、香乃は噛みついた。

「……っ」

 だが、血の味がしながらも、牧瀬の唇は離れなかった。
 それでもいいとでもいうかのように、牧瀬の手が香乃の頭を宥めるようにして撫でる。

 香乃の近いところにいて、香乃の理解者だった牧瀬は、香乃が抱えるすべてを知り尽くしながら、それでも自分を見ろと、切ないキスをしてくるのだ。

 何度も牧瀬に逃げ込んで、セックスをして。
 身体を繋げても心は繋げなかった。
 その関係が心地よいと思っていたのは香乃だけで、彼はこんなに心を繋げたがっている。

 それがわからないほど、鈍感ではない。
 
 彼を都合のいい男にしたくない。
 だけど傷つけたくもない。
 受け入れることも出来ない。

 どうすればいい?
 ……答えは簡単だ。

 真宮を消せばいいだけだ。
 自分で勿忘草に背を向ければいいだけだ。
 今までのようになかったことにすれば。

 想い続けても実ることはなく。
 彼と志帆の言葉で、彼が真宮の人間ということを思い知った。
 そして彼に、志帆を傷つけさせてしまった。

 これ以上、真宮に踏み込んでは駄目だ。
 彼自身のためにもならない。

 彼はただの、仕事の相手だと割り切れ。
 
 そう思うのに、真宮を想うと心がじくじくと痛むのだ。
 真宮を知れば知るほどに、惹き込まれていく自分がわかるから。
 もっと真宮の素顔を見たいと思う自分がいるから。

 だが、踏みとどまれるのは今だ。
 今ならまだ、牧瀬を愛せる。
 恐らくは、まだ間に合う。

 そんな葛藤が続く中、カタリと音がした。

 床に落ちて、転がるボールペン。
 落としたのは――立ち竦む真宮だった。

 見開かれたままの勿忘草色の瞳が、激しく揺れている。
 まるで暴風に煽られているかのように。

(いつから……)

 彼に信じる、と言った言葉を、彼はどう受けとっただろう。
 九年前の精算ととったのか、あるいは――彼を好きになりたいととったのか。

 後者ならば、今、この場面を見てどう思っているだろう。

(タイム、オーバー……)
 
 少しでも傷ついて、少しでも恨んで欲しい。
 そして、軽い女で好意を向ける価値もないのだと、思い知って欲しい。

 勿忘草の花言葉の、反対の意味を彼に――。

 『どうか、わたしを忘れて下さい』

 これは罰だ。
 牧瀬の気持ちを蔑ろにした、軽薄な自分への。
 牧瀬がいるのに、真宮に惹かれてしまった自分への。

 悪いのは、すべて自分だ。

 スベテハ、ワタシガワルイノ……。

 だから香乃は――真宮に向けて決別の微笑を浮かべると、真宮からすっと視線を外した。
 そして震える手で牧瀬の首に巻き付け、自分からキスをねだった。

 さようならと心で告げて。

(初恋を……ありがとう)

 あなたが好きでした。
 あなたに触れられると、自分ではいられなくなりそうでした。
 あなたとの未来を夢見たこともありました。

 あなたに傷つき苦しい思いはしたけれど、それでも九年後、信じさせようとしてくれてありがとうございました。
 九年前、あなたが勿忘草を破らせたわけではないと知り、すごく嬉しかったです。

 どうか、誠実な女性と幸せになって下さい。
 すべてを投げ捨てても、あなたの勿忘草を守ろうとしてくれる女性を。

 また、あなたから逃げるわたしを、どうか忘れて下さい――。

 ……気づけば、真宮はいなくなっていた。

(……そう、これでいい)

 香乃が力なく笑うと、突然に牧瀬が呻いてその身体がずり落ちた。

「牧瀬!?」

 ……牧瀬が片膝をついて蹲る。
 そして少し後ろに、いなくなったとばかり思っていた真宮が立っていた。

「すみません、牧瀬さん。ただの足払いですので」

 その声は恐ろしく低く、香乃に向けたその眼差しは静かだが……とてもぎらついていた。
 香乃は、真宮を諦めさせるどころか、怒らせてしまったらしい。

 恐らく――。

(地雷、踏んだ)
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