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6.ハイドランジアは、冷酷な美にその身を染める

妖怪従者たちのバトル

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 ◇◆◇
 

 母だと名乗る女が言った。

「お母さんは、苦しい思いをしてあなたを生んだの。それからずっと、お母さんはあなたのことを守ってあげたじゃない。お母さんだけがあなたの味方よ? だから――」

 歪んだ笑みを見せながら。

「今度はあなたが、お母さんに尽くしてね」

 女は手を差し伸べる。

「あなたは、お母さんの所有物ものなのだから」


 ◇◇◇
 

 主なき総支配人室――。

 そこには、これから真宮家に行くために、仕事中の穂積の帰りを待つ河原崎がいる。

「性春真っ盛りのホズぴょんなら、ガンガンやりまくってお肌つるつるになって帰ってくると思ったのによ、なにやら考え込んでいてさ。喧嘩でもしたのか?」

 昨夜浮かない顔で戻ってきたらしい穂積と、なにがあったのか香乃から聞き出したいようだ。

 自分からあんな淫ら誘い方をしたことを思い出して、朝から赤くなったり蒼くなったりし続けていた香乃は、そのことが原因で穂積の気分を損ねたのではないかと思わずにはいられなかった。
 だがそんなこと、幾ら河原崎相手にも言えない。
 さらにこの場にいるのは、河原崎だけではなかった。

「ふふ、嫌ですわ。どうして係長が無償で、ネズミさんに内々のことを語ると思っているのかしら。主の恋人だから、最年長だからと、随分と調子に乗っていらっしゃいますこと」

 向かい側で珈琲を啜っているのは、圭子である。
 今日真宮家に行くと伝えたところ、自分も行きたいと言い出したのだ。

――本家を探索するもよし、足止めするもよし。わたくし、あのネズミ男よりは有能に働ける自信がありますの。

 香乃としては心強いが、向かうのは真宮の実家だ。
 香乃はLINEで、穂積に尋ねてみると『いいよ。その方が心強い』との即答が返ってきた。
 圭子は随分と穂積に買われているらしい。
 
「俺としちゃ、真宮家にかっぱ娘も乗り込もうとしていること自体が、調子に乗っていると思うんだが」
「ふふふ、わたくしには、偉大なるおばさまがおりますので。おばさまの名前を出して、断る方がいらっしゃるのなら、是非とも拝顔したいですわ」
「権力を笠に着る妖怪め。末恐ろしい小娘だな」
「ほほほ。わたくし、出自がよいもので。あしからず」

 今日も妖怪同士、仲はいいようだ。

「で、なんだよ。本家に俺を連れて戻るというのは、志帆だけが原因じゃねえだろう? 情報を共有出来なきゃ、策も練ることも出来やしねぇ。穂積はだんまりだしさ。なにかあったんだろう?」

 香乃は、家に母親が来たことだけを話した。

「で、言いたい放題言われて、穂積の反応は?」
「……牧瀬が家族に受け入れられていることを気にしている様子で。正直なところ、そこ!?となりましたが」

 すると河原崎は笑い転げた。
 失礼だと圭子が睨むと、呼吸を整えて彼は続けた。

「だろうな。あいつにとっちゃ、あんたの母親から散々言われることには慣れているからな」
「え?」
「昔、罵倒されていたから、穂積。あんたが入院している時も、高校の頃も。此の世から消えろとも言われていた。娘を守るという使命感より、狂気を感じたね、俺は」
「……っ」
「幾ら大人びて、次期当主の大きな才覚を見せ始めていた時期だった時とはいえ、まだ中坊だ。あちこちに反対されて味方がひとりでも欲しい時に、人格すら否定するような言われ方はキツかったろう。そんなこと経験して慣れてしまっていたら、自分とは違う扱われ方をする恋敵の方に目を向けてしまうだろうな。至って、正直な反応だと思うよ」
「……罵倒するような母ではないんですが」

 香乃にとっての母親は、明るくて優しい。
 そして花をこよなく愛する母親だ。

「あんたは娘だから、内側からしか見えてねぇんだよ」

 河原崎は怜悧な目を向けて言った。

「課長サンを気に入る理由だって、自分達親が使いやすいから、ぐらいだろうさ」

 反論出来なかった。
 母親は、確かに穂積に見返りを求める言い方をしていたのだ。
 牧瀬は援助してくれるから恩があり、だから仲を認めるのだというような。

(牧瀬を可愛がっているというよりもむしろ、打算的な言い方をしていたわ……)

 考えてみれば、そこまで穂積を嫌っているのなら、なぜホテルの仕事を断らないのかもわからない。そこには報酬という見返りが発生するからだろうか。
 自分に利が発生すればいいとでも思っているのだろうか。

(確かに母さんは花屋を愛している。経営難には過剰とも言えるくらいナーバスになっていたけれど、そこまで利益主義ではなかったはずなのに)

 では、見返りを口にした母の求めるものは、一体なんだというのだろう。

「実際あんたは、穂積と恋仲になっていたことさえ知らされないでいた。事故のことも、母親からのずっと入院していたという言葉を疑ってなかっただろう。よくよく考えれば、綻びは見えるというのに」

 確かにそうなのだ。
 BARでも穂積は言っていた。

――……普通、一ヶ月以上口から食事を摂らずに寝たきりになっていたのなら、老人以下の体力になっているはず。活動量が激しい学生生活に戻れない。リハビリをしてからの退院になるはずです。

 そんなこと、今まで疑問にすら思わなかった。

「娘が可愛い母親なら、娘が好きでたまらない相手がいることを告げるだろうさ。だけどあんたの母親は、あんたを守るという名目で、独断で穂積を遠ざけ知らぬふりを続けた。あんたが怖かった記憶を思い出したからにしても、その独裁的なやり方は、間違いなく真宮そのものだと思うがね。ある種の真宮支配者層によるマインドコントロールだ」

 香乃は言葉が出なかった。

「幾ら真宮から逃れて庶民の暮らしをして、常識人ぶったつもりでも、俺からしてみりゃ、彼女が穂積にしてきた数々は、真宮の者が穂積にしてきた仕打ちとなにひとつ変わらない。それをあんたの母親はわかっちゃいねぇんだ。そして、母親を盲目的に信じ込んできたあんたもな」
「……っ」
「それでも穂積はあんたがいいと言う。あんたのために、あんたを傷つけない方法はなにかと、いまだ自己犠牲の方向で模索しているあたり、ドMというか、本当に健気だと思うよ」

 河原崎の言葉が突き刺さる。
 穂積はなにも言わないだけで、多くの傷を負ってきたのだ。
 ……それに気づいていなかった自分が不甲斐なくて。

「でもまあ、あんたが内側ではなく、外側から母親を見始めたのなら、穂積も昔のように傷つくことはないだろうさ」

 そう河原崎が言うと、圭子がくすくすと笑った。

「まるで係長も、彼に仇なす加害者のような言い方ですわね」
「は?」
「わたくしからすれば、それだけよく観察していながらも、なにもしてこようとしてこなかったネズミさんもいかがなものかと思いますが」

 圭子がカップをことりと音を立てて置きながら、やけに静めた声で言った。

「今でこそ片腕を気取っているようですけれど、その当時、あなたは誰についていたんですの?」
「……それはどういう意味だ?」

 僅かに河原崎の纏う空気が冴え冴えしいものへと変わる。
 しかし圭子は一向に臆した様子もなく、にこにことして続けた。

「ふふ、もっと率直な言い方をすれば、主を命がけで守ろうとしてこなかったあなたもまた、真宮の因習に浸かっているのではといいたいのです。ま、可能性のお話と受け取って頂いても結構ですが」
「け、圭子ちゃん。河原崎さんは……」
「ええ、真宮穂積の信任は厚いでしょうけれど、わたくしがネズミさんをギブアンドテイク以外で信用出来ないのは、誠意が感じられないところにもあるんです。主が大事なら、個人的にわたくしに情報を流さないと思いますし。なによりネズミさんの言葉は、あまりにも他人事過ぎる」

 圭子の言葉は、辛辣だった。

「ネズミさんもまた、利益が発生しなければ動かないのでは? 逆に言えば、次期当主たる真宮穂積以上に利益をもたらす存在があれば、あなたは簡単にそちらについてしまうのではありませんか? そうだとしたら、真宮穂積は側近の心すら把握出来ない無能ぶりをさらしていることになりますが」

 河原崎の目が明らかに不機嫌そうに細められている。

「わたくしの言葉を否定なさりたいのでしたら、わたくしを納得させられるだけの忠心をお見せ下さいませ。主を騙せても、完全に外にいるわたくしの目は騙せませんことよ」

 圭子は一体なにを感じているのだろう。
 香乃から見る河原崎は、これ以上ないくらい穂積を思いやっているというのに。

「圭子ちゃん、黙って。河原崎さんに失礼よ!」

 思わず香乃が叱ると、圭子はしゅんとした。
 そして河原崎は……呵々と笑った。

「こりゃあいい。俺もまた真宮の者か。成程、分家にもなりえない使用人の身分でありながら、この俺も出世したもんよ」
 
 笑いながらも、笑っていないその目に、香乃はぞくりとする。

「かっぱ娘。ならば真宮の家をとくと見るがいい。穂積の味方が誰かということを。見抜く自信があるというのなら」

 圭子はその目を細めた。

「ええ、是非ともそうさせて頂きますわ。わたくし、おばさまの力を借りてでも、係長をお守りするのが使命だと思っておりますの。あなたが害をなすものと判断致しました時は、容赦ありませんことよ」
「受けて立とう」

 香乃が見ている前で、なぜか従者気分でいる圭子と河原崎とにバトルが始まってしまったようだ。
 
(圭子ちゃん、なんで河原崎さんにそんなにつっかかるの……)

 河原崎が怒り狂っていないところは、大人だと思う。
 ある意味それは、河原崎の腹の底が見えていないということにもなるだろうけれど。

 そんな中で、穂積が帰ってきた。

「ちょっとトラブルがあり、お待たせしました。では本家に行こうか」

 穂積は香乃に、上品に笑いかける。
 昨夜のことを思えば気恥ずかしかったが、穂積はいつも通りだった。

 素通りされたような心地になって寂しくも感じたが、それでも歩き様そっと手を握ってきた穂積に、香乃の心は温かくなるのだった。

 
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